6

「……やっぱり食べたことあるんじゃ……」


 タチアナは疑いをそのまま声に出した。トレアンがすかさずそれを否定する。


「――昔から彼らの間ではそう言われているらしい」


 背後で銀白色のうろこを持つオーガスタが唸る。ドラゴン使いの兄弟にはこう聞こえた。


「馬鹿なんだから、全く。トレアンの目つきだけでその場の空気ってものはコロコロ変わるんだから、気をつけなさいよ」


「あんただって六十年前に食べていたではないか、二人ほど。満足そうな顔を見たぞ、その時の……全く、人などという不味いものを食べるなど、味音痴もいいところだ」


 唸り声はさらに大きくなった。


「何ですって、あなたは」


 オーガスタの首がヴァリアントの喉元を襲った。三人はぎょっとして二頭を見上げたが、ヴァリアントがいとも簡単にそれをかわしているのを見て大丈夫だろうか、と冷や汗をかいた。そんな様子を、涼しい顔をしていた兄弟が見る。


「ああ、心配するな。じゃれているだけだ」


 さらりとトレアンが言って、テレノスが苦笑した。


「たまにあるのさ、こういうこと」


「止めなくていいの?」


 カレンが頭上の喧嘩を見ながら尋ねる。


「ドラゴンは人型より賢いさ。引き際くらいちゃんとわかっているだろうよ」


 テレノスが言って立ち上がった。何をするのかと思えば、すぐ近くにある木から赤く熟した果実を数個もぎ取って次々とこちらへ放ってくる。皆は手の中にすっぽり収まるそれを受け取り、最初にトレアンがそのままかじった。


「……ん、美味い」


 そこら中に甘い香りが漂う。彼は口の端をぺろりと舐めてまた一口食べた。皆も真似をして、それぞれ控えめにかじる。


「……やっぱり村でとれたのとは違うね」


「どう違うんだい?」


 セスの呟きに、同じ場所に戻ってきたテレノスがどっかりと腰を下ろしながら訊いた。


「水分が多くて、甘い」


 満足そうに頷きながら果実をかじる3人の術士を見て、ドラゴン使いの兄弟は顔を見合わせて笑った。


「あっ、トレアンが笑った」


 それに気付いたカレンがすかさず大声を上げるので、兄は半笑いの表情のまま皆と顔を合わせ、次の瞬間自分が食べている果実のように赤くなってあさっての方向を向いてしまった。彼は口の中でもごもごと言う。


「……そんなに珍しいものか?」


「あー、兄さん滅多に笑わないもんな。医者だから色々やることも多いし、だから余裕もないし」


 照れ隠しなのか、トレアンは果実をやたらかじりながらテレノスの言葉に付け足した。


「――そこの愚弟の世話も大変なものだからな」


「ちょっ……兄さん、俺がいつ兄さんに何の迷惑をかけたっていうんだよ」


 弟が憤慨して、兄に抗議の声を上げた。兄は依然として果実をかじりながらそれに答える。


「集会で伝えられたことを忘れて、私のみが全く知らなかった問題が多々あった。後、そなたの仕事が大味すぎると言われるのは、何故かいつもこの私なのだが……」


「いや、それは悪かったけど、自分の照れ隠しの為に俺を利用するのは酷いだろうって」


 と、あさっての方を向いていたトレアンが、食べ尽くして芯だけになった果実をテレノスに向かって投げ付けた。見れば、顔が真っ赤だ。


「……それぐらい構わんだろう! こっちだってそなたのおかげで色々言われているのだからな! こういう時ぐらい好き勝手言わせろ、でないと今後一切頼み事など聞かんぞ!」


 そのままドラゴン使いの兄弟はまるで子供のような喧嘩をおっ始め、後の三人はそれを呆けた顔で見つめていた。兄が術士らしく魔法を使おうとすれば、弟は屈強な体でその腕を捕らえようとする。セスがふと呟いた。


「やれやれ、上も下も戦争だね」


 そうか、ドラゴン達も喧嘩の最中だったのか。カレンとタチアナは上を見上げて、ヴァリアントとオーガスタが咬み付くの咬み付かないのやっているのを確認してから、顔を見合わせて笑った。







 ある日、オーガスタはパートナーに向かって呟いた。


「全く、この町をこっそり人間が訪れるようになるなんて、ここ数十年思っても見なかったわ。あの三人は大丈夫なんでしょうね、トレアン=レフィエール?」


「――口止めはしてある」


 暑いので上半身をさらけ出しながら、気だるげなドラゴンのぼやきに向かってトレアンも同じような調子で返した。


「――思うんだけど」


 ドラゴンが少し唸り声を小さくしたので、彼は上を仰いだ。金色の瞳がじっと自分を見つめている。銀白色のうろこは森の緑を反射して、木漏れ日にきらりと輝いた。彼は上がり調子で訊き返す。


「何だ?」


「あの、あなたが助けたカレンって娘と、その妹のタチアナって娘が来るのはまだわかるの。だけど、セスっていう男の子――あなたにとっては男の子じゃないわね――あの人間、一体何なの?」


「何なのとは、何が言いたい」


「だから、カレンかタチアナの……身内かってこと」


 はあ、と間抜けな返事をして、トレアンは薬を腕に塗り込む手を止めた。先日、テレノスとみっともない殴り合いをした時に作った痣が幾つか無様に残っている。身内? はて、恋人かどうかということか。

「要するに、恋人かと問いたいのか」


「そんなとこね。何でこんな所までのこのこ来るのか気になったの……自分の恋人がお世話になりました、なんて台詞、あの子の口からは全く聞いてないからね」


「――カレンの方か?」


 ドラゴンが大きな音を立ててふんと鼻を鳴らした。


「気になるのね、トレアン」


 ドラゴン使いは無言になって薬を塗りたくるのを再開した。オーガスタは面白そうに彼の顔を覗き込み、またふんふんと鼻を鳴らす。鼻息を正面からまともに食らって、前髪がばさばさと邪魔をして息が詰まった。


「もしかすると、もしかして、嫉妬?」


「……やかましい、舌を抜くぞ」


「可愛い子ね、トレアン」


 そんなところも好きよ、なんて言いながら、オーガスタは迷惑そうな顔のトレアンの体に自分の顎をこすりつけた。その勢いに負けてひっくり返りながらも、彼は大きな顎を撫でてやる。


「……子供扱いはやめてくれ」


「あら、違うわ、愛しい人。こういう時人間とドラゴンの両方に姿を変えられるヒュムノドラゴンだったらって思っちゃうわね」


 舌の先で軽く彼の肌を舐めてやれば、ドラゴン使いはやや微妙な顔つきをして見返してきた。オーガスタは、その鳶色の瞳に宿っているものの深さを知っている。彼の口元に薄い笑いが浮かんだ。


「……もしそうだったなら私は真っ先に逃げるべきだな」


「あらやだ、絶対に逃がさないわよ。あなた一人がドラゴンに勝てるものですか」


「一体何をする気だ?」


 苦笑しながらトレアンは寝転がったまま頭を掻いた。ドラゴンはそんな彼を見つめて、囁く。


「最近よく笑うようになったわね、トレアン=レフィエール。あの人間の子達のおかげかしら? 素敵ね、ますます好みになってきたわ」


「――襲う気か、オーガスタ」


「ふふん、どうかしら」


 オーガスタはもう一回彼の肌を舐めてやった。


「やめろ、オーガスタ――うあっ、くすぐったいっ」


 上ずった声を出して身をよじれば、突然目の前に二本の足が立っているのに気付いた。靴の形が普段から見慣れているものとは全く違う、これは弟ではない――トレアンは跳ね起きた。


「何をやっているんだい、トレアン……変な声出してさ」


 ドラゴン以外の、人の声。慌てて声のした方向を見上げれば、客人が呆れた顔で自分を見下ろしていた。


「な……何しに来た、セス」


 燃えているのではないかと感じるくらいに火照った顔を相手から背けながら、彼は問うた。セスは左に右に首を傾げながら、ドラゴン使いに向き合う形でその場に座り込む。


「何しに来た、って、普通に遊びに来たんだけど。家にいても暇だし」


「――あの二人はどうした」


 そう問われると、セスはああ、と思い出したように言った。


「自分達の家の畑仕事だってさ」


「……そなたの家の畑はいいのか」


「僕んち? ああ、人が多いから僕だけ用なし。闇使いって役立たずなんだよね、こういう仕事になると。それに、もう既に三人も土使いがいるしね」


 トレアンはおや、と思って、訊いてみた。


「――術で畑仕事をするのか?」


「ん、そうだよ。それでないと追いつかないんだよね、特にここ何年間は出来が悪すぎるから。もっと西の方の村や町なんか、闇商人と賊で一杯なんだって」


「――そんなに」


 ひどいとは、思ってもみなかった。土の質がよくないということは以前カレンから聞いていたが、これは違う。厳しい土地に住む人間の暮らしぶりが容易に想像出来た。セスが、愕然としているトレアンに向かって眉根を寄せながら話を続ける。


「僕みたいな、収穫に直接関わったり出来ないような闇使いは、西の乾いた地方に多いね……雇われるんだよ」


「……何をするのだ?」


 相手は嫌悪感をあらわにしながら言った。


「色んないさかいや喧嘩や食べ物の恨みの、代行」


「……呪うのか」


「そうだよ」


 まったく、と吐き捨てるように呟き、セスは頭を掻いた。少し気になって、トレアンは彼に向かってこんなことを訊いてみる。


「……光使いも畑仕事には向かないと思うのだが」


 とても人懐っこそうな薄いグレーの瞳が、こちらを向いた。


「うーん、雨が長すぎる時にはいいんだけどね。西じゃそんなことは滅多にないからなあ……ああ、こんなことを聞いたことがある。やっぱり、雇われるんだよ」


 セスの口元に皮肉っぽい笑みが浮かんだ。頭上で、それまで黙っていたオーガスタがふんふんと鼻を鳴らす。この人間はもうドラゴンが平気になってしまったのか、とトレアンは内心少し驚いた。


「……何をするのだ、今度は」


「ふふん、呪いを解くのさ。僕は闇使いで、君は光使い。西の方じゃ引っ張りだこだよ、飢えて死ぬよりやられて死ぬ可能性が高くなるけどね」


 口元の笑みと同じような皮肉っぽい口調に、ドラゴン使いも思わずにやりと唇の端を吊り上げた。セスに勝るとも劣らない台詞がその口から飛び出す。


「――東では役立たず、か。なるほど、今まで何人もの人間を術で癒してきたが、彼らから感謝されたことはほとんどないな。愛しのパートナーがいるからいいが」


 セスがあっはっは、と大声で笑って、座る足を組み直しながら言った。


「でも、君はカレンを癒してくれて、そうして僕らは偶然出会えたんだ。こんなに楽しいことはあんまりないよ、感謝感激ってやつだね」


「ふふん、そうか――」


 そこで、トレアンはふとさっきも思ったことを考えた。目の前の人間は、自分と同じ東での役立たずのこの者は、あの姉妹の一体何なんだ?


「――そう言えば」


「んあ、何だい?」


 彼は自分の顎に手をやりながら言った。


「そなたは一体、何なんだ? その……カレン、若しくはタチアナの」


「……何なんだって、何が?」


 よくわからないことを訊かれ、セスはきょとんとした顔で目の前の端正な顔立ちを見つめ返した。何が言いたいんだ、この人。すると、ドラゴン使いは少し焦ったように付け加える。


「いや、その……身内でもないのに、よくこの村を見つけたものだと」


「ああ、それか」


 彼は短く笑ってこう答えた。頭上でまたドラゴンが鼻を鳴らす。今度は鼻息が吹きかけられた。


「カレンがさ、転移の術を閉じる所を見ちゃったんだ。そばに落ちてた木の枝を差し込んでやったら穴だけ残ったから、すぐ後に誰もいないのを確認してまた開いてみた、って訳。まあもちろん、タチアナには見付かっちゃったけどね」


 乱れた髪を直し、なるほど、と思う。トレアンは言った。


「そなたも転移の術を使えるのだな、セス」


「まあね。村の女の子がひっついてくるのが暑苦しくて」


 二人は顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出した。


「――確かにこちらの女も好みそうな顔だ――」


「――いや、僕らの村の女の子が君を見たら絶対に皆そっちへ行くだろうよ、トレアン――」


「――そんな馬鹿な、この町だけで十分だ――」


 ひとしきり二人で笑って、疲れてそこらに仰向けになった。まだ腹の何処かがひくひくと震えている。こんなに下らないことで笑うのは久し振りだった。


「あーあ、腹痛いや」


「――全くだ」


 笑いの残る声で言って、二人ともふうと息をついた。と、セスが空気と同調するかのような透き通るかすれ声で、笑いの余韻を残して言った。


「――でもカレンはなかなか振り向いてくれないんだよね」

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