第14話 『陰術』を覚えよう!

 ヴァンの報告を聞いたヴェルは、静かに頷くと【天陰大神】に向きなおった。


「【天陰大神】様。お任せしてよろしいでしょうか?」

「ふむ…。」


 【天陰大神】は世界の記録にアクセスして情報を得る。それによると、彼ならば大した苦労も無く『甲羅』共を全滅させることが出来るだろう。しかし、それではいけないのではないかと彼は思った。彼は神であるが、『ゼクト』における神とは世界の管理者であって人々を導く存在ではない。地に生きる者の問題は、地に生きる者が解決すべきだと考えている。神が介入するのは、真に世界の危機が迫った時だけだ。

 肉体を得たことで黒血人ヴァズピオ族に関してはある程度の救済を与えるつもりではあるが、【天陰大神】の価値観は今も変わっていない。故に、ここで彼が出しゃばり過ぎて黒血人ヴァズピオ族が自分に依存するようになっては困るのだ。神を妄信するのは、両者にとって決して良い結果を齎さない


「確かに、我ならば容易い。だが、汝らはそれで満足なのか?」

「満足、と言いますと?」

「己の手で報いを受けさせたいのではないか?」

「そ、それは…!」


 ヴェルやヴァンを筆頭に、年長の者達は動揺を露わにした。彼らはもういい大人であって、現実を見据えている。なので悔しいと思いながらも感情を押し殺して暗い地底湖で生き延びて来た。だが、悔しいという感情は、復讐して仇を討ちたいという欲求は心の奥底に常にあったのである。彼らの動揺が、その事実を如実に表していた。


「その『甲羅』共が此処へ来るのは何時になるのだ?」

「…奴等の集落は地底湖から外に出て、二日ほど歩いた場所にありますじゃ。」

「ふむ。では彼奴等が来るのは四日後以降というわけだな?」

「あ、いえ少なくとも十日は掛かるかと。」


 【天陰大神】は片道二日ならば往復で四日だ、という子供でも解る単純な足し算を思い浮かべたが、それは間違っているらしい。それにしても倍以上時間が掛かるのは何故だろうか。


「奴等は我等よりも脚が遅いのです。だからこそ、数百年前の逃避行は上手く行ったのでございます。」

「それに奴等は追跡などが苦手な様でして、追手の『案内人』共を始末しただけで撒く事が出来ましたわい。」

「ふむ、あいわかった。」


 【天陰大神】が疑問に思っているのを察したのか、ヴェルとヴァンが説明してくれた。本人も世界の記録にアクセスして当時の情報を調べて確認する。同時に世界そのものから情報を得ても、それを活かしきれない自分に呆れてしまう。


(『甲羅』の脚が遅いのは調べた時点で解っておっただろうに。)


 彼我の能力の差をきちんと理解して戦略や戦術を組み立てる。これは知恵のある者ならば巧拙はあれど誰でも出来ることだ。そして特別な才能が無くとも、経験を積めばある程度上手になっていくハズである。

 だが悲しいかな、神である【天陰大神】には己の権能の外にある事はとことん上手くならない。純粋な力が増すことはあっても、新しい事が出来ない。これは多くの神が抱える問題であった。しかしながら、最大の問題は神々はそれで構わないと思っている事かもしれない。


(もし我が少しでも戦いの駆け引きを学んでおれば…いや、何も変わらなんだか。)


 そこまで考えて、【天陰大神】は頭を振って脱線する思考を追い払った。過去の事でグズグズ考えるのは意味が無い。時間を司る神であっても、時間を巻き戻すことは出来ないのだから。


「では、我の知る術を教えよう。ゆくゆくは皆に教えるとして、今は戦う意志がある者を優先するが…それでよいな?」

「はい、神よ。」


 ヴェルは恭しく頭を垂れる。それに倣って大人たちから小さな子供に至るまで、黒血人ヴァズピオ族の全員が平伏する。その中には当然ヴァンなどの男衆も含まれている。本は依存されないためだったのだが、彼の心遣いに痛く感動したらしい。【天陰大神】は自分たちを本気で救済するつもりであると認識を改め、彼に対する叛意は既に無くなっていたのだった。









 解散した後、ヴァンを筆頭にした男衆は【天陰大神】と共に神殿に残っていた。その目的は勿論、彼から術を学ぶためである。


「うむ。では早速、汝らに我等の術の使い方と注意すべき事を教えるとしよう。」


 おお、と男衆が思わず声を漏らす。彼らの瞳には未知への畏れは間違いなくあったが、それよりも自分たちの一族を救う手立てとなるかもしれない新たな力への期待に満ちていた。


「まず先ほども言ったが、術には大別して二種類ある。それが『陰術』と『陽術』である。それぞれ己の内にある魂が生み出す『陰の氣』と『陽の氣』を用いて行使するものだ。」


 これが【天陰大神】の世界である『ゼクト』における術の定義である。あらゆる生命には魂があり、魂が感情によって生み出すエネルギーが『氣』であった。そして生み出された『氣』を用いて何らかの現象を起こすことを『術』と呼び、『陰の氣』を用いた術が『陰術』、『陽の氣』を用いた術が『陽術』とされている。尤も、人間の間では『陰術』が廃れて『陽術』だけが残り、呼称も『魔術』と変わってしまったのだが。


「世界が異なると生物の形も変わることが多いのだが…幸いにも我が『ゼクト』とここ『アルス』はかなり近い。同じ方法で術が使えるであろう。『影縛』。」

「う、うおお!?」

「か、身体が…ッ!」


 言うが早いか、座禅を組む【天陰大神】の影が無数に枝分かれしながら急速に伸びていく。そして勢いを殺さないままにヴァン達の影と同化した。すると彼らの身体はピクリとも動かなくなってしまったではないか。


「うむ。これが第一位階の『陰術』、『影縛』だ。最も簡単にして、基本の術だな。効果は己の影と同化した影の持ち主の動きを止める事。『首無し』との戦いでも使って見せたであろう?」

「こ、これが…『陰術』…。」


 自分で実際に術を体験したヴァン達は戦慄を禁じ得なかった。【天陰大神】は何でもないように言ったが、最も簡単な術ですらこうもあっさりと敵の動きを封じられるのである。ならば上級の術にもなれば、どれだけのことが出来るのだろうか。彼らは改めて自分たちに与えられた『陰術』の力に興奮と恐怖を感じていた。


「うむ。では、まずは体内に巡る『氣』を感じる修行に入る。今、我はかなり弱い力で『影縛』を使っている。術への耐性が少しでもあれば簡単に解除できるはずだ。」

「これで、弱い?」

「あの…全く動けないのですが…。」


 だが、戦慄するのは早かったらしい。実際のところ、彼らが身動ぎ一つ出来なくなる力は、『ゼクト』で多少の心得がある者ならば一瞬すら止められない程度である。


「うむ、弱いぞ。動けぬのは汝らが未だ『氣』を感じることすら出来ておらんからに過ぎぬ。この呪縛から自力で逃れるようになった時、汝らは術者としての第一歩を踏み出すことになるのだ。…では、始めるぞ。」


 ただ、『ゼクト』の住人と同じ基準を求めるのは、術が存在しなかった世界の住人である黒血人ヴァズピオ族には酷であろう。それを理解している【天陰大神】は無表情のまま、しかし優し気な雰囲気で修業を促すのであった。









「ふぬぬぬぬぬぬぬぬ!」

「ぬおおおおおおおお!」


 【黒き獣】を祀る神殿では、男たちの呻き声が満ちていた。彼らは『氣』を動かす感覚を得るのに苦戦している。【天陰大神】は黒血人ヴァズピオ族に術を使いこなす才能があると確信していたが、だからといって概念すら無かったものをいきなり使えるようになるはずがない。彼らは必死に修行に励んでいた。


「神よ、失礼し…これは?」


 男衆が修行している神殿に入って来たヴェルだったが、思わず顔が引き攣ってしまう。何故なら、彼女の眼前にはリラックスした様子で座禅を組んだ【天陰大神】と彼と向かい合う形でプルプルと震えながら呻く男衆、という異様な光景が広がっていたからだ。


「ヴェル・ヴァズか。何用だ?」


 唖然としながら男たちを見ていたヴェルだったが、【天陰大神】に声を掛けられると慌てて居住まいを直す。


「お、お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません。お食事をお持ちしました。」

「ふむ…食事か。」


 食事、と聞いて【天陰大神】は初めてヴェルが膳を持っており、そこから芳しい香りが漂ってくることに気が付いた。座禅を組む【天陰大神】の前に置かれた膳には、三つの皿がのっている。


「今、肉は『首無し』のものしかありませんので、このような物になってしまいました。…お口に合わないかもしれませんが…。」


 ヴェルはとても苦しそうな、それでいて恥ずかしそうに俯いて消え入りそうな声でそう言った。何故なら、彼女が出した料理はどれもとても質素、というよりも貧しいものだったからだ。膳に乗っているのは生の植物、煮込まれた茶色いキノコ、そしてカリカリに焼かれた小さな芋虫であった。

 地底湖に浮く小島で暮らす彼女らの食事が質素なのは当然だ。彼らにとって肉は男衆の狩猟が成功した時に振る舞われる御馳走であり、基本的に洞窟で採取できる食材と小島の片隅で栽培している植物しか食べられるものは無いからである。その植物というのも苔の一種らしく、その見た目だけでは美味しそうとは思えない。因みに、先ほど腐るほど手に入れた『首無し』の肉は硬すぎる上に臭過ぎて、何の工夫も無しに食べられたものではなかった。

 今でこそここで暮らしている黒血人ヴァズピオ族だが、ヴェルなどの地上で暮らしていた時期がある者達からすれば上位者を持て成す料理としては落第点だと自覚しているのだろう。しかし、そんな悩みや恥は無意味である。


「うむ。いただこう。」


 【天陰大神】は躊躇せずに匙を使って芋虫を口に放り込んだ。そしてしっかりと咀嚼して味わう。彼は神であり、これまで様々なお供え物を受け取って来た。実の所、彼は蟲食を厭わないのである。何故なら、彼は幾度となくお供え物として虫を捧げられたことがあるからだ。

 神はお供え物を直接受け取ることは出来ないが、それに籠められた思いは神に届く。お供え物が食料であればその味が伝わり、武具や工芸品であれば同じ形状・質量のものが御許へと届くのだ。

 そして『ゼクト』には鳥系の生物が繁栄している星があり、その中でも知能が比較的高い種族が頻繁に虫を神へと奉納していた。人間で言えば五歳くらいの知能レベルの種族だが、それ故に信仰心の純粋さは本物だ。なので意外にも『ゼクト』の神々で虫食を嫌う者は少数派であった。


「ふむ、旨いな。こちらの苔も味が良く染みておる。このキノコも中々に香りが良いな。」

「恐縮でございます。」


 【天陰大神】の反応が以外だったのか、彼女はホッと胸を撫でおろす。そうして心の余裕が出来たのか、彼女は気になっていた事を聞いてみることにした。


「それで、神よ。我が愚弟たちに何をさせておられたので?」

「うむ。今、我は彼らの動きを封じる術を掛けておる。『氣』が使えるようにさえなれば容易く抵抗できる弱さでな。」

「なるほど、実践によって覚えさせるという事ですか。」

「うむ。だが、皆はきっかけを掴めておらぬ。我が教導に向いた神格であればよかったのだが…。」


 【天陰大神】はうんうん言いながら『氣』を感じ取ろうと努力するヴァン達を見ながら呟いた。彼らの修業が上手く行っていない事を察したヴェルは、深々と頭を下げた。


「不甲斐なき我が一族をお許しください、神よ。」

「うむ?我は特段怒ってなどおらぬ。むしろ我の教え方が悪いのであろう。」

「【天陰大神】様は愚弟たちにどのように伝えたので?」

「うむ。『氣』とは常に身体を巡る流れそのもの。それを感じ取れ、と伝えたのだ。」


 それを聞いてヴェルは納得した。はっきり言って抽象的過ぎる。実のところ、ヴェル以外の黒血人ヴァズピオ族はほとんど学問というものを知らない。その片鱗を教わったことがあるのは、地上で暮らしていた時に唯一少女と言える年齢であったヴェルだけであったからだ。一応、弟のヴァンも教わったはずなのだが、彼は頭脳労働には向いていない。なので生活の知恵は蓄えていても、抽象的な言葉や哲学的な思想などは理解の範疇を超えているのだ。むしろ、ヴェルだからこそ【天陰大神】の突拍子もない来歴を聞いて完全ではないにしろ理解出来たのである。


「身体を巡る流れ…で御座いますか…。こうでしょうか?」


 ヴェルは言われた通り、身体の中で液体が流動している状態をイメージする。すると、自分の中に本当に熱い流れがあることを感じ取った。その流れは酷く緩やかで、かつ弱々しいものであったが、彼女はそれを意図的にコントロールできるかを試してみる。少々コツが必要であったが、あっさりと流れの強さを自在に操ることが可能となった。


「ふむ、それが『氣』である。言われただけで習得するとは…ヴェル・ヴァスよ。汝は正しく天才であるな。」

「お、恐れ入ります。」


 たった数秒で『氣』の扱いをマスターしてしまったヴェルに、【天陰大神】は惜しみない称賛の言葉を贈る。ヴェルは至極簡単に出来たことなので褒められても実感が湧かなかったが、それを見ていた男衆は驚愕によって目を皿のように見開いていた。

 これが、『アルス』初の術者にして後に【天陰大神】の従属神の一柱、【天獄神】となるヴェル・ヴァスが術を習得した経緯であったという。

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