どこかの海Ⅰ

 ユーシャは空の上を飛んでいた。

 眼下には真っ青な大海原が広がっている。一艘の船が風をはらんで航行する。他に船影はなし。異常もなし。今日もいい天気だ。

 しばらく旋回してから船に戻ると、甲板にはフォルテとロンがいた。

 フォルテは船縁に身をもたせて前方の水平線を眺めており、ロンはその横でマストに寄り掛かって座り、目を閉じていた。瞑想でもしているのだろうか。

「海賊退治に行かせたいなら、なぜ最初から有志を募らなかったのかな」

 フォルテがロンに疑問を投げ掛けた。

「いきなり海賊退治に行けと言われたって、困る奴もいるだろうに」

「それなら辞退すれば良かっただろう」

 ロンは目を閉じたまま、面倒くさそうに言った。

「私は別に、嫌だなんて思ってないよ。暇だったし、面白そうだし。ただ何となく、回りくどいなーって、気になっただけだよ」

 ユーシャはフォルテのそばの手すりに舞い降り、二人の会話に耳を傾けた。

「なるべく内密に計画を進めたかったんじゃねえのか。おおっぴらに触れ回って、討伐隊に海賊の仲間が紛れ込んだりしたら厄介だからな」

「ああ――なるほど。試合の翌日に慌ただしく船出したのもそのためか」

 フォルテは腕組みをしてぶつぶつ言った。

「それにしても、賞金まで掛けられて狙われてるってのに、未だにのさばっているなんて、その海賊ってそんなに手強いのかな。賞金目当ての連中はみんな撃退されちまったのか?」

 ふと気が付くと、ロンがいつの間にか目を開けてこちらを見ていた。

 船旅は今日で三日目になるが、ロンがユーシャに関心を示すのは初めてだ。少し緊張した。

「あ、これ? 私のペットの鸚鵡だよ」

 フォルテがロンの視線に気付き、幾分上ずった声で説明した。

「宿では一度も見掛けなかったな」

「えっ、そう?」

「……秘密を知る人間は出来るだけ少ない方がいいというのには賛成だが」

「秘密って? この鸚鵡に秘密なんてないよ。なっ?」

 フォルテにつつかれたユーシャは翼をばたばたさせ、哀れっぽい声を出した。

「ワタシハタダノオウムデスヨ!」

「ただの鸚鵡はそんなこと言わねえよ」

「……」

 墓穴を掘ったようだ。

「……ロンは融通が利かないから黙ってたんだよ」

 フォルテが観念したように言った。

「でもすごいな。なぜわかったんだ?」

「出発前に二人でこそこそやってただろう」

「まさか、告げ口する気なんてないよな?」

「ねえよ。この船の責任者は短気で残忍なところがあるからな。知られたら面倒だ」

「だよな」

 ユーシャはフォルテとロンを見比べた。

「フタリトモ、アマリオドロカナカッタミタイダケド、トリニヘンシンスルヒトッテメズラシクナイノ?」

「珍しくないわけないだろう」

 ロンが呆れた声を出した。

「そうだよ、すごく驚いたよ」

 フォルテも同意する。

「フタリトモカオニデナイノネ……」

「とにかく、上空から周りの様子を見られるのは便利だし、助かるよ。海賊がいつ襲って来るかわからないからな」

 フォルテは熱弁したが、ロンはのんびりと空を仰いだ。

「その心配はまあ、あまりないと思うがな」

「えっ、どういうこと?」

「少なくとも西の海の海賊なら、この船を襲うことはまずない。襲うのは金目のものを積んでいそうな立派な船ばかりで、まして自分たちを捕らえようとしている船の前には一切姿を見せないって話だ。賞金目当てで探しに行っても、さんざんうろうろして、結局見つけられずに帰って来る船も多いらしい」

「ああ、だからなかなか退治出来ないのか。いっそこれ見よがしに金塊でも積んで置けばいいのに」

「それは逆に罠だって言ってるようなもんだろ」

「そうかなあ。やってみる価値はあるんじゃ……」

「ねえよ。海賊の首領は魔術師だから、どんな小細工をしても無駄だって噂もある」

「魔術師?」

「首領が怪しい術を使うせいで、いつまで経っても西の海に辿り着けないとか、おかしな渦に巻き込まれて、気が付いたらどこかの港に流れ着いていたとか」

「詳しいな、ロン」

「あくまで噂だ。本当かどうかはわからねえよ」

 誰かが甲板に出て来たので、二人は話すのをやめた。

 姿を見せたのはラルゴだった。あの剣術大会でフォルテ、ロンと並んで上位に残った三人目の若者だ。おそらく三人の中では一番年上だろう。控えめで礼儀正しく、実直な若者だとフォルテは言っていた。

「ラルゴ――!」

 フォルテがラルゴの方に走って行き、ロンは再び目を閉じた。

「ラルゴは西の海の海賊について、何か知らない?」

「海賊ですか」

 フォルテの問いに、ラルゴは戸惑ったように目をしばたたいた。深い緑色の目だ。髪は金色で、頭に真っ赤なバンダナを巻いている。

「義賊だとか、首領が魔術師だとか、色んな噂が飛び交ってるらしいけど、何か聞いたことある?」

 ラルゴは僅かに眉を寄せた。

「そうですね。海賊の首領は、どこかの国の王子らしい――という話は聞きました」

 ユーシャは二人の元へ飛んで行って、「ソレホント?」と――叫びたかったが、ロンが目を上げて睨んだので思いとどまった。

「どこかの国の王子?」

 フォルテが首を捻った。

「どこかの国って、東の国じゃないのか? でなきゃ東の国の王が海賊退治を命じるなんておかしいじゃないか。息子が海賊の首領になってるって知ってて、密かに連れ戻そうとしてるってことなら説明が付くよ。ほら、首領は生け捕りにしろって言われてるしさ」

「そうですね。確かに。でも噂ですから」

 ラルゴは曖昧に肩をすくめた。

「鸚鵡は鸚鵡らしくしていろよ」

 ロンが小声で囁いた。

 ユーシャはロンの忠告に従った。船には十数人が乗り組んでいたが――フォルテたち三人の他に、戦闘要員も何人かいた。指揮を執っているのは軍の隊長で、名前はプレストといい、少々短気で残忍なところがあるらしい――彼らにはなるべく近付かず、なるべく声も聞かれないようにした。昼間は大体甲板にいて辺りに目を配り、夜になるとフォルテの船室に行って一緒に休んだ。変身を解くこともあったが、誰かに見られるとまずいので、出来る限り鸚鵡の姿でいるように心掛けていた。

「万が一海賊が襲って来て戦闘になったら、その時は、ユーシャは空の上まで飛んで逃げるんだよ」と、フォルテは言った。

 しかし、ユーシャに逃げるつもりはなかった。みんなが戦っているのに、自分だけ安全なところで見ているなんて絶対に嫌だ。一応剣は持っているのだから戦える。

 ある晩、ユーシャはそっと船底の船室を抜け出した。

 甲板に上がるハッチが開いていたので、鸚鵡の姿のまま外に出て、見張りの目の届かない位置まで移動してから人の姿に戻った。

 周りに誰もいないのを確認し、腰の剣を抜く。トリルに借りたドラゴンの剣。足手まといにならないよう、使い方を練習して置こうと思ったのだ。

 意外と軽い剣だった。長い刀身は火のように赤い。実際、振ると火を放つらしいが――今ここで振るのはまずいか……。

 ためつすがめつしていると、人の近付いて来る気配がした。ユーシャは慌てて剣を鞘に戻し、また鸚鵡の姿になった。

「誰だ?」

 羽音が聞こえたらしく、押し殺した声が尋ねた。

 ユーシャは声の主が立ち去るのをじっと待ったが、相手はしつこく問い質した。

「そこにいるのは誰だ?」

 仕方がない。いつまでも隠れていては、却って怪しまれるだろう。ユーシャは物陰から出て、相手の足下へ飛んで行った。

「何だ、お前か」

 そこにいたのはラルゴで、ユーシャを見てほっと息を吐いた。こんな夜遅く、一人でこそこそと何をしているのだろう? まさか、剣の練習なんてことは……。

「お前は確か、フォルテの連れている鸚鵡だったな」

 ユーシャに話し掛けながら、ラルゴは腰の剣ではなく、頭のバンダナに手をやった。

 ユーシャは目を疑った。ラルゴがバンダナを外した途端、漆黒の長い髪が肩に流れ落ちたのだ。

 月明かりに照らされて、黒い髪に緑の目の人物がそこに立っていた。

 ラルゴの髪は鬘だった? 本当は金髪ではなく、黒い髪だった? そういえば彼は剣術の試合の時、黒い鎧兜を身に着けていた。――王子様の特徴とぴったり一致する。もしかして……。

「モシカシテアナタ、オウジサマ?」

「えっ?」

 ラルゴは仰天して後ずさり、足を滑らせて甲板の上に尻餅を突いた。

 ――自分が鸚鵡の姿だったことを忘れていた。

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