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 集会の後すぐに、ヒューロア・ラライナの人々は大慌てで準備を始めた。城のように壁を作り始め、水を大量に蓄え始め、術士達は一ヶ所に集められて訓練を受けた。そして今、人々はコボルティアーナに援助を依頼し、話し合いの為にこちらへ四人が今しがた来たところだ。


 帯剣している二人は、癖のある茶髪の方がニコラ、さっぱりと短い砂色の髪の方がポールという名前だった。驚くことに後の二人は術士で、右手首に腕輪をはめていて赤茶けた色のぼさぼさの髪を掻いているやる気のなさそうな方がアンリ、左手首に腕輪をはめている穏やかそうな顔の、栗色の髪を括ってまとめている最後の一人はドミニクという名前で、彼は何とジャンヌの兄だった。皆、こちらの言葉をすらすらと喋ることが出来た。


「だから、関係ないコボルティアーナまで何で巻き込もうとするんだ、って」


 術士のアンリがそう言えばすぐにドミニクがその頭をはたき、わからない言葉で彼を叱ってから申し訳なさそうにヒューロア・ラライナの町で交渉を任された数人の人々に向き直った。


「すみません、思ったことをすぐに言う奴で」


「いや、こちらも賭けのようなつもりで援助を申し出たのだから」


 そう言われても仕方ないさ、とそこにいたアンデリー家の兄は穏やかに微笑みながら言った。しかし、他の人間達は切実に援助を望んでおり、表情は固い。それと同じようにコボルティアーナのニコラとポールの表情も固くて、術士の一人に至っては既に不快感をあらわにしている。この交渉は土使いの人間と長髪のコボルティアーナだけで何とか穏やかに成り立っていた。


「しかし、私達が援軍を出したところで何の役に立てるでしょうか?」


 左の腕輪の術士が言う。アンデリー家の兄は名をピーターといったのだが、彼はそれに対して丁寧にこう返した。


「勝つのではなく、この町を守って欲しいのです。あの子供達と若者達も、自分が何をやったのかは理解している筈、若者達はきっと死力を尽くすでしょうし……それに、凄まじい力を持つドラゴン使いのトレアン=レフィエールという者は、現在旅に出ていて攻めてくる中には含まれていません」


 彼がいたら別だが、いなければまだ何とかなると皆が思っていた。こちらにはセナイもいるし、そのトレアン=レフィエールという者に比べたら力は劣るとエルフ自身は言っていたが、それこそドラゴンに匹敵するほどの力を持つ者だ。ピーターはそんなことを言った。


「そうだ、だから協力して欲しい」


 切実な表情で、他の人間が訴えてきた。ニコラとポールが何も言わずに顔を見合わせ、アンリは大欠伸をする。ドミニクは仲間のそんな態度を見て、彼らだけの言葉で話しかけた。


「どうなんだ? やっぱり嫌なのか?」


「うん、そりゃあもう激しく嫌だね。どうでもいいだろ、また新しい交易相手探せばいいんだから」


 すぐさま相方の術士が同じくコボルティアーナの言葉で言ったので、癖っ毛の剣士も頷いて同意だ、と答える。


「これは、人間とドラゴン使いの間の問題だ。何の為に我々が協力しなければならないんだ」


 砂色の髪のコボルティアーナの剣士はそれを聴いているだけで黙っていたが、会話が途切れたところで彼は人間達に向かって無表情で言った。


「……見返りは」


「えっ?」


 ピーターは予想だにしなかったその問いに答えることが出来なかった。ポールは目をしばたかせている彼らに対して苛ついたように眉根を寄せ、再び口を開く。


「この町とは正式に交易を始めてまだ数日と間もない。そこに協力するということは、互いに大きな責任を相手に対して負うということだ。我々は、貴殿らの町のことをまだ何も知らない」


 皆、座ったまま動かなかった。石の壁に反響した後の声は吸い込まれるように消えて、あたりはしんと静まり返る。そこはミストラルの家であるとともに、会議専用の場所にもなっていた。


 剣士は、まだ喋り続ける。


「そして、先日の事件だ。聞いたところによると子供の勘違いによるものに相違ないが、その後の石を投げるという行為は、我々に今大いなる疑問を抱かせている。この町の人々は信頼に値する人間か? 我々コボルティアーナにとって、その行為は死ねと命令することと変わりないものだ。そのような輩のいる町から、援助の要請が来た。貴殿らなら、これをどう受け止めるのだ」


 人間達は喋ることが出来なかった。今、彼らが願っているものはあまりにも身勝手であり、受け入れられる可能性のないものなのだ。


「その心構えを、目に見える何かで示して頂きたい。そうすれば我々は納得するだろう。しかし、それが不可能ならば我々は中立の立場を取るのみだ」


 差し出せるものなど何もなかった。ヒューロア・ラライナの人々は唇を噛み、悔しそうに下を向く。ただ、ピーターはコボルティアーナの剣士に向かって、必死で訴えた。


「いつか、あなたがたが何らかの困難に陥った時は必ず助ける所存です。こちらの者は本気だと皆申すでしょう。この誠意だけでは、駄目ですか? 信じてくれませんか?」


 ドミニクは視線をそらし、ニコラは相手の顔を黙って見つめ、そしてポールは静かに首を振った。


「……そんな」


 アンデリーの土使いは哀れな声を上げる。それに対し、アンリがもう終わりだと宣言するかのように席を立ち、言い放った。


「そういうことだ。自分達の起こした問題は自分達で片付けろ、ってことだな」


「ちょっと待って下さい、あなたがたは――」


 右の腕輪の術士に倣って、他の三人のコボルティアーナもそれぞれ立ち上がって服を整える。ピーターが留めようとする声も聞かず、ただ左の腕輪の術士だけが申し訳なさそうに振り返っただけで、四人はそこから出て行ってしまった。


「……御免なさい」


 戸の外からドミニクの声が聞こえたが、誰も何も返さなかった。







「攻めてくるって、この間の――」


「お前が子供らを連れ出した後に起こったことが直接的な原因だろう、カレン」


 カレンは真っ青になって、父親にすがって叫んだ。


「ねえ、ということはテレノスもその中にいるんじゃないの? トレアンは旅に出たままだわ。止められるかもしれない人がいなくなったの? アドルフは?」


 ギルバートは娘の肩を抱き、その明るい色の癖のある髪をなだめるように撫でる。


「テレノスのことは……わからん。ただ、あの黒髪に黒い目の少女から聞いたんだがな……アドルフは……」


 一瞬ためらってからやはり言わなければならないと思い、少女がシラクサであることを知らない父親は重い口を開いた。


「アドルフは……死んだらしい」


 娘の瞳はあまりの驚愕に見開かれ、次いでぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「そ、そんな――」


 アドルフ、と彼女は呻いて、父の腕の中でそのまま声を上げて泣いた。もう、彼らにはどうすることも出来なかった。レファントの森のドラゴン使いの町は空っぽで、老人と幼い子供が少ししか残っていないらしい。コボルティアーナの援軍はあてにできないと言っていたが、それがあっても最早この町を守ることは不可能だと思えた。


 そこにあるのは絶望と悲しみ、そして怒りだった。食い止められる筈のものが暴走してしまったことへの恐怖だった。そして、それを止めることが出来る人物は何処かへ消えていた。


「トレアン……」


 カレンは彼の名を口にした。トレアン=レフィエールは、ドラゴン使い一族の中で唯一アミリアの力を受け継ぐその人は、まさに秩序の象徴だった。ひょっとしたら自分の祖先であるエンベリク=ヒューロアよりも十倍以上力のある者かもしれなかった。


 一番悲しかったのは、伝えなければいけないことがあるのに、彼らとはもう二度とわかり合えないかもしれないということだった。







 日が暮れかけている。


 何時それが襲ってくるのかと、町の人々は怖がっていた。コボルティアーナの援軍は来ない。来たところであのドラゴンとドラゴン使い達に勝てるわけなどないとセスは思っていた。兄のピーターから色々聞かされた後、彼は相変わらず水の音に包まれている石畳の町の西の端にある積み置かれた石材の上に座っていた。


 これからどうなるのか、自分はどうしたいのか。光使いの女の子は今日に限って寄って来なかった。その女の子の判断は正しいだろう、今が今なのだから。自分と家族の身の安全の方が大切なのは当たり前だ。自分もアンデリーの家とこの町の人々を守らねばならなかった。


 ここはエンベリク=ヒューロアが命懸けで守った地なのだ。


 彼は他人事のように、色々なことが決裂したなあと思っていた。コボルティアーナからの信頼も失ったし、ドラゴン使いからは完全に敵だと見なされた。きっと、テレノスも人間を良く思わなくなっているだろう。トレアンはまだ帰ってきていないのだろうか? 兄のピーターはまだだと言っていたが、あのレフィエールの兄が敵の中にいたらこの町は完全に消え去るだろう。そして、一族を統べていた筈のアドルフも死んでしまった。


 全てが夢の中のようだった。それだけ色々なことが何もかも一度に起こりすぎたのだ。


「もう……会えないのかな」


 あんなに仲良くなれたレフィエールの兄弟、ドラゴン使いの人々、コボルティアーナのジャンヌ。役立たずの闇使いは、彼らと共に過ごしたい、それだけの為に彼らと出会った時から今までを過ごしてきたと言っても過言ではなかった。


 夕日が燃え尽きてゆく炎のように見える。それはもしかしたらこの町のことなのかもしれないと皮肉なことを思いながら、現実と夢の間をふらふらと彷徨っていた時だ。


「こんな所に、いたね」


 足をぶらぶらさせながら声の方向をやる気なく振り返ると、そこにはちょうど会いたいと思っていた人のうちの一人がいた。セスは驚いて、大声を上げる。


「どうしたんだい、というかよくここまで来たね」


「しーっ、静かにするね。この町に来るの、禁止されてはいないけど、皆嫌な顔して……こっちの人に、合わす顔もないから、苦労したの、よ?」


 彼はごめん、と小さな声で言った。ジャンヌはすぐ近くまで寄ってきて、町の方向から見て隠れるように石材の前に来て闇使いの前にしゃがみ込む。


「こっちの言葉、喋るの上手くなったね」


 感じたことを言ってみると、彼女はにこっと微笑んでひそひそ声で答えた。


「そう思って貰えたら、嬉しい、ね。次は書けるように、なりたいかも」


 彼はそれに返事をせずに、短く笑って沈んでゆく夕日を見た。それは眩しくて、でも何処か優しくて、とても複雑な気持ちになる。


「書くの、教えてくれる?」


 心の底から教えてやりたいと思った。しかし、口からは逆の言葉が出てきた。


「もしも次会う時、僕がまだここにいて、暮らしていたらね」


 しばらく沈黙が流れた。何処かの家で幼い子供が泣いているのが聞こえて、それから微かな子守唄が耳に入ってくる。何かの予兆だろうかなどと不穏なことを考え始めた時に、膝の上に置いていた左手が温もりに包まれた。


「どうして、そんなこと、言うね?」


 セスは思わずコボルティアーナに視線を戻した。金色の瞳が夕日の光を受けていながら悲しそうに煌めいており、目が離せなくなる。


「ジャンヌ?」


「あなたは、多分、絶対に生きてるね。他の皆と違って、のらりくらりしてるから、その分絶対に長く生きるね。何があってもくぐり抜けてくね、わたくしの父が、そう言ってた」


 ぎゅっと、自分の手を握る力が強くなる。


「人に親切にする人は、絶対に死なないね。あなた、優しいから、大丈夫。わたくしが、自信持って言います」


「……だけど、アドルフは死んだよ」


 闇使いは力なく言った。そうだ、ドラゴン使いの頭領はとても親切で情に溢れた人だった。人にも自分にも厳しく、そしてそれは思いやりから来るものだった。


 ジャンヌが口ごもった。ほうら、やっぱり言い切れないじゃないかと彼が心の中で思った次の瞬間、コボルティアーナはまるで幼い子供のように声を上げて泣き出す。


「ちょっと、ジャンヌ?」


 セスは慌てて彼女の顔を覗き込む。すると、その左手がどん、と自分の胸を打った。右手で思わずそれを捕らえれば、金色の瞳が見開かれ、まるで喉元に噛みつくかのような勢いでその口から言葉が飛び出してきた。


「どうして、そういうこと、言うね? どうして、全部終わる、みたいなこと、言うね! あなた、これから生きていきたくないの? わたくしは、セスに、死んで欲しくないね! 絶対に、書くの、教えて貰うね! あなた、わたくしに親切に、してくれたね! そんな人が、こんなことで、死ぬわけないね!」


 言葉を忘れてしまったかのように、何も喉の奥から出て来なくなった。彼はそこに硬直し、泣きながら叫ぶその言葉をただ、そのまま全身で受け止める。


「せっかく会えたのに、もう終わりだなんて、やだね! わたくしは、さよならするつもり、全然ないね! こうなったら、もっともっと色々なこと、教えて貰うことにしたね! 死にたい、って言っても、わたくしが、死なせないからね! だから、生きるね!」


「……何で」

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