どこかの海Ⅲ
船は捕虜を乗せたまま、航海を続けることになった。とりあえず、目指すは西の海だ。
その日もユーシャはいつも通り、朝の巡回をした。――異常なし、と。
しばらく普通に飛んでから、見張りがこちらを見ていないことを確認し、下降して船腹に回り込んだ。確か――ここだ。
丸窓の一つから船倉に入ると、中に捕まった海賊がいた。丸刈り頭で褐色の肌をした、小柄な若者だ。ロープで縛られ、首を垂れている。周りに木箱や樽が散乱しているため、ユーシャには気付いていないようだ。それとも、眠っているのだろうか。
ユーシャは変身を解き、後ろから声を掛けた。
「あの……」
若者は弾かれたように振り返った。
「え……えっ? お前、どっから現れたんだ?」
ユーシャは人差し指を立てて口に当てた。
「静かにしてて。今、縛めを解くから」
若者は素直に口を閉じた。
ユーシャは剣を鞘から少しだけ出し、若者の手首を縛っているロープのそばで軽く振った。結び目が火に炙られてじりじりと焼ける。
「あちっ」
「あ、ごめんなさい」
ロープが切れると、ユーシャはマントに隠していた包みを若者に渡した。
「少しだけど、食べるものを持って来たの」
「うわあ、ありがとう! 昨日から何も食べてなくて、腹ぺこだったんだー」
若者は大喜びでパンとチーズに飛び付いた。
「俺、スラーっていうんだ。君は? どうして俺を助けてくれるの?」
「私はユーシャよ。あなたに聞きたいことがあって……」
スラーの表情が僅かに強張った。
「聞きたいこと? 君も俺に、海賊の仲間について吐けっての?」
「違うわ」
ユーシャは服の下から、胸に掛けたペンダントをそっと取り出した。甲板の上で拾った虹色の巻き貝を、また鎖に通して置いたのだ。
「これに見覚えはある?」
「ん? ……十字架?」
「ううん、貝殻の方」
「さあ……」
スラーは首を捻った。
巻き貝が落ちていたのは、海賊に襲われたあとだ。彼らのうちの誰かが落としたに違いないと思ったのだが……。
昨夜も今朝も、ユーシャは巻き貝に向かってトリルの名前を呼んだ。しかし、何度呼んでも、トリルは答えなかった。もう貝の中にはいないのか、中で意識を失っているのか、それとも、まさか……?
最悪の事態は考えたくなかった。これがトリルとは関係ない、全く別の貝殻だという可能性もなくはない。形や模様が、ユーシャの記憶している通りのものだったとしてもだ。
「――あ、ちょっと待って。うーん?」
スラーは巻き貝に顔を近付け、よくよく眺めた。
「そういえばお頭が、これとよく似た貝を持ってたような……」
「お頭? お頭って、トリルのこと?」
「いや、トリルって人はもうずっと行方知れずなんだ。今のお頭は若い女の人だよ。名前は知らない」
「もしかして、覆面をしていたあの人?」
「うん。身分が高いから正体を隠してるんだって」
そうだ。覆面の女の人なら、あの時近くにいた。彼女が巻き貝を落としたのか。だとすると、どこでこれを手に入れたのだろう? 中にトリルがいたことは知っていたのだろうか。
「その人、トリルとどういう関係なの?」
「さあ」
「恋人とか?」
「それはないと思うよ。お頭には他に婚約者がいるって聞いたから」
スラーがユーシャを窺うように見た。
「君こそ、トリルさんとどういう関係なの? 恋人とか?」
「ううん。私、トリルのことはほとんど知らないの」
考えてみると、本当に何も知らないのだった。もし彼が元の姿に戻れたとして、どこかで会ってもきっとわからないだろう。今更ながら、トリル自身の特徴も聞いて置くべきだったと思う。
「そっか。俺もトリルさんのことよく知らないけど、でも、海に落ちて、生きてる希望なんてほとんどないのに――それでもこんなに必死になって探す人がたくさんいるんだから、よっぽどいい人だったんだろうなーって思うよ」
「海に落ちた?」
「うん。二か月くらい前、トリルさんと今のお頭が海賊退治に向かって……俺たちの乗ってる船――元々の持ち主はトリルさんで、潮風号っていうんだけど――その潮風号が西の海で嵐に見舞われて、トリルさんは海に落ちて行方知れずになっちまったんだよ」
ユーシャは虹色の巻き貝に目を落とした。
「王子様のことは、何か聞いていない?」
「王子様? ああ、海賊の首領だって言われてる……」
その時、スラーがはっとして耳を澄ませた。
「足音が……誰か来る。ユーシャ、隠れて。中に入って来ることはないと思うけど、念のため」
ユーシャは鸚鵡に変身し、樽の陰に隠れた。
ドアを乱暴に叩く音がし、続いてプレストの声が聞こえた。
「どうだ、話す気になったか?」
「話せることなんて何もないのに、何を話す気になるって言うんですか?」
スラーが怒鳴り返す。
「早くここから出して下さい!」
「お前が正直に白状すれば出してやる。嫌ならずっとそこにいるんだな」
言い捨てると、プレストはさっさと立ち去って行った。
「ふう。もう大丈夫だよ、ユーシャ」
スラーは木箱に寄り掛かり、またパンを食べ始めた。
「それにしてもあいつ、ひどいよな。俺が仲間のことを喋るまで、水も食事を与えるなって部下に命令したんだぜ。同じ船長でもトリルさんとは大違いだ」
「プレストタイチョウハ、タンキデザンニンナトコロガアルカラ……」
スラーが目をぱちくりさせた。
「えっ、ユーシャ?」
つい、鸚鵡の姿のままスラーの前に出てしまったのだ。ユーシャは慌てて変身を解いた。
「ああ……そうかあ、あれは幻覚じゃなかったんだー」
スラーは感心したようにユーシャを眺め回した。
「甲板で、鸚鵡が人間に変わったように見えて……そのあとでっかい炎が上がってさ。それに気を取られて捕まっちまったんだけど」
――見られていたのか。この船の人たちは誰も見ていなかったと思って安心していたが……目にしたものの、幻覚だということにして片付けた人もいるのかもしれない。
「ごめんなさい、私のせいだったのね」
「俺が鈍くさかったせいだよ。……ええと、王子様の話だっけ?」
スラーが話を元に戻した。
「俺より前から潮風号にいた奴らが、色々噂してたなあ。海賊の首領だと言われてる王子は今のお頭の婚約者なんだとか、それが本当に婚約者かどうか確かめるために、海賊を探してるらしいとか……ま、勝手な臆測だろうけど」
「王子様は潮風号に乗っていたんじゃないの?」
「まっさかー。それじゃあ潮風号が海賊船だってことになっちまうじゃないか」
「……」
トリルが海賊退治に出掛けたのが二か月前。王子様らしき人がロンに会い、西の海に行くと話していたのも二か月前。そして王子様が悪魔に攫われた時、トリルはそばにいた。――ということは、二人は同じ船に乗って、一緒に海賊退治に出掛けたのではないか、と思ったのだが――西の海で、偶然会ったのだろうか。
ユーシャが黙ってしまったので、スラーは困ったように頭を掻いた。
「何か、あんまり参考にならなかったみたいでごめんね」
「そんなことないわ。色々話してくれてありがとう。……私、そろそろ行かないと」
「そうだね、気を付けて。こっちこそ色々ありがとう。生き返ったよ」
ユーシャは鸚鵡に姿を変え、スラーをじっと見つめた。
「アナタヲニガシテアゲラレタライインダケド……」
「あ、それは大丈夫。ユーシャが縄を解いてくれたから、今夜のうちに自力で逃げるよ」
言葉通り、翌朝にはスラーは船からいなくなっていた。
プレストは悔しがったが、フォルテは「誰にも危害を加えずに去ったのだからいいじゃないか」と言った。ロンはユーシャを疑わしそうに見ていたが、何も言わなかった。
この一件があり、見張りが厳しくなったため――居眠りもしなくなったようだ――夜中にこっそりラルゴと会って話すことは出来なくなった。ユーシャはスラーから聞いたことを、ラルゴに伝えたかったのだが。
船は緩やかに海面を滑って行く。
――スラーは無事に戻れただろうか。今頃どの辺りにいるのだろう。そして、この船が行く先には何が待ち受けているのだろう?
何はともあれ、その後は海賊に襲われることもなく、船は順調に波に乗って進んだ。が、いよいよ西の海というところで、行く手に大きな渦潮が現れた。
舵を取る暇もなかった。信じられないほどあっと言う間に、船は海に飲み込まれてしまった。
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