第二話 傭兵の来訪(後)
第二章 傭兵の来訪(後)
この日、シオンはボリスから『作戦』の準備の為にデータ収集を行うように頼まれていた、そのため仕事には行っておらず、昼間から街の中を歩いていた。
そして、貧民街の路上で、今にも一触即発といった感じになっているところを目撃した。思わず「何だ、あれ」と呟きながら、少し距離を置いて状況を観察する。
方や迷彩柄のジャケットを着崩した細身の優男。もう一方は反政府活動家の思想に傾倒した若者の集団だった。
口論、と言うよりは若者達の方が一方的に罵倒し威嚇している、と表現した方が正しいだろう。
「災難だな、誰だか知らないけど」
こうした光景は決して珍しいものではなかった。
この先数秒後には暴力沙汰に発展するだろうということは、シオンにとっては簡単に推測できることだった。下手をすれば死傷者も出るかもしれない。騒ぎが大きくなれば、武装した警官隊が治安維持のために出動する可能性もある。
だが、例えそうなったとしても、シオンには関係のないことだった。
男達の一人が奇声を発しながら、旗の付いた竿を振り回し始めた。
だが、迷彩柄のジャケットを纏う青年は紙一重でそれを回避する。
一人がスタンガンを、一人がナイフを取り出し攻撃を開始したが、そのどれもが当たらない。
青年の動きには無駄がなかった。最小限の動作、最小限の移動だけで、相手の攻撃に対する安全圏を確保し続けていた。
「それでも『使わない』か。常識のある人みたいだ」
関心の言葉を口にしたシオンが、男達と青年が争う横を、そのまま歩いて抜けようとした、その時だった。
男達のリーダーが絶叫しながら懐に手を入れた。
「――っ!」
その瞬間、シオンは動いた。
男との距離は五メートルもない。
この男が、拳銃を持っているであろうことは、シオンも予測出来ていた。
その拳銃が整備されていない安物であることも、男が銃の扱いに長けていないことも、男が気安く銃を抜き躊躇い無く発砲できる性格だということも、シオンにとっては十分に予測可能なことだった。
男が懐から拳銃を抜く。
その銃口が青年に向けられた。
対する青年が重心を落として回避体制をとる。
そして男が安全装置に指をかけた、――その瞬間だった。
青年の方に集中していた男の死角から、シオンは全体重を乗せた肘撃ちを、男の脇腹に向けて打ち込んだ。
鈍い音が響く。
拳銃から弾丸が放たれることはなかった。
拳銃を持っていたリーダーと思しき男が吹き飛ばされた。そして頭を地面に撃ちつけるよりも先に、白目を向いて気絶していた。
皆、突然のことに呆気にとられ沈黙した。そんな中シオンは小さく呟く。
「危なかった。流れ弾には当たりたくないな」
ややあって、男達が声を上げる。
「テ、テメェ、何しやがるんだァ!」
「無事に帰れると思うなよォッ!」
「まとめて叩き潰せェッ!」
武器を手にした男達が、シオンと青年を取り囲む。
シオンは、青年に対して一瞬だけ目配せし、互いに背中合わせに立った。
「私としては必要以上に荒立てたくはありません。すみませんが、協力してもらえますか?」
「……全員黙らせたら、すぐに走る」
「分かりました。土地勘がまるで無いものでしてね。お任せしますよ」
男達が叫んだ。
「ヤっちまえェッ!」
シオンと青年の四方八方から、殺意を持った攻撃が襲いかかる。しかし、それが二人に届くことはなかった。
回避し、受け流し、反撃する。
時として相手の力を、相手の武器を、あるいは地形そのものを利用する。
シオンは、振り下ろされた竿を奪い取り反撃した。そして即座にそれを投げ捨て、今度は青年が拾って反撃に利用する。
青年がナイフによる攻撃を後方に受け流す。シオンも難なくそれを回避する。そして、すかさずナイフを奪い取り、別の男に反撃する。
青年とシオンは互いの素性も知らない。紛れもなく初対面の、赤の他人だった。しかし、完璧と言ってもいいコンビネーションで、二人を取り囲んでいた男達を無力化した。
蹂躙した。
そう言い換えても差し支えないであろうその戦いは数分の後に決着がついた。戦闘不能となって地に伏した男達を後に残し、青年とシオンはこの場から離脱することに成功した。
×××
走り続けていたシオンが足を止め、背後に立つ青年に向けていった。
「ここまでくれば大丈夫だと思う」
「助かりましたよ、ええっと……」
「シオン。そういえば名前は教えてなかった」
「そうでしたね。では改めて、助かりましたよシオン。私はジュラルドと言います」
シオンとジュラルドが逃げた先は貧民街の外れにある、廃棄物処理施設だった。
処理施設と言っても、それほど大層なものではない。可燃ゴミの焼却処分施設がある以外は、焼却できないゴミが堆く積まれたゴミの山があるだけの場所だ。中央から集められたゴミが積み上げられたこの場所は、貧民街の住人にとっては無料の骨董市と言ってもいいだろう。
ここにある使えそうな物を拾ってきてそれを直し、或いはそのまま売ることは貧民街においては一つのビジネスモデルとして成立していた。
「ジュラルドは外国から来たんだっけ? じゃあ、こんなところに連れてくるのは失礼だったかな?」
「そんなことはありませんよ。この場所、この辺りの地域、どれも私にとっては見慣れた風景です」
「そうか。外国にもあるんだ」
「ええ、恐らくは何処にでも」
ジュラルドがそう答えた後、しばらく二人は無言のまま、その見慣れた景色を見ていた。
そして、しばらくの後、ジュラルドが口を開いた。
「一つ質問してもいいですか? 君は、何故私を助けてくれたのです?」
「あのままだと俺が流れ弾に当たるかもしれない、そう思ったから」
そう答えるシオンに対し、ジュラルドは首を横に振りながら応じる。
「いいえ、君のその答えは正確ではないですね。あの男が拳銃を持っていることに気が付いていたのなら、その時点であの場所を離れれば良かったのですから。なのに君は、わざわざあの場所に残り、暴力沙汰に巻き込まれた」
ジュラルドの言葉は正しかった。シオンは男が拳銃を所持していることには気が付いていた。そして、その時点であの場所を離れていれば、男が拳銃を抜いた時には、その安全距離まで移動することは十分に可能だった。
ジュラルドの言葉からややあって、シオンが口を開く。
「正しいと思ったから、かな」
「正しい?」
「俺自身がそうすることが。後は、ジュラルドとあいつ等でジュラルドの方が正しいと思ったから。ジュラルドは『それ』を使わなかった。兵隊みたいだし、使い慣れてるはずなのに」
「気が付いていたのですか? なかなかの観察力です」
彼はそう言いながら、自分の腰を軽くたたいた。
ジュラルドも、護身用のために拳銃を持っていた。
彼の実力であれば、あの男が拳銃を抜くよりも先に引き金を引き、その眉間に弾丸を撃ち込むことは十分に可能だった。
だが、あえてそれはしなかった。
「無用の殺生は私の好むところではありませんからね。何より、必要以上に騒ぎを大きくすることは望ましくない。私もそれなりに面倒な立場ですしね。しかし、君は中々面白いことを言う」
「よく言われる。でも、誰だってそうしてると思うよ。誰だって、自分にとって正しいと思ったことをしてるはずだ。ジュラルドも正しいと思って兵隊をやってるんでしょ?」
「それは、確かにそうかもしれません。……しかし、兵隊という言い方はどうもしっくりこない」
「違うの?」と聞き返すシオンに対して、ジュラルドは少し困ったような表情を作りながら答えた。
「違わないですが、私はこの国の兵隊ではありません。外国から来た傭兵なのです」
「ガダル王に雇われたんだ」
「そういうことですね」
「……強い?」
その質問の瞬間だけ、シオンの視線は鋭いモノになった。それを察知したジュラルドもまた、内に秘める獣性を隠すことなく、闘争本能をむき出しにして返答する。
「私は強いですよ。少なくとも、私自身はそう思っています。……さて、中々貴重な時間でしたよ。礼を言います。もし次に会うことがあれば、その時は気軽に声をかけてください」
×××
場所はシオン達の暮らすかつての工場。
朝食の時こそ子供達の賑やかな声が響くこの場所だが、住人の大半が仕事に行っており平日の昼間はとても静かになる。
今この場所にいるのは二人。この辺りでは珍しく育ちの良さと気品を感じさせる少女、サラ。そして、トルバラド王国では見かけない顔立ちの男、ボリスだ。
二人は現在事務仕事をこなしていた。
家計に加え給与や経費などのお金にまつわる仕事は、サラが一手に引き受けていた。電卓を叩き紙の帳簿に手書きで記入し、カーボン紙で複写して管理するやり方は、この時代にしては些か前時代的な部分はある。しかし、それできちんと管理できているならば問題はない。もっとも、高等な電子計算機の類を購入する余裕が彼等にはないという、経済的な事情が作業効率を改善できない理由の大半を占めており、こればかりはどうしようもなかった。
ボリスは、新聞や雑誌の求人広告、あるいは知り合った人間のツテを頼りに電話をかけ、シオン達の働く場所を探していた。何をするにも人脈と資金は重要であり、ボリスはそれらを得るための努力を惜しまなかった。
「……よもや異国の地で営業職をやることになろうとはな。何があるか分からん人生だ」
それを聞いたサラは、笑みを浮かべながら応じる。
「あら、人身掌握はお手の物じゃない。得意分野でしょ。私なんて、昔算数の基礎的な部分を習っただけなのよ。適材適所なんて自分で言ったけど、随分と苦労する羽目になったわ」
「そうだろうな。しかし、だんだんとこの国も空気が変わってきた」
仮にシオン達がボリスと合流することがなければどうなっていたか? 最悪飢えて野垂れ死ぬか、そうでなくても物乞いや窃盗集団の類になっていたことは想像に難くない。実際、この辺りで暮らす子供達の多くはそういった生活を送っていた。
ボリスは新聞を広げ、記事の内容に視線を落とした。
「各地で警察や国に対する抗議デモ、或いは挑発等が続出している。ボヤ騒ぎや停電も頻発しているな」
「あら、それが何か関係あるの?」
「こうした小さな事件は、警察や軍の対応速度、その経路等を調べる為に起こされることが多い。ライフラインの損壊は一種の先制攻撃だな。国というのはこれを死守しなければならない」
そう答えたボリスに対してサラは少し意地の悪い表情を浮かべながら言った。
「流石に本職は違うわね、革命家さん。そんな貴方なら、それらが誰によるモノなのかも分かるんじゃないかしら?」
「分かると言えば嘘にはなるが、およその想像はつく。挑発にしろ、学生運動にしろ、破壊活動にしろ、それらを取りまとめて裏で糸を引いているのは反政府系の過激派組織だ。もっとも、その背後にはさらに外国からの工作員が入り込んでいるだろうがね」
ボリスのそんな発言に対し、サラは溜息混じりに答えた。
「全く油断ならないわね。まあ、それを言うなら王室だって、トルバラド王国を守るための機能は腐りきっていて、現状ただの傀儡みたいなものなんだけど。それはともかく、反政府系の過激派が事を起こそうとしているなら、私たちの計画にとっても状況はかなり深刻よ。最悪の場合、王国軍と反政府系武装組織の両方を相手にしなくちゃならなくなるわ」
「身の程は弁えているさ。それはサラも同じではないかね?」
「ええ、そうね。私たちに出来ることはあまりにも限られているわ」
「そういうことだ。『最悪のプラン』にも変更は無しだ。武力衝突が起これば、その状況は最大限に利用させてもらう」
サラの電卓を叩く手が止まった。
書類から視線を上げ、窓の外を見る。
この場所からはあまりにも遠く、決して肉眼で見ることなど出来ない。だが、その先には王宮があり、そして王座に座る一人の男がいる。
屈辱と嘆きの日々は、胸の内に秘めた炎をひたすらに強くさせた。
悲しみと苦しみの日々は、心の内に秘めた刃をひたすらに鋭くさせた。
思いが消えることは無い。決意が変わることは無い。だからこそサラは、いつもの変わらない口調の中に明確な殺意を隠すことなく灯し続ける。
「分かっているわよ。狙いはあくまでも、現トルバラド王国国王、ガダル=トルバラドの命。私たちはそのために計画を立て、準備を進めてきたのだから」
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