どこかの谷Ⅲ
少しの間無言で歩き続けたあと、ラルゴが口を開いた。
「このまま三人一緒に歩き続けても、仕方がないんじゃないでしょうか」
「三人? 四人でしょ? 誰が数に入ってないの?」
マズルカがユーシャの毛皮の中から抗議した。
「――失礼しました。四人固まっているより、分かれて探した方が、光の花とやらも早く見つかるのでは?」
ラルゴの言うことはもっともだったが、誰もまだ返事をしないうちに、行く手に茂みが見えて来た。
「とりあえず、まずはあそこを調べてみましょうか」
茂みに近付くと、中から声が聞こえた。
「あんたたちは誰だ?」
茂みの凍り付いた葉っぱの一つに、小さな青く光る妖精が座っていた。
ラルゴが前に出た。
「僕たちは光の花を探している。もしかして、どこにあるのか知らないか?」
葉っぱの精は意地悪そうに笑った。
「知ってるけどね、お兄さん、あんたのマントを留めているブローチを譲ってくれたら、教えてやってもいいよ」
「これか」
ラルゴは襟元を手で探った。
「これは、母上にいただいたものだ」
「くれないなら教えてやらないよ」
葉っぱの精はさっさと行っちまえというように手を振った。
「わかった。差し上げよう。だから光の花のある場所を教えてくれ」
ラルゴはブローチを渡し、葉っぱの精を見つめた。
「この先をまっすぐ行くと倒れた木があるよ。その木を跨いで右に折れたところさ。ほら、そこの道だ」
機嫌良く葉っぱの精は言った。
ユーシャたちは葉っぱの精にお礼を言い、再び出発した。
歩き続けるうちに、周りは凍った木でいっぱいになって来た。まるで森のようだ。森の中は、突然夜になったように暗かった。ロンが剣を抜き、四人は剣の放つ光を頼りに進まなければならなかった。
しばらく行くと、葉っぱの精の言った通り、倒れた木があった。やはり凍り付いており、その木の上には、やはり一人の小さな妖精がいた。
今度はユーシャが近付いて尋ねた。
「すみません。光の花の在処をご存じありませんか?」
「知ってるよ。でも教えたくない。あんたたちなんかに光の花を渡したくないもん」
木の精は冷たく言い放った。
「そこを何とか」
ユーシャは根気強く頼んだ。
「うーん、それじゃあね……」
木の精は考え込んだ。彼も何か条件を出すつもりらしい。
「あ」
ユーシャたちを眺め回していた木の精の視線が、ロンの前で止まった。
「あんた、きれいな目をしているね。一つ、僕にちょうだいよ。そしたら教えてあげる」
無理だろう? と言いたげな口振りだ。
「一つでいいのか」
ロンは表情を変えずに言った。
「ナイフでくりぬいたら、とてもきれいとは言えない状態になると思うが、それでも構わないんだな」
木の精が怯んだ。
「あんた、よくそんな残酷なことを平気な顔して言えるな」
「お前が先に言ったんだろう」
「わかった、目はいらないよ。その代わり、髪をおくれ」
「根こそぎ?」
「一房でいいよ、一房で」
ロンはナイフで髪を切り、木の精に渡した。
「光の花は、この木を跨いでまっすぐ行ったところにあるよ」
「ずっとまっすぐ?」
「ずっとまっすぐだよ」
ロンの髪を受け取ると、木の精はうろの奥に隠れてしまった。
「最初に会った妖精は、この道を右に折れた先に光の花があると言った。二番目の妖精はまっすぐ進めと言った」
ラルゴが呟き、ユーシャを振り返った。
「どちらかが嘘を言ってるんですよね。ユーシャ、どちらが嘘を言っているかわかりますか?」
「どっちも嘘は言ってないと思うわ」
「ユーシャにもわからないくらい、巧妙に嘘を言えるということですか」
「もしかすると、光の花ってたくさんあるんじゃない?」とマズルカ。
「カーポじいさんは一つしかないみたいなことを言ってたけど……」
「どうします? 二手に分かれますか?」
ユーシャは少し考えてから答えた。
「まっすぐ行きましょう」
ラルゴは眉をひそめた。
「あなたがまっすぐ進むなら、僕は右へ進みますが……」
「カーポじいさんは妖精たちは嘘をつかないと言ったわ。だから、最初に会った妖精が右と言った時には、光の花は右にあったけど、そこで会った妖精がまっすぐと言ったんだから、今は光の花はまっすぐ行った先にあるのよ」
「花が移動してるってことか?」
ロンが口を挟んだ。
「それはわからないけど、妖精に教えられた通り進んでいれば間違いないと思うわ」
「そうですね……」
ラルゴは迷っている様子だったが、やがて頷いた。
「わかりました。ユーシャがそう言うのなら、全員でまっすぐ進みましょう」
ロンとマズルカも反対しなかった。
木の精に教えられた道は、凍った荒れ地へ続いていた。いつの間にか道の両側に生えていた木々もなくなり、ひび割れた地面ばかりが目に付くようになった。それでも四人はずんずん前へと進んだ。
ふと、行く手に、大きな氷の岩があるのが見えた。岩の横から長い影が伸びている。
影が動き、同時にしわがれた声が聞こえた。
「何年も人が訪れたことのない荒れ地に、何を求めて足を踏み入れたのか」
「光の花を探しています」
ユーシャは影に向かって答えた。
「その花ならばあちらにある」
影が指の形になり、ユーシャたちの後ろを指し示した。
「そんな! あっちは元来た方角よ。私たちに引き返せって言うの?」
マズルカが悲痛な声を上げた。今までの苦労は何だったんだと言わんばかりだ。
ユーシャが来た道を振り返り、再び氷の岩を見た時には、影は消え失せていた。
「……引き返しましょう」
「ユーシャ!」
マズルカは納得が行かない様子だった。
「じゃあ、せめて絨毯に乗りましょうよ。さっきから延々歩き続けているじゃない」
「絨毯の上からでは、光の花を見落としてしまうかもしれませんよ」とラルゴ。
「お前はユーシャの毛皮の中で座っているだけじゃねえか」とロン。
「気が急くのよ。こうしている間にもトリルは……」
「だから、急がなくちゃ」
ユーシャは励ますように言った。立ち尽くすより、どこへだろうと足を進めていた方がいい。歩き続ければ、きっと光の花のもとへ辿り付ける気がした。
「行きましょう、マズルカ」
「わかったわよ」
引き下がったものの、マズルカが意気消沈しているのは明らかだった。喋ることで気を紛らそうとしているらしく、ずっとぶつぶつ言い続けていた。
「ねえ、光の花なんて、元々なかったんじゃないの?」――「もう丸一日歩いてるわよ。いつになったら見つかるの?」――「やっぱり嘘だったのよ。もうだめだわ」
ユーシャはその都度こう答えた。
「大丈夫、必ず見つけられるはずよ」
「ユーシャ」
しばらくして、先頭を歩いていたラルゴが振り返って声を掛けた。彼もさすがに疲れた様子だ。
「ユーシャ、あれを見て下さい」
「え?」
行く手には、大きな湖があった。
「あれが何よ?」
マズルカが不機嫌な声を出した。
ラルゴは走って行って湖のほとりにひざまずいた。
「凍っていないんです。それどころか、水は温かい」
ユーシャたちも駆け付けて眺めた。青く透き通った美しい湖で、中央には小さな島があった。
「あの島が怪しいですね」
「行ってみましょう。ラルゴ、絨毯を……」
ラルゴは頷き、絨毯を広げた。
四人は揃って絨毯に乗り、島まで飛んだ。
「うわー、あったかい。ここだけ春みたいね」
マズルカが絨毯から舞い降りて伸びをした。
島の上には草がぼうぼうと生えている。呼び掛けてみたが、答える声はなく、どうやら妖精は住んでいないようだった。
マズルカは顔をしかめた。
「私たちだけで、草を掻き分けて探すしかないの? こんな、どこもかしこも同じ色で、同じ高さの草の中を?」
「そのようだな」
ロンは冷静に答えた。
「この島の上にあれば、の話だが。もしかしたら、湖の底かもしれないし……」
「いっそのこと、ユーシャの剣で草を焼き付くしちゃえばいいんじゃない?」
「そんなことをしたら、光の花も一緒に燃えてしまうだろう」
「冗談に決まってるでしょ、ばかね!」
「……」
そうこうするうちに、日が暮れた。
「そろそろ暗くなります。今日は休んで、探すのは明日からにしましょう」
ラルゴが空を見上げて言った。
翌日、ユーシャたちは明るくなるとすぐに起き出し、暗くなるまでひたすら光の花を探した。絨毯で上空から辺りを見渡し、島の上をくまなく歩き、湖の底深く潜ってそれらしき物を探し求めた。しかし、光の花は一向に見つからなかった。
瞬く間に日が過ぎて行き、ついにタイムリミットの十五日まであと五日と迫った。
昼になり、四人は島の真ん中に集まって休憩した。
「私、鸚鵡になってもう一度空の上からこのへんを見てみる」
ユーシャはぱっと変身した。
「ロンモイッショニキテ。アナタハメガイイカラ」
「妖精が欲しがるほどいい目だものね」
マズルカが茶化した。
「私は島の上の探索を続けるわ」
「じゃあ、僕は湖に潜ります」
そうと決まると、ラルゴは湖に飛び込み、ロンは絨毯に乗ってユーシャと共に空へ上がった。
空の上を行ったり来たりしても、新しい発見はなかった。日の光の下、真っ青な湖と、緑の島があるだけだ。
その日もまた暮れようとしていた。そして、暗い闇がユーシャとロンを包み込むように現れた。
「コレハ……」
ただの闇ではない、と感じた。
「あの雲か?」
ロンが剣を構えたが、闇にはじき返され、あっと言う間に湖に落下した。
「ロン!」
ユーシャはきっと黒い雲を見据えた。
「アナタネ、トリルヲヒドイメニアワセタノハ。ドウシテコンナコトスルノ?」
雲の中から低い笑い声が響いた。
「気が強いな。その気の強さに免じて、光の花を探すヒントを与えてやろう。――光の花は、光の中ではいくら探しても見つからない。逆に、闇の中でなら容易に見つけ出すことが出来るのだ」
それだけ言うと、不気味な笑いを残して雲は消えて行った。
辺りに静寂が広がった。
「ユーシャ!」
下から、ラルゴの呼ぶ声が聞こえた。
「ユーシャ! 無事ですか?」
「ラルゴ、ロンガミズウミニオチタンダケド」
ユーシャが叫び返すと、ラルゴが答えるより先にロンが水面に顔を出した。
「ダイジョウブ?」
「ああ。ユーシャ、人間に戻って絨毯に乗って来てくれ」
島より岸の方が近かったので、ロンはそちらへ泳ぎ出した。
「剣が水の底に落ちてしまった。あとで拾わないと」
「私が行って来るわ」
ユーシャは絨毯を岸に置き、ペンギンに変身して湖に飛び込んだ。
闇に沈んだ水の底に、淡く光るものが見える。ロンの剣だ。ふと、ユーシャは雲の声が言っていたことの意味に思い当たった。明るいところでは、ロンの剣はただの剣だ。暗い中でだけ発光する。光の花も、そういうものなのではないだろうか。
ユーシャは剣を拾い上げ、ラルゴたちのところに戻った。ロンも絨毯でまた島に渡っていた。
ユーシャの話を聞いたラルゴは、すぐに理解して頷いた。
「つまり、これからは昼間眠り、夜に光の花を探せばいいということですね」
「だが、夜中でも月明かりがあるから真の闇にはならないぞ」とロン。
「それでも、昼間よりは見つけやすいはずよ」
言いながら、ユーシャは辺りに目を凝らした。光るものは何も見えない。湖に映る丸い月の影くらいだ。月の影……?
「あの月……」
「ああ、あれ。俺もおかしいと思ってたんだ」
ロンが言ってユーシャの隣に立った。
「何がおかしいの?」
マズルカも近付いて来て聞いた。
「見てみろ、空にある月とは微妙に形が違う。それに、いつ見ても同じ位置にあるような気がしてな」
「それって、つまり……?」
「月の影が映っているわけじゃないってことだ」
では――あそこに何か手掛かりが?
四人は絨毯に乗って近付いてみた。
上から見ると、湖面に丸い穴が空いており、そこから金色の光が漏れているのだとわかった。穴の下には階段があった。
「水の中からは何も見えないのに……」
水中に顔を突っ込みながら、マズルカが言った。
「絶対ここに何かあるわ。行ってみましょうよ」
「そうね」
ユーシャが答えると、他の二人も頷いた。
四人は穴の中に踏み入った。
入り口付近は光が強かったが、下へ進むにつれてだんだん弱くなって来た。階段を下りきって少し行くと、行き止まりに突き当たった。
金色の岩壁に、小さな穴が一つ空いている。それは奥の方まで続いていたが、人間にはやっと手が入るほどの小さな穴だった。
「私が行くわ」
マズルカがきっぱりと言った。
「あなた一人で?」
「大丈夫よ、ユーシャ。心配しないで。私だってたまには役に立たなくちゃ」
「でも……」
「きっとうまく光の花を取って来るわ。行かせて」
「……わかった。マズルカ、あなたを信じるわ」
ユーシャの言葉に、ラルゴも頷いた。
「残された時間は少ない。ここはマズルカに任せるしかありませんね」
「お願いね、マズルカ」
ユーシャはマズルカに鍵を渡した。
「何かあったら、これでドアを開けて逃げてね」
「わかったわ」
鍵を抱えると、マズルカは穴の中へ入って行った。
「大丈夫かな」
「俺たちはここで待つしかないだろう」
こんな時にもロンはクールだ。
しかし、待つしかないのは本当だった。二日経ち、三日経ってもマズルカは戻って来なかったが、それでもユーシャたち三人は待つしかなかったのである。
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