鐵―クロガネ―
タジ
序:追憶と出会い
鐵―クロガネ―
作:タジ
今、旗を掲げよう。高く、高く、揺るぎ無い鋼の誇りと、砕け得ぬ鐵の決意と共に、帰るべき場所を示す僕達の旗を。
序章 追憶と出会い
「死んだ?」
俺はそう聞き返した。
息を切らしながら走ってきた血だらけのそいつは、傷の手当てを受けながらも、叫ぶように報告する。
「大人組の兵舎が爆撃された! その後、ウォーカーと戦車と兵隊がやってきたんだ! あれじゃ全員死んでるぞっ!」
狭く薄暗い部屋がざわつき始める。そこにいる誰もが、粗末な兵舎の外で何が起こっているのか理解したはずだ。
興奮の冷めないそいつを、一番年上のカリムが落ち着かせながら言った。
「……どうする? あいつらが死んだなら、俺たちがここにいる意味もなくなった。ここにもじきに王国軍がやってくるぞ」
カリムの言おうとしていることは分かる。
俺達は、ここに残るか、どこかに逃げるか、それを選ぶ必要があった。
王国軍が俺たちを助けてくれる保証なんてない。だからと言って、逃げたとしても助かる保証はない。
……それじゃダメだ。
それじゃ今までと同じだ。
だけど、今ここでなら変われる。今ここでなら踏み出せる。今日という日まで俺たちを縛り付けていた全てから、抜け出して、ぶち壊して、変わるための一歩を踏み出せる。
俺には一つの確信があった。今この瞬間に、そしてこれから先に何をするべきなのか、その問いに対する答えを俺は既に持っていた。
「……戦おう」
無意識のうちに、俺はそんな言葉を口にしていた。
狭い兵舎の中のざわつきが止んだ。
……そうだ。みんな、同じ思いのはずだ。俺達にはそれ以外の選択肢なんて無いはずだ。
「待つんじゃなくて、逃げるんじゃなくて、戦うんだ。俺たちのための戦いを」
×××
「……許さない」
無意識に零したのはそんな言葉だった。
火薬と鉄の匂いが立ち込め、悲鳴と怒号と破壊音が響き渡る中を、ただひたすらに振り替えることなく、私は走り続けた。
暗い地下道に私の足音が反響する。そして、それを塗り潰すかのように地上からはウォーカーの歩行音が響いてくる。地震のように大地を揺らすそれは、十メートルの鉄の巨人が大地を踏み砕く足音だ。三十ミリアサルトライフルの銃声が、地上で繰り広げられている惨状を容赦なく想像させる。
生暖かく、湿っぽく、かび臭い空気が、私の全身に不快感を伝わせる。
だけどそれ以上に、血の色と鉄の匂いの記憶が、私の脳内を何度も駆け巡る。
父様も、母様も、みんな殺されてしまった。私にこの地下道の存在を教えてくれた人も、多分もう生きてはいない。
……大丈夫。私はまだ生きている。
五感から受け取る全てと、生まれたばかりのこの感情は、今私が生きていることの何よりの証だ。そして、私を生かす唯一の理由だ。
「……兄さん。私は、絶対に貴方のことを許さない」
×××
「ハァ、ハァ、ハァ……」
角材を手にした少年は肩で息をしながら、目の前の二人の人間を見比べていた。
一人は、拳ほどの大きさの石を持った少女。
もう一人は、血を流して地に伏した男。
そんな少年と視線を合わせながら、少女は手にしていた石を捨てて言った。
「ありがとう、と言うべきかしら。おかげで今夜の食事に有り付くことが出来るわ。でも、どうして助けてくれたの?」
「……お前は正しい。俺がそう判断したから」
そう答える少年の目は、どこまでも暗く、どこまでも深く、そしてどこまでも真っ直ぐだった。それを聞いた少女の表情が、僅かに緩んだ。
「正しい、か。……貴方、なかなか面白いことを言うのね」
少女はそう言いながら、男から奪い返したパンを半分に千切った。そして、それを少年に手渡した。
「受け取りなさい。奪い返せたのは貴方のおかげよ」
少年は少女からパンを受け取り、そして口に詰め込んだ。少年と少女は互いを観察しながら無言で半分のパンを食べる。先に口を開いたのは少年の方だった。
「……お前、変わってるな」
少年にとって変わっていたのは、少女の言動だけではなかった。
細かな細工が施された髪飾り。それによって纏められた金色の長髪。身につけている服は元の色が分からないほどに汚れ、あちこちが擦り切れてはいるが、明らかにこのあたりの地域とは不釣り合いな、高級で上品な仕立てだ。色白で綺麗な肌は、人生の多くを室内で過ごしていたことを容易に想像させる。
それらは少なくとも、浮浪者とその日の糧を奪い合うような人間の身なりではなかった。だからこそ少年は警戒していた。しかし一方で、本能的にこの少女を『悪』ではないと判断した。
少女は少年の言葉を受け思案した。なるほど、確かに自分は変わっているかもしれない。しかし、それを言うならこの少年の方がよほど変わっている、と。
生身の子供が大人に対して暴力で勝てる可能性は極めて低い。こんな場所で暮らしている少年がそれを知らないはずがない。なのに、この少年は「正しいと判断した」という理由で少女の側に加勢した。
(もしかしたら、この少年なら使えるかもしれない)
そう考えた少女は、少年に向けて語りかける。
「私は、私自身の復讐のために、兄さんを殺さなくてはいけないの。だけど、残念ながら今の私は弱すぎるから、絶対に上手くいかないわ。……ねえ、貴方はこの世界を、もう少しだけマシなものにしてみたいと思わない? 今よりも少しだけマシな世界に」
少年は瞳に不信の色を宿し続けていた。しかし少女は怯むことなく告げる。同時に少女は、さっきまでパンを持っていた手を少年の方に差し出した。
「私にはそれが出来るわ。貴方が協力してくれるなら。……貴方、名前はなんて言うの?」
「……名前は……シオン。……でも、信じていいのか? もし本当にそんなことが出来るなら、俺達はお前に協力する。だけど……」
「ええ、信じていいわ。……そういえば、私の自己紹介がまだだったわね。私の名前は――」
その名前を聞いた瞬間、普段であれば表情を表に出すことの少ない少年は、『笑み』と呼ばれるような凶暴な表情を浮かべた。そして少年は、少女の手を強く握り返した。
×××
このおよそ五年後に、トルバラド王国建国史上、最も重要な事件が発生する。少女のあまりにも純粋で幼い願いは、国の未来を変化させることになる。しかし、この時点では誰一人として、そのような未来が訪れることを知らない。
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