第15話 戦いの準備

 【天陰大神】が黒血人ヴァズピオ族に『氣』の扱い方について教え初めて、今日で丸三日が経過していた。教え始めたばかりの時はこのままで本当に大丈夫なのかと心配していた【天陰大神】だったが、ヴェルという天才のおかげで問題は解決していた。


「これ!術の固定化が乱れておる!集中せい!」

「は、はい!族長!」


 何故なら、ヴェルが教官役をやっているからだ。たった数分で『氣』を感じ取った彼女は、なんとその日のうちに『陰術』を第十位階まで使えるようになってしまったのである。人間に使える中では第十位階が最高位であり、一日にして『陰術』を極めたことになる。さらに次の日には何も教えていないにもかかわらず、『陽術』を使えるようになり、彼女に適正があった水・風・光属性の陽術を昨日と同じく一日でマスターした。彼女は紛れもなく『ゼクト』にも生まれなかった、数億年に一人の天才であった。

 また、黒血人ヴァズピオ族はどうも女の方が術の素養があるらしい。男衆で高位の術を使える者は数人だが、女衆は全員が昨日の段階で第十位階までの術を修めている。まあ、黒血人ヴァズピオ族は男女共に身体能力が優れているものの、男の方が圧倒的に動けるので、つり合いが取れているというべきか。


(うむ。やはり、我よりも彼女の方が教えるのに向いているようだ。助かる。)


 一族の若者たちを叱咤するヴェルを後目に、【天陰大神】は神殿の中央部で座禅を組んでいた。これは教えるのをサボっている訳ではなく、彼なりの戦いの準備なのである。


(思ったよりも簡単に世界と完全同期がとれたようだ。いや、神が不在かつこの世の神の片割れの肉体を持っていれば当然か。)


 彼が行っていたのは、己を『アルス』の神として世界に認識させることだった。現在の『アルス』はいわばイナゴの群れに農民ごとやられてしまった田畑のようなものである。この例えで言うならば、【天陰大神】はそんな荒れ地にやって来た死にかけの旅人で、これまでは荒れ地に腰を下ろしただけだったが、今は本格的に住環境を整えようとしている、と言ったところか。


(ううむ。思ったよりも酷い状態だ。)


 そうして『アルス』の管理者となった【天陰大神】は、世界の状況を細部まで認知して顔を顰めた。ここに来て直ぐの時に軽く浚った情報でもかなりまずい状態だったが、詳細な情報を得た今ではその認識は変わっている。


(この世界、『アルス』は滅ぶか。我が何をしたところで手遅れよな。)


 管理者、即ち神が世界から去る典型的な原因が三つある。一つ目は世界の維持・管理が上手く行かずに滅びゆく世界を放棄して新天地を求めて旅立った場合。二つ目はそうして旅立った神々が異世界を侵略し、その戦いで世界が修復不可能になってしまった場合。そして三つ目が神々がを起こした場合である。

 最も多いパターンが一つ目の理由だ。実際、己の世界を維持出来ず、自分たちの住処とするため『ゼクト』に侵攻してきたことは幾度となくある。結果的には全て撃退したのだが、もし敗れていれば『ゼクト』は乗っ取られていただろう。二つ目の理由の時は目も当てられない。土地を求める侵略者と原住民が戦った後、その土地が使い物にならなくなって両者共に土地を棄てる事になるのだから。そして最も少なく、そして最も質が悪いのが三つ目の場合だ。【天陰大神】の知る中では「飽きた」と恥ずかし気もなく言ってのけた神もいたらしい。その世界の住人にはご愁傷様としか言えないだろう。

 それはさておき、【天陰大神】が調べた結果、『アルス』は予想通りに一千年も持たずに崩壊することが判明した。ただし、延命手段が無いわけではない。『アルス』の崩壊はやはり長年の放置による『氣』の偏りが原因だ。人間風に言えば血液がうまく循環していない状態である。幸いにも【天陰大神】は『ゼクト』という無数にある世界の中でもかなり上位の規模を誇る世界の、それも文字通り半分を制御していた偉大なる神だったので、『氣』の偏りを正常な状態に戻すことは可能だ。しかも今の『アルス』は『陰の氣』が過剰な状態なので、余剰分を吸収することで己の力をほんの少しであるが回復させられるだろう。それでも世界そのものが使い物にならなくなっているので、今更偏りを無くしても一千年が一万年になる程度の効果しかない。…人間やその他の寿命の短い生き物からすれば劇的な延命なのだが、彼は神である。億どころか兆を超える年月を過ごした彼にとって、千と一万の違いなど些細なものだ。


(この事を伝えるのは、我が最低でも力の二割…否、一割半でも戻ってからか。そうすれば黒血人ヴァズピオ族も連れて行ける。)


 【天陰大神】の目的は『ゼクト』へと帰ることだが、だからと言って自分が加護を与えた者達を放置するつもりは毛頭なかった。むしろ予定よりも長い時間が掛かったとしても、黒血人ヴァズピオ族を『アルス』から脱出させるつもりでいる。顔にも口にも出さないが、彼は自分の肉体である【黒き獣】にそれくらいの恩を感じていたのである。


(先の事はさておき、ふむ。順調だな。)


 彼が順調と言っているのは、黒血人ヴァズピオ族達の陰術と陽術の習得状況と自分の肉体への理解についてである。黒血人ヴァズピオ族達の陰術と陽術の習得はヴェルのお蔭で想定以上の成果が上がっていた。どれほどかと言うと何と成人した黒血人ヴァズピオ族は全員が最低でも陰術を第五位階まで習得し、さらに男衆と才能のある女衆は陽術まで使えるようになっていた。


「行くぞォ!『氷槍』!」

「『雷槍』!」

「『鉄槍』!」

「甘いわ!『黒・炎纏』!」


 特に目の前で複数の模擬戦を行っているヴァンは成長著しい。やはり姉弟と言うべきか、彼もまたヴェルほどではないが才能に溢れていた。彼は火・水・土の属性に親しく、それらを既に第八位階まで使いこなせるようになっている。しかも陰術の真骨頂である陽術の強化まで難なくこなしているではないか。今も黒い炎を自慢の爪に纏わせて若者達が放つ魔術を斬り払っている。まるで昔から術を使っていた熟練の戦士のようだ。


「『風爪』!馬鹿モン!このくらいで吹き飛ばされてどうする!」

「ほう。三日目で術を使いやすいように変形させるか。」


 ヴァンが行ったのは第一位階の風属性陽術『風刃』を爪に宿らせ、腕を振るうと同時に放つという単純明快な技だ。だが、この術を己の使いやすい形に変えるという単純な作業が出来ない術師は多い。明確にその術が齎す結果をイメージする必要があるからだ。

 術を教わってからたった三日でその境地へと辿り着いたヴァンへの称賛の言葉を【天陰大神】は思わず声に出してしまう。それが聞こえていたのか、ヴァンはちらりとこちらを向いて照れ臭そうに会釈していた。どうやら、この三日間で【天陰大神】のことを受け入れてくれたようである。


「そして我も順調、か。」


 そして【天陰大神】自身の強化もまた、順調であった。彼の強化とは、『アルス』の余りある『陰の氣』を吸収することと、この【黒き獣】の肉体への理解を深めることである。どうやっても戦いの才能が無い事を知っている彼は、自分に出来ることを堅実に行っていた。

 『陰の氣』云々は兎も角、【黒き獣】の肉体についてはその性能に驚かされるばかりであった。黒血人ヴァズピオ族の祖先である【黒き獣】の能力は、完全に彼らの上位互換であったからだ。

 黒血人ヴァズピオ族は四つの能力を持つ。それは怪力、霧化、高速再生、そして獣化である。全て文字通りの能力なのだが、獣化だけは少々名前負けしている。何故なら、彼らの獣化とはさっきからヴァン達がやっているように爪と牙を伸ばすだけだからだ。しかし、【黒き獣】は違う。文字通り、全身を他の生物の一部へと変貌させることが可能なのだ。


(しかも『ゼクト』の動植物まで可能とは凄まじい。我は恩を忘れぬ。お主の眷属のため、我も全力を尽くそう。)


 【天陰大神】は心の奥で既に滅びた【黒き獣】へと決意を誓うのであった。










 黒血人ヴァズピオ族が修練に励んでいる頃、『甲羅』達の集落でも動きがあった。彼らが食うに値する強者の居場所へと狩りに向かうための謂わば戦支度に他ならない。『案内人』の数匹が討ち取られたという報告を受けた『甲羅』達は大いに喜んだ。久々に血沸き肉躍る狩りが楽しめるからだ。

 彼らの集落の近辺には既に喰らうべき強者は一種を除いて絶滅し、その残った一種は遠く離れた場所に住む上に相性が悪いので逃げられるどころか返り討ちに合うことも多い。強者との戦いは楽しいが、食べられなければ楽しいだけだ。それでは腹は膨れない。彼らは都合のいい強敵に飢えていたのだ。


「CAOOOOOOOO!!!」

「CEEEEEEEEEEE!!!」


 久方ぶりの狩りの機会に歓喜した『甲羅』達は、そこら中に生えている枯草と枯れ木を集めると、それに火を付ける。そして思い思いに泥と己の血液を混ぜた染料でボディペイントを施し、火を囲んで雄たけびを上げながら踊り狂っていた。

 これが『甲羅』達の狩りへ出陣する前に行う儀式である。七、八歳児程度の知能しか持たない彼らにとって、この行為がどのような意味を持つのかはわからない。そんな彼らの不気味な儀式は、夜が明けるまで続けられるのであった。












 その日、とある傭兵団に一つの依頼が舞い込んだ。その報告が態々団長のもとにまで上がって来たのは、依頼主が世界最大の強国の大統領であり、戦う対象が今全世界を騒がせている巨大な化け物だったからである。


敵性巨大生命体エネミーかぁ。御伽噺じゃあねぇんだよな、ケビン?」

「マジみたいっすよ、団長。」


 胡乱げな濁声に対して返って来たのは、やる気無さそうな間延びした若い男の声であった。


「電話掛りの娘も『いい歳して下らないイタズラ電話を掛けないで下さいませんか』って言ってましたもん。大統領に。」

「ハッ!そいつァ最高だな。あの薄らハゲ、みてぇになってまくし立ててたんだろぉなぁ。」


 団長と呼ばれた男は、大国のトップの醜態を想像して豪快に笑う。だが、ひとしきり笑ったところで彼の雰囲気が一変する。それは正しく戦士のそれであった。


「んじゃあ仕事の話だ。依頼の内容をもう一度言え。」

敵性巨大生物エネミーの排除、最低でも足止めっす。」

「情報は?」

やっこさんは昨日海上に突然現れて、そのままアルマディア海を北上中。この速度のままだと一日かからずに共和国に上陸っす。見た目は体長百メード超の海生生物の集合体、って感じらしいっすよ。あ、けど正確な写真は無い見たいっすね。」

「あん?何だそりゃ?」

「共和国の極秘資料によるとっすね、やっこさん、常に霧を発生させてるみたいっす。しかもその霧は電子機器やら方術の探査装置やら、とにかくややこしい機械類の調子を狂わせる力があるようっすね。」


 のほほんとした雰囲気のままで一国の機密情報をペラペラ喋るケビンの解説を聞きながら、団長は腰掛けていた高級そうな椅子の背もたれに思いっきりもたれかかった。どうにも、今回は骨が折れる仕事のようである。しかし、ふと気になることがあった。敵を調べる方法がないはずなのに、どうして外見を知っているのか、と。しかし団長が口を開く前に、ケビンはその理由をスラスラと述べ出した。


「団長の疑問に答えるっすけど、共和国が旧世代の化石燃料ボートを引っ張り出して偵察させたみたいっす。相手の姿を見てとんぼ返りしたらしいっすけど。」

「ほーん。やっぱ何でも揃ってんな、あの国。」


 団長は素直に感心していた。旧時代の骨董品を、それもすぐに使用できる状態で保存出来ていたことに、その国力の片鱗を見て取れるだろう。


「全くっすね。ああ、それとこいつは怪しい情報っすけど、ギルズン教会があの化け物エネミーの出現を共和国に警告してたらしいっす。危ないから準備しとけって。」

「あん?あの胡散臭ぇ連中がか?へッ、神サンのお告げでも聞いたってか?」


 ギルズン教会。その名を聞いた団長は眉を顰めて悪態をつく。この団体は歴史は長いがそれだけの超マイナー宗教だった。しかし、ここ数年で突如として信者の数が急上昇しているという。だが、我が世の春を謳歌していると言っても所詮は一般人の集まりに過ぎない。連中が都合良く大国ですら察知できなかった怪物の登場を予知するなど、それこそ神託でもない限りは不可能だろう。


「へい。そうっす。」


 だが、団長の悪態は事実であった。何と、彼らは神からのメッセージとして敵性巨大生物エネミーの出現を受け取ったというのである。


「しかも信者の何人かが神様から加護を受けたって言ってるっす。何でも、そいつらはただの敬虔な信者だったのが、化け物みたいに強くなったって色んな国に吹聴してるっす。教会関係者はそいつらを『勇者』って呼んでるっすよ。」

「んだそりゃあ?ガキ向けのカートゥーンかよ。」

「どうも、共和国の依頼に『最低でも足止め』って入ってるのはそいつらが原因みたいっす。多分、団長たちに倒せなけりゃあそいつらに任せるつもりみたいっす。」

「…俺たちゃ勇者殿の前座のザコってことかよ、クソッタレ。」


 団長の瞳に剣呑な光が宿る。まるで自分たちが怪獣映画で主人公が活躍する前に蹴散らされる、無様で哀れな軍隊役のようではないか。しかも主人公はよりにもよって怪しい宗教団体がバックに付いている公認勇者である。連中の胡散臭さも相まって、非常に不愉快であった。


「あのハゲ大統領を庇うわけじゃないっすけど、共和国のお偉いさんにもギルズン教会に被れたアホが沢山いるようっす。そいつらは任せられるのは勇者様だけだっつって教会が来るまでは国軍だけに対処させようとしてたんすよ。けど、あのハゲは連中を頼るのを嫌がってこっちに依頼して来たっす。足止めってのは、教会の信者共を黙らせるために付け加えたんすよ、きっと。本音じゃあ団長に始末して欲しいんじゃないっすか?」

「…そうだといいがな。」


 そう言いながら団長は椅子から立ち上がった。そして机のすぐそばに掛けてあったトレードマークのトレンチコートとハンチング帽子を身に纏う。


「んじゃ、いっちょ怪物退治と洒落込むか。俺の直下だけじゃねぇ、マイクとケントにも準備させろ。傭兵団総出で迎え撃つぞ。」

「あいあいさー。」


 ケビンはやる気の感じられない返事を返しつつ、手元のタブレット端末を操作して各方面に情報を伝達していく。あと数時間もすれば、傭兵団の全員が仕事の為に集結するだろう。

 ”ふとっちょファッティ”ジョニーこと、ジョニー・ハワード率いる最強の傭兵団『大百足センチピード』。この化け物退治の依頼が、彼らの未来の転機であったことを知る者はまだ誰もいなかった。

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