第八話 決着の引き金(後)

第八話 決着の引き金(後)


「兄さんに殺された父様と母様の復讐。愛すべき、この祖国を売り渡そうとした兄さんへの復讐。それを果たすために、その首謀者である兄さんを殺すために、私はここまで来た」

 サラはガダル王へと真っ直ぐに銃口を向けたまま、静かに話し始めた。

「兄さんは、父様が民主制への移行を押し進めようとしている事を知った時、自分自身の地位が脅かされることを恐れた。そして、一部の過激な王制派と共に、ゴルデアの工作員と共謀してクーデターを起こした」

 サラは今でも覚えている。

 王宮に銃声が響き、多くの者が血を流し、父と母が殺されたその日のことを。

 火薬と鉄の匂いを。

 鳴り響く悲鳴と、怒号と、そして破壊の音を。

 自分に脱出用の地下道の存在を教えた、その声を。

 地下道に反響する、自分自身の足音を。

 地下道に充満する、生暖かく、湿っぽく、かび臭い空気を。

 地震のように大地を揺らす、ウォーカーの歩行音を。

 そして、その時に生まれた激しい怒りを。

 決して消えることの無い復讐心を。

 その、青色の冷たさすらも感じさせる、全てを焼き尽くすほどの怒りの炎は、今この瞬間に至るまで、ただ一度たりとも衰えたことはない。

 ガダル王に対し揺らぐことのない明白な殺意を向けたまま、サラは言葉を紡ぎ続ける。

「そして、それを反体制派の仕業と喧伝し、自身が王位に着くと同時に、逆らう恐れのある者を全て粛正して強固な体制を作り上げた」

 サラの言葉を受け、ガダル王はそれに応えた。

「……ああ、その通りさ。ゴルデア帝国との密約で現体制を武力により維持する。ゴルデア帝国は今、最も国力の大きな大国だ。その傘下に入ることに、いったい何の不都合がある? 実質的な植民地になろうとも、最低限の国の形は維持できる。そもそも、国外の工作員に扇動され、主義主張ではなく不満の捌け口として暴動を起こすような国に、民主化など早すぎる」

 それに対しサラは、その言葉と視線に明白な軽蔑の意を乗せて応じる。

「早すぎる、という点については確かに同意するわ。父様が理想としたこの国の進化は、現状を考えれば早すぎる理想論だった。だけど、貴方が自分の命を守るためだけにこの国を売ろうとしたという事実は、どんなに言葉を飾ろうとも消えないわ」

「その何が悪い? 王あっての国だ。国家の中心たる王の命あってこその国ならば、王が自らの命を守ることに注力して何が悪い? 国民とは国家の所有物であり、国家とは王の所有物だ。ならばそれに反旗を翻そうとするような、国のあり方を理解せぬ者は、何者であっても粛正されるべきだろう」

 国とは如何にあるべきか?

 王とは如何にあるべきか?

 民とは如何にあるべきか?

 それは人類が有史以来、社会や国家と呼ばれるモノを形成してから、連綿と繰り返され続けてきた、正しい答え無き問いかけだ。

「私も、その意見を全て否定するつもりはないわ。だけど、貴方はそれにすら失敗した。彼の暗躍を許し、私の進入を許してしまった時点で、貴方は自分の掲げる正義すらも、完遂することが出来なかった。それは確かな事実よ」

 ガダル王は、その視線をボリスの方へと動かした。

「……そういえば見覚えのある顔だ。貴様、ゼムリア共和国の革命家だな?」

 ガダル王にそう言葉をかけられたボリスは短く「昔の話だ」とだけ答えた。ガダル王は、尚も挑発的な口調で言葉を繋ぐ。

「ゼムリア共和国の現体制の基盤を作った者でありながら、政府からその力を危険視され監視され続けていたという噂を聞いた。しかし、他国の財宝に目が眩んだ国の走狗に成り下がるか。哀れな男だ」

 対するボリスは、どこか溜息混じりに答えた。

「否定はしない。だが、ゼムリアの議会はこの競争に乗り遅れた事を理解している。故に、決して本気ではなかったとだけ言っておこう。なまじ実績のある厄介者の老いぼれを、死んでも良しと送り込んだに過ぎない。得られた最大の支援は、開発途中の試作機一機をデータ集めのためによこしたのみだ」

 サラはそのことをボリス自身の口から聞き知っていた。彼の目的はゴルデアの謀略に対する妨害だった。無論、あわよくばトルバラド王国を掌中に収めようとは考えている。そして、それを知り、理解した上でお互いを利用しあう形で協力することを選んだ。

 サラは、この場所にたどり着き、自らの手で兄を殺すために。

 ボリスは、王族の生き残りであるサラを利用し、トルバラド王国とゼムリア共和国の間で確かな関係を構築するために。

 部屋の外で見張りに立つカリムとライル。〈スヴァログ〉を操り命がけで戦ったシオン。帰るための場所を守るため年少組と共に避難したマナ。彼等もまた、サラとボリスの思惑は知らされていた。そして、それでも尚協力することを選んだ。

 銃を構えるサラが言った。

「さて兄さん。……いえ、ガダル王。私から一つ要求があるわ。返答は、状況を考えてした方がいいわよ」

「……言ってみろ」

「全ての王国軍に撤退命令を出しなさい。反政府系武装組織のウォーカー舞台が壊滅した以上、これ以上の戦闘継続は不毛よ。どうせ奴らは都市部に潜伏してゲリラ化するわ。そうなれば混乱が長引いてろくな結果にならない。強引にでも治安を回復させ、城下町を再建してマトモな状態を一日でも早く作った方が得策だわ」

 今、ガダル王の命は、サラが指先を少し動かすだけで吹き飛ぶ。どんな返答をしようと、その事実は覆らない。だとすれば、これは彼自身の正義の問題だ。

 僅かな沈黙の後、ガダル王が答えた。

「……いいだろう」

 

×××


 シオンは、ジュラルドと対峙していた。抵抗など不可能なこの状況に追い込まれたジュラルドの生殺与奪権は、シオンの裁量にのみ委ねられていた。

 シオンが拳銃の安全装置を外し、引き金に指をかけたその時、〈テンペスト〉の通信機からガダル王の声が響いた。

『……我が名はガダル=トルバラド。全王国軍に王令として命じる。攻撃を中止せよ。作戦は終了だ。繰り返す……』

 その声をジュラルドはどこか遠い世界の出来事のように聞いていた。

(やれやれ、というヤツですか。何があったのかは知りませんが、よほどの事態があったようです。しかし、最早私には関係のない事だ。悔しくはありますが、戦いの果てに死ぬのであれば悪くない。戦場に生きた甲斐があったというものです。このシオンという少年は、技量や知識ではなく、意志と覚悟で私を上回ることで勝利した。思い返せば、何かを背負って戦う者は強いなどというのは、単なる妄言に過ぎないと切り捨ててきた人生でした。しかし、最後の最後で意地を通すためには、どうにもその類の物が必要になるらしい。それが、私とこの少年の勝敗を分けた、ということのようです)


×××


「……これで十分か?」

 通信機を切ったガダル王の言葉にサラが答える。

「ええ、これで貴方の役割は終わったわ」

 サラの言った「役割は終わった」という言葉。この状況において、それが何を意味するのか、それを分からないガダル王ではない。

「サウラム、お前に背負えるのか? この国を、この国の未来を! その先にあるのは、より激しい戦いの世界だ。何かのために、誰かのためになどと理想を掲げれば、お前は必ずその理想に押しつぶされ、絶望の闇に沈むことになる。それでも尚、理想などという物を追うのか!?」

「兄さんの姿を見て決心が付いたわ。私は、私が理想とする良き王を目指す。その果てに、この国をより良い未来へと導いてみせるわ。私が持つ全てを使って」

「せいぜいやって見せろ。我は、一足先に地獄で待つ」

 そう言うとガダル王は、服の袖に隠し持っていた短剣を素早く取り出した。無論、それをどう使ったところで、拳銃を構えるサラをどうにか出来る訳ではない。

 ガダル王とて、そんなことは百も承知だ。

 彼は逆手に構えたその短剣を、自身の首に突き立てようとした。

 しかし、サラはそんなガダル王の行動を、言葉によって封じる。

「優しさのつもりなら不要よ。兄さんの全ては私が背負う。そして必ず超えてみせる」

 拳銃の安全装置は既に外されている。

 弾丸は確かに装填されている。

 人差し指は引き金にかけられている。

 銃口は、確かにガダル王を狙っている。

「さよなら、ガダル兄さん」

 

 ――パンッ!


 薄暗い部屋に、乾いた銃声が響きわたった。

 サラの構える拳銃は、その弾丸によってガダル王の眉間を撃ち抜いた。

 トルバラド王国、現国王、ガダル=トルバラドは、自らの妹の手によって絶命した。

 しばらくの間、サラとボリスは、血を流して絶命するその男の死体を眺めていた。

 最初に口を開いたのはボリスだった。

 彼は、いつでも撃てるようにと構えていたサイレンサー着きの拳銃をホルスターへと戻した。

「……結局、お前が撃ったか」

 複雑そうな表情を見せるボリスに対しサラは言った。

「……少し兄さんを許せた気がするわ。あの時、私が本気だと分かった時点で、どちらにしても死ぬ以上、攻撃中止の命令を出す必要なんて無かった。なのに兄さんは、律儀に命令を出した。彼にもそれぐらいの正義は残されていた。……だけど、もうそんなことは関係ない。それにボリス、これはこの国の、その王である私たち一族の問題。それに対して他国の人間である貴方には手を出す資格も、口を挟む権利もないわ」

「今更道徳的な一般論に意味など無いが、兄殺しの罪など、背負うべき物ではない」

「その兄が親を殺したのよ。正しさなんて無いわ。私達にあるのは自分自身の正義だけ。そして、私はこの罪を背負うために生きてきた。それを阻もうとするなら、貴方にも銃を向けるつもりでいたわよ」

 サラの声は、少し震えていた。それがいったいどんな感情に由来するのかは、それを聞くボリスにも、当のサラにも分からない。だがそこには、いくつもの思いが複雑に折り重なっている事だけが確かだった。

「サラ、君のために忠告しておく。その理想は正しい。だが、人は理想を追い続けられるほど強くない。いずれ君も壊れることになるぞ」

「そんなことは最初から分かっているわ。それでも、そんな理想を追いかけていなければここまで来れなかった。来るべきではなかったと貴方は言うのかもしれないけど、私はそうは思わない。彼等と、シオンと出会い、貴方と出会い、そして今私はここにいる。その出会いは偶然なんかじゃない。きっと私は、今、こうしてこの場に至るための必然の道を歩んできた。だから私は、最後まで進み続けるわ。私に与えられた、その全てを使ってね」

 ドアが開いた。

 姿を見せたのは、カリムとライルだった。

 見張りをしていた二人は銃声を聞き、何が起こったのかを察していた。だからこそ、サラの身を案じていた。サラの思いを知っている二人ではあったが、自らの手で自身の家族を殺すことが、如何に辛いかは容易に想像出来た。例えどれほど憎んでいようとも、だ。

 しかしサラは、いつもと変わらない表情のまま二人に言葉を投げた。何があろうとも常に気高く、誇り高く、決して揺らぐことなく、あるべき理想を示し続ける絶対的強者。それこそが、サラの考える王という存在の在り方だった。

 先頭に立つ指導者とは、理想の体現者であるべきと考えていた。

「カリム、ライル、見張りご苦労様。次は放送の準備をお願い。テレビとラジオ、それから軍の無線、全てのチャンネルに割り込みをかけるわ。隣の放送室から全て操作出来るようになっている。お願いね」

 何か言いたげな表情の二人だったが、何も言わず、放送室の方に向かった。

 そのことを確認したサラは、身代わりに使ったマネキン人形と一緒に持ってきた『衣装』に着替え始める。そしてボリスの方を向き言った。

「さて、最後の仕上げよ。貴方も来なさい。歴史に名を刻んであげるわ」

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