第一話 ありふれた日常(後)

第一章 ありふれた日常(後)


 中央都市の一番賑やかな城下町から一歩外れた外円部、その貧民街の一角に古びた工場がある。ウォーカーの修理や組立などを請け負っていた地上二階、地下一階建てのこの工場の、かつての主はもういない。国内の争乱に巻き込まれ、すでに死亡したことが確認されていた。その場所を自分たちの暮らす場所にした孤児達がいた。

 早朝、まだ多くの人間が寝静まっているこの時間、工場の前には人影があった。

 それは筋力トレーニングに勤しむ少年だった。

 おそらく、まだ十代だろう。顔立ちには幼さが残るが、瞳は修羅を生きた人間のそれだ。背は低く線は細い。だが矮躯というわけではなく、まるで鍛え上げられた刃のようだ。その証拠に、一流のアスリートや軍隊に匹敵するメニューを、少年は淡々とこなしていった。はだけた上半身は、年齢離れした引き締まった身体、そして無数の傷と雑な治療痕をさらけ出していた。

 彼の名前はシオン。

 かつてを少年兵として過ごし、今を孤児として生きる、トルバラド王国ではそれほど珍しく無い経歴の人物だ。

 一通りのメニューを終えたシオンは、右手に拳銃、左手にナイフを構え、ゆっくりと眼を閉じる。拳銃からは弾丸が抜かれており、故にシオンは最初に弾丸の重さをイメージする。気象条件、建物の位置、そして自分の位置から『敵にとって最適の位置』と『想定される装備』を考える。

「ッ!」

 そして目を開けると同時に、現実の風景へとイメージ上の敵の姿を重ね合わせた。

 飛び出してきた敵のアサルトライフルが火を噴いた。

 もちろん、それらはシオンのイメージに過ぎない。だが、それを現実として想定し、シオンは対処のために行動する。

 火線を避け、有効射程まで一気に間合いを積め、右手に構える拳銃の引き金を引く。――外れた。だが、相手が移動し位置関係が変わる。二人目の敵が現れる。相手が同士討ちを避けるポジションに移動。それを利用し銃撃を封じる。素早く間合いを詰め一人目をナイフで刺す。即死には至らない。だが、それを盾にして二人目に銃撃。命中、二人目の攻撃能力が大幅に低下。三人目、四人目の敵が現れる――。

 構え、走り、跳び、刃が煌めく。

 常に不利を想定しながら、最適の動きを選択する。

 やがて、イメージの中には八人分の死体が転がった。そして、次なる九人目を穿たんと突進した、その時――。

「おはようシオン、今日は一段と早起きだね」

 シオンの動きがピタリッと止まった。

 彼の目の前、紙一重で刃が突き刺さる至近距離に、エプロン姿の少女が立っていた。

「――マナか。おはよう」

 シオンの前に現れた人物の名はマナ。シオン達と共に暮らす同い年くらいの少女だ。短めの黒髪と細く痩せた体からは『女性的』という印象を得ることは殆ど出来ない。もっとも、貧民街であるこの辺りでは、そんな少女の姿も珍しいことではない。この辺りの地域でマナが異彩を放つ点といえば、コロコロとよく変わる表情が見せる、その屈託無い笑顔だろう。こればかりは、育った環境に依ることのない、天性の才能と言うことが出来るだろう。

 マナは、手に持っていたタオルをシオンに渡しながら言った。

「汗くらい拭いたら? 臭くなるよ」

「……別にいいよ、どうせ今日はまた汚れるんだし」

「そういう問題じゃないの。そんなんだとサラに嫌われちゃうよ」

 そう言ってマナはシオンに対してタオルを押しつけた。

 シオンは渋々といった感じで汗を拭いつつ、近くに引っかけてあったシャツを取りに行く。

「マナもやる?」

「私はいいや。シオンには絶対勝てないし、シオン達と違って訓練も受けたことないし」

「でも強かった」

 シオンはそう言いながら、自分の腕の傷跡を触った。

 それに対してマナは、何処か懐かしそうな目をして言った。

「昔の話。もう、あんな生活には戻りたくないかな」

二人は自然と、自分たちの暮らす工場の入り口に目を向けた。

 そこには、吊るされた大きな四角形の布が風に揺られていた。布の中央には竜の頭の絵が描かれており、その周りには今まで仲間になった者たちの名前に頭文字(イニシャル)が書き込まれていた。国旗のデザインを模して造られたそれは、シオン達にとっての『団結旗』だった。

 書き込まれた頭文字の人物の中には、幸運にも他に生きる場所を見つけて離れていった者、あるいは不幸にも死んでいった者たちもいた。

 昔を懐かしむ二人に対し、その背後の、少し遠くの方から言葉が投げかけられた。

「なんだか仲間外れみたいで少し妬けるわね。そのころ私はいなかったわけだから仕方ないけど」

 シオンとマナは振り返った。そしてマナは元気良く手を振りながら応じる。

「あ、サラ! おはよう!」

 マナと殆ど変わらない年でありながら、長い金色の髪と、何処か気品を感じさせる空気が対照的な少女、サラが二人のところへとやってきた。

「マナ、ご飯の当番、殆ど任せきりで悪いわね。私も手伝いたいところではあるんだけど」

「いいよ別に、好きでやってるんだし。それにサラは、私に出来ない難しいことたくさんやってるから」

 現在サラは『計画』の為に動いている。そうでなくても、事務方の仕事全般を一手に引き受けているサラは、朝早くから夜遅くまで大忙しだった。

「適材適所で役割分担ね」

 サラの言葉を受けたマナが笑顔を見せながら言った。

「そういうこと。それを教えてくれたのはサラなんだよ」

「……そうだったわね。そんなこともあったわ」

「じゃあ、私はご飯の準備しなきゃだから戻るね」

 そう言うとマナは、パタパタと足音をさせながら戻っていった。

 残されたシオンとサラは、しばらく無言のままいた。ややあって、先に口を開いたのはサラだった。

「二人きりで話すのも久しぶりね」

「……いや、そんなことはなかったと思うけど」

「そうだったかしら? どっちにしろ、ゆっくり話せるのは久しぶりよ。……いよいよ今日なのね」

「ああ。まあ、ボリスは保険だって言ってたけど」

「使わないで済めばいい、なんて、無意味な正論よ。どちらにせよ、最後は暴力で終わらせるのだから」

 そう言いながらサラは、指で拳銃の形を作り悪戯っぽく撃つ真似をした。だがサラの瞳の奥では、血を流して倒れる標的が鮮明にイメージされていた。

「分かってる。俺は引く気なんて全くない」

「当然よ。躊躇いも後悔も、全部捨ててきた。今はただ進んで、全てを奪い取る。それだけよ」


×××


 皆よりも一足早く、シオンとボリスは朝食を食べていた。

「朝早くすまなかったな、マナ」

 ボリスの言葉を受けて、台所のマナが返答する。

「大丈夫ですよボリスさん。ほら、シオンも食べて」

「うん」

 ボリスのその引き締まった身体と古傷からは、少なくともデスクワークだけで生計を立ててきた人間でないことは容易に想像できた。訛りや顔つきなどもこの辺りの人間とは少し違う。

「では、予定通りワシとシオンは少しの間留守にする。連絡は取れないと思ってくれ。その間は任せたぞ」

「心配いりません。サラもいるし、本当に危ないことがあっても、自分の身くらいは何とか守ります」

 マナのそんな頼もしい返事に対し、ボリスは僅かに笑みを浮かべながら応じる。

「帰りはカリムと合流する筈だ。『土産』を期待していてくれ」

「はい。地下の倉庫は、しっかりとあけておきますね」


×××


 時間は午前九時よりも少し前。

 カリムは昨日と同じ現場に、昨日とは違いトレーラー車に乗って到着した。後部にはウォーカー一台くらいなら積載し運搬出来る空間が存在し、現在は空荷で幌が被せられている。

「いつもの車、調子が悪かったので。デカブツですみません」

 駐車スペースに車を止めながら、カリムはそう謝った。

「いや、それは別に大丈夫だ。そういえば、今日はシオン君は来られないんだったな」

「はい。そっちもすみません、こっちの事情で」

「気にはしていないさ。それよりもちょうどよかった。機材の運搬、そいつで手伝ってもらえるか?」

 確かにそれは、この車の得意とすることだった。カリムはその頼みを快諾する。

「いいですよ。コイツが役に立てるなら」


×××


 ボリスとシオンは中央都市から始発の電車に乗り郊外へと向かった。

 まだ静かな中央と城下町から、高架の下の貧民街を見下ろし、それが終わると町並みは徐々に綺麗な住宅街になっていく。やがて電車に揺られるのにも飽きてきた頃、外の景色は徐々に家の数がまばらになり、高級住宅街に入る。そして、それを抜けて、だだっ広い山と森と田園風景が広がる場所に到着し、線路は終点となった。

 二人は電車から降り、駅の駐車場の片隅に、景色と同化するかのように止められていた車へ乗り込むと、更に『外』に向けて車を走らせた。

「……よし、大丈夫だ。盗聴器も爆発物も仕掛けられていない」

 運転するボリスの言葉を受け、ここまでいっさい無言だったシオンが口を開いた。

「それ、ここまで走らせてから言うことなの?」

「確認なら乗る前に済ませてある。だが、万が一ということもある。それでも、ここまで走らせて何もなければ本当に大丈夫ということだ」

「もし何かが仕掛けられていたら?」

「その敵の方が上手だったということだ。そこまでの手練れならやり合っても勝てん。素直に諦めることだ」

 人も車も殆どいない、渋滞という言葉からはまるで無縁な道路を、ボリスの運転する車は順調に進んでいく。

「この車、どうやって手に入れたの?」

「この国の中には何人か協力者が入っている。人員も予算も限られているが、最善を尽くしてくれる先鋭だ」

「怖くて物騒な話だ。マナが聞いたら怒るよ?」

「怖くて物騒なのがワシの仕事だからな。それに、分かった上で共犯者となったんだろ?」

 少々おどけた表情と口調でそう言ったボリスに対し、シオンは「まあ、そうだね」とだけ、短く相槌を打った。

「しかし、ワシも運がいい。無茶な任務を押しつけられたとも思ったが、お前達に会えて勝機をつかめた」

「俺たちだって感謝してるよ。犯罪と暴力以外の仕事を探してくれて、居場所を守れる後ろ盾になってくれる人が出来たわけだし」

 シオンのそんな言葉に対し、ボリスは笑みを浮かべながら応じる。

「随分と賢くなったな、本音と建て前を使い分けるとは。本音は知っているぞ。ワシがお前達を利用しようとしていることを知りながら、目的のためにワシを利用できると考えた。だからワシの話に乗った。そうだろ?」

「もちろん。利用できる物は全部利用する。それがサラの考えだし、俺はそれに同意する。俺たちもアンタも、お互い利用価値が無くなれば容赦なく切り捨てる。そうだろ?」

「ああ、その通りだ。そして、今は利害が一致し、お互いの利用価値を認めている。……さて、ついたぞ」

 レアメタルの鉱脈もなく、もちろん農業にも適さず、岩山のため水源からも離れた、国境の山脈付近。そこで車を降りた二人は、荷物を背負い無言のまま山を登り始めた。

 時間は既に正午を回っている。二人は山の中腹の少し開けた場所にいた。

「よし、この辺りだ」

 ボリスはそう言って足を止めた。そして背負っていたバッグから『ソレ』を取り出し、慣れた手つきで組み立て始める。

「使い方はわかるな?」

 ボリスの言葉に対してシオンは、冷静に、しかし僅かに緊張の混じった声で応じる。

「昔キャンプで教わった。でもこれ、高いんでしょ?」

「お前の一ヵ月の給料では買えないな。……もっとも、これから手に入れる物はコイツを何十個束にしても敵わない高級品だ。……だから、しくじるなよ?」

 そう言うとボリスは、一度時間を確認した後双眼鏡を覗き込んだ。

 シオンもボリスが組み立てた物、携帯式の地対空ロケットランチャーを構え、スコープを覗く。

 やがて二人の目は、国境付近を飛行する一機の輸送機を発見した。

「まだ引くなよ、シオン。まだだ、……まだ、……まだ、……――今だ」

 合図と同時に、シオンは引き金を引いた。

 直後、後部へのガスの噴出と同時に、弾頭は輸送機を目指して飛翔し、そして命中した。

 爆音の後、輸送機はトルバラド王国領土内へと墜落していった。

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