どこかの都Ⅱ

「そんな。一人で城に行くなんて、無茶だわ」

 ユーシャは部屋を見回した。ベッドの隅にマントが畳んで置いてあったが、バスケットはなくなっていた。

「バスケットがない。まさか、トリルが持って……? トリルったら、どうして……」

「ユーシャ、貝殻だ」

 ロンに言われ、ユーシャは貝を取り出して呼び掛けた。

「トリル……トリル?」

 貝殻からは、雑音すら聞こえなかった。

「だめ。返事がない」

 さすがに少し焦った。トリルが何を考えているのかわからなかったのだ。まさか貝殻にも答えないなんて……。

 ユーシャはマントを羽織り、鸚鵡に変身した。

「待てよ」

 そのまま城へ飛んで行こうとするユーシャを、ロンが止めた。

「とにかくみんなに知らせて話し合おう」

 ユーシャは思いとどまり、床に降りた。

「船に戻ろう。話はそれからだ」

 ロンとユーシャはアマービレの家を出たが、走り出す前に向こうから駆けて来たフォルテとかち合った。

 フォルテはまっすぐロンのそばへ行き、その体に抱き付いた。

「ロン! 無事で良かった」

 ロンは無言でフォルテの腕を振りほどいた。珍しく動揺しているようだ。

「てっきり死んじゃったんだと思ってた。ユーシャから無事だって聞いてほっとしたよ」

「何だー? 親しげじゃないか、ロン。恋人か?」

 いつの間にか後ろに立っていたスラーがロンをからかった。

「あの娘は誰に対してもああなんだよ」

 ロンはもういつもの調子に戻っている。

「トリルさんは?」

「船に戻りましょう。それから話すわ」

 スラーに答えてユーシャが言った時、今度はマズルカが飛んで来た。

「こんな町中で……人に見られたらどうするんだ」

 呆れるロンを、マズルカは軽くあしらった。

「みんな蝶か何かだと思うだけよ。それより、早く来て。ラルゴが目を覚ましたのよ」

「本当?」

「ええ。何だかぼんやりしてるけど、話は出来そうよ」

 ユーシャたちは急いで船に引き返した。

「ラルゴ!」

 船室に行くと、ラルゴはベッドの上に起き上がっていた。

「起きて平気なの?」

 駆け寄ろうとするユーシャに、ラルゴはまだ血色の戻らない顔を向けた。

「トリルは……?」

 ユーシャは足を止めた。

「先に城へ行くという書き置きを残して、いなくなってしまったんだ」

 ユーシャが口を開く前にロンが答えた。

「一人でか!」

 叫んだ拍子にラルゴの体が傾いだ。

「追い掛けなければ……」

「あなたは……その体じゃ無理よ」

「俺たちが行く。ラルゴ、うまく城へ入り込める方法を何か知っていたら教えてくれ」

 ラルゴはユーシャからロンへと視線を移動させ、最後にマズルカを見た。

「マズルカの助けがあれば……」

「私? 私に出来ることなら何でもするけど……」

 ラルゴが言うには、ソーレの城の裏門近くの塀に、小さな妖精なら入れるくらいの穴が空いているらしい。そこからマズルカが入って、中のかんぬきを外せばいいわけだ。ラルゴは意識がはっきりしないらしく、しきりに頭を振っていた。そして、話し終えると、また気を失うようにして眠ってしまった。

「大丈夫かしら」

 マズルカが心配そうにラルゴの枕元に舞い降りた。

「闇にやられた影響が残っているのかもしれない」

 ロンも難しい顔をして考え込んでいる。

「今、船から降ろすのは無理かな」

 ラルゴの寝顔を見ていたユーシャはぎくりとした。彼の首に光る鎖が目に止まったのだ。

「これは……トリルの十字架?」

「ああそれ、黒い雲に襲われた時、トリルがラルゴの首に掛けたのよ」

 マズルカがユーシャの視線に気付いて言った。

「必死だったわ。守ってくれって、アレグロを守ってくれって」

「トリルったら、二度と手放すなと言ったのに……」

 嫌な予感がした。十字架の守りを失ったトリルは無防備だ。それなのに、一人で城へ……。トリルはラルゴのために無茶をしているのではないだろうか。

「とりあえず、ラルゴの回復を待とう」とロンが言った。

 ユーシャは一旦アマービレの家に戻った。ドアの前まで行くと、ちょうどアマービレが出て来るところだった。

「ユーシャ! 無事だったの?」

「ごめんね、アマービレ。何も言わずに出掛けちゃって」

「トトは、トトは大丈夫?」

 アマービレは取り乱した様子でユーシャの腕を掴んだ。

「トト……? トトって……?」

 ユーシャは屈んでアマービレの肩に手を置いた。

「トトがどうしたの、アマービレ?」

「私、見たの。真っ黒な雲が、ユーシャとトトの部屋に入って行くところ」

 ユーシャは息を呑んだ。

「それ、本当なの?」

「うん。私、怖くて隠れてた。まるで悪魔みたいな雲だったの」

「悪魔?」

 ――それじゃ、トリルは自分の意思で城に行ったのではなく、悪魔に連れて行かれた……?



「どういうことだ?」

 船に戻ってアマービレの言葉を伝えると、ロンは顔をしかめた。

「トリルは西の海に行った時、悪魔に捕まって、海の底に閉じ込められていたのよ」

「私もそこにいたわ。その悪魔に捕まってたの」

 マズルカが横から口を出した。

「また同じことを繰り返したってわけか。何をやっているんだか」

「そんなこと言ってる場合じゃないわよ。トリルが悪魔に捕まっちゃったんなら大変だわ。ねえ、ユーシャ?」

「その悪魔ってのがいまいちよくわからねえんだが、潮風号を追って来ていたあの黒い雲のことなんだよな? そして、西の海の海賊? 怪しい力を持っているって噂の、海賊の首領ってわけか?」

「そうよ。私はそいつに捕まってたの」

「つまり、魔術師の類いか。つまり……人間なんだな?」

「わからないわ。悪魔だから、人の姿はしていないってトリルは言ってたけど……」

 戸惑いながら答えたユーシャを、ロンはじっと見つめた。

「トリルに聞いたことを全部、初めから話してくれないか?」

 ユーシャは頷き、記憶を手繰った。

「トリルは最初、自分が王子だとは言わなかったの。我が国の王子が悪魔に囚われてしまったから、助けて欲しいって言ったわ。だから私、王子様は別にいるんだと思って探していたのよ」

「悪魔を倒して、王子様を助けるために?」

「ううん、トリルは、悪魔を倒す必要はないって言ったの。囚われている王子様を解放して、悪魔に反撃する隙を作ってくれればいいって」

「なるほど。そういうことか」

 ロンは眠っているラルゴに目をやった。

「カーポじいさんは、闇の力に受けた呪いは、光の力でなければ打ち消すことが出来ない、と言ってたな」

「ええ」

「急いだ方がいいかもな」

「じゃあ私、すぐに行って城の門を開けるわ」

 マズルカが勢い込んで言った。

「私も一緒に行く」

 同じくらいきっぱりと、ユーシャも言った。

「変身すれば、穴を通れるわ」

「まあ、止めても無駄だろうな」

 ロンもそこは心得ているようだった。

「だが、無茶はするなよ。俺は暗くなってから行く。さすがに昼間から城に忍び込むのは無謀だからな。スラーたちにも話して置くよ」

「じゃあ、私たちすぐに出掛けるわ」

 ユーシャが言うと、ロンは頷いた。

「うまくやれよ」

「ロンも気を付けてね」

 ユーシャはマズルカを肩に乗せ、城へと歩き出した。



 城の中に入るのは、あっけないほど簡単だった。門のそばの穴はすぐに見つかったし、ユーシャは蛇に変身し、マズルカのあとから難なく穴を通ることが出来た。

「間違って私を食べたりしないでよ、ユーシャ」

 マズルカが後ろを振り返りながら身震いした。

 裏門のかんぬきを外して鍵を開けてから、二人は堂々と城の庭を横切った。城の中に入ってしまえばこっちのものだ。 

「トリルを探さなきゃ……。貝殻で呼び掛けても答えないのが心配だわ」

 ユーシャは明るい建物には近付かず、暗い方の建物へ向かった。既に日が陰っている。明かりの点いていない部屋なら、誰もいないだろうと思ったのだ。

 いくつかの窓の前を通り過ぎると、最後の窓の中から声がした。

「誰かいるの?」

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