第5話 薬師のはずの猫(第二階層)
第二階層
「はい、チョークで囲んだ所は大丈夫だから」
「はい!!」
第一階層が準備体操なら、ここ第二階層はいよいよ予選といったところか。
魔物は少ないが罠は異常に多い。逆に言えば、罠が多いので魔物が歩けない。そんな感じだ。
体で感じた感覚と勘全てを動員して罠を切り抜けていく。踏めば作動する罠もあるので、小型とはいえ馬車を通すのも一苦労だ。
そういえば、私って罠師じゃなくて薬師だったような……。
「さて、このくらいで勘弁しておいてあげますか……」
ガイドブックによればまだ、第二階層の半分も来ていないが、集中力の限界だ。これ以上の強行は死を招く。
「カレン様の判断にお任せします」
私の言葉に文句も言わないセリカ。お陰で助かるが、いい加減「様」はやめて欲しいものである。何度言っても、これだけは頑として譲らないのだ。
もう手慣れた手つきで寝袋を広げるセリカの様子を見ながら、私は馬車に積んである薬品をゴソゴソ漁った。
「あれま、たっぷり用意しておいたんだけどな……」
魔物よけの香油のストックが切れそうだ。まあ、本職はこっちなので、なければ作るまで。そのために、大量の薬草類を苦労して馬車で運んでいるのだ。
「あらよっと!!」
材料をかき集めて刻んですり潰して漬けて、魔法で仕上げてはい完成。
「ほへぇぇぇ」
セリカが目を丸くしている。いや、本職こっち!!
「そんなに珍しい?」
出来たばかりの香油を撒きながらセリカに聞いた。。
「はい、そもそも薬師の仕事を見ることが初めてで……」
あらま。
「人間の薬師も同じ事をやっているはずよ。使う薬草や製法は違うかもしれないけれど……。もしかして、病気知らず?」
珍しくちょっと笑みを作って見せると……セリカがビクッとした。やっぱりダメか。私たちって、笑みを作ると牙むき出しになって、唸っている顔にしか見えないのよね。
「い、いえ、逆です。病弱な方です。最近は大丈夫ですけれど、小さな頃は散々だったようです」
へぇ……。
「ちょっと診させてもらえる?」
単純に職業的好奇心……もとい、探究心から私はセリカに聞いた。
「はい、構いません」
いきなり服を脱ごうとした彼女を、私は慌てて止めた。
「待って待って、魔法でさらっと診るだけだから!!」
「えっ、はい」
全く、今のところ人はいないとはいえ、こんな場所でもう。
「じゃあ、ちょっと横になって……」
魔力を込めた手でその上を辿って行くと……。
「あー、何回か大病を患って手術までしたわね。でも、完治はしていない。肝機能もちょっとまずいかな。膵臓もちょっと……」
いやまあ、病弱というだけの事はある。今はかろうじて大丈夫だが、出るわ出るわ。薬師の簡易診断でこれだ。医師が診たらもっと出るだろう。
「大体分かったわ。私は医者じゃないから、本気の治療はちゃんとやってもらうとして、繋ぎの薬なら……」
もう処方は頭の中で完成している。ちゃんと医師に診てもらう前提なら、そんなに難しい薬ではない。
例によってズバババっと作り、味の最終調整。
「甘いのと苦いのどっちがいい?」
私が聞くと、セリカは少し赤面した。
「あの、お恥ずかしいのですが、苦いお薬が駄目で……。甘い方でお願いします」
「はいよ。お子様向け激甘トッピングで!!」
あっ、俯いちゃった。いじめっ子か、私は。
「はい、完成。まあ、気休めだけど飲んでおいて。損はないから」
一口サイズの試験管入りではあるが、ちゃんと超濃縮をしてある人間用だ。
「あ、ありがとうございます」
それを受け取り、クッと一気に飲み干すセリカ。いい飲みっぷり。薬師冥利に尽きる。
「あ、甘くて美味しかったです。ありがとうございます」
それはなにより。まあ、美味しい薬ってのも考え物だけどね。
「あれ、調子がいいような……」
「それは気のせいよ。こんなに早く効果は出ないから。鎮静剤も混ぜておいたから、少しはゆっくり寝られると思うわ」
私はいつものマタタビ酒をチビッとやる。この苦みが癖になるんだな。
「それ、美味しいですか?」
セリカに聞かれ、私は返答に困ってしまった。
「うーん、これ猫用だからねぇ。人間に飲ませた事ないから……」
「では、私が偉大なる一歩を……」
よく分からないが、なんだか積極的なセリカを止めるつもりはない。死ぬ事はないだろう。
「はい、どうぞ」
私が差し出したボトルを恐る恐る一口飲み。セリカはカッと目を見開いた。
「あ、あれ?」
何事様!?
「こ、この舌の上を転がるまろやかさ、微かに感じる苦み、そしてよく分からないこのほのかな甘み……美味しいです!!」
……マジか!? それマタタビを適当にお酒に漬けただけだぞ!!
「売りましょう。これ絶対に受けます。お父様に頼めば販路は確保出来ます!!」
ガシッと私の手を掴み、力強く宣言するセリカ。
……あの、私って薬師なんですけど、酒屋じゃないんですけど。
こうして私の多角経営の道が……開いていいのだろうか?
大興奮のセリカが寝静まってしばし、私も少し眠くなってきたのでいわゆる「猫箱」のスタイルでウトウトしていた。
猫には警戒レベルがあり、これはちょいリラックスといった感じか。完全リラックスの腹出しごろ寝など、自宅にいても滅多にやらない。それくらい、警戒心が強いのだ。
そんな時だった、ゴソゴソとセリカが起き出す音が聞こえた。
「おや、寝られない?」
問いかけると、彼女は上半身だけ寝袋から起こし、目をゴシゴシ擦りながらうなずいた。
「うーん、睡眠薬も作れるけど、この環境じゃ危ないし、自然に寝てもらうしかないなぁ」
なんでも寝ればいいというものではない。何かあった時に、前後不覚では困るのだ。
「ごめんなさい。なんとかしてみます……」
また寝袋に戻ったセリカだったが、なにかモゾモゾしている。うーん。
「ま、寝られないなら、暇つぶしに昔話でもしようか?」
「えっ?」
少し驚いたような彼女の肩をポンと叩いてから、私は記憶の糸を辿る……。
あれは、まだ学校出たてのひよっこ薬師だった頃ね。
なまじ学校で褒められたもので、まあ、今となっては馬鹿みないな話しだけど、何でも出来る気になっていたのね。
調子に乗って親からふんだくったお金で物件借りて店持って、最初は良かったんだけどね。ある子供の患者さんだった。
一人で出来ると思ったから、いつも通り診断して薬を処方した。致命的な判断ミスをしていたとも気づかずにね。そのミスっていうのが「傲慢」。迷わず医師に紹介すべき病状だったのに、このくらい大丈夫って勝手に判断して、結果としてその子は手遅れになった……。まあ、これで懲りたはずなのに、今でもチョイチョイ同じようなミスをやる。
傲慢になっているつもりはないんだけど、どこかであの癖が抜けないんだと思う。しょうもない薬師なのよ。私は。
あなたは、絶対こうなっちゃだめ。冒険者駆けだしのうちに、謙虚になる癖を付けておいてね。
「さて、つまらない話しはこんなところかな。どう、眠くなった?」
「カレン様……起きちゃいます。そんな話しされたら」
そうかなぁ、お説教なんて眠くなるもんだけど。
「やっぱり腕が未熟だわ。眠らせられんとは、薬の調合が甘かったわ」
「いえ、気付け薬としてはバッチリでした!!」
……うわっ、返された。私のペースに馴染んできたわね。
「起きちゃってどうするのよ。起こすつもりは……ってちょっと!?」
セリカはいきなり上半身だけ服を脱いだ。
「この手術痕、消せる薬はありますか。少し引け目が……」
なんの手術だか分からないが、酷いケロイド状の痕がいくつもある。これは、女の子としては辛いだろう。
「そうねぇ……普通の薬じゃ難しいけど、今持ってきている薬草をいくつか混ぜて、魔法薬にすれば瞬時に治せる。ただし、痛いわよ。かなり」
よく、「焼きごてを当てられたような」と表現するのだが、耐え難い苦痛を五分くらい耐え抜く必要がある。それも、こんな迷宮で。
「構いません。治せるなら……」
確固たる決意……か。
「もう一度言うけど、かなり痛いわよ。覚悟はしてね」
私の警告に力強くうなずくセリカ。
よし、頑張りますか。
私は普段滅多に使わない薬草を集めて刻み、乳鉢ですり潰した。今回は塗り薬なので、基剤となる白色ワセリンを加えてペースト状に。これで基本は完成。あとは、魔法をかけて仕上げる……よし。出来た。
この軟膏は、触れただけで激痛が走る代物だ。効果は抜群なのだが……。
「さて、行くわよ。痛みは分かち合いましょう」
「えっ?」
本来は本人に塗ってもらうか、手袋でもして扱うものだが、私はあえて素手のまま軟膏が入った乳鉢に手を突っこんだ。
「んにゃあ!?」
自分で作っておいてなんだけど……こんなの薬じゃない!!
「ええっ!?」
堪らずそれをセリカに塗ったくると……。
「っく!?」
苦痛に顔を歪めるセリカ。その顔には、一瞬にして脂汗が浮かんだ。
「んのぉ!!」
こっちも必死だ。どうにかこうにかセリカの傷跡に薬を塗ると、私は乳鉢をひっくり返して転がり回った。うっかり、床にこぼれた軟膏の上を転がってしまい、事態はさらに悪化した。酷い……。
あまり見ている余裕はなかったが、セリカは無言で耐えていた。なかなか打たれ強い。
こうして地獄の五分間が終わった時、私はもう立ち上がる気力も残っていなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
声を掛けてきたセリカの体を見ると、傷痕は綺麗に消えていた。
「なーに、軽いもんよ……」
サムアップ(気持ちだけ)しながらセリカに返す。死ぬかと思ったが、それを出したら負けである。
ちなみに、軟膏はベタベタしない程度に薄く塗るのが正解。べた塗りしても、意味がない。
「いえ……なにか、私より酷い様子に見えますが……」
「気のせい気のせい。はい、傷治ったわよ。料金はサービスしておくわ」
普段使わない薬草の在庫が少し捌けたし、依頼料は破格。これ以上吹っかける気はない。
よっこいしょと立ち上がり、私は調剤に使った道具を片付け始めた。
「すっかり治って……。なんとお礼をしてよいか」
背後でそんな声が聞こえたが、私は聞こえないふりをした。
「早く服を着た方がいいわよ。誰が来るか分からないから」
私が言うと、やっと状況を把握したらしい。慌てて服を着る音がした。
「こんな場所で……、申し訳ありません!!」
気づかないくらいコンプレックスだったのか、ただのド天然なのかは分からないが、気が付くの遅すぎ!!
「全くもう、ビックリしたわ。まあ、でも、結果的に誰も来なかったからよし!!」
終わりよければ全てよしだ。グチグチ言うつもりはない。
「はい……申し訳ありません」
片付け終わってセリカを見ると、赤面したまま俯いている。
その様子は可愛いというか何というか……。
「コホン……。気にしないで寝る!!」
「はい!!」
スパッと寝袋に潜り、即座に就寝体勢に入るセリカ。しかし、やはり眠れない様子だったが、取りあえず放っておくことにした。むしろ、激痛で暴れたせいで、私の方が眠い。
再び「猫箱」体勢に戻り、私はウトウト。眠くなったら勝手に寝る。それが私たちだ。
こうして第二階層の前半攻略は無事に終わったのだった。
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