3
アドルフは愕然として相手を見据えた。一瞬で弾いてしまった短槍は目標から外れ、エルフの体は白金色に輝き、炎と牙から自身を守っていた。その術士は、圧倒的な力を見せた砂色の髪と碧の瞳を持つ者は、申し訳なさそうな悲しい表情をちらりと見せて、言う。
「御免なさい、私は争いに来たわけではありませんが……やむを得ません」
言うが早いか、ドラゴン使いは炎を纏った短槍とともに飛ばされ、地面に叩きつけられた。カイザーが怒りに吼えて炎を乱射したが、エルフの術で口を無理矢理金属の輪で閉じられてしまう。カレンは呻きながら起き上がろうとする頭領に駆け寄り、怒りよりも恐れの宿った眼差しをトレアンの向こうの人に向けた。
「――私の名は、セナイ=フィルネア。かのアミリア=シルダ・レフィエールは妻でした」
ドラゴン使いの術士は、何も言わなかった。言う代わりに、目を見開いて息を呑んだ。
「――では、そなたは」
「貴方が、当代のレフィエールの力の継承者ですね? やはり……顔立ちに彼女の面影が残っている。それに、先程水と土の魔法を使役してらしたところを見たもので……安心しました、まだ彼女の血は生き残っていたようですね」
トレアンは言葉を失った。深い森のような瞳をただ目の前にして、彼は漠然と感じていた。ただ、それだけしか出来ない。
この人が、自分達の祖先と言ってもおかしくない人。なのに、まだ自分とほとんど変わらないぐらいの年齢に見える。すらりと高い背、涼しげな口元にはほんの微かに笑みが浮かんでおり、彫りが深くすっと通った鼻筋は印象的であった。透き通るような白い肌が儚さをかもし出している。
ドラゴン使いはごくりと唾を飲み、やっと訊いた。
「……この村を襲った理由は?」
「それは私ではありませんよ。私は……ただ、貴方達が捕らえている人々にくっついてきただけです、盾の魔法と力を抑える魔法くらいしか使っていません。攻撃はしていません、断じて――」
「だが、加わっていたのは事実であろう。そなたも南の村の者と同じ、私達の祖先であろうと批難はさせてもらう」
セナイの表情が憂いを帯びて、視線が大地に注がれた。
「……ええ、わかっています。転移の術で開かれた不安定な空間を強固にしたのは他でもない私ですし。そこから誰が出てくるのか知りたかったので……でも、貴方も戦いを引き起こそうとしている。違いますか?」
トレアンの目つきが険しくなった。括ることを放棄した髪が風に吹かれてなびき、普段よりも野性的に見える、とカレンは何かをする代わりにそう思った。アドルフも、手出しが出来ずに見守るしかなかった。
「私は、この村の者を守りたい、それだけだ。長い間ドラゴン使い一族は、ドラゴンを恐れ、こちらの姿を見ると逃げ出す人間を信用しようとしなかった。だが、人間が皆……臆病でないことを、私達のパートナーを理解出来ないことはないと気付かせてくれたのは、彼らだ。見た目は違えど、共に生活出来る。伝わらぬことなどない。だが、その大切な人々が襲われている。相手は死ぬ気だ……どうして、戦いを止められよう? そなたが止める術を知っているのか?」
彼はエルフを睨み付けた。そのまま歩み寄り、呟く。
「所詮長く生きようとも、そなたとて人だ。私と変わらん」
セナイは応えるように目を閉じ、言った。
「ええ、私も愚かな人です……だから、今ここで妥協しては如何でしょうか? 私がついてきた村の者達は、飢えています。水は枯れ、土は乾き、この時期を乗り越えることは到底出来ない。だから、より住み易い地を求め、ここにやってきたのだと言います。全ては生きる為、そのような人々に出会ってしまっては、手を差し伸べたくなるのもまた人の宿命……彼らとともに、住むのです。皆、人です……努力すれば、わかりあえる日が来るでしょう。今しがた貴方は言った筈、人間は信用に足る、と」
トレアンは顔をしかめ、口を開こうとした。しかし、言葉が出てこない。言いたいことは山のようにあったが、否定出来ない理屈と一緒に大きな決断を突きつけられて、全てが引っ込んでしまった。
エルフは再び言う。
「彼らとともに住むのです。どうですか?」
ドラゴン使いは口を引き結び、さらに眉根を寄せ、くるりと後ろを振り返った。
「アドルフ!」
突然の指名に、アドルフとカレンは地面から浮くほど驚いて身を震わせ、怪訝な表情で見返した。
「この件は私が独断で決めることにしては大きすぎる。従って、そなたに一任することにした!」
「な……トレアン?」
「ちょ、兄さん!」
ヴァリアントから降りてきたテレノスが、走り寄って来る途中で足を止めて叫んだ。セナイが目を丸くして口が半開きのまま固まり、ドラゴン使いの頭領本人は火術士に肩を支えられたまま、ただ瞬きを繰り返している。
トレアンは言っているうちに怒りが沸き上がってきたのか、だんだんと険しさを帯びてきた口調でさらに言い放った。
「そなたは私よりも立場が上で、皆から選ばれた信頼のおける頭領という身分だ! 薬の調合をして人体実験をするような若い医者に出る幕などないだろう、私は知らん! この森は広いからいくらでも住めばいい、そしてせいぜい苦労するのだな! どれだけ暑いか思い知れ、私は水浴びに戻る! 勝手にしろ!」
生き延びたきゃ生き延びるがいいと吐き捨て、彼は大股で光を放つ空間の方へと歩いていき、姿を消してしまった。
皆は彼がその中へと消えた、光り輝く転移の空間を見つめる。南の村の者もこの村の者もドラゴン使いも関係なかった。あのドラゴン使いの術士による束縛の術が解けて、他の者も押さえ込むのをやめる。
「すっごい、拍子抜け。突拍子もないこと言い出すから、戦ってた意味なくなっちゃって、トレアンは行っちゃったよ、エルフさん」
呆れた色を含んだ、間延びした声でセスがこちらに向かって歩きながら言った。押さえ込んでいた者も押さえ込まれていた者も力が抜けたらしく、そこらにだらしなく座り込んでいる。セナイは当惑したように言った。
「……でも、トレアンというのですか、彼も賛成だと言っていたでしょう?」
「だからね、急に君が解決してくれちゃったから、面白くないんだって」
そういうものなのですか、とエルフは呟き、言葉を失って座り込んでいる人間達を見やってから、首を傾げて言った。
「……てなわけで、和解して下さいますか? 私としてはそれが望みなのですが」
冗談じゃないという顔で、敵も味方も互いに顔を見合わせた……だが、先程のドラゴン使いとエルフとの言い合いを聴いていたこともあって、互いを睨んでいた瞳は視線を宙に泳がせ、吊り上がっていた口の端はだらしなく崩れる。もう大丈夫だと確信し、エルフも光の空間の向こうへと姿を消した。
「――お前は、信用に足る人間か?」
「生憎、こっちは人間ではなくて土使いだ。こっちならまだ役に立てるかもしれないな」
「こんな、あたし達の村よりいい土地で争い続けるより、食べてた方が幸せよね」
「皆で協力すれば、収穫も多くなる」
「もっともっと、広く住めばいい」
「……じゃあ、俺の復讐はどうなるんだ」
最後に放たれた異質な言葉に、誰もが一人の男を振り返った。
「氷の……氷の術だ。あれが、この村の水使いが、いっぺんに十人以上の仲間を殺した……小娘だ! あの森の中で――」
「それはあたしかしら」
カレンは思わず、自分の妹を探した。声がしたから、見つけた、と思った時には、タチアナは怒りに身を震わせた男のすぐ前に、立っていた。
火照った体を冷やすのに、水の中ほど気持ちのいい場所はない。
水呼吸の呪文を再び自分にかけて、トレアンは湖を泳ぎ回るウォーテルドラゴンの元へ向かって泳ぎながら、違う言葉で語りかける。用は済んだから、遊んでやるぞ、相棒。すると、湖の主は普通のドラゴンより少し長い首を嬉しそうに伸ばしながら一緒に泳ぎ始めるのだ。
「まさかこんなに早く来るなんて、思ってもみなかった。だけど、大変なことになってるんじゃないのか、地上は? 別の人間と、エルフの気配までするじゃないか、二年程前は全く何もなしだったのが」
「……ああ、訳があってな」
ドラゴン使いは、自分の頬をぶつぶつ言いながらぴしゃりと叩く。たちまち水の中が苦しくなって、彼は水面上に顔を出して空気を吸った。
「落ち着ける所の方がいいのか、トレアンの旦那?」
「ああ、岩場まで行かせてもらう」
息をたっぷり吸い込み、再び水中へと潜る。透き通った水を両手でかき分け、勢いよく後ろに蹴った。なめらかさと冷たさが、心地よい。ウォーテルドラゴンが嬉しそうに喋り始めた。
「さっきまで耳の穴を掃除して貰ったのだがな、それからお主の声が頭の中でぐおんぐおん響くくらいよく聞こえるようになった。おまけに気持ちが良いものだから、こりゃまた」
「そうか、じゃあ今度人間が何らかの間違いで、湖で暴れているようなことがあれば、岸まで運んで胸にたまった水を抜いておくぐらいは出来そうだな」
トレアンはそっけなくそう言って、目の前に迫った岩に手をかけた。ドラゴンの首が水から上がった自分の太ももを撫でたので、驚いて見れば、腰に巻いておけと言わんばかりに器用に布を一枚くわえていたので、思わず口の端を吊り上げて笑う。
「まさか私だって、エルフまでが来るとは思っていなかった。それもこれも、弟が……いや、弟のパートナーが森に迷い込んだ火術士の女を誤って攻撃してしまったことから始まるのだが――」
彼は布を受け取ったが、座って腰の上にそれを掛けるだけしかしなかった。濡れた髪から垂れる雫が肌を断続的に打って、それはじりじりと照りつける太陽に奪われていく。
彼は足だけを水に付けて時折バシャバシャやりながら、幼い子供のような格好で喋り続けた。絶対に誰にも見られたくないなと思ったが、心の何処かで別にどうでもいいと感じてもいた。ドラゴンは絶妙な相槌を送ってよこし、それがとても満足だった。たまに笑い、たまに苦笑する。
「お主は、よっぽどその“カレン”という娘を愛しているのだな、トレアンの旦那」
カレンのことを話している時に突然ウォーテルドラゴンがそう言い放ったので、トレアンは一気に赤面した。こちらが何かを言う前に、湖の主は先回りをして言う。
「顔でわかる、顔で。他のことを話す時と今の顔とでは全然違う表情になっているんだね、お主は」
「……何が悪いんだ、何が」
彼は頬を赤らめたまま開き直ったように言い返してやった。それはもうどうしようもないほど否定しようのない自分の気持ちであり、事実であった。ただ、まだはっきりと彼女に伝えていないだけで。
思い出して、胸がどくん、と鳴った。腹の奥に追いやった筈のあの妙な温もりが再び沸き上がってくる。彼女は愚かだ、こちらは盛りのついた男だというのに、あのような自らを投げ出すような行為を。
「考えすぎるなよ、トレアンの旦那」
「……わかっている」
「早く言っちまえばすっきりするのだ」
「……簡単に言えるほど簡単な訳があるか」
「そうですねえ、私なら言葉より行動に移すかもしれません」
笑いを含んだ別の声がして、トレアンは思わずそれが聞こえた方向を振り返り、言った。案の定相手は同じく岩の上に座っていて――
「――何時からそこにいた」
「さっきからですよ」
ドラゴン使いの怒りの視線をものともせずに、エルフは言ってのけた。ウォーテルドラゴンが面白がって吼える。
「ほーう、こりゃまた珍しい。あんたが出てってかれこれ数百年経つみたいだが、一体何処へ行っていたのだい? セナイ」
「私の故郷の西方とその周辺へ身を寄せていましてね。久し振りですね、エンスプリトス」
「その名前で呼ばれたのは久し振りだな。今の遊び相手はだーれもおいらの名前を知っちゃいない……いや、トレアンの旦那はもう知っているな、これで」
笑顔でドラゴンに挨拶するエルフに、エンスプリトスと呼ばれたウォーテルドラゴンは嬉しそうに答える。むすっとして座るのをやめて岩から地面に降りたドラゴン使いは、面白くなさそうにかつて自分な座っていた所に移動してきた侵入者を見た。
「どうしたんですか、そんな顔をしていると男前が台無しですよ」
セナイは愉快そうに言う。トレアンは少し悔しくなって、布を腰に巻き付けた。でも、鳶色の瞳はエルフを見据えたままだ。そして、追い討ちをかけるように言われた。
「同じ人でも、まだまだ貴方は子供のようですね、トレアン=レフィエール」
「……腹の立つ奴だな」
くすくすと笑って、長く年を重ねた若々しい声がさも可笑しそうに響いた。
「――親とは、そういうものでしょう? いなくても、わかる筈です」
そうか、親か。その事実に再び気付いて、ドラゴン使いは怒りを引っ込めて岩の上に座るエルフを見た。茶目っ気もまた宿している森の緑の瞳は屈託なく自分を観察していて、視線が合うとその口元は自然にほころび、苛々とした心がどうでもよくなってくる。彼は溜め息をついて、見上げるのをやめた。その代わりに口を開く。
「……これで色々解決すると思うか?」
「それはまた、何故です?」
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