どこかの洞窟

 最初のうちは、氷の枝の光が洞窟の奥へ伸び、進むべき方向を示してくれていた。が、光はだんだん弱くなり、やがて消えてしまった。枝が溶け切ってしまったのだ。

 まずいな、と思ってユーシャは足を止めた。

 今のところ一本道だが、またいつ分かれ道に行き当たるかわからない。暗くてあちこちに鍾乳石がある洞窟の中では、見落としてしまうかもしれない。或いはもし、隠された穴や、壊して通るべき岩があったりしたら……。

 ふと、氷の枝を持っていた左の手に、針金のような蔓が巻き付いていることに気が付いた。これは何だろう?

 何気なく岩の上に置くと、辺りが一瞬光に包まれた。再び蝋燭の明かりだけになった時、そこに蔓はなかった。その代わり、蔓を置いた場所に氷の木が生えていた。氷の道にあったのと同じ木だ。ユーシャは木をまじまじと見た。

「さっきまで、なかった……よね」

 その問いに答えるかのように、どこかから声が聞こえた。

「誰かいるんですか?」

「え?」

 この声は……。

「ラルゴなの?」

「ユーシャ? そこにいるのはユーシャですね」

 ユーシャは岩壁に蝋燭を近付けてみた。氷の木の周りが一面凍り付き、縦に亀裂が入っている。ラルゴの声はそこから漏れて来るのだ。

「ラルゴ、どいてて」

 ユーシャはドラゴンの剣を抜き、軽く振った。火に熱せられた氷が溶け、じわじわと裂け目が広がる。その向こうに、ラルゴの姿が見えた。

「今のうちよ、早く」

 大きく開いた穴は、パリパリと音を立ててまた凍り始めた。

「急いで。塞がっちゃう」

 ラルゴが慌ててこちら側に足を踏み入れると、岩壁は氷に覆われ、完全に閉じてしまった。

「無事だったんですね、ユーシャ」

 体に付いた氷を払いながら、ラルゴが言った。

「危ない目に遭いませんでしたか?」

「ええ。気が付いたら川を流されていて……」

「僕も同じです」

「氷の木の道を通って、ここまで来たの」

「僕も氷の道を進みました。しばらく歩いていたら氷の木の一本が光って、裂けた箇所からあなたの声が聞こえて来たんです」

「フォルテやロンたちは?」

「わかりません。でも、氷の道で会わなかったということは、ダイヤモンドの道へ行ったのかもしれませんね」

 そうだろうとユーシャも思った。

「とにかく、先へ進みましょう。私たちがこうして会えたんだから、フォルテたちともどこかで合流出来るかも」

「ユーシャは楽観的ですね。どこに海賊が潜んでいるかもわからないのに。第一ここはどこなんです?」

「ここは海の底よ」

 ラルゴの生真面目な顔に戸惑いの色が浮かんだ。

「海の底?」

「ええ。トリルもここに捕まっているらしいの。今、助けに向かうところなのよ」

 ユーシャは氷の木に手を伸ばし、新たに一本、枝を折った。

「ちょっと待って下さい」

 ラルゴが片手を上げてユーシャを制した。

「その前に、確認させていただきたい」

「何を?」

「捕まった海賊が、首領の名前はトリルだと言いましたよね?」

「あ……」

 ユーシャは足を止めた。

「そうだ。スラーの話をあなたに伝えようと思ってたんだわ」

「スラー? なぜ名前を知っているんです? 話をした……?」

 ラルゴの眼光が鋭くなった。

「やっぱり、あの海賊を逃がしたのはあなただったんですね」

「スラーは海賊じゃないし、トリルは海賊の首領じゃないわ。トリルも王子様も海賊に囚われて、この海底のどこかにいるのよ」

「そうでしょうか?」

「え?」

「海賊が王子を攫ったというのは、嘘だったのでは?」

「嘘?」

「トリルは海賊の首領だ。そして、トリルに頼まれて王子を探していると言ったあなたも、あなたを連れているフォルテも海賊の仲間であり……この海賊退治の旅そのものが、海賊によって仕組まれたことなのではありませんか?」

「どういうこと?」

「海賊が送って来た手紙に、弟の指輪が同封されていたのでつい信じてしまったが……僕はのこのこと出掛けて来てはいけなかったんですね。海賊の本当の目的は、王子を――僕をおびき寄せて捕らえることだった。違いますか?」

「――ああ」

 ユーシャは思わず手を叩いた。

「なるほど。確かに。トリルの話を聞いていなかったら、そうかもって思うところだったわ」

 ラルゴは反論しようと口を開いた。

「トリルはあなたに――」

「トリルは私に、王子様を助けて欲しいって言ったのよ」

「――そう言ったかもしれないが、手下に海賊退治だと偽って海賊行為をさせているように、あなたにも、王子を助けるためだと言って騙して、王子誘拐の手伝いをさせているのでは?」

「トリルは海賊じゃないわ」

「なぜ言い切れるんです?」

「それは……」

 ユーシャは言葉を探して首を捻った。

「うまく言えないけど、わかるのよ。トリルは嘘は言っていない」

「まるで、あなたには嘘を見抜く能力があるみたいな口振りですね」

「あ、そんな感じかもしれない。だからあなたが嘘を言ってないってことも、ちゃんとわかるわ」

「……」

 ラルゴはユーシャを見つめ、長いこと思案していたが、ついに小さく頷いた。

「わかりました。とりあえず今は、あなたを信じましょう」

「良かった」

 ユーシャはもう一度手を叩いた。

「じゃあ、出発しましょう。トリルと王子様を助けて、フォルテたちも見つけないといけないわ」

「そうですね」

 ラルゴももう一度頷いた。

「どこに海賊の仕掛けた罠があるかわかりません。慎重に行きましょう。蝋燭は僕が持ちます」

「ありがとう」

 ユーシャは燭台をラルゴに渡し、氷の枝を前に向けた。

 光の導きに従って歩くうちに、洞窟の中はだんだん広くなって来た。蝋燭の明かりが届かず、隅の方は黒々と闇に沈んでいる。

「何も出て来ませんね」

「そうね。……あっ、あれは?」

「何です?」

 ラルゴはユーシャの指差した方向を見やった。

「あの鍾乳石……」

 遥か高みの鍾乳石が、淡く光っている。ラルゴも気付いた様子で、じっと目を凝らした。

「なぜあの石だけ光っているんでしょうね?」

「調べてみるわ」

 ユーシャは鸚鵡に変身してふわりと飛び上がった。

「気を付けて下さい」

「ダイジョウブヨ」

 近くまで行くと、青白い鍾乳石の中から微かな声が聞こえた。

「出して! ここから出して!」

 小さい女の子のようだ。

「アナタ、ダレ?」

「私はマズルカ。悪い海賊が、私をこの中に閉じ込めたのよ。お願い、助けて!」

「デモ、ドウシタライイノ?」

 この石を割ったり焼いたりすれば、中にいる彼女も無事では済まないだろう。

「この海底のどこかに、私と同じように捕まってる人がいるわ。その人なら、私をここから出す方法を知っているかもしれない」

「ソレハダレ?」

「名前は知らないわ。どこかの国の王子だって話よ」

「アナタハナニモノナノ?」

「私は私よ。信じないでしょうけど、私、妖精なの」

「シンジルワ。オウジサマヲココニツレテクレバイイノネ?」

「ええ、お願い。海賊から王子様を助け出して、その人と一緒に、私を助けに来て」

 ワカッタワ、と言ってユーシャは地面に降りた。

 ユーシャの話を聞くと、ラルゴは考え込みながら呟いた。

「やっぱり、弟はここにいるのか。それに、海賊も……」

「トリルは見張られてるって言ってたけど、海賊はずっとそばにいるわけじゃないみたい。時々様子を見に来るんだそうよ」

「あちこちから人を攫って来て、別々に閉じ込めているのかもしれませんね。何にしろ、用心しましょう」

 二人は奥へ奥へと進み続けた。かなり歩いたあと、ようやく微かな光が行く手に見えた。進むにつれてどんどん明るくなり、やがて広い空間に出た。

「ここは何でしょう?」

 ラルゴが周囲を見回した。

「見て。あそこ……お店があるわ」

「店?」

 そこには丸太を組んだ小さな家があり、ドアの上に『要る物屋』と書かれた看板が掛かっていた。

「なぜ、洞窟の中にこんな場所が……」

 ラルゴは不審そうに眉を寄せた。

「誰かいるかもしれないわ。行ってみましょう」

 ユーシャはドアを開けて店に入った。

 中には誰もいなかった。ガラスケースがいくつかあり、それぞれに一つずつ品物が収められているようだ。

「何か買ってみる?」

 ユーシャはあとから入って来たラルゴを振り返った。

「そうですね。食べられるものがあればいいんですが……」

 二人はガラスケースを順番に見て行った。小さな瓶、バスケット、プラスチックの箱……。食べ物が入っていそうなのはバスケットくらいか。

「じゃあ、このバスケットを――どうやったら買えるのかな?」

「こっちに説明書きがありますよ。『要る物がある方は、蓋の上に金目の物を置いて下さい』……」

 ラルゴが読み上げ、顎に手を当てて唸った。

「金目の物か。ダイヤモンドの枝を折ってくれば良かったですね」

「そうね……」

 ユーシャは試しに銀の燭台を載せてみた。途端に燭台は消え失せ、バスケットが蓋の上に現れた。ガラスケースを覗くと、バスケットに代わって銀の燭台が中に収まっていた。

「今度はこれが売り物になったのね」

「この仕掛けは海賊が? 一体何のために……」

 ユーシャはバスケットを開けた。

「サンドイッチと果物が入ってるわ。外で食べましょう」

「……ああ、ちょうど欲しいと思っていたんです」

 ラルゴも謎の究明は諦め、ユーシャと一緒に店を出た。

 食事をしながら、ユーシャは辺りを観察した。大理石の床、天井にはシャンデリア。店の向かいの壁にドアが一つ。――何だか見覚えがある。ドアは一つだけだが……。

 ラルゴもドアを見て、ユーシャに聞いた。

「あのドアを通りますか?」

「そうするしかないみたいね」

 氷の枝はもう溶けてしまっている。そして、入って来た道以外に他の出口はなさそうだ。シャンデリアに照らされた、青白いドアを除いては。

 ユーシャとラルゴは同時に立ち上がり、ドアに向かって歩いて行った。

「どんなところに出ると思います?」

「わからないわ。ここではないどこかね」

 答えて、ユーシャはドアを開けた。

 白い光が溢れ、二人は眩しさに目を瞑った。開いた目に映ったのは、白い空間だった。真っ白で、他には何もない空間。確かに立っているのに、床もない。ドアも、後ろにあったはずの洞窟もなくなっている。

 ユーシャは胸元から虹色の巻き貝を取り出した。

「ユーシャ、それは?」

 ラルゴが尋ねた。

「トリルと話が出来る貝殻よ。ちょっと待ってね。どうすればいいか聞いてみる」

 ユーシャは巻き貝に呼び掛けた。

「トリル、聞こえる?」

「ユーシャ? ひょっとして、真っ白な空間に来たのか?」

「うん。どうすればいい?」

「それなら簡単だ。何でもいい。そのへんにあるものを上に放り投げてくれ」

 ユーシャは巻き貝を宙に投げ上げた。

 コン、と何かにぶつかる音がして、貝はすぐにユーシャの手の中に落ちて来た。同時に、突然降って湧いたように、景色が出現した。

 広々とした草原に、緩やかに流れる細い川。丘の上にはこぢんまりした家があり、煙突から煙が立ち上っている。

 ユーシャもラルゴも、しばらく言葉を失って見入った。

「のどかですね」

 少し経ってから、ラルゴが呟いた。

「家がある。あの中にトリルが……?」

「行ってみましょう」

 川に架かる小さな橋を渡り、ユーシャたちは丘を登って家に近付いた。

 それは茜色の淡い光の中にぼんやり浮かぶ、レンガ造りの質素な家だった。正面に白いドアがあり、呼び鈴が付いている。

「ここが海賊の隠れ家だとはとても信じられませんね」

 声をひそめてラルゴが言った。

「そうね」

「でももし海賊の隠れ家なら、正面から乗り込むのは危険過ぎませんか? 窓か、せめて裏口から……」

「……そうね」

 トリルに聞こうかと思った時、聞く前に貝殻から答えが返った。

「正面から入って大丈夫だよ。海賊はいない。この家にいるのは僕だけだ」

 ユーシャとラルゴは顔を見合わせた。それから、先にラルゴが動き、ドアをぐいと押した。

 家の中は、壁も床も白一色だった。二階へ続く白い階段には、白い手すりが付いている。

「上がって来てくれ。僕は二階にいる」

 トリルの声は貝殻から聞こえたが、ラルゴは階段の上に向かって叫んだ。

「上がって来いとは、客に対して失礼だろう。そちらから降りて来たらどうだ?」

 一瞬、考え込むような間があり、続いて貝殻の声が言った。

「……やってみる」

 次の瞬間、ボン! と爆発音が響いた。衝撃で家全体が揺れ、一拍置いて、何かがユーシャのすぐ横に落ちて来た。

 見下ろすと、それは人だった。うずくまり、痛そうに腕をさすっている。

 ユーシャはその人物の上に屈み込んだ。

「大丈夫?」

 相手はぱっと顔を上げた。

「ごめん! 怪我しなかった?」

 貝殻から聞こえる耳慣れた甲高い声ではなかったが、トリルの声だ、とユーシャにはわかった。

「あなたがトリルね?」

「ユーシャ……君がユーシャか」

 微笑み、立ち上がり掛けたトリルが、急に動きを止めた。まるで凍り付いたようだった。

 ユーシャがトリルの視線を追って振り向くと、そこにはラルゴがいた。

 ラルゴは腕組みをして、トリルを見返していた。

「やっぱりお前だったんだな、トレモロ」

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