どこかの島

 トリルは絨毯から降り、スラーと向き合った。

「君、潮風号に乗ってたって本当なのか?」

「うん。タイも一緒にね」

「今は?」

「そうだわ、スラー。あなたは潮風号に戻ったんじゃなかったの?」

 ユーシャは絨毯をくるくると巻きながら口を出した。

「今から戻るとこなんだ」

 スラーはもごもごと言った。

「あの晩、捕まってた船から逃げて、海に飛び込んで泳いでたら、タイの小舟と行き合ったんだ。お頭に言われて迎えに来てくれたらしいんだけど……潮風号の待ってる場所がわからなくなっちまって……」

「待ってる場所?」

「はぐれた時の集合場所。タイは俺が知ってると思って聞かなかったんだってさ」

「……」

 トリルは呆れた様子だったが、気を取り直して言った。

「スラーにタイだったね。もし良かったら、僕たちと一緒に行かないか? 僕も潮風号を探してるんだ」

 スラーはトリルをしげしげと見た。

「なあ……ユーシャ、もしかしてこの人って……」

「トリルよ」

「やっぱりー! そうかあ、あんたがトリルさんかー!」

 握手を求められて、トリルは戸惑いながらスラーの手を握った。

「僕のことを知ってるのか」

「当ったり前だよ! 今回の旅はトリルさんを探すためでもあったんだから。お頭は、トリルさんが海賊に捕まってるんじゃないかって考えてたんだよ」

「お頭?」

「覆面の女の人」

「女……? ……ああ」

 トリルの表情が曇った。

「まだ潮風号に乗っていたのか……」

「それって、トリルの恋人?」

 マズルカが聞いた。

「違うよ」

 トリルは短く答え、それ以上は話そうとしなかった。

「いやー、トリルさんが無事だって知ったら、お頭、喜ぶだろうなあ!」

 この時、何かがユーシャの心に掛かったが、それが何なのかはわからなかった。スラーが矢継ぎ早に捲し立てていたため、考える暇がなかったのだ。

「それで、どうする? 一緒に行ってくれるかい?」

 スラーの早口の隙間に入り込んで、トリルが聞いた。

「一緒に行くって、その絨毯で?」

 スラーはユーシャが脇に抱えている絨毯を見やった。

「でもそれ、四人乗るには小さ過ぎやしない? 特にタイはでかいからなー。俺たちの舟なら、直せば四人は楽に乗れるけど、あんたたちは絨毯で飛んで行った方が早いんじゃないの?」

「うん……でも」

 トリルはどう言おうか迷っているようだった。

「仲間が多い方が、いざという時心強いし」

 多分、二人を見捨てては行けないと考えているのだろう。

「そっか、わかった」

 スラーは納得した様子で頷いた。

「よーし、じゃあ舟を直そう!」

「手伝うよ」

 トリルが言い、三人の男たちは仕事に掛かった。

「魔法の本で、もっと大きくて頑丈な船を出せばいいじゃない」

 マズルカがユーシャに囁いた。

「それはだめよ。魔法に頼ってばかりいるとあとでひどい目に遭うのよ。あの本は、本当に必要な時だけ使うようにしないと」

 トリルたちが働いている間、ユーシャは食事の支度をすることにした。石を積み上げてテーブルを作り、その上にバスケットから出した食べ物を並べる。マズルカもひらひら飛び回って手伝った。

 昼になると、トリルたちを呼んで食事をした。

「どうぞ」

 ユーシャに勧められて、スラーとタイはそれぞれハムサンドとタマゴサンドを取って食べ始めた。

 トリルがスラーたちに今日は何日かと尋ねたが、二人共わからないと答えた。

「日付なんて、知らなくても別に困らないしなー」

 スラーは頭を掻きながら言った。

 よく喋るスラーと違って、タイの方はほとんど口を利かなかった。たまに声を出しても、「うん」とか「ああ」とか言うだけだ。

 昼食が済むと、彼らはまた作業に戻った。

 ユーシャは夜に備えてたきぎを集め、泉を探して水を汲んだ。

「野宿するなら、寝具は絶対必要だと思うわ」

「マズルカ、よく気が付くね」

「そりゃあ、私は人間じゃないけど、人間と一緒に暮らしたことがあるもの」

 マズルカの助言に従い、魔法の本の呪文を唱えて人数分の毛布を出す。砂浜に寝床を設え、それからまた食事の支度だ。日が暮れるのは早かった。

 夕食の席で、トリルがうとうとと舟を漕ぎ始めた。

「少し寝たら? トリル」

 ユーシャはそっと声を掛けた。

「うん……」

「満足に睡眠が取れてないんでしょ? 休める時に休んで置かないと」

「じゃあ、少し経ったら起こしてくれ」

「俺たちは今日はこのまま徹夜するよ。もうあんな夢を見るのはごめんだし、明日の朝には出発出来るようにしたいからな」

「わかった」

 スラーに答えて言うと、トリルは横になった。

 ユーシャはトリルに毛布を掛けてやった。トリルは目を閉じたまま、ありがとう、と言った。

 起きて火の番をしているつもりだったが、夜が更けるとユーシャもいつしか眠りに落ちていた。そして、夢を見た。

 ――小さな舟が水面を渡って近付いて来る。乗っているのは一人。霧に霞んでいるため顔はわからない。舟はゆっくり、ゆっくり近付いて来る。

「誰?」

 ユーシャが叫ぶと、相手も何かを言った。何と言ったのかは聞き取れなかった。もう一度尋ね返そうとした時、目が覚めた。

 横で、トリルが苦しそうに喘いでいた。

「トリル、どうしたの?」

 トリルの顔色は青く、汗をびっしょりかいている。ユーシャが軽く揺さぶると、びくっと体を震わせて目を開けた。

「……ユーシャか……」

「大丈夫? 随分うなされていたわ。嫌な夢を見たの?」

 トリルはしばらく肩で息をしていたが、やがてユーシャを安心させるように微笑んだ。

「何でもないよ」

「何でもなくないでしょ。どんな夢を見たの?」

 ユーシャがしつこく尋ねると、トリルは顔をしかめた。

「追われる夢だよ」

「追われるって、誰に?」 

 それに対する答えはなかった。焚き火が一回爆ぜたあと、不穏な静寂が続く。

「舟の修理を手伝わないと」

 トリルは呟き、立ち上がってスラーたちの方へ歩いて行った。その姿を見送り、横で気持ち良さそうに眠っているマズルカに目をやってから、ユーシャは再び眠りについた。その夜は、もう夢は見なかった。

 翌朝、ユーシャはひらひら飛び回るマズルカによって起こされた。

「虹の架かる山よ。虹は雲に続いているの。きっとこれからそこへ行くんだわ」

 マズルカが飛びながら話しているのは、どうやら昨夜の夢の内容らしい。浜辺を見ると、トリルたちは舟を海に浮かべているところだった。

「やあ」

 トリルがユーシャに気が付いて声を掛けて来た。すっかり元気になったようだ。

「おはよう、お姫様。前に乗るかい、後ろに乗るかい?」

「おはよう、トリル。舟、直ったのね」

「ああ。完璧に修理したから、もうちょっとやそっとじゃ壊れないよ」

 ユーシャはトリルと並んで舟の後ろの方に座り、スラーとタイが前に乗った。そして、一行は夢の島をあとにした。

「潮風号がいる場所は全くわからないのか?」

 トリルが聞くと、スラーは肩をすくめた。

「残念ながら、全く。この辺りは島や岩場がたくさんあるから、どこかに海賊が潜んでるかもしれないってんで、手分けして探りに出ることも多かったんだよ。で、はぐれた場合に集まる島を決めてあったんだ。でも俺はいつも潮風号に残ってたから、正確な位置は知らなくて……」

「……とりあえず、島を探せばいいんだね」

「そういうことだねー」

 そういうことで、何日か島を探す旅が続いた。食料はバスケットがあるので問題はなく、東の国の船にいた頃のように、時々ユーシャが鸚鵡になって空から辺りの様子を見回った。日に何度か小さな島を見掛け、上陸してみるのだが、船影も人の気配もまるでなかった。トリルは艫に印を付けて、真面目に日数を確かめていた。

「やっぱりあの砂時計を持ってくれば良かったかな」

「もう一度出したら?」

「それはやめて置くよ。多分無理だと思うし」

 トリルとユーシャのやり取りを聞き、スラーが二人を見比べながら言った。

「あんたたちは本当に不思議な人たちだなー」

 しかしスラーの口調に怖がっているような響きはなく、結構不思議なことには慣れているのではないかと思われた。

「僕からすると、君たちの方がよっぽど不思議だよ」

 トリルがぽつりと言った。

「えっ、俺たちが? 何で?」

「あんなに激しい喧嘩をしながら、すぐ何事もなかったように笑い合って、わだかまり一つ残さずまた一緒にいるんだから」

「そっかなー? まあ、付き合い長いからなー。タイの方が年上だけど、弟分みたいな奴なんだ。昔っから何をするにも一緒でさ。離れることなんて考えられないよ」

「それは羨ましいな」

 艫に四つ目の印が刻まれた日は、朝から霧が出ていた。やがて、その向こうに虹の架かる岩山が見えた。

「マズルカの言った通りだわ。雲に続いてる大きな虹」

 虹を見上げて呟いたユーシャに、トリルがしっ、と言った。

「誰か来る」

 口をつぐんで耳を澄ますと、ユーシャにも艪を漕ぐ音が聞こえた。音はゆっくりと近付いて来る。

 トリルが立ち上がり、霧の奥に向かって声を掛けた。

「誰だ?」 

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