5

 その表情は何処か楽しそうで、半分セスをからかっているようだ。彼は喉に何かが詰まったような声を出した。そりゃ、カレンが自分にあまり興味がなさそうのは、見ていてわかるけれど。


「ごめんよぉ、セス。あんたせっかくいい男だあのにね」


「いえ、でも脈がないこともないような気もするので……」


「カレンは一度やると決めたらずっとやり続ける子だからね。あんたが上手く繋ぎ止めてやんないと、何処へでも行っちまうね、きっと」


 カレンの母親は苦笑しながら言って、セスの肩を励ますように数回叩いた。また来ます、と言って彼が去ろうとすれば、家の近くの木に実っている果物を数個持って帰れと言って渡してくれた。


「……僕も頑張りますから」


 少しむきになりながらも、エミリアにそう伝える。すると、その人は大きく顔を崩して笑ってくれた。


 友達? この村の人間ではないみたいだ。そうでなければ、そのうち教えるなどと言う筈がない。


「一体、誰なんだろう……」


 果物を一個かじりながら、セスがふと近くの小さな木立の方を見た時だった。隠れることが出来そうなその中で、人の背丈ほどもある大きな何かが鈍く光っている。


「――あれ?」


 急いで物音を立てないようにして近寄った。その瞬間、誰かがその光の中に入ったのが見えて、彼は自分の目を疑った。無意識に、近くの枝を拾って下の方に収束していく光の中にさっと半分を差し入れ、地面へと落とす。光は、枝の周り少しを残してほとんど消えていた。


「何してるの?」


 怪訝そうな声が後ろから聞こえて、セスはびくりと肩を震わせた。振り向くと、カレンの妹のタチアナだ。


「びっくりした、タチアナじゃないか」


 驚かすなよと言って立ち上がった彼に、タチアナは言う。


「今、すっごく怪しい動きしてたんだけど……セスさん」


「ああ、それはね……」


 言いながら、地面に落とした枝を見た。それにつられて目の前に立つ少女もそれを見る。


「枝の周りが、これ何なの?」


「さあ、もしかすると転移の術かもね」


 最近使うようになったその術を思い出しながら、セスは呟いた。うっとうしいぐらいに言い寄ってくる村の若い娘から逃げる為だ。


「……誰が開けたの?」


「わからない」


 少しためらったが、彼はぶつぶつと呪文を唱え、枝に触れた。すうっと光が立ち上がり、二人の目の前に村とは違う場所が鈍い光の向こうに微かに映った。


 タチアナが、驚いて言った。


「……これ、何処なの?」


 セスはそれに答えずに、驚いた表情のまま光の空間の向こうへ顔を突き出した。向こうの方に、木の家がいくつも建っている。見える畑は自分達の村のものよりも小さく、さらに周りには深い緑の森が広がっていた。木がこんなに沢山あるなんて、と彼は生唾を飲み込む。


「……まさか、森の中?」


 そう呟くと、タチアナが自分の横から顔を突き出してきた。同じように目の前の光景を見て口をあんぐりと開けている。


 我慢出来なくなって、二人ともその景色の中に一歩踏み出した。セスが再び枝を中に挟んで、歪んだ空間をまた開けられるように目印としておいた。少しの詠唱の後で、それが枝の周りの小さな穴になる。


「……誰かに見られたかもな」


「大丈夫、後ろを見たけど誰もいなかったわ」


「じゃ、心配ないや」


 辺りを見回した。誰もいない。聞いたことのない鳥の鳴き声がして、風が木の葉を揺らす様は自分達に向かって何かを、或いは誰だと問いかけているようだ。とても瑞々しい場所で、夕日の色のように熟した果実の実る木がそこら中に沢山あった。地面に触れてみると、さっくりと柔らかい。顔を上げた向こうの方には丘があって、いくつもの石が並んでいる。


 と、突然何かの唸り声がした。


「……何、今の」


 張り詰めたその場の空気から只ならぬものを感じ取って、タチアナが怯えた声で言った。同じようにセスも本能的に危険が近付いていることを察知し、二人とも同時に後ろを振り返った。


「そこで何をしている、人間」


 言葉と人の姿が纏うのは威圧感と冷徹さ。鳶色の鋭い瞳はよく見ると二重で、眉間にはしわが刻まれている。二人は硬直し、心臓が止まったかのような表情をした。目の前の男は、仲間内にはいないような肩まで伸びている黒い髪を後ろで括っているようだ。その後ろから、先程の唸り声の正体が首をにょきっと突き出した。


「――ドラゴン、だ」


「いかにも、そうだが? ならば私達のことも知っているのだろう」


 セスが呟くと、その男は相変わらず怖い顔で言った。会ったばかりなのに、自分達のことが嫌いなのだろうか? そう思う彼の横で、タチアナが銀白色のドラゴンをじっと見つめている。


「……綺麗なのね、これがドラゴン……あたし、初めて見た。姉さんが右肩をやられたのをあんまり怒ってないのも、わかるかも」


「タチアナ?」


「……右肩をやられた、姉?」


 男二人が同時に目を丸くして見つめたので、彼女は少しうろたえながらも返事をする。


「いや、あの……姉さんが、前に薬草を取りに行った時にドラゴンに向かって火魔法を放っちゃって、それで怒らせて右肩を牙でやられたって言っていたから」


 黒髪の男はしばらくその場で硬直していたが、不意に森の奥をちらりと振り返った。二人をじろりと見て、言う。


「……早く森の中に入れ、こっちだ」


 従わなければ何をされるかわからないので、二人は言われた通りに森の中へと足を踏み入れた。古いものを取り出した時とは少し違う、木の匂いが鼻腔をついて、爽やかな空気が体の中に入ってくる。枝が頬を掠り、見上げれば天空へ伸びる幹が槍のように見えた。


「……私が何者か、わかるな?」


 黒髪の男が前を歩きながら、二人を振り返らずに言った。しかし隙が見当たらないその背中は絶えず異邦人を観察していた。


「え……と、ドラゴン……」


 その太い首を彼が撫でるのを見て、タチアナが言いかける。鳶色の瞳は真っ直ぐ彼女を見つめ、進む足が止まった。威圧感がすっかり消えている。


「……最後まで、言え」


「……ドラゴン、つ、使い」


「……そうだ」


「……ねえ」


 彼女は震えた声で問いかけた。


「何だ」


「あ……あたし達、餌にされるの?」


「……は、はあ?」


 ドラゴン使いの男は、ぽかんと口を開けた間抜けな顔でタチアナをまじまじと見つめる。


「あ、実は……僕もそう思っている、かも」


 セスも釣られてそう言うと、至極呆れたという顔で男は言った。


「餌にする必要が一体、何処にある」


「よ、よかった……僕達、助かったんだ!」


「食べられちゃうかと思った……」


 同時に地面へ膝をついた二人を見て、彼はあさっての方向を見ながらはあ、と溜め息をついた。ドラゴンが唸り、男がそれに答えるようにわからない言葉を喋る。よく見ると、このドラゴン使いは見たこともないような美しい顔立ちをしていた。


「森の中へ入れと言ったのは、私の仲間に会うとまずいことになるからだ。でもまあ、安心するといい。この町で私に逆らえる者などほとんどいないからな」


 その言葉にセスは顔を上げ、銀白色のドラゴンとドラゴン使いの男を交互に見ながら言った。


「地位が高いんだね、君は。それなら僕達は安心だ……にしても、ここはいい土地だね、木ばっかりじゃないか」


「……普通ではないのか?」


 男は怪訝な表情で膝をついたままの二人を見下ろした。最初は冷たい男かと思ったが、聞き分けのよいドラゴン使いのようだ。

「あたし達の住んでいる所は、ほとんど草原と畑よ……木なんて、あんまり見ないわ。小さな木立が近くに、家の傍に果物の木が一本あるけど」


 男はそうか、と呟いて顎を撫でた。その次の瞬間には、強い口調に変わっていた。


「それはいいとして、早くここから立ち去ることだ。私の仲間は、一部を除いて残念ながら人間を好いていない。ドラゴンは常に私達パートナーの傍にいて人を襲って食事にすることはないが、こちらではそなたら人間がドラゴンを見た途端に逃げ出すという事象が相次いで起こっているからな」


 セスはごくりと唾を飲み込んで、その鳶色の瞳と視線を合わせた。何処か憂いを含んでいる。


「皆は勘違いされている、と思い込んでいる。覚えておくといい、ドラゴンは私達よりも遥かに恐れ多いほどの知識を持った種族だ、ということを。そなたら人間を襲うことなど露ほども考えてはいない、勇者とかいう訳のわからない者を派遣されて後が面倒だからだ」


 二人は神妙な面持ちでその話を聴いていた。目の前に立つ人は、自分達よりもずっとドラゴンのことを知っている。自分達は何も知らずに、これまでずっと遠ざけてきたのだ。


 と、銀白色のドラゴンが、森の奥の方にひょいと首を向けた。それに気づいて三人が耳を澄ますと、誰かの声がするのが微かに聞こえてきた。タチアナが、呟く。


「……呼んでる?」


 その声は若い男のもので、都合の悪いことにだんだんと近づいてきた。まずいことになるかもしれない、と為す術もなく三人が身構えた時、その声はこう言った。


「兄さーん、トレアン兄さーん!」


「――テレノス?」


 ドラゴン使いの男がそう呟いたのを聞いて、セスとタチアナは思わず彼を見る。足音と草をかき分けるガサガサという音がはっきりと聞こえて、いきなり短い黒髪の若い男が目の前に姿を現した。


「あ、いた! すぐ戻ってくるって言ったくせに、こんな所で一体何やって……って、あれ?」


 おそらくテレノスというのだろう、彼は自分がトレアンと呼んだ長い黒髪の男の後ろに誰かがいるのに気が付いた。そして、身構えていた二人も、新しく来たテレノスという若者の後ろに、誰かがついてきているのを見た。そして、気付く。


「……か、カレン!」


「ね、姉さん?」


 カレンと呼ばれて、テレノスの後ろの人はびっくりしたようだ。驚いたような声が上がった。


「タチアナに、セス……何でこんな所にいるの?」







「……人が増えちまったな」


 ぐるりと全員が円になって座っているところに、テレノスが言った。その周りをドラゴンが二頭、取り囲んでいる。


「君が最近よく行く友達の所って、ここだったんだね、カレン」


 セスの方はドラゴン使いの兄弟を物珍しそうに観察しながらこう言った。言われたカレンの方は、少し申し訳なさそうに答える。


「そのうち紹介するつもりだったんだけどね、仕方ないじゃない? 私達の村の人も、ドラゴン使いの町の人も歓迎してくれるような雰囲気じゃなさそうなんだもの、話を聞く限りでは」


「あたしは大歓迎だけど……」


 タチアナが口を尖らせて呟いた。テレノスが短く笑って、傍の切り株に肘をつく。


「そりゃ嬉しいや。あんまり表立って喜べないけど」


「またややこしいことになるな、アドルフにでも見つかったら……あの協調性のない者共が何と言うか」


 ただ一人、トレアンが苦い顔をしてそんなことを言った。皆も苦笑しながら同時に溜め息をついて、これからばれた時のことを想像して少し心配になった。


「こっちの方が協調性ないって言われるだろうね、兄さん」


 兄は、ふんと鼻を鳴らしてあさっての方向を見た。


「人間というだけで顔をしかめる者はどうかしている」


 その台詞は腹を立てていたが、口調は至極優しいものだった。顔からは先程見せていた鋭さが消えている。


「それに、ドラゴン使いも僕が思っていたよりずっといい人だしね」


 セスが言えば、すかさずテレノスが突っ込んだ。


「……前はどう思っていたんだい?」


「やめてくれ、怖い顔するのは。何、村の大人から捕まったらドラゴンの餌にされるぞって脅されていただけさ」


「ドラゴンは人間なんて食べないさ」


 あっはっはと笑いながら弟は言って、自分のドラゴンが伸ばしてきた太い首を優しく撫でた。人間にはわからない声で、ヴァリアントに問いかける。


「なあ、相棒」


 青灰色の気高い戦士は唸って、少し申し訳なさそうに言った。


「……実は、一度だけある。伝えない方がいいだろうが……仲間に勧めたい味ではなかった」


 それから、ヴァリアントはちらりとトレアンの表情をうかがうように見た……案の定、咎めるような眼差しがこちらに向けられている。カレンやタチアナ、セスは何を喋っているのか全く解らずに首を傾げた。微妙な空気が流れ始めた中で、テレノスはためらいがちに言う。


「……不味いらしいよ、俺達みたいな人型種って」

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