【短編】 円周率考

雷藤和太郎

円面積の作問に関する物語

 夜の学校と聞くと、お化けが出てくるだとか怪談話だとかそういうものを想像しがちであるが、現実では大抵の場合、夜中近くまで先生が仕事をしていることが多い。午後九時ころに学校の前を通る人は、明かりがついている場所で職員室がどこにあるか確認できるだろう。

 現在午後十時、小学校の職員室には煌々と明かりが点いている。

 昼間はあれほど児童の声が響いていた教室も、職員室の明かりによって暗さが強調され、秋めく気温は夜を迎えると途端に肌にもの寒さが染み入ってくる。お化けや妖怪は出てこないものの、普段からは想像の出来ない静寂はどこか空恐ろしさを感じさせるもので、教員生活三年目を迎えたアキラは必要以上の集中力をもって机上の作業に没頭せずにはいられなかった。

 校庭へ連なる職員室の扉をガララと音を立てて開け、先輩教師のトオルが戻ってくるのと、アキラが椅子の背もたれに体重を預けて頭を押さえるのとが同時であった。

「うあああぁ、分からん!」

 アキラの狼狽に、夕食を片手にしたトオルが近づいた。近くのスーパーの閉店の時間を狙って半額の弁当を買ってきたようで、手提げの袋の中からは、温められた中華丼の匂いが漂ってくる。

「どうした、成績処理か?それとも研修の報告書作成か?」

 トオルが机上を覗き込むと、そこには算数の教科書と業者作成の小テストが置いてあった。採点済みのテストで、既に点数は控えてあるとアキラはいう。

 ただ、と一言前置きをして、アキラはあごすじを撫でた。それはアキラが悩んでいるときの癖のようなもので、トオルはそのことを理解している。

「この問題が良くない、って保護者から話が来たんですよ」

「ああ、保護者からのクレームか。そんなん業者のせいにしちまえば良いだろ」

「それが結構語気が強くて、今教わっている子ども達に間違った知識を教えるのか、と言い寄られてしまって。誤った知識を教えたのなら正すべきだ、と」

「そりゃあもっともな話だな。で、その問題っていうのは?」

 袋をアキラの隣の机において椅子を拝借し、テスト用紙を手に取った。上質な紙は、児童が乱暴に消しゴムをかけても切れたりしないもの。それでも破れるときは破れるのだが。

 カラーの問題には面積に関する問題がずらりと並び、そのなかの円の面積に関する問題の四角囲いの数字にだけ乱暴な赤丸がついている。問題文には赤線が引かれており、それがボールペンだったのでおそらく大人が引いたものだということが分かった。この小学校では赤のボールペンを基本的には使わないようにというルールがある。もっとも、アキラが受け持つ六年生は、そういうルールを破りがちな児童も徐々に見受けられるようになるのだが。

「なになに?『円周率を3.14とした時、半径11センチメートルの円の面積を求めましょう。』答えは……379.94平方センチメートル。このテスト用紙の子は合ってるな。誰だこれ、ってああ、片柳の次男坊か。アイツん家は頭良いもんな」

「お父さんが製図関係の仕事でキャドとかを使う関係上、こういう問題に一家言ある感じで、今回たまたま目に入ったんでしょうね」

「アキラちゃんも不幸だねぇ」

「でも何が間違いか分からないんですよ。円の面積の公式は半径×半径×円周率で、そこに問いの数値を代入すれば答えは379.94平方センチメートルになるので、計算は間違っていないんです」

「あ、俺ちょっと夕食食べながらで良いかな?」

「どうぞ遠慮なく」

 サンキュー、と言ってトオルは机に置いた袋から買ってきたものを広げた。その机はトオルのものではなかったのだが、学校にはすでにアキラとトオルだけが残っているのみである。元通りにすれば問題はない。

「で、片柳のお父さんは何て?」

「概数で考えるなら有効数字を揃えなければいけない、と。だからこの問題の答えは380平方センチメートルが正しいと言われました」

 アキラは机上に自分のノートを出して、二つの答えを書いた。

 379.94平方センチメートル。

 380平方センチメートル。

「そうだろう?と詰め寄られて、つい『確かにそうですね』って言った自分も悪いんですけど。まあ同意したら『それじゃあちゃんと解説し直してくれよ』と帰ってくれたので、事なきを得たって感じですかね」

「それで今苦労しているんなら、どっちもどっちだな。と言っても、ここできちんと解説できないと信用を失ってしまう訳だ」

「助けてくださいよ先輩、私文系だから何がなにやら」

 トオルがアキラに助けを求められたのが午後七時の事だった。この時期毎夕行っている文化祭に向けた掲示物その他の雑務に区切りがついて、他の先生が家路につこうとしていた時分。教頭に呼ばれて保護者対応をしているとは思ったがそういう事だったのか、と合点する。

「先輩って確か数学専門ですよね」

「おいおい、俺が大学を卒業したのは十年以上前だぞ」

「でも私より分かるはずです!」

 ついこの間まで現役学生だった人間とは思えない発言に多少辟易しながらも、目の前に悩む若人があれば手を差し伸べるのが先生だ。確かに、門外漢よりかはいくらか説明もできるだろう。

「そうだなァ……じゃあ学習指導要領はあるか?」

「ちょっと待ってください」

 そう言うと、アキラはおもむろに机の下に頭を突っ込んだ。ぐぐ、と体を丸めて何かを探っていると間もなく一冊の薄い本を取り出して顔を上げた。

「これですね」

「オッケー。それじゃあとりあえず、数学的な視点でこの問題の問題点を考えよう。……ダジャレじゃないぞ」

「分かってますよ」

 トオルは机上のノートに数式を書き込んでいく。

「まずは、この問題をそのまま使おう。円周率は3.14、半径は11」


 11×11×3.14=379.94


「次に、もっと円周率の桁数を減らす。いつか問題になった『およそ3』ってヤツだな。今回は完全に3、として扱おう」


 11×11×3=363


「この二つの式はどちらも『計算は合っている』よな?」

「そうですね、さすがに私でもそのくらいは分かりますよ」

「オーケー。それじゃあ今度は円周率の桁数を増やそう。アキラちゃんは円周率何桁まで言える?」

「普通に3.14までしか分かりませんよ」

「そっかぁ」

「何か馬鹿にしました!?」

「そんなことないけどね。意味のないものを覚えることの楽しさについて思わず想いを馳せてしまっただけさ。まあいいや、とりあえず五桁にしよう。3.1416」


 11×11×3.1416=380.1336


「さて、これでとりあえず三つの式から三つの答えが出たわけだけれど、答えはどれも『計算は合っている』。さてここで問題。この三つの式はどれも円の面積を公式を使って求めようとしているのだけれど、違いはどこにあるかな?」

「それは……円周率ですよね」

「それだけじゃあ三角なんだな、これが」

「え、どうしてですか?円周率の数字が違うだけじゃないですか」

「もっと円周率の数字を見ようぜ。ヒントは式を書いているときの俺のセリフ」

 ペンを置いて代わりに箸をとり食べかけの中華丼に手をつけると、アキラは三つの式を矯めつ眇めつ眺めていたが、やがてノートの端に円周率の数字だけを書き出した。

 「3」「3.14」「3.1416」と書いているうちに、何か頭の中にアイデアが出たらしい。眉間を不安がらせながらアキラはつぶやいた。

「桁が増えただけですよ」

「正解。桁が増えたんだよ、だから正確には『円周率として使用する桁』が違う」

「ええー……『円周率』と『円周率として使用する桁』との答えにどれだけの違いがあるんですか」

「お前今度同じような質問を絶対に子どもからされるからな?」

 残しておいたウズラの卵を最後に口の中に放り込んで、再びトオルはノートに色々書き込み始めた。

「有効数字に関して説明する前に、もう少し円周率の桁数を増やして考えよう。とりあえず3.141592653くらいにしておくか。」


 11×11×3.141592653=380.132711013


「これでとりあえず式は四つになった。見やすいように、桁の少ない順に答えを並べてみよう」


 363 379.94 380.1336 380.132711013


「こうして四つの円の面積の答えが出たわけだが」

「あれ、円の面積の問題?」

「そうだろ?今解いているのは円の面積の公式を使って面積を求めているんだから」

「それじゃあ何で答えの数字が四つとも違うんですか」

「いやだから『円周率として使用する桁』が違うからだろ。いいか?桁が違うって言っても実際に数字が異なるんだ。数字が異なれば当然計算結果も異なる。当たり前だ」

 言葉にこそしていないが、アキラは大分混乱していた。トオルは大きく深呼吸をすると、咳払いを一つして説明を続ける。

「『円周率として使用する桁』を増やすと、当然そこには共通する数字が出てくる。円周率は循環しない無理数だから、数字で面積を計算しようとしても出来ない。そこで数字を使って……どうした?」

「いや、循環しない無理数って何……でしょうか?」

「ばっ、お前!?バカじゃねぇの!?円周率の性質はそれこそ学生のうちに習うだろ!」

「はい……すいません、私がバカで……」

「落ち込んでも仕方ないだろ!要するに、無限にランダムな数字が続く、ってことだ。この言い方も数学的には良くないクッソ乱暴な言い方だが、とりあえず先に行くぞ」

「はい……」

「あー……それで何だっけ?そうだ有効数字だ。式に使われている数字の桁数と答えの数字の桁数を見比べると、どれも答えの方が大きくなっているのは分かるな?」

「そうですね」

「ここで、円周率を無理数とせずに桁をぶった切ることによって障害が生じる。具体的に言うと、式に使われた数字の桁からはみ出す部分は正確な数字と見なされない」

「ええー……」

「アキラちゃんはスルーしてるけど、もう一度円周率として使用した数字に注目してごらんよ」


 3 3.14 3.1416 3.141592653


「あれ?3.1416と3.141592653の小数点第四位の数字が違う……そっか、四捨五入してるんだ」

「その通り、四捨五入しているんだ。実は3も3.14も四捨五入している数字なんだけど、そうして『おおよその数』としたもののことを何て言うか、さすがに分かるよな?」

「概数、ですね!」

「いや自信満々にされても困るんだが……。まあいいや、つまり円周率を数字で表すと必然的に概数になるということが分かってもらえればいい。それで、概数を計算するときの話になる訳だが」

 ノートに適当な式を書く。


 9.4×1.24=11.656


「この答えを小数点第一位までの概数にするとどうなる?」

「11.7ですね」

「そう、11.7は11.656の概数だ。中学校では11.7が概数になるのは四捨五入の関係で11.65から11.74の間と教えられる。これも小数点第二位を四捨五入するという前提があっての話だな。そして件の円の面積の問題は、その概数が問題文に混じってしまう。おおよその数で計算すれば答えもおおよその数になってしまうって話だ」

「なるほど。つまり、こういう事ですね」

 アキラがノートを自分の方に引き寄せると、適当な式の下に別の式を書いた。


 9.4×1.2=11.28


「1.24を四捨五入して1.2にしただけでずいぶん計算結果が変わりますね」

「だろう?1.24は1.2の概数だが、概数で計算すれば答えもおおよその値にしかならないのは当然だ。そして、おおよその数を求めるときは有効数字で数を丸める必要がある。アキラちゃんが書いた式は左辺の有効桁数が二桁だと考えられるから、右辺も同様に処理する。右辺を有効数字二桁にするとどうなる?」

「小数点第一位を四捨五入するから、11になりますね」

「そう。そしてそれは11.656の11に近い数ではある。ただし、11.656を小数点第二位で四捨五入すると12になってしまうから、まあ概数ってのは本当に大雑把なことくらいしか分からない、ってことだな」

 そこまで説明すると、トオルは背もたれに上半身を預けて大きく伸びをした。概数だけなら今説明したとおりだが、これ以上の話をするべきかは悩ましい。しかし、アキラの腑に落ちない表情が、説明を欲しているように感じられる。ノートにじっと視線を落として、思案顔だ。

「まだ何か?」

 言い方が少しキツくなってしまったことに、アキラが首をすくめるように振り向いたことから気づいた。とはいえ、分からないことを分からないまま児童に教えてしまえば、混乱は増すばかりでそれは結果的にアキラの教師としての信頼に傷がついてしまう。

「そうすると、円周率が3.14で計算したものは面積がおよそ380、という答えになるということなんですね」

「そう」

「大体でしか答えられないのは、歯切れが悪い感じが」

「そりゃあ、円周率を概数で計算しているからだ」

 トオルは買い物袋からペットボトル飲料を取り出してキャップをひねった。口をつける前に少し飲むかとアキラに聞くと、アキラは自分のがあると言って机の端にあるコップを指した。冷えたコーヒーの表面にミルクがマーブル模様を描いている。

 伸びをした腕をそのまま後頭部で組んで、トオルはぞんざいに言った。

「もっと言うと、『円周率を3.14とする』というのがおかしい」

「おかしい、って小学校では円の面積を『半径×半径×3.14』って教えるじゃあないですか」

「そうなんだよなァ、そこがこう……モヤモヤしちゃう人が出てくるんだけど」

 これ以上の話を説明しようとすると、数学に足を踏み入れすぎてしまい、小学生にどのように伝えればいいのかという話から離れすぎてしまう。

「簡単に言うとだな、円周率は円周率であって『3.14とする』ことは出来ないんだ。仮に3.14としてしまうと、そもそも円にならない」

「……よく分からないんですけど」

「これ以上は自分で勉強しろとしか言えんが、仮に円周率を3.14にしたならば、その他のあらゆる図形の公式が根底から崩れてしまうんだ、幾何学的に考えて」

「それじゃあ、おおよそ3.14で良いじゃないですか」

「そうだな。それで、答えも左辺の有効数字を考えて三桁の380で表せば万事解決だ」

「あ、そうか……でもそれじゃあ379.94という答えは間違っているんですか?せっかく計算したのに、って思う児童が出てくると思うんですけど」

「円の面積は計算ドリルの問題とは違う、っていう事なんだよなァ」

 頭をわしわしと掻いて唸る。数学的な正しさ、円周率と面積の関係に関する問題で円周率を「3.14とする」ことがおかしいことは、アキラにも理解できたはずだ。しかし、小学生に教えることを考えたときに必要になる配慮はそこではない。

 与えられた問題に対して正しく計算をし、正しい計算結果を出した。『計算は合っている』のに、それを間違いだと訂正することに子どもがどう反応するのかは予想が難しいところだ。大抵の場合、算数が苦手だと思う子ほど算数に対してネガティブになってしまいかねない。

「今回のことに関しては『問題が悪かった』として不問にするしかないだろうな」

「でもそれじゃあ円の面積を『半径×半径×3.14』と教えていることとの整合性が取れませんよね」

「うげぇ……」

 態度通り、吐き気のする話だ。アキラが悪いわけではなく、円周率というものを、小数点を含む数字として計算力を上げるものとして教育の中で捉えるか、それとも幾何学の定理として扱い概数の思考と関連付けるかという選択肢に分けたとき、現在の指導要領においては前者の働きを重視していると考えられる。もし後者の働きと関連付けるならば、円周率を表す数字を概数と捉えて「およそ3」としても理解に支障はないのだから。

「現状としては、小数を扱うにあたって円周率は便利だ、っていうくらいの考え方なのかもしれないな」

「どういう事ですか?」

「いいや、独り言。いずれにしても今回の問題は不問にするしかないだろう。成績に加味しませんよ、とするしかない。そのうえで、概数について簡単に復習するくらいしか方策がないな」

「これから円の面積を教えるときにどうやって教えたらいいのか、すっごい不安になってきました……」

「小学校で教えることだからと言って専門性を要さないわけではないからなァ……むしろ初等教育の方が専門性を必要とする場合もあるだろうし、今回のはその一例といってもいいかも知れん」

「先輩はどうやって教えるんですか?」

「そうだなぁ……俺はまず円周率が無限に続くことを教える」

 トオルが感じた、アキラとの違いはそこだった。

「ほら、小学生っつーか子どもって無限とかそういうの大好きだと思うんだよ。それで、円周率を一度黒板にバァーっと書いていくんだ。そうするとビックリするんだよな。なんだこの数字は、ってなって『この後も無限に続く数字だぞ』って言うと更に驚く。塾とかで習って知ってる子も当然いて、円周率っていう言葉が出てくる。じゃあ円周率って何だ、となって開始」

「無限に続くかぁ……」

「円周率が無限に続いて、数字では計算しきれない数なんだっていうのが分かると、頭のいい子は『じゃあ何で3.14で計算するんだろう?』ってなる。そこで説明を入れてやるのが良いんじゃないかな。数字で計算すると、どうしてもおおよその数になっちゃうんだよ、と。今回の話は更にそこから一歩踏み込んで、有効数字の話まで行っているからそれを説明するのはまた骨が折れる話だけど」

 大切なのはモチベーションだ。それを学ぶ動機づけをどこから持ってくるか、というのは教師にとって永遠の課題である。動機さえあれば子どもたちは自分から学ぶ。意味もないのに円周率を何桁も暗記するようなものだって、モチベーションがあるからだ。

 そして、教師側に教えるものに対する熱意があれば、それは絶対に伝わるものだ、とトオルは信じていた。

「なるほど……勉強になります。ところで、もし先輩が保護者の方から今回の問題のような事を言われたらどうしますか?」

「保護者の考え方はもっともだから必要な解説はするだろうね。ただ、子どもの方からそういう質問が出てくるともっと面白いだろうな、とは思うね」

 面白いという発想は教師ならではなのだろう。質問が子どもの側から出てくる、しかも自分の予想を超えた質問が出てくるのは、教師冥利に尽きる。惜しむらくは、今回の騒動の発端が子どもからではなく保護者からだったこと。トオルがアキラを気の毒に感じたのは、子どもから質問が来たならば、それはアキラにとってより強い動機となり得ただろうと思ったからだった。

「そのうえで、例えば答えの数字を379.94とした子どもは『計算は合っている』から満点、およそ380とした子どもはプラス5点、とかにする。とは言ってもそんな答え方を出来る子どもはまずいないだろうけどね」

「それじゃあ今回も不問にせずにそういう対処ではだめですか?」

「だめだね。アキラちゃんが円の面積の公式を『半径×半径×3.14』で教えている以上、概数の考え方がすっぽ抜けているから。教えていないことを評価は出来ないし、してはいけない。これは鉄則」

「そうですか……」

 アキラが露骨に肩を落としたその瞬間、職員室玄関の方から壁掛け時計の十一時を知らせる音が聞こえてきた。

「うっわ、もうこんな時間だ!アキラちゃん、もう帰ろうぜ。これ以上考えても煮詰まっちゃうだけだし、お肌にもよくないぞ」

「ううう、すいません。自分が未熟なばっかりに……」

「未熟なのは当たり前、アキラちゃんにはまだこれから何十年も教員続けられるんだから、子どもたちと一緒に成長していけばいいんだよ」

 椅子から立ち上がると、腰がパキリと小気味よい音を立てる。少し俯いて椅子から立たずにいるアキラの頭をそっと撫でると、小動物のように一瞬ビクリとしたが、それからややあって、トオルへと恨めしそうな視線を向けてきた。

「な?」

 教える側も、全てを完全に理解しているわけではない。

 ならば理解していないことには、誠実に向き合う必要があるし、必要とあれば他人の力を借りていい。それでも失敗することだってある。それが子どもたちにどう影響を与えるのかは分からないが、教師は常にその日が最善であるようにふるまうしかないのだ。

 真円でなくとも、おおよそで丸く収まる日常であって欲しいと願うのであった。

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【短編】 円周率考 雷藤和太郎 @lay_do69

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