第17話 完全勝利とこれからの事

「うむ。」


 『甲羅』たちを迎撃した翌日、生き生きとした表情でそれぞれの仕事を熟している黒血人ヴァズピオ族を見る【天陰大神】は非常に満足げであった。数百年前、『甲羅』の襲撃によって黒血人ヴァズピオ族は地底湖まで逃げる破目になった。しかし、【天陰大神】に与えられた力によって今度は完全なる勝利を収める事が出来た。その事実を以て、黒血人ヴァズピオ族は【天陰大神】に全幅の信頼と強固な信仰心を向けるようになっている。しかし、そうでありながらも己の力で危機を乗り越えたという自負もあるので、盲信している訳ではない。これこそ、【天陰大神】にとって神と人との丁度いい距離感であった。


「『甲羅』の死体はどうするのだ?」

「そうですなぁ…。甲羅と皮は良い防具になるでしょうな。爪や牙、それに骨は武具になりますぞ。鬣は…毛織物にするには向かないようですし、こちらも防具か武器の飾りになるでしょう。」

「ふむ?肉はどうするのだ?」

「ああ、それがですな…。何と申しますか、アレは食べられるものでは無い臭さでしてな…。」


 どうやら、『甲羅』もまた『首無し』と同じく武具の素材としては一級品だが食用には向かないらしい。【天陰大神】の知識では毒となる成分は含まれていないらしいのだが、知的生命体にとって『食べられない』と『食べたくない』には大きな違いがあるようだ。神の視点では解らないことである。


「そうか、ならば良い。凶種をおびき出す罠にでも使えばよいだろう。」

「それくらいしかありませんな。しかし…」


 先ほどまで普通だったヴァンが、唐突に不思議そうな顔をして【天陰大神】をしげしげと眺めている。無礼だとかなんとか言うつもりはないし、彼に羞恥心などはないのだが、彼が何を不思議がっているのかが解らない。ならば聞いてみるといいだろう。


「ふむ、どうしたのだ?ヴァン・ヴァスよ。何か気になることがあったか?」

「ああ、いえ。失礼いたしました。無礼を承知で申し上げますが、【天陰大神】様と初めてお会いした時は、このように親しみやすい方だとは思わなかったもので…。」


 そのことか、と【天陰大神】は納得する。ヴァンは神のような高次元の存在が、自分たちと普通に会話していることに戸惑っているのだろう。実際、『ゼクト』で神が降臨すればその姿を見たほとんどの者は涙を流して平伏するのだから。

 ただし、【天陰大神】の解釈は間違っている。ヴァンは頭部から角を生やした陰のある美男子という怪しい風体という第一印象と違っていたと言っているのだ。【天陰大神】は自分のことを怪しいなどと考えたことも無いので、この勘違いには何時までも気が付かないだろう。


「左様か。ふむ…それで、『甲羅』の集落へは何時向かうのだ?」


 『甲羅』の集落へ行き、残党を狩る。これは昨日の夜にヴェルとヴァン、そして【天陰大神】の三人で行われた話し合いで出した結論だった。攻め込んで来た雄を全滅させた今、『甲羅』達の集落には雌と子供しか残っていないはずだ。そこを根絶やしにすれば、『甲羅』の脅威は無くなる。その好機を逃す訳には行かない、という理屈だ。


「調査隊の人選は終えております。しかし、出発は数日後ですな。長旅の上に女衆のほとんどは外へ出るのは初めてですので、いつも以上に入念な準備をせねば。」


 これまで黒血人ヴァズピオ族で洞窟の外へと出るのは男衆だけのはずだった。しかし、【天陰大神】が陰術と陽術を伝えたことで事情が変わる。優秀な術者の女達が今度からは自分も外の探索に付いて行きたいと言い出したのだ。確かに、遠距離攻撃に優れる術者を連れて行くのは合理的である。しかし、外は危険で溢れている。『甲羅』は凶種の中でも最上位の種族ではあるが、黒血人ヴァズピオ族にとっての脅威は奴らだけではないのだ。

 意見は二つに割れた。ヴェルは女衆をいたずらに危険に晒すべきではないと言い、ヴァンは戦力として頼るべきだと言う。二人の議論は何処までも平行線で収拾がつかずに怒鳴り合いになったところで、【天陰大神】が助け船を出した。自分が付いて行こう、と。


「うむ。汝に任せれば上手く行くだろう。」

「もったいなきお言葉ですな。カッカッカ!」


 正直、【天陰大神】からすれば少々干渉し過ぎな気もしたのだが、今の自分は肉体を持つと同時に最盛期よりも遥かに弱いのだから自分の数少ない信者に力を貸すのは問題ないだろうと思い至ったのだ。まあ、後日『ゼクト』の神々にこの事を言ったら「気にし過ぎだ。」と笑われたのだが。


「テン様ぁ~!」

「ふむ?」


 そんな意味の無いことを考えていた【天陰大神】だったが、呼び慣れない言い方で自分を呼ぶ声に気付く。彼がそちらを向くと、集落の子供たちが駆け寄って来たところであった。子供たちの先頭にいた男の子は、天真爛漫な笑顔を浮かべながら口を開いた。


「テン様、遊んで!」

「これ、デルゥよ!【天陰大神】様をそのように呼んではならぬぞ。失礼ではないか!」

「えぇ~?でも爺ちゃん、【天陰大神】様じゃ長いよ?」

「うむ。我をテンと呼ぶのは問題であるな。」


 ヴァンの顔に緊張が走る。強大な力を持った【天陰大神】は見た目に反して大らかだが、相手の寛大さに甘えるのは決して良いことではない。【天陰大神】に対して一族が感じている恩が大きければ大きいほど、無礼な態度をとった事への申し訳なさが際立つというものだ。


「我が名【天陰大神】とは、『天に座す陰を司りし大いなる神』という意味だ。『テン』では天に座す全ての神々に当てはまる。我を呼ぶに相応しい名ではないな。」


 しかし、ヴァンの心配は杞憂であった。【天陰大神】が苦言を呈したのは略称を用いたことではなく、呼び名そのものだったらしい。低位の神にとって名前とは存在を維持する上で非常に重要な要素なのだが、【天陰大神】は最上位の神だ。人が勝手に呼び名を付けたとしても問題は何も無い。そもそも、『ゼクト』の人間が勝手にライラと名付けた【天光陽神】ですら毛ほども影響を受けていないのだ。故にかなり弱っている彼でも大丈夫なのである。

 ヴァンが心の中でほっとしていると、彼の孫であるデルゥは何故か悩んでいた。


「う~ん。じゃあイン様?何かそれじゃかっこ悪い!」

「ふむ?そうか。」

「これ、デルゥよ…。」


 ヴァンは【天陰大神】が気にしていないと知っていても、孫の歯に衣着せぬ物言いに顔を青ざめる。そんな祖父の内心などお構いなしにデルゥは思うままに言葉を紡いだ。


「そもそも、『陰』ってどういう意味なの?」

「うむ。『陰』とは『陽』と対になる概念。闇であり、影であり、黒であり、悪でもある。生ける者はそれを忌み嫌うが、それがあってこそ『陽』が成り立つのだ。少なくとも、我が『ゼクト』ではそうであったな。」

「へ~。よくわかんないけど、すごいんだね!じゃあ、カゲ様って呼んでいい?」

「ふむ。構わぬよ。」


 こうして、これまで【天陰大神】か【陰神】としか呼ばれていなかった神に俗称が付いたのであった。












「なんだ、あっけねぇな。」


 傭兵団『大百足センチピード』の団長、”ふとっちょファッティ”ジョニーはになった敵性巨大生物エネミーの上で呟いた。敵性巨大生物エネミーと言えば御伽噺の化け物であり、実際にかなり強い。法術の発動を阻害する霧を発生させ、生半可な兵器では傷一つ付かない甲羅を持ち、柔軟で自在に長さを変えられる触手まで備えていたのである。しかし、そんな怪物も彼からすればはっきり言って図体ばかり大きい雑魚でしかなかった。


「まぁ相性が良かったってのもあるんだろぉけどよぉ…もうちっと歯ごたえが欲しかったぜ。」


 戦闘狂気質であるジョニーは物足りなさそうに足元を眺める。彼の眼にはもうピクリとも動かない巨大な蟹と蛸を融合させた怪物と、それの死体から流れる体液によって泥水のように淀んでしまった海だけが映っていた。


「ま、いいか。蟹味噌も中々にいい香りだしな。この分なら肉も美味ぇだろ。」


 正直なところ不完全燃焼だったが、既に彼の頭の中はこれを食べたいという食欲でいっぱいになっていた。どの部位をどのくらい持って帰るかを考えていると、彼の背後に誰かが飛び移って来る気配を感じる。


「お、ケントか。」

「ああ。」


 ジョニーの元へとやって来たのは傭兵団でも団長に次ぐ実力者である”右手の侍ナイフ・サムライ”ケント・テシガワラであった。彼は敵性巨大生物エネミーの部下を薙ぎ払って上司の様子を見るためにやって来たのだ。まあ、予想通りに何の問題も無かったらしいが。


「苦戦もしなかったか。流石、俺を負かしただけはある。」

「当然だろ。図体ばっかでよぉ…お前も一撃でぶっ殺せただろぉぜ。んなことより、被害は無ぇよな?」

「勿論だ。軽傷者十名のみ。強いて言うならたまの代金くらいだろう。あと、六匹生け捕りにしたんだが…唐突に死んだぞ。原因は不明。」

「ふぅん。コイツと繋がってたのかねぇ?」

「と言うと?」

「神サンと天使ってのは繋がってて、もし神サンが死んだら天使も死んじまうって孤児院のジジイが言ってたぜ。ホントかウソかは知らねぇがな。ま、その辺の考察は偉い学者様に任せようぜ。それより、どうすりゃいいと思うよ?」


 ジョニーの具体性に欠ける疑問を、ケントは正しく理解して答えた。


「蟹味噌と脚だな。共和国も欲しがるだろうから…脚は一本にしておけ。」

「そだな。」


 ジョニーやケントからすれば巨大なだけの雑魚かつ馬鹿でかい食材なのだが、何と言ってもこれは敵性巨大生物エネミーだ。その研究素材としての価値は計り知れないものがある。化け物を討伐する依頼を受けたとはいえ、その死体の所有権については何の取り決めもしていない。なので全部持って帰ってもいいのだが、絶対に持て余す上に依頼主である共和国に恨まれるに違いないのでその位が妥当だろう。


「んじゃ、撤収だ。」

「了解だ。」


 こうして傭兵団『大百足センチピード』による数百年に一度の災害、敵性巨大生物エネミーの討伐は成し遂げられた。このことは共和国の軍部や情報部において団長である”ふとっちょファッティ”ジョニーの武勇伝の一つとして語り継がれることになるのだった。










 ジョニー達がアジトにて敵性巨大生物エネミーの肉で宴会を開いている頃、ワーズ共和国の首都にあるギルズン教の大教会の一室に四人の男女が集まっていた。彼らはギルズン教公認の勇者一行である。


「クソ…!何故だ!どうしてこうなった!」


 汚い言葉で怒鳴り散らしているのは、ギルズン教が勇者と定めたパウル・ヘルツォグである。輝くような金髪と澄んだ青空のような青い瞳、黄金比と謳われる容姿。どんな女性であってもくらりと来そうなイケメンなのだが、鬼の形相で頭を掻き毟っている姿を見ればその想いは砕け散るだろう。


を用意するのにどれだけ手間がかかったと思っている!それを…それを…!」

「落ち着いて下さい、パウル様。」


 パウルを宥めるのは聖職者の服を着た美少女であった。亜麻色の絹のような光沢を放つ髪に白磁のような肌、ゆったりとした僧服でも隠し切れない豊満な肢体。清楚でありながら蠱惑的という相反する二つの雰囲気を纏った彼女の名はアリシア・サンズロ。ギルズン教が公認した聖女であり、勇者パウロの恋人である。


「アリシア!これが落ち着いていられるか!?」

「確かに敵性巨大生物エネミーを単独で討伐するなど、人間の域を超えた所業。パウル様が動揺されるのも当然でしょう。しかし、討伐者の情報を調べたところ、その者は敵性巨大生物エネミー以上の怪物であることが解りました。」

「怪物?お前がそう呼ぶとは…何者だ?」


 怪訝な顔でアリシアに問うたのは長い赤毛と赤髭を蓄えた偉丈夫であった。彼は勇者パウロの仲間、グスタフ・マーチマンである。彼は傭兵として戦場で名を馳せた槍の名手であり、槍によって戦艦に穴を開けて沈めたという武勲から”剛槍貫艦”のグスタフという二つ名まで持っている武人だ。仲間であるアリシアをして化け物と言わしめた者が誰なのか。一人の武人として気になるのだろう。

 そんなグスタフの質問に答えずに、アリシアは黙って資料を配る。そこには一つの組織と一人の男について書かれていた。


「傭兵団『大百足センチピード』。その団長であるジョニー・ハワードが此度の下手人です。」

「じょ、ジョニー・ハワードだと!?」

「知っているの、グスタフ?」


 ジョニーの名前を聞いて血相を変えたグスタフに鋭い視線を向けたのは、キツイ吊り目とショートヘアが特徴的な美女だった。彼女こそ勇者パーティーの最後の一人であるセシリア・キャッスルである。彼女はワーズ共和国の大学で雷の法術を研究している法術師であり、雷を自在に操る姿から”雷導師”と呼ばれている実力者だった。


「傭兵家業をやってれば絶対に知ってる名だ。”ふとっちょファッティ”ジョニーって呼ばれてる。」

「”ふとっちょファッティ”?写真を見る限り太ってないけれど?」

「それは大喰らいって意味だ。一食で二十人前は食うらしい。」

「ふぅん。でもそれが何なの?食欲の化け物ってだけじゃないんでしょ?」


 本業は学者であるセシリアは、有名な傭兵と言われても解るはずがない。しかし、彼のことを知っているグスタフは実感していた。知らないこととは、これほど恐ろしいものかと。


「俺は実際にジョニーが戦っている所を見たことが無い。だが、『大百足センチピード』に所属している男と殺し合ったことがある。」

「それで?」

「完敗だった。曲剣…いや、あれは刀とか言うんだったな。とにかく、その刀一本で俺を入れて十人いたのに負けたんだ。生き残ったのは俺だけ…苦い記憶さ。」

「でもさ、団員が強いって言うのと団長が強いって言うのは違うでしょ。その刀使いが傭兵団で一番なんじゃない?」

「馬鹿言うな。あいつは今は傭兵団の一番隊の隊長になってるはずだが、団長は別格だ。仮に”ふとっちょファッティ”ジョニーの武勇伝を出版するなら、百科事典みたいな本になるだろうよ。」


 グスタフの主張を大げさだと思ったのか、セシリアは胡散臭そうに目を細める。それに対して答えたのは、意外にもアリシアであった。


「グスタフの言う通りです。その男の戦闘能力ですが、人外と言っても過言ではありません。の領域に踏み込んでいると言ってもいいでしょう。」

「どういう事?」

「彼の戦闘スタイルはは我流の格闘術ですが、その時に空間属性法術を併用するそうですよ。」

「はぁ!?」


 アリシアの発言にセシリアは素っ頓狂な声を上げてしまう。だが、彼女のことを馬鹿にしてはいけない。法術の知識がある者ならば、誰でも同じ反応をしたはずなのだから。


「そうだ。聞いた話では『次元刃ディメンジョン・ブレード』を両手から発生させて敵を斬り裂き、戦闘中に『転移テレポーテーション』で縦横無尽に戦場を飛び回り、拳だけが通る極小の『ゲート』を使ってなんて芸当を平気な顔でやってのけるそうだ。」


 グスタフの捕捉が衝撃的過ぎたのか、セシリアは絶句して口をパクパクとさせている。法術の研究者である彼女ならば、ジョニーがどれほど規格外な事をやってのけているのかを正確に理解しているからこその反応だった。

 空間属性。使いこなせば一瞬で指定した座標に移動する『転移テレポーテーション』や座標同士を繋げる『ゲート』などの移動に便利な術をはじめ、指定した空間を歪めて内部を圧壊させる『歪曲ディストーション』のような破壊力のある攻撃方法も有している優秀な属性だ。

 だが、使いこなせる者はごく少数である。適正のある者の数が少ないのも一因なのだが、それ以上に術の失敗率が高いのだ。その基本にして神髄は自分を中心とした空間における座標を正確に把握することなのだが、それが非常に難しい。普通の人間では空間の座標を正確に指定する事が出来ないのである。故に、一般的に空間属性法術を使う時には、座標特定を補助する様々な計器を伴うのが当然なのだ。なので空間属性法術を用いた法術機器は数あれど、実戦レベルで使う者はなどいないに等しいのである。

 それを人力で、それも戦闘中に自在に操るなど常軌を逸している。この時、セシリアはようやくジョニーが正しく怪物であることを強く認識した。


「その男の事はどうでもいい!問題は、その傭兵のせいで我等の計画が頓挫してしまったことだ!を斃すこと以上に名を上げるのに最適な方法などないと言うのに!」

「はい、パウロ様。では、どうされるのですか?」

「殺す。」


 今後の方針について聞いただけのつもりだったアリシアの質問に対し、パウロの答えは意外なものだった。


「傭兵をですか?」

「そうだ。私の計画をにした責任を取ってもらう。」


 三人は憎悪で歪んだパウロに気圧されたのか、何も言うことが出来ない。パウロは勇者らしからぬ濁った瞳で続けた。


「傭兵など、思想のないテロリスト予備軍のようなものだ。適当な罪をでっち上げればいい。脛に傷が無いわけじゃないはずだからな。」

「そう都合よく動くとは思えません。ご再考を…」

「黙れ!これは私の決定だ!逆らうのか!?」

「…申し訳ございません。」


 こうして勇者たちはジョニーを殺害するために動き出した。その理由はひどく幼稚なものだったが、これが世界どころか他の世界まで巻き込んだ事件になることを彼らはまだ知る由も無かった。

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