リーガル・キラー

 小雨が降る繁華街の路地裏にてその男は倒れていた。夜が白み始めたが天候の悪さと路地裏故にゴミが出されているためか、薄暗い雰囲気を醸し出している。

 男の周辺には紙が散乱していた。何かの本の切れ端みたいだが、雨で滲んで判別が付かない。

 そして、紙に滲んでいるのは雨だけではなく、頭部の大きなへこみから出た血によって赤く染められていた。


 警察はある同一犯の仕業と断定した。手口はほぼ同じであり、大きく固い物の角で殴り殺すこと、死体周辺には六法全書や判例集などの切れ端を散らすことから、警察の中では『リーガル・キラー』と呼ばれていた。


 私の名前はノリコ。弁護士の夫が経営する法律事務所にパートタイムで働いている。

 仕事は主にコピーにお茶くみ、官庁への提出書類の清書など雑用をこなしつつ、私も資格を取るために勉強中だ。

 しかし、依頼人の中にはどうしようもないクズもいる。違法行為の揉み消し、どう考えても真っ黒な事件の弁護、遺産相続で相手よりより多く遺産をもらえないかと画策する相談……子供の頃は無邪気に弁護士は正義の味方と思いこんでいたが、この仕事をするようになってからはそんな考えは消えてしまった。

 夫も似たようなもので、割りきって仕事をしているとはいえ、うんざりしているのは隠せなかった。だからこそ、二人してあの組織に入ったのだ。


「ノリコさん、この“D案件”やってみるかい?」

 ある日の夜、事務員さんや他の弁護士さんがあがって二人きりのオフィス。裁判所への提出書類を清書している私の元へ夫がD案件を持ち込んできた。

「えーと『アイドルに対するストーカー行為、さらにネットに観客への殺害予告をしたことによりいくつかのライブを中止に追い込んだとして威力業務妨害による逮捕。しかし、某代議士の息子のため処分保留による釈放』と」

「そうなんだ、そのアイドルのライブだけではなく、関連イベントがいくつも中止に追い込まれて損害がひどいらしい」

「でも、それは事務所なりイベント会社が民事で訴えることできるでしょ?」

「まあ、できなくないが息子の経歴に傷つけたくないから父親が示談金払って揉み消しだろうね。問題はストーカー行為だ。前も別の女性に似たようなことをして刃傷沙汰になって逮捕されているが、なぜか“正当防衛”が認められて釈放されている」

 私は資料から頭をあげて唸った。

「うーん、あちこちで拗らせるタイプか。それで一応確認するけど、そいつはこの事務所うちとの接点は無いの?」

「ああ、“組織”の別の会員の事務所の顧客だったが、うちとの接点が無いのを回してもらっているからな。その点は大丈夫だ」

「ならば問題ないわね。じゃ、また他の事務員さんにはうまくごまかしておいてね」

「ああ、頼んだ」


『D案件』。それは私と夫が決めたスラングで『ダークな案件』のことだ。警察沙汰にできないどうしようもない人を始末する組織、『ガーディアン・ジャスティス』に私と夫は属している。夫はターゲットになりそうな顧客情報を組織に提供、私が殺しの実行役と役割分担している。警察がリーガル・キラーと呼ぶ殺し屋の正体は私なのだ。

「そうそう、“武器”は中古品でいいからね。大は重くてかさばるから小よ」

「わかってるよ、あれを使うなんてつくづく君も変わっているよな」


 そうして武器を夫に調達してもらい、実行に移すことにした。組織での契約もパートタイムだから急がなくてもいいのだが、自分も音楽好きなため、下らない逆恨みでライブをいくつも潰す輩が許せないのだ。

 そうしてターゲットの行動パターンをつかみ、実行に移す時が来た。アイドルのライブの帰り道に待ち伏せしてターゲットを言葉巧みにナンパし、路地裏に誘い込む。男はすっかり下心丸出しで鼻の穴を膨らませている。

「ところで、刑法第233条って知っている?」

 不意に聞かれた男は戸惑った顔をして知らないと答えた。

「『虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。』ネットに殺害予告書いて警察のお世話になった時に弁護士さんから教わらなかった?」

 そう告げると男は動揺を隠せないのか、逃げ出そうとしてこちらに背中を見せて駆け出した。

 馬鹿め、こんなこともあろうかと今日の武器は殴るに適したものと投てきに適したものと2種類を用意した。今日は後者を使うか。

「逃がすかっ! くらえっ! 『判例小六法』っ!」

 ぶん投げたA6サイズの小六法は回転しつつ、ハードケースに収まった角が男の頭に勢いよく命中する。鈍い音、恐らく頭蓋骨に陥没した音がして男は倒れた。

「さすが、厚さ4000ページの小六法。投てきに向いているわね」

 今日も急所に一発で命中、今日はこの武器小六法を千切って散らすかな。


「ただいま」

「ああ、おかえり。お茶入れてあげるよ」

「ありがとう」

 私はシュレッダーのスイッチを入れ、カッターで今日の武器の残りをカットし始める。

「今日も首尾よくいったかな?」

「ええ、これでネットに予告が載らないのじゃないかしら。あとアイドルさんの安全も約束されたわ。でもね、あなた」

「なんだい?」

「次はもうちょっとコンパクトな小六法にしてね。たまたま投げるのに向いてたからよかったけど毎回あの重さはきついし、始末するページも多いから手間だわ」

「ああ、じゃ今度はポケット六法にするかな。しかし、法律事務所ここだとそんな初心者向けの六法を置くのも不自然か。まあ、手頃な小六法を用意するよ」

「頼むわね、あなた」

 私は残った武器小六法をシュレッダーにかけながら微笑んだ。

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