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「私は構わないのだが、他の仲間達が……西の村の人々が、反対するのではないかと思えて仕方がない。今まで戦ってきた相手と仲良く生活しろと言われて、はいそうですかと素直に受け入れるような生き物はいない筈だ」


 セナイはそうですねえ、と呟き、エンスプリトスが伸ばしてきた首を撫でた。


「……まあ、仲良くやってくれることを信じていますよ。貴方もそれを望んでおられるのでしょう?」


「そうだが、どうも心配だ……」


「心配していても始まりませんしね」


 トレアンは自分の祖先ともいえる人物を横目でちらと見る。何だか愉快そうに微笑んでいるその横顔には、違うものが見て取れた。


「……そういえば」


 ドラゴン使いが言うと、エルフはこちらを見る。


「そなたはドラゴンと話せるらしい」


「ああ、まあ、純エルフですから」


 優しい笑みはそう答えた。


「……どのくらい生きている?」


「私ですか? ざっと千二百年は過ぎていますね」


 そのような長い間に、一体どれだけのことを見て、経験してきたのだろう。彼はまた黒髪を絞り、次いでぶんぶんと頭を振った。額や頬に落ちてくる髪を掻き上げ、左手首の紐をほどいて、一部を残したまま上の方だけ括り上げた。いつも前髪を下ろしている額がすうっと涼しくなる。


「うん、そっちの髪型も似合いますね、トレアン」


 にこにこ笑いながら、セナイはおもむろにうなじのあたりで括っていた自分の砂色の髪をほどく。そして、あっという間にトレアンと同じ髪型に結い上げてしまった。


「これで親子ってわかりますかね?」


 エルフはとても楽しそうに喋りかけてくる。半ば呆れた視線をやって、ドラゴン使いは言った。


「見た目の時点で無理だ。あと、親子であるにはあまりにも遠すぎることに気付いているか」


「わかってますよ。アミリアとエーランザの時代から二百年以上経ってますからね」


 そこで、二人は同時に空を見上げた。


 ずっとずっと変わらずに、天空は下で生きる自分達の祖先を見つめていたのだろうか。時に嵐を、時に日照りを気紛れに繰り返しながら、ずっとずっと見てきたのだろうか。


「――私の夢は、空になることですね」


「空に?」


「ええ」


 セナイはふっと笑って、相変わらず青空を見つめていた。白い雲が光と影を作り出しながら、形を変えて流れていく。


「私が悲しくなって泣いたら、それは貴方達の糧となるんです。闇の中で笑えば、皆が私を見上げて綺麗だと言ってくれるんですよ。誰かが空を見上げる度に、見てもらえる。幸せでしょう?」


「……なるほど」


 トレアンも同じように笑って、言った。ぬるい風がさあっと吹いて、ドラゴンが何処か満足そうな唸り声を発した後に、湖底へと消える。エンスプリトスにとっては、これで十分だったのだろうか。


「――幻想は、願いでもある、か」


「時には現実になります」


「その程度のものならば、理想や希望と私なら答える」


「いかにも、貴方らしい。アミリアやエーランザそっくりです」


 二人はそれからしばらく喋らなかった。ただ空に浮かぶ雲が流れていくのを見て、風が森を優しく撫でる木の葉の音を聴き、水の匂いを嗅ぐ。


 数百年前に生きていた自分の祖先であるアミリア、血の繋がりのあるエーランザもこのエルフと関係があるのかと思うと、何だか置いて行かれたような気がして光術士は心の中で舌打ちをした。気が付けば、口にしていた。


「……どんな」


「はい、何でしょう?」


 トレアンはセナイに向き直った。


「どんな人々だったのだ、その……私の祖先は」


 エルフは歯を見せて笑い、右手の親指を立てて自分の胸を指す。


「そりゃあ、こんな人に決まっているでしょう」


「そうではない、アミリアの方だ」


 ドラゴン使いが呆れて声を大きくすると、相手は笑ったまま、まあまあとなだめるように両手を揺らした。るるるる、りるると何処かで鳥が鳴き、湖面で何かがぴちょんと跳ねる。


「一言で言えば、責任感の強い女性でしたね、二人とも。アルジョスタのこともあってアミリアの方がしっかりしていましたけど、エリー……ああ、エーランザのことです、彼女も彼女なりに手を尽くしていたと思います。ジアロディス王の政治は悪くはなかったのですが、ペガサス達への私怨は正常の域を越えていましたから……知っていますよね、王は幼い頃にラライの町に飛来してきたペガサス達にひどく痛めつけられたこと」


「ああ、それで黒く獰猛な姿に変えていたと……」


 トレアンはずっと前に読んだ書物のことを思い出しながら言った。汗が首筋を伝っていく。


「ええ、秩序の象徴です。あれが危険にさらされる時、竜の力が強くなる。ラライの民が……黒髪に、多彩色の瞳を持つ者ですが、彼らの力が強くなるのです」


 セナイはそこで意味ありげな視線をドラゴン使いに向けた。そして、当たり前のことを訊く。


「貴方は竜達の言葉がわかりますよね、トレアン?」


「それは……ドラゴン使いなのだから、当たり前だろう」


「では、何故他の人間は……黒髪に鳶色の瞳を持たない人々は、竜達と言葉を交わせないのでしょう? 竜達は全ての言葉を解する種族ですが、何故ラライの民以外とは言葉を交わさないのでしょう?」


 レフィエールの男には、しかしこの意味がわからなかった。怪訝な表情でそこに佇んでいるだけで、何も言おうとはしない。エルフは少し笑って言った。


「簡単ですよ、貴方達の祖先が選ばれた民族、竜の里ラライの民だったからです。秩序を守る、その為に」


「竜の、里……?」


「アミリアがそれを表で実行するならば、エリーは下からそれを支えていました」







 元は、ペガサスではなかったらしい。


 秩序とは、竜や人が作るものだった。


 そして、竜は美しいものやきらびやかなものを好んだ。


 ある時、ペガサスを偶然目にした一頭の竜が、それを竜達のものにしようとして捕らえた。その美しさはたちまち他の竜達をも魅了し、そして欲深い人間達をも惹き付けた。


 人は竜を傷つけ、ペガサス達を自分のものにしたいと願う。しかし、竜の力は人が何人束になってかかっても折れることのないほど、強い。ペガサスを連れた者は大陸の覇者となり、ありとあらゆる富や誰もがひれ伏すほど強力な力、永き命をも手に入れることが出来ると言われるようになった。同時に、ペガサスを手に入れる者には竜の呪いがかかり、老いながら永遠に生きる羽目になるということも言われるようになった。


 彼らに手を出してはいけない、竜に滅ぼされてしまう。


 そんなことを言い出した人間がいた。


 手が届かぬものを手が届かぬと諦めてこそ、秩序は守られ平和が保たれるのだ、と。その人間の噂は竜達に届き、竜達は会いに行った。純粋に興味があっただけだったが、言葉の通じないその人間が、竜に取り囲まれても平然と立っていたのを見て、彼らは危険だと感じた。


 竜達は先手を打った。我々の仲間になれ、とその人間を誘った。


 ペガサスを狙う人間は多い。だから、汝も共に彼らを守れ。しかし、言葉が通じない。そこで、竜達は力を使い、人間に竜達の言葉を与えた。


 人間はそれを承諾した。竜の力で髪は黒く、瞳は多彩色となった。







「貴方達ドラゴン使いには、その血が流れています。ペガサス達はもう人の手の届く所にはいません、何処か遠くへ飛び去ってしまいましたしね……エリーには、貴方のような血は一滴も流れていない。しかし、ジアロディスよりも、彼女はラライの民らしかった。王はペガサスや竜などに左右されないぐらいの強力な秩序を作りたかったのですが、アミリアがアルジョスタを作った時点で、いや、ラライの民が存在していた時点で無理でした。エリーにはちゃんとそれが見えていました、このままでは秩序などあったものではない、と。統治者とアルジョスタとの間に争いが起こるのは確実でしたしね」


 呆けたように話を聴いていたトレアンに向かって、セナイはさも可笑しそうに顔が面白いですよと言いながら、続ける。


「驚きましたか? そりゃそうですよね。でも、これはエルフの間に伝わる、かなり確実な情報なのですよ。私はジアロディスの王宮にいましたしね……エリーが裏で動くのを何度見たことか」


「――そなたは」


 ドラゴン使いは何ともいえない表情で、エルフに向かって呟いた。


「何でしょう?」


「これから私達と共に住むのか?」


 我ながら外しすぎた質問だったか、と思って、彼は言った後に勝手に頬を赤らめる。エルフはくすくす笑いながらこちらを見た。


「さあ、どうしましょうか? 貴方の愛が受け入れられるところを見たいことは見たいのですが、邪魔でしょう。どうしてほしいですかね?」


 トレアンが憤慨した表情で睨みつけてくる。何故かとても懐かしく思えて、鳶色の瞳の奥を覗き込むように見つめた。妻の視界には、息子の世界には何が映っていたのだろうか。そして、自分の子孫の瞳には、自分はどんな風に映っているのだろうか。


 セナイは岩から降りて、ドラゴン使いに向き直って言った。


「本当に、アミリアそっくりですよ。また会えたような気がして、何だかとても嬉しいです」


 言いながら、その左頬に右手で触れる。ドラゴン使いの顔がたちまち真っ赤になって、戸惑った目が見つめてくる。それは完全な美しい大人のものではなく、まだ何処か幼さの残る少年が未知のものを目の前にして、予想外の出来事に恐れすぎていた自分を恥じるような表情だと思えた。


 彫刻のような目元が誘うようにうつむいた。


「……もう、好きにしろ」


 彼は意外に温かいエルフの右手をのけた。やっぱり今度も目の前の人は愉快そうに笑って、むすっとしたまま服を身に付け始めた自分を遠慮もなく観察している。


 この人は何故、古のドラゴン使い誕生の時のことを語ったりしたのだろう。トレアンは、ただアルジョスタという人民反乱軍組織の先頭に立っていた自分の祖先のことを聞きたかっただけだった。


 ペガサスを竜の手の中に留め、人の手から守る為に、ドラゴン使いが生まれ、そして血脈を残していった。セナイはたった今そう言った。しかし、だからどうしろというのだろうか? そのペガサス自体、彼は見たことがなかった。秩序の象徴とされる翼を持った純白の馬達は、もう何処か遠くへと飛び去ってしまった。それはつまり、秩序などいらないということだろうか?


 それとも。ドラゴン使いは帯を締めながら考えた。


 ペガサス達は、自分達に秩序を作るように託したということだろうか。ドラゴン達と同じ力を持つ、自分に。一族の、竜の化身達に?


「トレアン」


 エルフの呼びかけに、彼は反射的に振り返った。


「――何だ」


 柔和な顔から、笑みが消える。薄い唇が動いた。


「忘れないで下さい……貴方は、継承者です。かつて、その力に嫌気が差し、自ら竜達の力を封印して、自身の竜の力をも捨ててしまった者もいました。しかし、竜だけが貴方を救うことが出来、貴方だけが竜を救うことが出来るのです。アズベルダ=レフィエールは、竜の力を再び取り戻し、封印を解き放ちました。エレフィリックの時に双子の呪いで力は分断されましたが、私の妻は再びそれを統合し、争いを終わらせました。竜が人の上に立つが故に、そしてそれが、手が届かないほど高みにいる一族であるからこそ、秩序と平和は保たれるのです。今回のことは、人間達がそれを知るよい機会となるでしょう……」


「……セナイ?」


 意味を理解することが出来なくて、トレアンは思わず訊きかえした。いや、本当は理解していて、ただ受け入れられなかっただけなのだ、と気付く。セナイ=フィルネアは、今しがた、ドラゴンは人の上に立つ者だと言った。


 そして、その言葉の中には、ドラゴンとドラゴン使いは同等であるというエルフの主張が明らかに含まれていた。


「貴方には、その役割があります。人々がそれを受け入れる限り、自身の持つ力に責任を負わなければいけません」


「例え私が認めていなくても、か?」


 気乗りはしなかった。むしろ、拒みたかった。それは自身と人を隔てる決定的なもので、生まれつき自分に宿るどうしようもないものだった。


「貴方は統治する者です。竜の子、トレアン……私の子」


 エルフの言葉は容赦なく事実を突きつけてくる。


「……つまり、私が秩序の象徴であるといっても間違いではないのだな」


 そう言って、彼はうつむいて自身の両手を見つめる。資格はあるのかと問う前に、この力は生まれつきトレアン=レフィエールという生き物を王のような存在へと仕立て上げていた。仲間を、人間達を、ドラゴン達を、もう既に何処かへ行ってしまったペガサス達を守るのは間違いなく自分だった。父は、これを知っていたのだろうか。自身がドラゴンの力を継ぎ、人間の力の及ばないドラゴン達と同等の存在であったということを理解していたのだろうか。父は、謙虚で穏やかな人であった。


 自分はそのようになれない。


「貴方の義務なのです、忘れないで下さい。でも――」


 安心させるかのように、セナイがふっと笑みを見せる。


「一応、相談には乗りますよ。結論から言うと、私はここに当分住み着く予定ですから」

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