むかご

かおるさとー

 その日、父とともに訪れた場所は、自宅から遠く離れた山の中だった。車で1時間近くかかったから、数十キロは離れているだろう。

 一応、舗装された道路はあるものの、アスファルトが凸凹しすぎていて、車の揺れがひどかった。道の脇に停車して降りると、靴越しにもその道の荒れ具合がはっきり伝わってきた。何年も整備されていないのだろう。一本道で、山の頂上まではまだまだ遠い。両脇には針葉樹林帯が広がっていて、ジーンズに薄手のTシャツ一枚という軽装では、とても入っていけそうになかった。もとより入る気なんてさらさらなかったが、虫対策くらいはしてくるべきだったかもしれない。

 ここに到着したのは、ついさっき。ほんの5分ほど前のことだった。

 自室で休日をだらだらと過ごしていた私を、父が連れ出したのだ。

 何をするでもなく無駄に1日をつぶそうとしていたので、不都合だったわけではない。ただ、父とは数日前にちょっといさかいを起こしていて、そのほとぼりが冷めやらぬ中での気まずい外出だった。

 父とは特別仲がいいというわけではないが、冷え切った関係というわけでもない。家では普通に話をするし、時間が合えば一緒に食卓を囲む。一方でどこか放任主義のようなところもあって、私が夜、部屋にこもってパソコンや携帯電話の画面と向き合って夜更かしをしていても、特に注意をされたことはなかった。母はいろいろうるさく言ってくるが、父はいつもスルーだ。父親というものはどこの家庭でもあまり子供に口出しをしないものなのだろうか。学校の友達が言うにはそうでもないらしいが。

 だから、そんな父とぶつかったというのは、私の中では事件だった。

 最初のきっかけは、母への罵倒だった。母は恰幅のいい体を揺らして、男勝りの威勢のよさではっきり物を言うので、私もつい乱暴な物言いで反抗してしまうのだが、その日の口論はいつもよりエスカレートしてしまって、かなり口汚い言葉で母を罵ってしまったのだ。売り言葉に買い言葉というには、少し度がすぎるだろう。相手の死を願う言葉は。

 それを聞いていた父は、私の前に立つなり、鋭い平手打ちを頬に叩き込んできた。

 力強い一発だった。顔全体に衝撃が走り、目に涙がにじんだ。

 しかし、痛みよりも驚きの方が強くて、私は茫然と立ち尽くしてしまった。涙もすぐにひいて、眼前にたたずむ父を言葉もなくただ見つめた。

 父の表情は怒っているようには見えなかった。怒りや悲しみの色はなく、無表情だった。感情を表に出すのは子供のやることだとでも言うかのように、私を静かに見据えて、母に謝るように促した。

 その冷静な態度が癪に障った。私は父の言葉には従わず、部屋へと駆けこんで、閉じこもった。

 その日は結局、食事もとらずに眠った。

 翌日には怒りもそこそこ収まっていたが、父に謝る気はなかった。母には謝りたかったが、父の見ている前でそれはできなかった。学校から戻ると父はすでに帰宅していて、私はどうにも謝るタイミングを失っていた。

 私が悪いのは間違いない。しかし普段こちらを放任している父にいきなり平手打ちを喰らわされ、さらにこちらを見下すような目線を向けられたことがどうにも我慢できなかった。

 そんなぎすぎすした状態で迎えた休日に、父は私を外に連れ出した。

 反抗することもできた。しかし相変わらず父は冷静な様子だったため、こちらから一方的に感情をぶつけるのもためらわれた。ますます見下されそうな気がしたからだ。

 黙ってついて来る私を、父がどう見ているのかはわからない。

 ただ、父は私に目的だけを告げた。

 ここには、「むかご」を採りに来たのだ、と。

 意味がよくわからなかった。むかごとは何だろう。

 私が黙っていると、父はむかごについて説明をした。

 むかごとは、簡単に言うと小さな山芋みたいなものだという。大きさは指の先くらいで、直径約1~2cm。黒っぽい灰色で、見ようによっては石ころのようにも見えるが、そのまま食べることもできる。皮をむく必要はなく、ゆでたり炒めたりして食べるとおいしいそうだ。バター焼きや混ぜご飯がおすすめらしい。少しだけ楽しそうに父が笑った。

 困惑した。なぜ私を連れてきたのかまるでわからなかったからだ。顔には出さなくても、父も気まずさを胸に抱えているはずだ。仲直りのためだろうか。それにしても唐突すぎる。

 しかし、特に説教をされるのでもないようだし、要は山菜取りに来たわけで。そういうことなら私もそれを楽しむのにやぶさかではない。

 戸惑いはあったが、私はそのむかご採りに興じることにした。うまくいけば母へのおみやげになる。それを渡せば謝るきっかけになるかもしれない。

 むかごは本来、地中に埋まっている自然薯や長芋が地上にできたもので、ツルに木の実のように生る。これが地面に落ちて、新しい山芋が生えるのだそうだ。父は手本を見せるために、木々の間に分け入っていく。無造作に腕を伸ばし、しばらく動かしていると、その手のひらにはいくつかの小さな塊が収まっていた。

 父から受け取ったむかごは、大豆や枝豆より一回り大きいようだった。これが普通サイズだという。指で強く押すと意外とやわらかく、力を込めるとつぶれてしまいそうだった。持ってきた籠にむかごを入れる。中身が埋まるまでにはまだまだ遠かった。

 父がしてみせたように私もむかごを探してみたが、これがなかなか見つからなかった。そこにないわけではなく、私が見つけられないだけだ。その証拠に、私が探した場所を父が後から探すと、必ずといっていいほどむかごが見つかった。

 聞けば、父は小さい頃からむかご採りをしていて慣れているのだそうだ。手際のよさからそれはなんとなくわかっていたが、それでも少し悔しかった。自分ばかり採れないのは、ひどく歯がゆく、情けない。

 それが転じたのは、始めてから10分後のことだった。

 じっと目を凝らした先に、黒っぽい塊が見えたのだ。

 おそるおそる手に取ってみると、それは間違いなく探していたものだった。

 手のひらに転がる肉芽は、こうして見ると本当に小さなものでしかないが、私はなぜか価値ある宝石を手にした気分になっていた。

 思わず笑みがこぼれ、嬉々とした声で父に報告した。

 その声に父は少し驚いたようだった。私ははっとなって口を閉じたが、出してしまった声は飲み込めない。あわてて平静を取り繕っても、今さらその気持ちを、うれしさを隠すことはできなかった。

 父は、はっきりと笑った。

 意地悪な笑みではなく、子供のような無邪気さのうかがえる笑みだった。父もそんな顔をするのかと、私は素直に驚いていた。

 そして、そんな顔を見せられたら、意地を張ることが馬鹿らしくなってしまった。

 絶対に許せないことなんて、最初からなかったのだ。父のことを、ちょっと理解できていなかっただけで。

 手の中のむかごを見せると、父はまたうれしそうに笑った。




 それから、いろいろな場所を回った。

 むかごの採れるポイントはたくさんあった。しかし私には木々に巻きついたり間に伸びるツルやツタを、過ぎ行く景色の中から見つけることなど到底できず、ただ父の運転する車に揺られながらついていくだけだった。

 採取さえうまくいかなかった。低い位置にあるものはそのまま腕を伸ばし、高い位置にあるものは持ってきた脚立を使って採り、肘に引っ掛けた籠の中に集めていくのだが、どんなに大きくてもせいぜい2cmちょっとしかない小さな山芋を、自然に慣れない私の目で発見するのは難しかった。父はひょいひょいと手を伸ばして簡単に採ってみせるのに、私はじっと目を凝らす時間の方が長かった。

 それでも、つまらないとは思わなかった。むかごを採るのは楽しかった。まるで宝探しのようだ。父が子供のころに夢中になっていた気持ちがわかる気がした。

 2時間かけて集めたむかごは、籠がいっぱいになってしまうほどの量で、抱えた両手にずしりと重かった。そのころには私の気はすっかり晴れていて、意気揚々と帰路に着いた。

 家では母が用意をして待っていた。

 何の用意かというと、ピザを焼く用意だ。採ってきたむかごを使ってピザを作るという。父が教えてくれたように、てっきりご飯に混ぜたりバター焼きにして食べると思っていたので、ピザは想定していなかった。

 大丈夫なのだろうか。そんな心配は杞憂だった。オーブンに入れて20分ほど経つと、こんがり焼けたピザができあがり、テーブル周りは香ばしい匂いに包まれた。

 むかご以外にもいろんな食材が使われていた。薄く切ったトマト、透明になるまで炒めたたまねぎ、しいたけやしめじなどのきのこ類、ピザ用のチーズが自家製のソースと具材に絡んで、見た目にもおいしそうだった。

 これまでにむかごを食べたことはない。ましてやピザに乗せて食べるなんて想像したことすらない。

 なのに私はそのピザを見て、なぜかなつかしさを感じていた。

 思い出したのは、私が小さいころの記憶だった。まだ小学校に上がる前の、薄ぼんやりした記憶の中で、私は母の焼いたピザを食べていた。

 トマトは好きで、だけどたまねぎは嫌いで、もちもちした生地の食感に幸せを感じる一方で、具に混じる天敵を憎々しげに眺めていたことを覚えている。

 そして、どんなに嫌なことがあっても、それを食べた後は機嫌が直っていたと思う。そのことは母も覚えているだろう。

 思えば、あの具の中には他にもたくさんのものが使われていたような気がする。私が覚えていないだけで、その中にむかごも入っていたのだろうか。

 今、目の前にあるピザと、記憶の中に浮かぶピザが同じものなら。

 両親と一緒に、私はむかごのピザをほお張った。

 昔の味なんて、ろくに思い出せない。覚えているのは、それがとてもおいしかったということだけだ。たまねぎが苦手でも、私は確かにそれをおいしいと感じていた。

 きっと、今食べたピザの味と同じくらい。

 あまりにおいしくて、大皿いっぱいにあったピザは、瞬く間に私たちの胃の中に収まった。

 私は母にごちそうさまと言い、それからありがとうと言った。

 そして、ごめんなさいと続けた。

 母は少しだけ口元を緩めた。

 夜には食卓にむかごの混ぜご飯やバター焼きが並ぶだろう。

 3人で囲む夕食が、今から楽しみだった。

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むかご かおるさとー @kaoru_sato

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