どこかからどこかへ

「西の海に戻りたい。潮風号を探したい。だけど……」

 苦しげにトリルは言った。

「もし、僕のせいでそんなことになったのだとしたら……僕は行かなければ」

「なぜお前のせいなんだ?」

 ロンが鋭く尋ねた。

「それは……」

「やっぱり、お前はソーレの国の王子なんだな」

 トリルは少し驚いた様子でロンを見た。

「やっぱり、ということは、気付いていたのか?」

「ああ、目の色とか髪の色とか、それに……ラルゴが絨毯で飛んで来た時、お前のことをトレモロと呼んだからな」

「……ああ」

 ラルゴがばつの悪そうな顔をして口を押さえた。

「やっぱり、聞かれていたか」

「で、お前はトレモロ王子の兄、アレグロ王子なんだな」

 ロンは眉間に皺を寄せていたが、怒っているわけではないようだった。

「王子が二人共国を離れているんなら、王位争いのことも、何か裏があるのかもしれねえな」

「僕らの留守をいいことに、誰か別の人間が反乱を起こした……?」

「何がどうなっているのかはまだわからない」

 トリルは唇を噛み締めた。

「でも、僕は行かなければ。勝手なことばかり言って申し訳ないが……」

「僕は元々戻るつもりだったし、一緒に行くよ」

 ラルゴが言い、ユーシャとロンを見た。

「私も行くわ」

「俺も行くよ」

 ユーシャに続いて迷わず告げたロンを、トリルは意外そうに見つめた。

「君も来てくれるのか」

「ここまで来て見ぬ振りは出来ねえよ」

 ロンは川辺に巻いて置いてある絨毯を見やった。

「お前とラルゴはその絨毯で先に行け。俺たちはあとから船で行く」

「でも、行くならみんなで……」

「そんな余裕はないだろう」

 ユーシャもロンの意見に賛成だった。

「そうよ。一刻を争うでしょ? 早く行った方がいいわ」

 ラルゴはトリルと同じく気が進まないようだった。

「この絨毯なら、無理すれば全員乗れないこともなさそうですが……」

「あんまりたくさん乗っていると、いざという時素早く動けないわ」

「二人だけじゃ心細いって言うなら、私が護衛に付いて行ってあげるわよ」

 マズルカが元気よく前に出た。

「お前は邪魔になるだけじゃねえのか?」

「何よ、ロン。私だって、二人が眠っている間の見張りくらいは出来るわ」

 トリルとラルゴはまだ渋っていたが、結局二人で先に行くことを承知し、絨毯に乗った。

「トリル、これ。持って行って」

 トリルは絨毯の上から、ユーシャの差し出したバスケットを受け取った。

「それから、魔法の本も……」

「いや、アレグロの本があるし、その本はユーシャが持っていて。必要な時は遠慮せずに使っていいから」

 ユーシャは頷いた。

「気を付けてね。あとからすぐ行くわ」

 トリルも笑顔で頷き返した。

「もう、十字架は絶対に手放しちゃだめよ」

「うん」

「何かあったら、巻き貝で連絡してね」

「わかったよ」

 ユーシャとロンに見送られ、トリルたちの乗った絨毯は夕暮れの空に消えて行った。

 残された二人は、船を出す準備をした。修理はあらかた終わっていたので、明日の朝になったら出発しようということになった。

「ソーレの国は遠いの? ロン」

「ああ。西の果ての国だからな」

「どれくらい掛かる?」

「絨毯なら途中で休んでも四、五日あれば行けるだろう」

「この船なら?」

「何か月も掛かる」

「そんなに……」

 ユーシャはため息をつき、魔法の本を開いた。これでどうにか出来ないかと思ったのだ。ロンも寄って来た。

「何をするんだ?」

「早く行けるように、船に呪文を掛けてみようかと……」

「壊さないでくれよ」

 ユーシャは本のページをめくり、呪文を一つ唱えた。

 ロンは船を見上げた。

「……何も起こらないな」

「……そうね」

 どうやら失敗したようだ。諦めて、ユーシャは本を閉じた。

 実はユーシャの魔法はちゃんと効いていたのだが、この時は二人共気付かなかったのだった。



 翌朝早く、船はプリンテンポの谷を出た。

「何だかおかしなことになったな」

 ため息をつきながらロンが言った。

「ソーレの国を出て、東の国へ行って……気まぐれに剣術大会に出場して……。海賊退治をするはずが、なぜか今、俺はまたソーレの国へ向かっている……」

 ロンが自分のことを話すのは珍しい。――少しは気を許してくれたのかなと思うと嬉しかった。

「あなたも色々あったのね」

「まあな」

「これからも、トリルの力になってあげてね。ロンは強いし、頭もいいから頼りになるわ」

「お前に頼まれるのも変な感じだが」

「トリルにあなたみたいな友達が出来て、とても嬉しいわ」

 ユーシャは心から言った。

「友達ねえ……」

 進行方向に目をやっていたロンがふと尋ねた。

「ユーシャがあいつを助けるのも、友達だからなのか?」

「私は……」

 ユーシャは波間を見つめた。

「ただ、トリルに無事でいて欲しい、彼の元気な姿を見ていたい、それだけよ」

 船が海に出てしばらくしてから、ユーシャは奇妙なことに気が付いた。

「ロン、この船……」

「ああ、気付いたか」

「何か、おかしくない?」

 何もしてないのに、勝手に向きを変え、風の流れを無視して動いているのだ。しかも普通ではない速さで……。

「多分、お前の魔法のせいだよ」

「気付いてたの?」

「帆を張った時にな。俺一人でこの船を動かすのは骨が折れるから、まあ、助かったが」

 この分なら意外と早くソーレの国に着けそうだ。

 その夜、ユーシャは船縁で虹色の巻き貝を眺めていた。つい、トリルから連絡がないかと、日に何度もこうして手に取ってしまうのだ。

 そのままぼんやりしていると、ロンがやって来て隣に立った。それから、ユーシャが手でいじっている貝殻に目を止めた。

「その貝殻、トリルからもらったって言ってたよな?」

「そうよ。それがどうかした?」

「いや、ラルゴからもらったんじゃないかと思ったから」

「ラルゴに? どうして?」

「東の国の船に乗っていた時、ラルゴがそれと同じ貝を持ってるのを見たんだよ」

 ラルゴが同じものを……?

「これは、おばあさんからもらった三つのお守りの一つだってトリルは言ってたわ」

「そういえば、ラルゴもそんなことを言ってたな。つまり、二人共同じものを持ってるわけか。魔法の本と、虹色の巻き貝と……?」

「もう一つは、暗闇で光る……」

 言い掛けて、ユーシャははっとした。

「虹色の……巻き貝?」

 潮風号に乗っていた、覆面をした女の人。彼女が持っていた貝殻は、もしかして、ラルゴの貝殻の片割れだったのではないか?

「どうしたんだ?」

 ユーシャは自分の考えをロンに話した。

「なるほどな。もしそうだとしたら、彼女は……」

 その時、虹色の巻き貝から唐突に声が聞こえ、ユーシャは思わず貝を落としそうになった。

「ユーシャ、聞こえるか?」

 トリルの声だ。

「聞こえるわ。トリル、どうしたの?」

「アレグロとはぐれてしまった」

 沈んだ声でトリルは言った。

「日が暮れたから、小さな島を見つけて休もうとしていたら、あの闇が現れて……。僕は海に落とされて、何とか泳いで島まで行ったんだけど、アレグロもマズルカもいなくなっていたんだ」

「それ、いつのこと?」

「ついさっきだ」

 ユーシャは考え込んだ。

「ラルゴがあなたをそのままにして行っちゃうはずないわ。何かあったんじゃ……」

「僕もそれが気になってるんだ。今、僕の体は空の星よりも明るく光っている。見逃すことはないと思うんだけど……」

「ラルゴと連絡を取ることは出来ないの? ……ラルゴも巻き貝を持っているんでしょう?」

「アレグロの貝は……今、アレグロの婚約者が持っているんだ」

 ユーシャは思わずロンと顔を見合わせた。

 ロンは首を振った。まずは当面の問題を考えろと言いたいのだろう。

「トリル、聞いて」

「ああ」

「私たち、船でそこに向かうけど、どれくらい掛かるかわからないわ。それまで、あなたは……」

「何とかなると思う。バスケットは僕が持ってたから」

「その島の位置だけど、何か目印はある?」

「夜なら僕の体の光でわかる。かなり強い光だから、気付かずに行き過ぎてしまうことはないだろう」

「わかったわ。でもトリル、気を付けてね。私たちに見えるってことは、他の人にも見られてるんだから」

「わかってる。大丈夫だよ」

 ユーシャが貝殻を仕舞うと、ロンがじっと見ていた。

「あの貝を持っていたのは、潮風号に乗っていた覆面の女だったんだろう?」

 低い声でロンは言った。

「ええ。でも、ラルゴは婚約者に渡したって……」

「潮風号でトリルと一緒に旅をしていたのは、ラルゴの婚約者だったってことだ」

「なぜなの? なぜトリルが、ラルゴの婚約者と一緒に?」

「トリルに聞けよ」

 ユーシャは下を向いた。

「それは出来ないわ」

「なぜ?」

「私、トリルを困らせたくない」

 トリルは潮風号にいた女の人のことを口にする時、いつもつらそうにしていた。何か事情があるのだ。

 ユーシャはしばらく考え込んでいたが、決心して顔を上げた。

「話してもいいと思ったことなら、トリルは話してくれたはずよ。トリルが話したくないことを、無理に聞きたくない。トリルが自分から話してくれるまで、私は何も聞かないわ」

 ロンは肩をすくめた。

「そう決めたならそうしろよ。今はとにかく、トリルのところへ行って……」

「それから、ソーレの国へ向かう」

 ユーシャがあとを引き取って言い、二人は頷き合った。

「トリルの所まで、どれくらい掛かるかしら」

 ロンは考えるようにして答えた。

「絨毯で二日掛かったんだ。この船なら……お前の魔法で普通とは進み方が違うにしても、十日は優に掛かるだろうな」

 船は更に三日、西へ進んだ。

 四日目の朝、ロンが、雲の間から何か近付いて来る、と知らせて来た。ユーシャは鸚鵡になって様子を見に行った。近付いて来たのは空飛ぶ絨毯だった。

「ラルゴ……?」

 見ていると、小さな光の玉が絨毯から離れて飛んで来た。あれは……。

「マズルカ!」

「ユーシャ! 良かった。ラルゴが……」

 飛び付いて来たマズルカを受け止めて、ユーシャは絨毯のそばまで行った。ラルゴがその上に、目を閉じて横たわっていた。

「あの雲に襲われてから、ずっと、目を覚まさなくて……」

 ユーシャとマズルカは絨毯と並んで船まで戻った。待っていたロンが、ユーシャと協力してラルゴを絨毯から下ろした。

「大分衰弱しているな。怪我はないようだが……」

 ラルゴをベッドに寝かせながら、ロンは言った。

 ユーシャはすぐにトリルに知らせた。

「何だって? アレグロが?」

 貝殻を通して、トリルの動揺した様子が伝わって来た。

「それで、どうなんだ、アレグロの具合は」

「怪我はないの。ただ眠っているだけ」

「闇にやられたなら……この前の僕のように、光の花を使えば……」

「でも、バスケットがないと光の花は出せないわ。バスケットは今、あなたが持ってるのよ」

 そうだった、とトリルは言った。

「そっちに着くまでまだ何日も掛かるわ。それまで……」

「ユーシャ」

 ロンが口を挟んだ。

「絨毯があるじゃないか」

 ユーシャはあっと叫んだ。ラルゴに気を取られていて考えが回らなかったのだ。

「絨毯ですぐに迎えに行くわ」

 ユーシャがそう伝えると、トリルはわかった、と言った。

「気を付けて来るんだよ。絨毯はあの闇に狙われやすいようだから」

 ユーシャは急いで絨毯に飛び乗った。ロンが食料と水を渡してくれた。

「一人で大丈夫か?」

「身軽な方がいいわ。ロンは船とラルゴをお願い」

 言い残すと、ユーシャを乗せた絨毯は西へ飛び立った。

 出来るだけゆっくり飛ぼう。そうでなければトリルを見落としてしまうかもしれない。ユーシャは貝殻を取り出し、トリルに呼び掛けた。

「トリル? 今、絨毯で飛んでるところなんだけど、あなたさえ良ければ、ずっと話したまま行けないかな。その方がお互い見つけやすいし」

 トリルはすぐにいいね、と答えた。

「僕も気が紛れる。海の底に閉じ込められた時といい、暇を持て余す時間が何と言ってもつらいよ。まあ、今は自由なだけましだけど」

 ユーシャはトリルと今までのことや、これからのことを語り合いながら西へ絨毯を進めた。

 そして、日が落ちる頃、貝殻からではなくトリルの声を耳にした。確かにトリルがユーシャの名を呼んでいる。ユーシャは前方に、小さな島の姿を認めた。そこにトリルが立って手を振っていた。

 ユーシャは思わず絨毯から飛んでトリルの元へ舞い降りた。トリルは手を差し伸べて受け止めてくれた。

「さあ、行きましょう」

 ユーシャはトリルを促して絨毯に乗った。ユーシャ一人を乗せて西に走って来た絨毯は、今度は二人を乗せて東へ向かって飛び立った。

「もう夜だけど、休まずに飛ぼう。交代で眠れば、絨毯を止めなくても落ちることはないだろう。ユーシャ、それで大丈夫か?」

 ユーシャは大丈夫だと答えた。

「トリル、先に寝て。しばらく経ったら起こすから」

「でも、君だって疲れてるだろう」

「私はもう少し平気。あなた少し顔色が青いわ」

 それ以上反対せずに眠ったところを見ると、この数日トリルもラルゴを心配して寝られなかったのだろう。

 暗くなり始めた空を、絨毯はまっすぐに飛んで行った。

 夜になっても、トリルの光のおかげで周りがよく見えた。トリルがあまりよく寝ているので、このまま朝まで飛び続けようかと思った時、ユーシャの前にあの雲が現れた。

 ユーシャは立ち上がろうとしたが、それより早く、雲から強い風が放たれた。絨毯はあっけなく吹き飛ばされ、宙を舞った。目の端に、開いたドアが見えた。

「トリル!」

 ユーシャがトリルを抱き寄せると、二人の体は絨毯から投げ出され、そのままドアの中へと吸い込まれて行った。

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