第20話 邂逅
ヴァンを含む
「ふむ、距離で言うと後半日といったところか。」
「はい、カゲ様。」
夜、カゲの漏らした何気ない呟きに返したのはヴァンであった。今、彼らは野営している。これが目的地に着く前の最後の休息になるであろう。それが解っているので、野営地にはピリピリした空気が漂っていた。特に緊張しているのは女性陣である。集落の外に出るのも初めてである彼女たちは、最初こそ喜色満面であったが、慣れない長距離の旅と夜間に幾度となく起こる『凶種』による奇襲に疲労困憊だ。
「明日の戦闘に支障が無ければ良いが…。」
「そうですな。考慮しておきましょう。」
「うむ。では、汝は寝るがよい。晩の見張りは我であるからな。」
「はい。宜しくお願い致します。」
実はカゲに睡眠は必要ない。彼はこの世界の神の肉体を有する異世界の神であり、生物の枠から外れているのだ。
既に
「うむ。皆、寝たか。」
ヴァンが自分のテントに入ってから数分後、
「それにしても…知っていても驚くものよな。この大地と天球には。」
彼が言っているのはこの『アルス』という世界の形状についてである。『アルス』の大地は下部が半球状に出っ張った円盤状の巨大な岩だ。『ゼクト』の恒星や惑星のような球形ではない。しかもこの世界には星はこの一個だけで、他に星と言えるものは一切存在しないのである。
他に星が無いということは、惑星を照らす恒星も存在しない。『アルス』の大地にあるのは、空中に浮かぶ一つの巨大な球体だけだ。これを
「『ゼクト』には二つ以上の月がある星も多かったが…これも個性というものか。」
知識としては知っていても、自分のいた世界との違いを見せつけられる度に沸き上がって来る感情。それは好奇心であった。
「幾つもの世界を管理することも、他の世界の様子を見る事にも興味は無かったが…こうしてみると中々に面白いものだ。」
『アルス』は世界としては最小クラスだ。故に同程度の規模の世界を幾つも管理する神は存在する。そういう神々は軒並みカゲに匹敵する力がある場合が多いので、どうして彼らは手間が掛かることをするのだろうかと前々から疑問に思っていた。その答えがこの世界間にある個性なのかもしれない。実際、カゲの兄弟で『ゼクト』の空間を司る【天空陽神】は暇を見つける度に異世界へと遊びに行っていたことをカゲは知っている。彼ないし彼女も自分と同じ気持であったのだろうか。
「こればかりは聞かねば解ら…む?」
とりとめもない事を考えながら無聊をかこっていたカゲだったが、ふと世界に違和感を感じた。『アルス』の管理者となっていたからこそ感じることが出来た小さな違和感の正体は、空間の歪みであった。歪みが生じたのは距離的にかなり近い。しかも夜が明けたら向かう方向である。さらにその歪みから何かが出てくるのにも気が付いた。
「異界からの訪問者、か?」
自分とは違って肉体を伴った状態での転移。それは不可能ではないが、難易度が高い上に成功率も低い。なぜなら、それ相応の理由が無い限り世界間でモノを移動させるのを普通の神は嫌うからだ。故に成功するのは呼ぶ側の神と呼ばれる世界の神が合意した場合に限る。
「ふむ。ならば責任の一端は我にあるということか。」
今のカゲは『アルス』の神、即ち管理者である。彼が事前に異界からの侵入に対して防御網を張るべきだったのだが、それを怠っていたのだ。これほどに小さく、しかも滅びかけている世界など誰も来ないだろうと高をくくっていたのも一因だろう。
「ふむ。やはり異界の者の情報は閲覧出来ぬか。」
現在、カゲは『アルス』で唯一の神である。故にこの世界の中に限れば絶対者としての力を有している。しかし、彼は所詮は外の世界から来た神なので、全知全能とは程遠いのも事実であった。現に彼は世界で起こった出来事を読み取ることは可能であるが、生きている者達の視点を借りたり、考えをリアルタイムで読み取ったりすることは出来ないのだ。しかも相手は外の世界からやって来た者。情報を得ることは、案の定出来なかった。
「ふむ。この肉体であればそう簡単に死にはせぬだろうが…話が通じるとよいな。」
一人で考えても仕方がない。皆が起きてから話そうと決めたカゲは、夜の見張りに戻るのであった。
これまでの歴史上、『甲羅』達の集落から血や臓物、糞尿や腐肉の臭いが消えた例は無い。彼らは肉食であり強靭な消化器の働きで腐肉も平然と食べる事が出来るので、余った食料をその辺に放り出しているのが原因だ。
そして今も彼らの集落では新鮮な血が舞っている。ただ、これまでと違うのは、血を流すのが『甲羅』達自身であるという一点のみであった。
「これで…終いだァ!」
「Gyooooooo…!?」
『甲羅』達最後の生き残りは、ジョニーの手刀に堅牢な甲羅ごと斬り裂かれて果てた。彼は夜通し戦い続けた結果、カゲと
「ハァ…ハァ…!なんだってんだ、クソッタレ…!」
周囲に生者がもういない事を確認したジョニーは、崩れ落ちるように地べたに横になった。元々全身に大火傷を負った状態で、化け物相手に大立ち回りを演じたのだ。本来なら動けない程の重傷でも戦えたのは、偏に傭兵としての経験の成せる業である。
「このまま寝てぇけど、そうも行かんよなぁ。」
見た目や言動に反して、ジョニーは常に最悪を想定して動くクセがある。慎重さこそが彼が戦場で生き延び続けた秘訣なのだが、その感覚がこのままではいけないと囁いていた。
「傷が治るまではここにいなきゃならん。けど、眼がイカれちまったしなぁ…。アレを準備せにゃぁな。」
そう言うとジョニーはボロボロの身体に鞭打って立ちあがり、準備に必要な物を集落で集めるのだった。
翌朝、カゲは起き出して来たヴァン達に昨日の夜に感じた出来事を語った。普通なら信じないような突拍子もない内容だったが、疑う者は誰もいない。カゲの神徳の賜物であろう。
そして新たな異界からの訪問者に、ヴァン達は強い警戒心を露にした。これは『凶種』が異世界からの侵略者であることを既に伝えているからだ。カゲという自分たちを助けてくれる異世界からの訪問者を知っていても、彼らの憎悪は根深いものがある。近くにいる相手は『凶種』のような狂暴な怪物かもしれないという警戒心を抱かずにはいられないのだ。
そして警戒することをカゲも正しい反応だと思っている。相手が高度な知性を持つ生命体である事と、それが狂暴ではない事はイコールではないからだ。よってカゲならば『念話』で意思の疎通が可能なので、もし遭遇したならば彼が対話に臨む事になった。
「カゲ様、どう思われますかな?」
「ふむ…。」
異世界人への対処を決めた一行は、予定通りに『甲羅』の集落へと向かった。そして集落を俯瞰出来る小高い丘へと斥候を放ったところ、驚くべき報告を受けることとなる。その報告とは、既に『甲羅』の集落が何者かの手によって滅ぼされているというものであった。
集落の至る所に転がる『甲羅』の死体。それには成体の雌だけでなく、子供も含まれていたらしい。生存者がいるとは思えない惨状である。
「ヴァンよ。この付近に『甲羅』を容易く屠れる『凶種』はおるのか?」
「いえ、おりません。ですが、『甲羅』に匹敵する者どもはおります。」
「ほう。」
「我らは『飛毒針』と呼んでおります。我々と同じ程の大きさで四枚の翅を巧みに操って空を飛び、尻尾の先端の毒針で麻痺させた獲物を生きたまま喰らう性質があります。」
「ふむ…。それらが犯人ではないのか?」
「有り得ませぬ。我等にとって『甲羅』と『飛毒針』は同じ位に危険な外敵。ですが『飛毒針』では『甲羅』に勝てぬのです。何故なら『甲羅』の分厚い皮膚は、『飛毒針』の毒針を寄せ付けぬからですじゃ。」
ヴァンは『甲羅』と『飛毒針』が争っているのを盗み見たことがあり、カゲに語りつつその時の光景を思い出す。空中を縦横無尽に飛び回りながら毒針を突き刺そうとする『飛毒針』に対し、『甲羅』は苛ついたように無茶苦茶に鉤爪を振り回していた。毒針を刺せない『飛毒針』と攻撃が当たらない『甲羅』。両者の戦いは千日手の様相を呈し、結局は『飛毒針』が飛び去って終わったのだ。
「ふむ。ならば異界の者がやったのかもしれぬな。」
「もしそうであれば、相手は手練れですな。『甲羅』は雌であっても決して弱くはありませんので。」
「うむ。しかし、我等はあの集落へと行かねばならぬ。彼奴等が全滅したかどうかを確かめねばならぬのだからな。皆、心せよ。」
「「「はっ!」」」
一行はついにカゲを先頭に『甲羅』の集落へと足を踏み入れた。近づく間に分かっていたことだが、集落には凄まじい悪臭で満ちていた。そこら中に転がっている『甲羅』の死体はどれも一撃で両断されている。その断面は綺麗で、生物の爪や牙では決して再現できない傷口だ。やはり異世界人の、それも鋭い金属や魔術の類を使える者による襲撃があったと考えるのが妥当であろう。
「ふむ…それにしても、悪趣味だな。」
「そうですな。生首をこのように晒すなど…。」
カゲとヴァンが呻いているのは、『甲羅』の生首が集落の至る所に設置されているのが問題だ。規則正しく並べられたそれは、邪教の儀式のようにも見える。ここを襲った異世界人は邪悪な存在なのかもしれない。
『動くな。』
「む?」
「何!?」
そんな余計な事を考えていた罰が当たったのだろうか。カゲは己の背後に現れた謎の人物によって喉元に刃を付けられてしまった。
「カゲ様!」
『動くんじゃねぇ!あと、喋るな!』
聞き覚えの無い言葉で怒鳴る下手人の迫力に、ヴァン達は止まらざるを得ない。信仰対象でもあるカゲの命が掛かっているのだから、当然の反応だろう。その男の風体は異様であった。返り血まみれで全身に火傷を負った、左目と右腕のない大男であったからだ。ヴァン達は悔し気に顔を歪めながら異世界人の男を睨んだ。
「貴様、何が目的だ!?」
『何言ってんのかさっぱり解んねぇな…言葉が通じるなんてご都合主義の展開は…』
『否、我には通じておるぞ。』
『誰だ!?』
突然頭の中に直接響いた声に驚いた男、ジョニーは焦りながらも感覚を研ぎ澄ませて周囲を窺う。座標を指定するのが難しくなったとは言え、彼の空間を把握するセンスはずば抜けている。体内の法力を拡散して周囲の生命反応を探ることくらいは朝飯前だ。しかし、彼の感覚を以てしても自分が捕まえたリーダーっぽい角の生えた男と角の他は同じの人型生命体以外には何も感じ取れない。彼の感覚をも騙し果せる者がいるとでも言うのか。
『早とちりをするでない、異世界の者よ。汝に『念話』にて語り掛けておるのは、我だ。』
『…まさか、アンタだってのか?』
このままでは拙いかもしれない。そう思った矢先に再度頭に響く声。その主はどうやら刃を向けている相手のようだ。
『その通りだ。汝は如何なる理由でこの世界、『アルス』に来たのだ?』
『へっ、それを語るにゃあ一晩は掛かる…って、テメェ!何で俺が異世界から来たってわかった!?』
『ふむ、それは単純な事だ。我は【天陰大神】。こことは異なる世界、『ゼクト』より落ちのびた神であるからよ。』
カゲの言葉にジョニーはピクリと眉を動かす。彼なりに思う所があるようだ。
『…似た者同士ってか?』
『そうかもしれんな。して、汝は何処から来たのだ?』
『黙れ。質問するのは俺だ。まず最初の質問だ。ここは何処だ?』
『世界の名は『アルス』。そしてここは『甲羅』という『凶種』の集落だ。』
『何のためにここへ来た?』
『『甲羅』の討伐だ。彼奴等は危険なのでな。既に汝に屠られたようだが。』
『危険な相手を討伐、か。まあいい。んで、本題だ。俺は元の世界に帰りたい。テメェは神なんだろ?手ェ貸せ。』
元の世界へと帰りたい。それは不幸のどん底にいた者でもない限り、当然の願いであろう。
『ふむ…不可能ではない。しかし、それは脅しか?』
『俺も手荒なのは好きじゃねぇよ。ただ、こうでもしねぇと話にならねぇかも知れなかったんでな。』
『ほう…では、汝から見て我は話すに足る相手だと思うか?』
『そうだな…ああ。少なくとも、俺の『
『そうか。では、その手を降ろして貰えるか?』
『いいぜ。その代わり、テメェも約束しろ。部下共に攻撃させねぇってな。』
『当然だ。』
『…そうかい。』
交渉は終わったとばかりに、ジョニーは法術を解除して左腕を降ろした。それに対して反射的に動こうとしたヴァン達を、カゲは掌で制した。
「カゲ様!何故止めるのです!」
「落ち着け。この者との話はついた。この者は聖者ではないが、邪悪でもない。」
「…ふぅ。解りました。」
カゲの穏やかな説得によって、ヴァン達は渋々ながら伸ばした鉤爪と牙を引っ込める。ジョニーを睨むのを止めはしないが、とりあえず攻撃するつもりはないようだ。
『へっ、ホントに止まったな。神にもマトモな奴がいて安心したぜ。』
『ふむ?そうなのか。そう言えば汝の名を聞いておらなんだな。教えてもらえるか、異界の者よ。』
『あ?ああ、俺…の……名………』
そこまで言ってジョニーは前のめりになった倒れ込んだ。ここまでどうにか気合で意識を保っていたのだが、知性ある者との会話とこれまでよりもほんの少しだけ安全だと思ったせいで気絶したのである。
「ヴァン、集落の外で野営するぞ。この者の寝床も用意してやれ。」
「畏まりました。」
【天陰大神】カゲと”
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