第一話 ありふれた日常(前)

第一章 ありふれた日常(前)


「サラ、後は任せたぞ。ワシは今から用事がある。それから、『例のこと』を伝え忘れるなよ」

 そう言うと、朝食を終えた白髪の男は席を立った。年は六十代後半と言ったところか。引き締まった肉体とキビキビした動き、そして刻まれたいくつもの古傷からは、彼が只ならぬ経歴の持ち主だということを容易に想像させた。

「ええ、分かってるわ、ボリス」

 いち早く朝食を食べ終えたその男、ボリスの言葉に対して、比較的上品な作法で食事を食べる金色の髪の少女、サラがそう返答する。顔立ちは紛れもなく十代の少女だが、そうとは思えないほどの落ち着きと教養を感じ取ることが出来た。

 そんなサラに対し、この中ではボリスに次ぐ年長者、と言ってもまだ少年と言って差し支えのない男、カリムが質問する。

「今言ってた「例のこと」って、何だ?」

「ちょっとね。後で関係者に個別で話すわ」

「そうか」

「そういえば、カリムにも少し関係あることだったわね」

 現在の時刻六時三十分を少し回った頃。

 広さとしては『食堂』のようにも見えるが、壁際には大量の書類が積まれており、立てかけられた黒板にはチョークの白い文字でスケジュール表が書かれている。『食堂』ではなく、本来の用途としては『事務所』のような部屋なのだろう。

 部屋にいる人間の多くが、まだ幼い子供達だった。その中の一人が早々にお椀を空にし、元気よく言った。

「マナねーちゃん、おかわり!」

「私も!」

 子供達から「マナねーちゃん」と呼ばれたのは快活そうな少女だった。

「はいはい、お椀貸して。順番だからね」

 少女は笑顔を見せながら明るい声でそう応じる。年の頃はサラと同じく十代半ばだろうか。『子供』と呼ばれるような年頃の少女だが、この食卓においては上の方の年齢だ。

「オレもおかわり欲しいー」

「ダメなんだぞ、全部食べ終わってからじゃないと」

「今食べ終わった!」

 子供達の賑やかな声とプラスチックの食器の音が響く、平和そうな朝の食事風景だ。

 しかし、例えば壁へと無造作に立てかけられたアサルトライフル。或いは、文鎮代わりに使われている銃弾の入ったケース。台所に包丁と一緒に置かれているのは、人の命を奪うことに特化したアーミーナイフだ。それらからは、少なくとも『平和』という言葉を感じることは難しい。

「シオンもおかわりいる?」

 「マナねーちゃん」と呼ばれていた少女は同じ年頃の少年、シオンへと話しかけた。すり切れたサイズの合わない作業着を、肌着の上に無造作に羽織ったシオンは、黙々と食べていたその手を止めた。

「あぁ、でも」

 そんなやる気無さそうな返事をするシオンのお椀を、マナは当人の返事を聞くよりも先に奪った。そして、本人の了承を得るよりも先にお代わりをよそった。

「遠慮しないでよ。そのために働いてるんでしょ? ねえ、サラ」

「そうね。今日もシオンには沢山働いてもらわなきゃだし、ちゃんと食べてもらわないと困るかしらね」

 サラの言葉を受け、子供達の一人が囃し立てる。

「そうだぞ、シオンにーちゃん。沢山食べないと大きくなれないぞ」

 マナからお代わりの盛られたお椀を受け取ったシオンは「余計なお世話だ」と小さく応じた。


×××


「じゃあとりあえず、今日の割り振りを発表するわ」

 朝食が終わり、その片づけも済んだ。『年少組』の退室した事務所では、先方から渡された指示書を手にしたサラのかけ声と共に、朝のミーティングが始まった。

「まずライル。今日は中央の方にあるビルの定期清掃三カ所ね」

「りょーかいッス」

 何処か気怠そうな声でサラから指示書を受け取った、長髪を後ろで括った細身の男、ライルは三枚の指示書へと目を通す。

「……あー、空調機フィルターに、ワックスがけもか。そういえば、もうそんな時期だったな」

 態度こそ無気力に見られることもあるが、仕事その物は真面目にこなすのがライルという男だ。もっとも、そうでなければ中央都市の会社からの依頼など任されるはずもない。

「次はマナ。今日もいつもの食堂の手伝い、お願いね」

 サラは、朝食の時に「マナねーちゃん」と呼ばれていた、同い年くらいの少女、マナに対してそう言った。マナは元気な声と笑顔でそれに応える。

「うん、分かった」

 こちらに関しては長期の契約なので、毎回指示書を渡すことはない。それは、貧民街で暮らす身よりのない彼女たちでも、一定以上の信頼を勝ち取ることができたことを証明するモノだった。

「シオンとカリムの二人は、レアメタルの採掘所ね」

 ライルと同じくらいの長身だが、短髪で筋肉質の少年であるカリムは無言のまま受け取った指示書に目を通す。

 身長こそ低いが余りにも鋭い眼光を秘めており、この中でもっとも強い威圧感を放つ少年、シオンがマナに質問する。

「サラ、朝言ってた話は?」

「今日の仕事とは直接関係ないの。明日のことについてよ。後で個別に伝えるわ。だからシオンと、後、カリムも少し残ってね」

「俺もなのか? まあ、それはいいんだけど、今日の仕事、シオンが呼ばれたならウォーカーを使うってことだろ? ウチのやつを持ってくのか?」

「向こうで貸してくれるみたいよ。心配なら持っていってもいいけど、どうする?」

「それならいい。あの大きい車は取り回しが面倒だ」

 それに続いて、ライルが指示書を見ながら言った。

「マナ、チビ達の男子を何人か貸してくれ。ちょっと面倒くさそうだ」

 『仕事』には年長者である彼らが、小さな子供達を引率していく。その人選は年長者達の側に任せられており、仕事先にもその事情は伝えられていた。

「分かった、こっちはいつも通りだから大丈夫だよ。後で適当に声かけといて」


×××


 時は新暦二〇二三年。

 世界中の大国が、己の勢力圏を拡大しようと画策していた。

 そのことに端を発する小規模な紛争や内乱は、世界のどこかで常に起こり続けていた。そして、陸戦兵器に関する技術は飛躍的な進化を遂げ、数多くの新兵器が戦線に投入された。有識者の中には、人類すべてを巻き込むような『世界大戦』の可能性を危惧する者もいたが、多くの人は絵空事に過ぎないと笑い飛ばした。

 北方に連なる山脈と、南方に広がる海岸を国境とし、トルバラド一族が王として君臨し統治する王国が存在する。周辺諸国と比較した場合決して大きくない国土を持ち、人口や経済規模等の多くの観点から発展途上国として区分される小国だ。中央にドラゴンの首を象徴する紋章を描き、その左右に三つずつ、合計六個の小さな円形を配置する国旗を掲げる国である。

 それが、『トルバラド王国』だ。

 トルバラド王国が掲げるその国旗は、かつて山脈の向こうから襲ってきた竜を討伐隊が打倒し、切り落としたその首を城に持ち帰ったという神話に由来している。討伐隊は六つの部族から選ばれた武人によって組織され、その六部族の連合軍こそがトルバラド王国の始まりの形であったとされている。六部族の連合が不可能と言われていた竜討伐を成し遂げたことを象徴するこの旗は『団結旗』の通称で呼ばれていた。

 王宮や講堂の存在する政治の中心地区、その周囲に教育機関や大企業のオフィス、それを取り囲むように存在する最も賑やかな商業施設が立ち並ぶ城下町が存在している。華やかで活気に満ちた城下町の中には国の偉人や王族の像が飾られ、掲げられた団結旗と共に王国の発展の栄光を称えていた。その周囲を高架橋の幹線道路が取り囲み、その外円部には華やかな城下町とは打って変わったものになる。浮浪者やバラックのような建物も存在する貧民街が現れるのだ。

 その中心地区の外円にある貧民街こそ、シオン達が暮らす場所である。

 そして、そこから出発したシオンとカリムの乗る車は、さらに『外』のレアメタルの採掘所を目指して走っていた。

 車を運転するカリムが、流れる景色を見ていたシオンに話しかける。

「しかし、ついに明日か」

 シオンはいつもと変わらない調子で「そうだね」とだけ答える。

「お前は当事者だろ? 緊張とかしないのか?」

「別に。計画自体は前から知ってるし、それが明日になったってだけだから。どっちかって言うと『そっち』の方が馴れてるから、今日の仕事の方が緊張するよ」

 カリムもシオンも、そしてこの場にいないライルも、細かい部分に違いはあるが同じような境遇の人間だ。彼等は数年前まで同じ組織に少年兵として所属していた。そして、偶然と幸運により組織を抜け出し、今に至るまで一緒に生きてきた。そんな仲間としては、シオンの考えはカリムにも理解できた。

 シオンの言葉に「それもそうか」と応じたカリムは、再び運転に集中した。


×××

 

 時刻は九時を少し回った頃。

 現場に着いた二人は、早速作業を開始した。

「今日の予定はさっき説明した通りだ。細かい指示は適宜こちらから出す」

 シオンは、操縦桿やフットレバーを軽く動かし操作感を確かめ、ヘッドセットから聞こえる現場責任者の声に返答する。

「了解です」

 同時に待機状態にあった機体を起こし始める。

「モニター表示、――正常。各種パラメーター確認、――問題なし、燃料、装備、――各問題無し、コックピットロック、視界良好」

 シオンは、コックピット内部の各所に記された安全確認手順の注意書きを完全に無視しながら、しかし馴れた手つきで素早く、搭乗した作業用ウォーカー〈トロル〉を起こす。

 シオンを乗せた〈トロル〉は待機状態の『伏せ』から五.二メートルの巨体を起こし、駆動音を響かせながら歩行を開始した。

 ウォーカー、即ち、搭乗式人型作業重機は扱いに高度な技能を要求される。だが、正しく運用できれば危険地帯での作業を、安全且つ効率的に行うことが出来る。

 今日シオンとカリムがやってきたレアメタル採掘場の鉱山での作業は、まさにウォーカーの花形と言えるだろう。

 シオンが操縦する〈トロル〉の背中が坑道へと入っていくのを事務所から見ていた、現場責任者の男が言った。

「彼がシオン君か。噂には聞いているが、見事なもんだ」

 書類整理を手伝うように言われたカリムが、それに対して相槌を打つ。

「才能、という奴ですよ」

「噂では聞いたことがある。あれが新たに発見された才能か」

 ウォーカーというマシーンが登場したのは比較的近年のことだ。最初は軍事目的で開発され、その有用性が明らかになるや否や、すぐさま各国が戦力として取り入れた。そして、その技術の一端が民間へと降りて今に至る。

 ウォーカーという存在が現れたことによって、それを操る才能が新たに見つけ出された。カリムにはその才能の正体こそ分からないが、シオンが並外れた技能を持っているという事実だけは、しっかりと認識していた。

 そして、シオンの操縦技能はウォーカーに対してのみ発揮される特異なものだ。そのことは、側でシオンのことを見続けてきたカリムだからこそ、よく知っている。

「シオン、あんなだけど車の運転は全然なんです。この前も車庫の壁にぶつけてました」

「そうなのか? まるで信じられない」

 現場責任者の男が驚くのも無理もない。モニターに映し出される坑道内の様子には、シオンが操る〈トロル〉の活躍がリアルタイムで映し出されていた。

「この感じなら、今日は定刻通りに計画の分まで終われそうだ。休憩の時間になったら彼にも声をかけてくれ」

「了解です」


×××


 現在の時刻はちょうど昼時。

 シオンとカリムは採掘場の事務所内にある簡素な食堂にいた。そして二人は、従業員達と一緒に昼食を食べていた。そんな中従業員達の会話は、その主題が国内情勢へと移っていった。

「しかし、最近は色々と物騒になってきたな。前の王様が死んでからロクなことがない」

「今のガダル王だって頑張ってるんだろうが、いかんせんなぁ」

「給料が上がるなら誰が王だっていい。俺はそう思うし、大概のやつがそうだ。それが下がるから不満が出る」

「仕方ないだろ、この業界の社長は、この国の王様なんだ。雇ってもらえてるだけありがたい」

「そもそも、この国には外国に売り出せる物がロクにないからな」

 ウォーカーは従来のマシーンと比較しても、極めて複雑な動作を要求される。ウォーカーにはそれを可能とする補助用の、第二の脳とも言うべき人工知能が搭載されている。高度な情報処理を要求されるそれには特殊なレアメタルが用いられていた。そして、トルバラド王国にはそのレアメタルが大量に埋蔵されていた。

 更に言うのであれば、レアメタルの採掘と輸出は、現在のトルバラド王国を支える主力産業となっていた。そして、その関連企業の全てが国営化されている。この国で生み出される殆どの富は王の下に集められる事になる。そして王はそれを公共事業として国民に再配分する。それがトルバラド王国を支える基本的なシステムだ。

「なあ、シオン君って言ったか。君はどう思う?」

 従業員の一人が話を振ってきた。シオンは食事を食べる手を止めそれに応じる。

「仕事があることに感謝するのは、確かにそうだと思います。俺らみたいなのだって雇ってくれるわけですから」

「おぉ、君はなかなか真面目だな」

「他に何も知らないだけです」

 「謙遜するなよ」「少なくとも俺らみてーなのよりは真面目だぜ、なあ?」「ギャンブルの借金が膨れ上がったお前と一緒にするな」――……。

 食堂は盛り上がるが、それと対照的にシオンは沈黙した。

 彼の言った「他に何も知らない」という言葉は、実際その通りだった。

 生きる為の、生存の為の手段ならば心得ている。しかし、余暇の使い方や娯楽といったものは殆ど知らない。指示に対して手を抜いたり、サボったりするという発想がない。それは、少年兵として過ごした幼少の頃から植え付けられたモノだ。中でもシオンは特にその傾向が強かった。

「明日も来てくれるのか?」

 この問いに対してはカリムが答えた。

「俺は来れるけど、シオンは別の用事があって、……すみません」

「そうか。まあ、ウォーカーの扱いが上手いやつは、どこの現場でも引っ張りだこだからな」

 今の時代、ウォーカーの扱いの心得さえあれば、現場作業員としては仕事に困ることは無い。確かに性能の高いウォーカーは高価だが、利便性と作業効率を考えればどの現場でも導入は検討される。因みに、高価と言ってもピンキリで、実はシオン達もウォーカーを所有している。廃棄物集積所から拾い出したスクラップ同然の型落ち品なので、『無いよりはマシ』程度の性能しかないが。

「でも、まだ学生やってても良い年だろ?」

 これにはシオンが答えた。

「そうかもしれないけど、お金もないし、それに読み書きには困ってないから」

 「それもそうだな」「俺だって学校出てないし」と何人かが声を上げる。

 この国には、教育機会の平等性を確保出来ない程度の経済格差が存在する。しかし、多くの国民はそれを当然のこととしてとらえていた。

 王は富を再配分するが、その恩恵を得られる機会は平等ではない。家柄と能力によって明確に区別され、より有能な者を生み出すために、貧困は意図して維持された。

「お前達みたいなのがいる反面、随分と『志の高い』学生もいるみたいだがな」

「ああ、例の学生運動か」

 革命による王政の打破と、国の民主化による近代化。

 それを訴える学生達を中心とした抗議活動は、今この国を騒がせている話題の一つだった。

 作業員の中で比較的若い一人が、手にしていたチラシを見せながら言った。

「俺、この前の学生運動結構間近で見ましたよ。すげー人数集まってて、みんなで旗やらプラカードやら掲げて大行進してよ。マジでこんな感じだったんだぜ」

 彼の持つそのチラシは学生運動の時に、国の検閲無しで非合法に配られたものだった。

 載せられている写真の中で旗やプラカードに書かれている文字は、『革命』『正義』『民主化』『権利』『賃上げ』『自由』等の単語だ。どれも皆、シンプルで抽象的な物や、現状の不満を的確に示す物だった。その多くが若い学生だが、中には老人や外国籍と思われる者もいた。

「でも武装した兵士とウォーカーがやってきてよ、それで、しばらく睨みあった後、ビビったのか根負けしたのか、学生達の方が後退し始めて、少しずつ解散していったな。いやー、ありゃすごい迫力だった」

 彼の言葉を受け、他の作業員も話に加わってきた。

「俺もこの前テレビで見たぜ。確か、アレンとかいう男が学生運動のリーダーだったな」

 王国に反発する学生達の抗議運動。その話を、シオンとカリムは遠い世界の出来事のように、何処か冷めた心で聞いていた。

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