第二章 セフィラの勇者達

第22話 『ボス』と呼ぶ男

 ヴァン達は最初こそ今にもジョニーに襲い掛かり発展しそうな雰囲気だったが、カゲの仲介によってどうにか敵視することは無くなった。自分からジョニーの怪我を治療すると言い出してくれる者もいたので、カゲとしては大いに助かった。まあ、仲間だと意識させるには少し時間が掛かるのだろうが。


『空間法術、か。』

『ああ。これが俺の切り札って奴だな。』


 黒血人ヴァズピオ族の集落への帰り道、カゲはジョニーと互いの状況や自分たちに出来ることの情報を交換し合っていた。互いの世界で起こったこと、どうして自分達がここに来たのかを語り合ったのである。両者共に驚きはあったものの、似た境遇である事を再確認した二人はいつの間にか意気投合していた。


『それよりも陰術ねぇ。俺にも使えるようにならねぇかな?』


 そして互いに最も興味を抱いたのは、自分に聞き覚えの無い術であった。カゲの世界である『ゼクト』では空間を操る術は限定的なものが陰術にあるだけであった。これは地上に暮らす者達に空間を弄られるのを【天空陽神】が嫌がったからである。同じように【天命陽神】や【天愛陽神】、【天時陽神】も嫌がったので『ゼクト』には生命属性や精神属性、そして時間属性の陽術もない。これらも陰術に限定的なものがあるだけだ。逆に何故陰術を使える者ならば操れるのかというと、陰術を使えるのは神々が最も頼りにしている【天陰大神】が加護を与えた者達であるからだ。頼れる兄貴分に身分を保障されたなら、多少の融通を利かせても構わないという理屈である。

 それを使えるように許可している『シャーン』の神々は大らかなのかもしれない。しかし、信仰を集めるためにマッチポンプを行う連中だ。単に管理が杜撰で適当なだけだとカゲは思い直した。

 それはさておき、習得に特殊な条件がある陰術は『シャーン』にない術である。ジョニーの説明を聞く限りでは、そんなものは聞いたことすらないのだそうだ。道中、ヴァン達が戦っている様子を見たジョニーは是非とも習得したいと思ったのか、その方法をカゲに直接尋ねる。その答えはあっさりと返ってきた。


『ふむ?可能だぞ。』

『マジかよ!どうすりゃいいんだ?』

『我の加護を受けるだけであるな。』

『…それしか方法は無ぇのか?』

『うむ、それだけだな。』


 最初は乗り気であったジョニーだが、カゲの加護が必要だと知ると一気にテンションが下がっている。神の手でひどい目に遭ったのだから、カゲがどれだけマシな存在かを実感しても、その加護を得るのには抵抗があるらしい。それはカゲも理解出来ていた。


『手っ取り早く強くなれると思ったんだがなぁ…。この通り、腕もぶっ壊れた上に眼も無くなっちまったしよぉ。』

『ふむ…眼球と右腕か。再生は可能だぞ。』

『おおそうか…って、嘘だろ!?こんな世界に再生医療の機械があるってのか!?』

『そのような物は無い。だが、我の肉体である【黒の獣】の力と我の力を使えば可能だ。』


 ジョニーは驚嘆を禁じ得なかった。科学と法術の双方が発展した『シャーン』において、肉体の部位欠損を完治させる手段は確立されている。しかし、その治療のためには非常に高価な精密機器がいくつも必要なのだ。それを個人の能力だけでやってのけるなど、文字通り神の所業であろう。ジョニーの驚きはそれを正確に理解しているからこそのものであった。


『なぁ、カゲさんよ。もし俺の眼と腕を治してくれっつったらどうする?』

『む?それは治すが?』

『いや、そうじゃねぇ!報酬の話だ!』

『報酬、か…。』


 報酬、と言われてカゲは何も思い浮かばなかった。基本的に彼は物事にあまり執着しない。神として世界を管理する使命を全うすることにしか興味がないので、欲というものがほぼ無いのである。供物の多寡にかかわらず、加護を必要とする者に請われれば極悪人でない限りは快く与えるほどなのだ。

 故に改めて報酬として相応しい物は何なのかをカゲは熟考する。しかし、答えは出てこなかった。


『解らぬ。我には欲する物は無い故に。』

『おいおい、あのクソ勇者とは違い過ぎんだろ…。こう見えて俺ァ義理堅いんだぜ?』


 一方でジョニーは自己申告通りに義理堅い性格でもあった。見ず知らずどころか最悪のファーストコンタクトであった自分を、カゲは集落に迎え入れるように説得し、傷も治し、挙げ句の果てには眼と腕を生やす。そんな相手にどうやって恩を返せば良いのか。


『我は気にせぬのだが…それでは汝の気が済まないのだろうな。ふむ、ならば保留としよう。我が治した肉体を汝が気に入るかもわからぬしな。』

『はいよ、大将。』


 こうして報酬の話は一度保留となった。








 こうして雑談に花を咲かせ、道中襲い掛かって来る『凶種』達を蹴散らしながら、カゲ達は黒血人ヴァズピオ族の集落へと無事に帰還した。誰一人欠けることなく、それどころか一人増えた状態で帰って来た同胞に、待っていた者達は安堵の表情を浮かべる。そしてジョニーの素性とその身柄をカゲが預かることを告げると、ざわつきはしたもののどうにか受け入れる方針が決まった。


『それにしても暗すぎんだろ…何も見えねぇぞ。』


 松明片手にカゲの住処となった神殿の隣の家で、ジョニーは溜息と共に呟いた。黒血人ヴァズピオ族の集落が地下にある関係上、内部は完全な暗闇なのである。種族として暗闇が苦にならない黒血人ヴァズピオ族と、それ以上のスペックの肉体を持つカゲには問題ないが、超人めいた戦闘力を持っていても肉体は人間の枠を出ていないジョニーからすれば完全な暗闇は些か以上に厳しいものがある。黒血人ヴァズピオ族の集落は生活することすら難しい環境であった。


『では早速右眼の治療に取り掛かるか。』

『いやいや、右眼治したってこう暗くちゃ意味無ぇだろ。』

『ならば夜目が利く眼にすれば良いだろう。』

『…は?何言ってんだ?』

『ふむ?言ってなかったか?我は我が知る生物の肉体を模倣して作り出すことが可能なのだ。正確には【黒き獣】の肉体の力であるがな。』


 黒血人ヴァズピオ族は種族として獣化、霧化、高速再生、怪力などの凄まじい力を持つ。そしてその始祖である【黒き獣】はそれに加えて魂を持たない使い魔を召喚・使役が可能なのだ。その能力にカゲの【天陰大神】として魔獣を生み出した経験を加えたことで、彼が知るあらゆる生物の肉体を創造可能というとんでもない能力へと昇華していた。無論、自分の能力に頓着が無いカゲは何とも思ってなかったが。


『お、俺ァ何度驚かされりゃいいんだ、おい。まあいい。なら、アンタが知ってる中で一番イカした眼をくれよ。』

『《イカした》…?ふむ、あいわかった。』


 ここで、ジョニーのあやふやな言い方が良かったのか悪かったのかは人によって評価が分かれるだろう。ジョニーは『カゲが知る中で最も優れた眼球を』要求したのに対し、カゲは『己が知るの中で最も優れた眼球』をリクエストされたと勘違いしたのだから。


『では、汝に瞳を授けよう。かなりの激痛が伴うかもしれぬが、我慢せよ。』


 どんな眼にするかを決めたカゲは、右の掌をジョニーの左瞼の上に付けながら厳かに告げる。それに対してジョニーは黙って頷くだけだった。柄にもなく緊張しているのだ。


『では、行くぞ。』

『ぎっ…!ぐっ…くうぅ…!』


 ジョニーは己の左眼に奔る激痛に耐えながら、歯を食いしばって呻いた。何も無くなった眼窩に異物が入って来る恐怖。その異物が自分の肉体と融合していく違和感。そしてその双方を凌駕する激痛。三種の異なる感覚が合わさることで、大の大人でも泣き叫びたくなるほどの苦痛となっていた。

 ジョニーからすれば永遠にも思える苦痛の時間は、唐突に終わりを告げた。左眼から聞こえるグチュグチュという音が無くなると同時に、拷問じみた治療は終わったのである。


『終わったぞ。眼を開けるがいい。』

『お、おう。』


 額に浮かぶじっとりとした脂汗を拭いながら、ジョニーは恐る恐る左眼を開ける。すると、相変わらずの無表情なカゲの顔があった。


『ほんとに治ってらぁ…。』

『ふむ、問題は無かったようだな。これは重畳。』

『有り難ぇこと…って、おい!』


 眼球がいとも簡単に戻って来た事に感動していたジョニーだったが、ようやくおかしい事に気が付いた。何故


『何で視えてんだ!?真っ暗なはずだろ!?』

『ふむ、やはり汝のに【地梟神】の瞳を再現したのだが?』

『地…なんだって?』

『【地梟神】だ。我が『ゼクト』におった鳥の神よ。いまでは我が妻【天光陽神】が【神士】となっておるがな。』


 『ゼクト』にはカゲたちのような【天】の神に対応する【地】の神がいる。彼らは通常の生物や魔獣の中でも優れた能力を有し、且つ神々が認めるほどの力量まで己を高めた者達の総称である。

 今回ジョニーの眼として使われた【地梟神】は、元々は普通の梟であったが数奇な運命を経てその瞳に様々な特殊能力を持つようになった【地神】だ。その瞳は千里を見通し、あらゆる物を透視し、眼を合わせた者に幻を見せ、睨み付けることで敵に呪いを掛けたという。これら以外にもまだいくつかの能力を隠し持つ瞳が、今ジョニーの左眼には入っているのだった。


『そんなんアリかよぉ!』

『む?汝が求めたのではないか。』


 常識がズレている。ジョニーはそう確信した。まあ神様、それも異世界の神なのだから自分と感覚が違ってもおかしくない。彼はそう割り切ることにした。さらに、それならばと思いついたことを提案する。


『んじゃあよ、俺の右腕も魔改造できんのかい?』

『うむ。可能だ。』

『ならよ、こういうのは出来るか?』


 ジョニーは自分がこれまで使って来た義腕、『アマツ製多関節型戦闘用義腕』について説明する。そのような性能を持った腕に出来るのか、と。それに対してカゲは少し思案した後、首を縦に振った。








 それから数日後、集落の広場にて男達の怒号と悲鳴が飛び交っていた。


『オラオラ、どうしたァ!それで終わりか、テメェら!』


 カゲの手によって失った左眼と右腕取り戻したジョニーは、高揚した様子で黒血人ヴァズピオ族に稽古を付けていた。いや、黒血人ヴァズピオ族の若者相手に暴れていると言った方が正確かもしれない。


「ぐ、ぐあああ!」

「クソ!やってやらぁ!」

「うおおおおおお!」


 黒血人ヴァズピオ族は決して弱くない。むしろそれらを複数相手に一方的な展開に持ち込んでいるジョニーが強すぎるのである。


「いやはやとんだ化け物を拾いましたな、カゲ様。」

「うむ?奴は気の良い男だぞ?」


 ジョニーの強さに感心を通り越して呆れ果てているヴェルに対して、カゲは暢気なものだ。作業を中断して観戦している者達の反応も似たり寄ったりである。そして全員に言える事だが、何故か誰もジョニーを恐れていない。その理由は既に彼は同胞も同然であったからだ。


『おう、ボス!どうだ、俺ァ強ぇだろ!』


 死屍累々と化した黒血人ヴァズピオ族の中心から、ジョニーは無邪気に右腕を振っていた。自分の注文通りの腕を授けたカゲに対して、ジョニーは『俺を部下にしてくれ』と突然頭を下げたのだ。どうやらカゲに返せる報酬として相応しい物は思い付かず、ならばいっそのこと自分を部下にして扱き使って欲しいとのことだ。

 ジョニーの申し出に対して、意外にもカゲは難色を示した。それはジョニーが己の故郷に残した家族や仲間に申し訳ないと言う理由だった。何とも律儀な神だが、どうやらジョニーは『シャーン』に帰ったら彼らを説得してでも恩返しをしたいらしい。こちらも律儀な男である。


『うむ、強いな。我が弟にも気に入られるだろう。』

『えっと…確か【天炎陽神】だっけか?是非ともお手合わせ願いたいもんだね。』

『所で気の回復は順調か?』

『ああ、勿論だ。身体の調子もいいし、法力の回復量も総量も増えてやがる。ボス様々ってことさ。』

『うむ、それは重畳。ならば予定通り、明日には出発だな。』


 ジョニーが向かう先は他でもない、故郷の世界『シャーン』である。彼は自分の状況と世界の真実を家族と仲間に伝え、あわよくばカゲの下へと導きたいと考えていたのだ。

 これだけ聞くとジョニーが狂信者と化したように思えるがそうではない。単に自分の身内を信者を得る為ならなんでもやるようなの神しかいない世界から連れ出したいと思い至ったからだ。


『我が神の肉体を得た汝は、既に半人半神と言える存在。我が少しだけ手を加えれば、望む世界へ繋がる門を開くのも可能だろう。』

『そういや聞いてなかったんだけどよ、ボスは自分の世界に帰んねぇのか?』


 ジョニーの至極全うな問いに、カゲは首を横に振った。


『我は帰らないのではなく、帰られないのだ。我は力の大半を失ったが、それでも神である。我を異界へ飛ばすには莫大な氣が必要だ。しかし、今の弱った我では汝の力を借りたとて十分な氣を捻出出来ぬ。よって不可能なのだ。』

『ふぅん、出力不足って感じか?ボスにはボスなりの苦労があるってことだな。』

『そういうことだ。汝は気にせず仲間を連れて来るが良い。我らは受け入れるための土地を地上に造っておく。』


 カゲから陰術と陽術という新たな力を授かり、さらに『甲羅』という脅威が去った黒血人ヴァズピオ族は、遂に地上へと戻る決心をした。先日の長旅で自分達の力が『凶種』に十分通じることが証明された事が最大の理由である。先程ジョニーとの稽古を見ていた者達が行っていたのが、開拓の準備であったのだ。


『何から何まで世話になるな。ま、俺の仲間は強ぇ。期待して待っててくれや!』

『うむ、そうしよう。』


 自信満々なジョニーと常に淡々としたカゲ。何故か噛み合う二人は、黒血人ヴァズピオ族の若人が復活するまでの間、他愛もない雑談に花を咲かせるのだった。

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