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「ううん、槍の底で手を突いただけだって」


「先に攻撃してきたのはどっちだ?」


「子供達の方よ。石を投げたのは若者で、遊び半分だった……って」


 弟の表情が怒りに包まれ、反対に兄は無表情で座ったまま再び硬直していた。


「そいつらは何処だ! それがどれほどの屈辱かわからせてやる!」


 拳を握り締めいきり立つ彼に、ヴァリアントがすぐさま声をかける。


「落ち着け、相棒」


「ローザのことはあんまり好きじゃないけど、でも! そいつらのやったことは最低なんだ! 出て行け、死ねって言っているようなもんだ!」


 と、それまで動かなかったトレアンが弟の拳に触れ、怒りの形相で振り返ったその表情に向かって無表情なまま言った。


「わかったから、テレノス。いきり立つな……シラクサ、ところでそれは誰が止めさせた?」


「ハインツとクラウスだったみたい。ローザが一人を槍の底で石の上に倒してその上に乗っかったけど、ぶちのめす前に二人が引き離したって。その後から、ローザはずーっと、殺してやる、殺してやるって言いっ放し」


 シラクサは焦っていた。こんなことを話している場合ではない、と彼女は思っていたし、何よりもこのレフィエールの兄弟に急ぎ伝えなければいけないことがある。弟が幾分か抑えた声でこんなことを言ったのが聞こえた。


「その時に殺してやればよかったんだ」


「で、それからが問題なのよ!」


 テレノスが燃えるような瞳で黒いドラゴンを見る。眉間に刻まれた深いしわには疑問が込められていて、それは仲間が一体何処へ行ったのか早く言えとでも催促しているかのようだ。


「その話を聞いて、ワルトブルクのマルティンが怒ったの。元々人間が好きじゃなかった人達も、もっと怒った、ヒューロア・ラライナに出入りしてた人達も……これから行かないどころか」


 ドラゴンがぶるぶると頭を振った。それはまるでこれから起こる恐ろしいことが見えてしまっているかのようで、レフィエールの兄弟は、片方は座ったまま、もう片方はそこに立ち尽くしたままごくりと唾を飲む。ヴァリアントが鼻息と一緒に呟いた。


「……これは助っ人どころか最悪の使者だな」


 トレアンが立ち上がり、シラクサに向かってと言うより、確認するかのように言う。


「まさか……この町の皆は、武器を持ちドラゴン達に乗って……空間を使わずに?」


「まずいわ、トレアン=レフィエール、愛しい人」


 オーガスタが焦ったようにすぐさま返した。それはいつもの彼女らしくなくて、震えている。


「だから、誰もいないのよ。溜まっていた不安や不満が爆発したのだわ、きっと……だから圧倒的な力を持つアドルフを倒して、あなたのいないうちに、テレノスが気付かないように行ってしまったのだわ」


「止めなきゃ。石を投げた奴はどうでもいいけど、他の人もいる」


「我々の仲間も無理矢理そそのかされているのだろう、色々なことを吹き込まれて……己がドラゴンだということを忘れたのか、あやつらは? 思い出させてやらなければならないようだ、我々が!」


 ドラゴン達はテレノスに代わっていきり立った。兄弟はそこで互いに顔を見合わせる。レフィエールの弟は固い表情で言った。


「……兄さんは止めに行くのかい?」


 トレアンは、自分の弟の瞳を真っ直ぐ見つめた。鳶色のそれは今、何かへの怒りに燃えていて今まで見たこともないくらいの激しさを放っている。止めに行く、と兄が言おうとするのをためらわせるぐらいの嫌悪がそこには渦巻いていた。だから、彼は口を開く。


「……嫌なのか、テレノス」


「俺は」


 おそらく自分の術でも適わないだろう、炎がその体の中でごうごうと音を立てているのを感じ取るのが出来るような気がした。


「俺は、石を投げる奴らを止めようともせずに見ていた、ヒューロア・ラライナの人達を赦せない」


 兄は唇を噛んだ。彼はあの町の人々を信じていたかった。確かに石を投げると言う行為は例え悪気がなかったとしても許し難いものだったが、そのようなことが起きようとも壊れないような揺るぎない関係が築かれている、と今まで思ってきていた。それが、自分のいないうちにこの有り様だ。彼の中の信じようとする心さえ、その出来事は崩そうとしている。


「……そうか」


 テレノスの瞳から視線をそらす。それでも、人間を、自分達と違う世界にいて今は同じ世界に存在している筈の彼らを信じていたかった。どんないさかいも赦しあって乗り越えていける、人間にとって自分はそんな存在でありたかった。


 トレアン=レフィエールとして、一人のドラゴン使いとして彼は口を開く。


「……私は、行く。カレンと約束を交わしたから」


 約束する。だから泣くな、カレン。自分がいつか言った言葉を思い出した。この一つの肉体の目の前に新しい世界を開き、知らなかった未知のものに出会わせてくれた人を、ただ森の中の町で単調に暮らしていた自分に他にも大切なものを自覚させてくれた人を守りたくて、彼は言う。


「私は、信じていたい。たった一人でも、最後まで……信じていたい。そなたがカレンを連れてこなければ、そなたがいなければ……今の私は、何処にもいないから」


 弟の表情が一瞬揺らいだ。兄は静かに目を閉じ、少しして覚悟を決めたかのように今までと違う色彩を放つ世界を新たに見る。


 そのままテレノスに近寄り、険しい顔を保とうとしている彼の鍛え上げられた逞しい体を力いっぱい抱き締めた。兄さん、と戸惑ったように呼ぶ声を無視して、耳元に口を寄せる。


「いつか……きっと、わかりあえる。愚かかもしれない、だが……信じていたい」


 弟は温かかった。背中に腕は回ってこなかったが、それでも何よりも一番温かかった。その呼吸の音を耳のすぐ近くで聞きながらトレアンは続けた。


「今は違う道を行こうとも……私達は、兄弟だ。同じ父と母から生まれた別の人であっても、兄弟だ……テレノス」


 だけど、とそこまで言って止めて、彼は抱き締める腕の力を緩めてその顔を見る。今やその表情はまた別の悲しみに満ちているので、そのせいで喉の奥から熱い痛みが込み上げてくるのがわかった。しかし、これだけは言わなければならなかった。


「……そなたは、そなたが正しいと思う道を行けばいい。今、そなたは私よりも強く立派なラライの民だ、テレノス……私も、私の信じる道を行くから」


 兄は話を止めて、弟の体から身を引いた。近くに生えている木の苗木に目を留め、おもむろにそれに近付いて周囲の土と一緒に掘り出し、昨晩自らの術で埋葬した一族で最も気高きドラゴン使いと最も勇猛であった炎のドラゴンのその上に植え直す。それから、彼は何処かに消えてしまったリーベル家の騎乗具を一人で探した。探す、というほどのことでもなく、それは少し離れた木立の中の茂みに打ち捨てられていた。


 いつまで自分の術が持つかは、わからない。どれだけ長く耐えられるだろう? そう思いながらも、レフィエールの光術士はその騎乗具が長持ちするように術を施した。


 再び術を使って、それを苗木から少し離れた所に埋めた。いつの間にかテレノスが泣き出しそうな顔で大きな石を抱えていたので、トレアンは礼を言ってそれを埋めた騎乗具の上に置くよう指示した。ドラゴン達はそれを何も言わずに見ていた。


 兄は、全て術で石の表面に文字を刻んでいった。







 一族で最も気高く 慈愛の心に満ちた者

 アドルフ=リーベル

 最も勇ましき炎の竜

 カイザー

 誇りと共にここに眠る







「私達は互いに違う意志を持つ者だ、それでいい」


 レフィエールの兄はそう言って、弟を見た。彼が決意を視線に込めていたのに、弟も気付いたようだった。決して無責任などではなく、それは一つの道を信じる者としての言葉だろう、テレノスの口からそれは発せられた。


「……気をつけて、すぐそこまで行く」


 三頭のドラゴン達と共に、レフィエールの兄弟は光の門までやってきた。立ち止まった時に、ヴァリアントがいよいよ鼻息を荒くして吼える。


「我々の誇りを思い出させてやる! シラクサ、奴らはいるんだろうな? 向こうの町はこことも近いから、我々ならば半日の半分もなくても辿り着ける筈だ!」


「いいや、皆は一日経った今でもまだ……朝になったけど、来てない。何処かで何か相談してるのかも――」


 シラクサが、いきり立つ青灰色の戦士に向かって言った時だった。







 どん、という凄まじい音がこちらの地面を揺らし、兄弟が体勢を崩した。







「な、何だ――」


 トレアンが呻きながら立ち上がったかと思えば、再び衝撃がその体を襲ってくる。それはこのレファントの町が震えているのではなかった。そこに集う彼らは、一斉に光の門の方を見た。


 怒号が飛び交うのが聞こえる。悲鳴が聞こえる。金属と金属がぶつかり合う音が聞こえる。術のぶつかり合う衝撃が伝わってくる。


「ヴァリアントはそこにいてくれ、テレノスを頼んだ!」


 兄は、青灰色の戦士を振り向きもせずに叫んだ。ヴァリアントは動こうとして、見えないものに足を捕らえられたかのように身をのけ反らせ、吼えた。その四肢に術がかかっている気配はなく、彼自身が抑えたのだ。


 シラクサとオーガスタが、出ていった。それに続いて光術士も出ていこうとしたが、とてもそのまま動けなくて、まだ何か言わなければいけないような気がして、後ろを振り返った。


 テレノスはそこにいた。幼い頃、自分の後を着いてくるのを振り返った時と同じ、行かないでくれと懇願するかのような表情が浮かんでいた。出来ることならば行きたくなかったが、彼は信じたかった。だから無理矢理それを振り切るかのように彼は言う。


「大丈夫だ、私は死ぬわけにはいかないからな! まだ子孫さえ残していないのだから!」


 そしてトレアンは光の門に向き直り、レファントの地を後にした。







 石造りの家は崩れ、ドラゴン達の攻撃によって人々は傷つき、ヒューロア・ラライナの町は防御のみにしか集中出来ず、それは惨劇だった。


 レフィエールの兄はすぐさま、光の門を支えている石に見よう見真似で覚えた盾の術をかける。それは一瞬石を覆うように輝き、次いで透明になった。次の瞬間にどん、と自分の近くの石畳に誰かの術が直撃し、彼は咄嗟に顔を腕で隠して石の破片からそれを守る。


 やはりここでも、自分は既に攻撃の対象となっているのだろうか? そう思いながら身構えれば、いつの間にか数人の術士と何人もの剣士に取り囲まれていた。


 しまった、と思ったが、もう遅かった。一斉に炎や氷、風が襲ってきて、ドラゴン使いの術士は大声で盾の呪文を叫び、全てを撥ね返す。吸い取って力の足しにしてやってもいいかもしれない、と思い、言う言葉を試しに置き換えてみた。


「ドラゴン使い! この町を滅ぼしに来た悪魔め!」


 盾を張り直した瞬間、怒声と共に岩の塊が無数に飛んでくる。彼は恐怖を覚えたが、それは自分の体に到達する前に何かに妨げられ、全て消えた。体の中を気力の波が駆け巡り、盾の術の成功を知らせる。取り囲む相手の表情が一変した。


「お前は……トレアン=レフィエール!」


「違う、私は攻撃しようとしてここに来たのではない!」


 トレアンは間髪を入れずに叫んだ。そして、自分のパートナーを探しながら言う。


「オーガスタ、オーガスタ! ……私は止めに来たのだ、私の一族の者を!」


 焦って上空を見ると、銀白色の癒し手は、そこで同胞と戦いを繰り広げていた。オーガスタのうろこが雲の隙間から差し込む太陽の光に煌めき、その首がしなったかと思うと顎が大きく開かれ、咆哮と共に巨大な宝石のような瞳から膨大な光が放たれてドラゴン二頭が体勢を崩す。しかし闇を浄化するそれは緑色や赤灰色の相手には効かず、せいぜい目をくらませる程度だった。彼はもう一頭の助っ人を人間にはわからない言葉で呼ぶ。


「シラクサ! 何処にいる!」


「こっちよ、トレアン!」


 他の個体と比べてまだ体の小さなシラクサは、術士の群れに追い回されながら光術士に向かって叫んだ。彼女の後ろには若い人間の術士達数人が走っている。


「助けて! わたし、どうしていいかわからない!」


「こっちへ来い、シラクサ! 今は上の奴らを信用するな!」


 自分のパートナーがドラゴン達の包囲網をくぐり抜けて人間達に癒しの光を吐くのを見ながらトレアンは叫ぶ。ラインラントのドラゴンはすぐさま突っ込んできて、ヒュムノドラゴンらしく人の姿へと一瞬で変わった。彼はそれに驚いたが、考えている暇はなかった。


「お前はこの間町に来たドラゴンの呪い持ちのガキじゃねえか!」


 一人が叫び、追ってきた若者達が次々に怒りの声を投げつけてくる。


「そのガキを捕らえろ!」


「ドラゴン使いとドラゴンは皆、敵だ!」


「トレアン=レフィエールを呼んでこの町を潰すつもりだ!」


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