どこかの都Ⅰ
――とにかく、都へ向かう。それがトリルの決めたことだった。
都に着いたら、港に行って、ロンたちを待つ。それから、王宮へ……。
「都までの道には黄色いレンガが敷いてあるから、迷うことはないよ」と、トリルは言った。
「どこかで聞いた話ね」
ユーシャは笑った。
話、といえば……。
「町の人たちに聞いても、ソーレの国の異変については何の情報もなかったわ。まるで何も知らないみたい」
「この辺りの地方には、都の様子は伝わって来ないのかもしれない。もう少し近くなれば噂も聞けるだろう」
「王位争いの話、本当だと思う?」
「父上……ソーレの国の王様は、確かに、そろそろ王位を息子に譲ると言っていたんだ。当然アレグロが後継するものと思っていたから、僕は城を出て来た。でも……」
トリルは途中まで人間の姿で歩いていたが、人通りが増えて来ると、犬に変身した。
「犬の姿でいる間は他の人にも見えるようにするよ。でないと護衛にならないからね」
夜、宿に泊まる時だけ、トリルは人間の姿になった。最初に入ろうとした宿で、犬はお断りだと言われたからだ。もちろん、王子だと気付かれないための対策は立てた。カーポじいさんの姿に変身したのだ。ユーシャは彼の孫娘だということにして置いた。
日が落ちる前に宿に入るのは結構大変だった。一度、既に微かにトリルの体が光り始めていて、おかしな顔をされたこともあった。
その日も無事宿に着き、部屋に入って変身を解いたトリルは、やれやれと体を伸ばした。
「何はともあれ、いよいよ明日は都だ。なるべく港に近いところに、長く泊まれる宿を探さないとな」
都は他の町と同様賑やかで、不穏な様子は全く感じられなかった。
トリルが出来れば犬の姿でいたいと言うので、犬を受け入れてくれる宿を探したのだが、どこへ行ってもだめだと突っぱねられた。
「そんな大きな犬がいたら、他のお客さんの迷惑になるだろう」
「でも、おとなしい犬なんですよ」
「だめ、だめ。見てみろ、みんな怖がって近付かないじゃないか。うちの商売も上がったりだ。とっととあっちに行ってくれ」
二人は路地に入ってため息をついた。
「仕方がない、今晩は野宿しよう。大分光も弱くなったし、めいっぱいくるまればごまかせるだろう」
トリルが言った時、小さな女の子の泣き声が聞こえた。
見ると、道端で十歳くらいの女の子が数人の少年に囲まれていた。
少年たちは女の子をいじめているようだった。見るに耐えなくなり、ユーシャは思わず彼らに近付いた。トリルが慌てて犬に変身して付いて来る。
「こんなところにいたの。町を案内してくれる約束だったでしょう」
ユーシャが声を掛けると、女の子はびっくりしてこちらを見た。
「さあ、行きましょう」
ユーシャは女の子の手を取って、さっさと歩き出した。
少年たちはあとを追おうとしたが、ユーシャに続いて姿を現したトリルを見て思いとどまった。とても敵わないと思ったのだろう。
人通りのあるところまで来ると、女の子は助けてもらったことがわかったらしく、ありがとうと言った。
「私、アマービレっていうの」
「私はユーシャ。こっちはト……トトよ」
「トト?」
アマービレは初めてそこにいる大きな犬に気付き、目を丸くした。トリルは人懐こそうにしっぽを振って見せた。
「トト、すごく大きいね。でもかわいい。それに、とっても賢そう」
アマービレはトリルの頭をそっと撫でた。
「ユーシャはトトと旅をしてるの?」
「そう。犬同伴で泊まれる宿を探してるんだけど、アマービレ、どこか知らない?」
ユーシャの言葉にアマービレは、私のうちで良かったら……と言った。
「宿ではないけど、部屋は余ってるから」
ユーシャは喜んでその申し出を受けた。
アマービレの家は、小さな雑貨屋だった。
「うちは母さんと二人暮らしなの」
「母さんは?」
ユーシャは静かな家の中を見回して聞いた。
「今、ちょっと病気で寝てる。よく具合が悪くなるの。二、三日寝てれば治るけど……。父さんが五年前に死んでから、母さんは苦労のし通しだったから」
アマービレは下を向いた。
「アマービレ……」
ユーシャは屈んでアマービレの手を握った。
「私に何か手伝えることがあったら言ってね。お世話になるんだもの。何でもするわ」
アマービレは少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になった。
「ありがとう。でも、大丈夫。姉さんがお城で働いて、お金を送ってくれてるから」
白い犬の耳がぴくりと反応した。
「お姉さんが、お城で……?」
「うん。でも最近、滅多に帰って来なくなっちゃって……」
「アマービレ、お姉さんからお城の様子を聞いてない?」
「お城の様子?」
「私たち、お城を訪ねる予定があるのよ」
「お城に行くの?」
アマービレは顔を曇らせた。
「それは、やめた方がいいと思う」
「どうして?」
「姉さんが、この間帰って来た時、言ってたの。今、お城は大変だから、近付いちゃだめだって」
「大変ってどういうこと? 何かあったの?」
「わかんない。それ以上のことは話してくれなかったから」
一度口をつぐんでから、あ、とアマービレは言った。
「そういえば、何日か前に王子様の婚約者が帰って来られたって言ってた」
「王子様の婚約者って……」
「アレグロ王子の婚約者の、モデラート様」
トリルが不意に家の外へ出て行った。ユーシャがあとを追うと、白い犬は城の方角を向き、行儀良く前足を揃えて座り込んでいた。
ユーシャはアマービレの店の手伝いをしながら日を過ごした。トリル――ではなく犬のトトは店の番犬、或いは買い出しに行くユーシャやアマービレの護衛役をしていた。
ユーシャはバスケットから栄養のある食べ物や薬を取り出してアマービレの母親の看病をした。その甲斐あって、アマービレの母親は見る見る元気になった。
何日かが過ぎた。
「そろそろ、ロンたちの船が到着してもいい頃だな」
夜、アマービレの家の、ユーシャとトトが生活している部屋で、人間に戻ったトリルが言った。
「みんな、無事でいるかな」
「そう祈るしかないよ」
ユーシャもトリルも日に何度も港の方へ行って船を待ったり、町に出て人の噂話に耳を傾けたりしていた。そこで得た情報で、城の中が混乱していることはわかったが、王様やお妃様や、他に城で生活している人たちの様子は知ることが出来なかった。
翌日の昼下がり、ユーシャは町中で思い掛けない人物と再会した。
買い出しから戻ると、例の少年たちがまたアマービレに絡んでいた。しつこい子たちだ。犬のトトが唸って威嚇している。子供相手なので、飛び掛かるのは躊躇しているようだ。ユーシャが止めに入ろうとした時――。
「こら、一人で大勢を……じゃなかった、大勢で一人をいじめるなんて卑怯者のすることだぞ」
反対側の通りから、誰かが少年たちを叱り飛ばした。
少年たちは案外あっさりと退散した。
「ありがとう、お姉ちゃん」
アマービレが助けてくれた少女にお礼を言い、それからユーシャに気が付いて手を振った。
「あっ、ユーシャ、お帰りなさーい」
「ユーシャ?」
少女がこちらに顔を向けた。
「ユーシャ! ユーシャだろ?」
人懐こそうに笑い掛けて来たその顔には見覚えがあったが、初めユーシャは相手が誰なのかわからなかった。
首を傾げていると、その少女は言った。
「私だよ。フォルテだよ!」
「フォルテ?」
ユーシャは驚いて駆け寄った。
「無事だったんだね、ユーシャ」
「あなたこそ」
「その人、ユーシャのお友達?」
アマービレがユーシャを見上げた。
「ええ、そうなの。久し振りに会ったから、わからなくて……」
「中に入ってお話したら?」
「そうね。ありがとう」
ユーシャはアマービレに買い物袋を渡し、フォルテを家の中へ招き入れた。
「あなたはどうしてここに?」
階段を上りながら尋ねると、フォルテがぱっとユーシャを見た。
「そうだ、ユーシャ。とうとう西の海の海賊を捕まえたんだよ!」
「えっ、西の海の海賊を?」
「うん。でさ、海賊船に乗ってた連中が、首領はソーレの国にいるって言うんで、探りに来たんだ」
ユーシャは思わずトリルと目を見交わした。
「まさか、その船、潮風号じゃ……」
「潮風号?」
「東の国の船を襲って来た船よ。仲間を一人捕まえたでしょ?」
「ああ。あの船とは違うよ」
二人は部屋に入り、ベッドに並んで座った。犬のトトはユーシャの足下に丸くなった。
「海賊の首領はどこかの国の王子だって噂があっただろう? だからプレスト隊長が城まで確認に行ったんだけど、門前払いされてさ。何度訪ねても日を改めてくれって言われるばかりで。それでこの国に足止めされてるってわけなんだ」
「そうだったの……」
「ユーシャはどうしてソーレの国にいるんだ? 確か、人を探していたんだよね?」
ユーシャはフォルテをじっと見た。
「あなたになら、話してもいいかな」
白い犬がユーシャを心配そうに見上げた。
「大丈夫よ。フォルテは信頼出来る人だから」
ユーシャが請け合うと、トリルは頷き、人間の姿に戻った。
「え?」
フォルテは目をぱちくりさせた。
「ああ、ユーシャのマントを使って姿を変えていたのか。この人は?」
「トリルよ」
「あっ、もしかして、ユーシャの探してた人? それじゃ、会えたんだね」
「ええ」
「良かった」
ユーシャはフォルテに、トリルがソーレの国の王子であることや、この国に戻って来た理由などを話して聞かせた。
「そんな事情があったのか」
フォルテはしばらく考え込んだ。
「わかった、私も力になるよ。城へも何度か行ってるし、情報収集は得意なんだ」
「ありがとう。もうすぐロンの船もこの国に着くはずなの。そうしたら今後のことを話し合うつもりよ」
「それじゃ、何かあったら知らせて。私はもう一つ向こうの通りの宿にいるから」
――港にロンの船が着いたのは、それから三日後のことだった。
朝靄の中でその船を発見したユーシャは、すぐに駆け出した。間違いない。ロンの船だ。
「ユーシャ!」
ロンが手を振りながら降りて来た。
ユーシャはロンの目の前まで行き、息を切らして聞いた。
「ラルゴは?」
「今のところ無事だよ。大分弱ってはいるが」
マズルカがロンの首の後ろから顔を出した。
「トリルはどこ?」
「宿にいるわ」
「どうして船に戻って来なかったの? 心配してたのよ。ロンがきっとソーレの国に向かったんだって言うから、ここまで来たけど」
「あの雲に襲われて、絨毯から落とされちゃったのよ」
ユーシャが事情を説明しているうちに、ロンの船の横に別の船が入って来た。
「あ」
ユーシャの声に、マズルカとロンも振り返った。
「あら、あの船……」
「潮風号じゃないか?」
ユーシャたちが驚いて見上げる中、潮風号の甲板に人影が現れた。
「ユーシャ!」
その人物は親しげにユーシャの名を呼んだ。
「スラーじゃないか」
「おー、ロン! あんたも無事だったのか」
スラーが元気良く答えた。
他の船員たちも皆無事だった。
「今までどこにいたの?」
ユーシャはスラーたちに尋ねた。
「ずっと海を漂っていたよ。幸い、食料と水は大量にあったからね」
「トリルはあなたたちのことをすごく心配してたのよ。ほったらかしたままにしてしまったって、ずっと気に病んでたの。無事を知ったら、どんなに喜ぶか……。早く知らせてあげましょう」
ユーシャが歩き出すと、ロンも付いて来た。
「バスケットはどこにある? 光の花で、ラルゴの目が覚めないか試してみないと」
「そうね。急ぎましょう。バスケットは部屋にあるわ。トリルもそこにいるはずよ」
二人はアマービレの家まで行き、中に入って階段を上がった。
「トリル、ロンの船が着いたわよ。潮風号も一緒に……」
言いながらユーシャはドアを開けたが、その部屋にトリルの姿はなかった。
代わりに目に止まったのは、机の上に置いてある手紙だった。
――先に城へ行く。
手紙には、ただそれだけ書かれていた。
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