第13話 世界の最下層で加護を授ける

 『首無し』による襲撃の後始末は、すっかり元気になったヴァンの指揮下で手早く終わった。襲撃された時には決死の覚悟で戦っていた男衆だったが、今ではホクホク顔になっている。冷静になってみると綺麗な状態の『首無し』の死体が二十以上の手に入ったのだ。奴らの体毛や皮、爪に牙、そして骨は彼らの武具を制作する上で極上の素材であり、この戦闘で損壊したり破損した分を補充して余りある良質な武器が製作できるだろう。それに連中の血肉には毒は無いようなので、味はともかくしばらくは一息つけるだけの食料も手に入った事になる。思わず顔を綻ばせるのは無理もない。

 『首無し』の解体や壊れた物品を集めるなどの力仕事を終えた男衆は、ヴェルの指示によって神殿に向かった。既に女子供は集められているらしい。男たちはあの奇妙な能力で『首無し』を蹂躙した者について説明があるのだろうと察していた。あの強さを見せつけられては服従を命じられれば拒否することは難しいだろう。あの力が自分に向けられたら。そう考えただけで自分たちの足が鈍るのを彼らは自覚していた。


「…行くぞ。」


 そんなことを男たちが考えているのだろうな、とヴァンは確信していた。正直なところ、彼も恐ろしいと今でも思っている。しかし男たちを統率する自分が怯える姿を見せる訳には行かない。ヴァンは意を決して堂々と胸を張って神殿の門を潜る。それに続いて覚悟を決めた男たちも次々と神殿に入っていった。


「キャッキャッ!」

「硬い!カッコいい!」

「…んなっ!?」


 覚悟を決めて神殿に入ったヴァンと男たちだったが、彼らの眼に映ったのは神殿の上座で胡坐をかいた角の男に子供たちが纏わりついている光景だった。子供たちは無邪気に彼の角を触ったり突いたり、さらにはぶら下がっている子までいるではないか。角の男は表情を変えることなく成すがままにされているが、子供の命知らずな行為に男たちの表情は凍り付いてしまう。


「わっ!」

「むっ、危ないぞ。気を付けるがいい。」


 無表情なので傍から見ると不機嫌そうにも見えるのだが、実のところ【天陰大神】はこの状況を楽しんでいた。現に角にぶら下がっていた子供が手を滑らせた時には優しく受け止めて床に降ろしてやっている。彼は必要とあらば災害を起こして生物を殺す神だが、それは世界全体のためであって決して冷血と言う訳ではない。むしろ意外かもしれないが、自分の信者たち全員に加護を与えるほどに慈悲深い神なのだ。


「わかった!気を付けて登るっ!」

「むぅ。登ること自体が危険なのだが…。」


 落ちた子供は満面の笑みで答えると同時に再度【天陰大神】の身体によじ登ろうとする。『ゼクト』では世界中の人間に畏れられていた彼も、彼の恐ろしさと強大さを全く知らない子供相手にはタジタジであった。


「これ、そろそろ止めぬか。【天陰大神】様がお困りじゃぞ。」

「「「はぁ~い、オババ様!」」」


 少々情けない【天陰大神】をフォローしたのは他でもないヴェルであった。初対面の優しいオジサンよりも、一族の最年長であり族長でもある彼女の言うことの方に子供は従うらしい。【天陰大神】の方が存在としての格で言うと遥かに上位なのだが、子供には関係ないのである。


「ヴァンも来たか。では、始めよう。」


 そう言ってヴェルが立ち上がると、場の空気が引き締まるのを感じる。子供を含めて何か重要な話が始まることを理解しているのだ。集まった一族の者達が聞く姿勢になったことを確認すると、ヴェルは【天陰大神】の横に移動した。


「皆に伝えるのは他でもない。この御方…【天陰大神】様についてじゃ。」





 ヴェルは【天陰大神】について己が知り得る全ての事を語った。自分が祈りを捧げていた【黒き獣】の棺から出てきたこと、そして本人から聞いた彼の来歴などである。眉唾物と思われてもおかしくない話であり、実際に女衆は胡散臭そうな目をする者が多かった。

 しかし、男衆は違う。彼らは『首無し』を一方的に葬る謎の力を目撃していた。数々の特殊能力を持つ黒血人ヴァズピオ族だからこそわかる。は普通の、少なくともこの世界の生物の枠を超えた力であることを感じ取っていたのだ。異世界という概念はよくわからなかったが、男衆はむしろ彼が超常の存在であると知って納得したほどであった。


「なるほどのぅ。その…【天陰大神】様は儂らの御味方と思っても良いのじゃな?」

「うむ。我は己の意志では無かったとは言え、汝らの祖先の肉体を勝手に我がものとしてしまった。それは我が汝らの力となるのに十分な理由である。」


 ヴァンの探るような問いに【天陰大神】は即答する。彼の答えは紛れもなく本心であった。ただ、ヴァンは運命さえ感じさせる出会い方をした姉とは違って、【天陰大神】を手放しで信用することが出来ないでいる。死が常に隣り合わせの世界を生き抜いたヴァンからすれば、【天陰大神】の言葉はいくら恩人だからと言っても都合が良すぎたからだ。それに自分たちの信仰対象であった【黒き獣】の肉体を乗っ取っているというのも心に引っかかる。力では敵わないことが解っているので、面従腹背の精神で隙を伺うべきだ。彼はそう決断し、頭を垂れた。


「左様ですか…有難い事で御座います。」

「うむ。では、手始めに汝らに我が加護を授けよう。」


 そんなヴァンの内心を見抜けない【天陰大神】は、無造作に腕を振る。すると彼の身体が黒く輝いたかと思うと、その光が黒血人ヴァズピオ族全員を包み込んだ。


「加護とは一体…?ぬおお!?」

「ああっ!?」

「身体が熱いッ!」


 光を浴びた黒血人ヴァズピオ族たちは、身体の奥底から湧き上がる熱を感じていた。女子供に至るまで、全員が全身に漲る何かを感じていた。


「うむ、上手く行ったようだな。」

「て、【天陰大神】様、今のは一体…?」

「うむ。汝らには我の加護を与えた。これで汝らは『陰術』を…素質がある者ならば『陽術』も使えるようになったはずだ。あの程度の獣にはもう負けぬであろうよ。」


 どことなく満足げな【天陰大神】だが、彼の言っていることを理解出来ている者は誰一人としていない。よって代表としてヴェルが恐る恐る尋ねた。


「い、いんじゅつ、で御座いますか?それは一体何なのですか?」

「うむ。我が『首無し』を斃した術の事である。そうだな、この世界ならば魔法と言ったところか?」


 それを聞いた黒血人ヴァズピオ族たち、特に男衆は息を飲んだ。彼らは謎の力によって『首無し』が一方的に殺される瞬間を目撃している。彼らは『陰術』が使えるようになるということが、どれほどの恩恵であるのかを正確に理解していた。


「無論、鍛錬せねば制御は至難の業であろう。何、案ずるな。汝らは我が【神士】や【神官】に限りなく近い存在。才のある者ならば今日中にでも使えるようになるに相違あるまい。」


 【天陰大神】や『ゼクト』の神々が何度か述べた【神士】と【神官】という言葉。これは神に仕える存在のことだ。そもそも『ゼクト』における神の役割とは、世界の維持・管理だ。そして維持のためには戦力が、管理のためには補佐官が必要になる。人間風に言えば武官と文官であり、別の世界の言い方を借りれば英霊と天使といったところか。

 そして黒血人ヴァズピオ族は『アルス』にとっての神であった【黒き獣】の直系の子孫だ。さらに【天陰大神】が特に違和感を感じるでもなく【黒き獣】の肉体に憑依出来たことから、両者の本質が近しい存在であったことが解る。ならば紛れもなく神の血を受け継ぐ黒血人ヴァズピオ族は【天陰大神】の【神士】や【神官】に近しいと言える。少し違うが、【天陰大神】と黒血人ヴァズピオ族は伯父と甥御・姪御の関係のようなものなのだ。


「左様ですか。有難く頂戴致します。」


 ヴェルが代表して礼を述べるが、『陰術』が実際に使われた所を見たことが無い彼女からすれば良く解らないが自分たちを強化してくれたのだろうと漠然と理解しているだけだった。むしろそれまで警戒していたはずの男衆の方が反応は劇的で、全員が感激したように無言で【天陰大神】を見つめている。その中には勿論、ヴァンも含まれていた。


「うむ。ところで洞窟から音が聞こえてくるのだが、何の音だ?」

「何ですと!?」


 【天陰大神】の発言にヴェルは過剰に反応するが、他の者達は困惑するばかりであった。この神殿の内部は防音性が高く、外の音が聞こえにくい。であるのに【天陰大神】は外の、それも地底湖の向こうの洞窟から音がすると言い出したのだ。いくら加護を貰ったとしても、そんな突拍子もない事を言われて信じられるほどの信頼関係はまだ結べていない。

 しかし、似たような状況で先ほど彼が外の危機を察知したことをヴェルは知っている。故に彼女はそれを戯言だとは思えなかった。


「皆の者!迎撃の準備をせよ!何をグズグズしておる!」

「わ、わかったわい!行くぞ、者ども!」


 ヴェルの剣幕に圧倒されたヴァンは、何が何やらといった体で男衆を引き連れて慌ただしく神殿の外に出ていく。そんな彼らの背中を見つめながら、【天陰大神】は呟いた。


「面倒な事になるやもしれんな。」






 神殿の外に出たヴァン達は、半信半疑ながら【天陰大神】の言ったように集落の淵から地上へと繋がる洞窟を注視していた。すると、本当に何かが近づいてくる音が聞こえてくるではないか。


「…本当に来ましたね、頭。」

「そうじゃのぅ。」


 しかもその音は来ていると言われていたから気付けたというくらいに小さな音で、もし何の助言も無ければ誰も気に留めなかっただろう。今も近づいてくるカサカサという音の主が洞窟から出てくる瞬間を、ヴァン達は固唾を飲んで見守っていた。


「来るぞ…!」


 姿を現したのは、二匹の凶種であった。黒血人ヴァズピオ族の胸元くらいまでしかない二足歩行の矮躯。肌は茶色で所々に黒い斑点があり、頭部は人間に近い形状をしているが上半分は小さな眼球が散りばめられている。外鼻は無く、顔面に直接鼻腔が空いており、口には不揃いで黄色く汚れた乱杭歯が並ぶ。その容姿は目を背けたくなる程に醜かった。

 はっきり言って、黒血人ヴァズピオ族の敵ではない。ただでさえ小さい身体であるのに、連中は骨と皮だけで生きているかのように痩せ細っている。鉤爪の一振りどころか素手で殴るだけでもあっさりと仕留められるだろう。しかし、その弱々しい凶種を見てしまったヴァン達は血相を変えた。


「いかん!『案内人』じゃ!急げ!」


 『案内人』と呼んだ凶種に向かって、ヴァン達は残り少ない武器を全力で投擲する。石や骨の穂先を持つ槍や斧が高速で飛来し、『案内人』に向かう。数本の槍と斧が全身にめり込んだ『案内人』の片割れは即死したが、もう一方は辛うじて生きていた。


「HYOaaaaaa!!」


 そして特徴的な断末魔を上げて絶命する。その声を上げさせてしまったヴァンは、青い顔で額に手を当てた。


「拙い…『甲羅』共にこの集落が知られてしもうた…!」


 『案内人』は直接的な戦闘力は低いが、それを補って余りある索敵能力を持つ。奴らの沢山ある眼球は飾りではなく、単純な視力が高い上に暗視も出来、さらに真後ろまで視認可能だ。嗅覚と聴力も並大抵の感度ではなく、自分にとって危険な存在を徹底的に回避することが可能である。

 では、そんな感覚器官は発達しているだけの弱い凶種が何故『案内人』と呼ばれるのか。それは奴らが『甲羅』と呼ばれる屈強な凶種のだからだ。弱小種である彼らは『甲羅』の庇護の下で安全を享受する代わりに、『甲羅』へと獲物の居場所を伝えているのである。

 『甲羅』たちの知能はあまり高くないが、強者の肉を好んで食す傾向がある。彼らにとって宗教的な意味があるのか、はたまた外敵を積極的に排除する本能がそうさせるのか。兎に角、彼らは強者を喰らう事に固執していて、その判断基準として『案内人』を使っているようだ。彼らの中では『案内人』は弱者であり、喰うに値しないものの、それらを逃走させずに殺せる者は強者として認識するらしい。故に『案内人』とは『甲羅』にとって猟犬であると同時に試金石でもあるのだ。

 黒血人ヴァズピオ族にとって不幸だったのは、先ほど全滅させた『首無し』の群れこそ、『案内人』が目を付けた『甲羅』への獲物であったのだ。『案内人』の尾行に気付く知恵のない『首無し』が、ここまで『案内人』を連れて来てしまったのである。

 『案内人』が死に間際に上げた絶叫。これは『ここに危険な者達がいるぞ!排除せねばならない!』という周辺の同胞への警告の意味を持つ。彼らの断末魔は非常に遠くまで届くので、地上にも確実に届いているはずだ。『案内人』は同種の断末魔に敏感で、気付いていないと楽観することは出来ない。確実に自分たちの主人であり、用心棒でもある『甲羅』をここへと連れて来るだろう。しかも『甲羅』という凶種は、黒血人ヴァズピオ族にとって因縁のある種であった。


「あの日の…再現が起こるというのか…!」


 そう。『甲羅』と呼ばれる凶種は、地上にあった黒血人ヴァズピオ族の集落を滅ぼした忌まわしき種なのだ。その時の数少ない生き残りであるヴァンからすれば、不俱戴天の仇であり、同時に絶対に勝てない恐怖の象徴でもある。そんな化け物が団体で押し寄せてくる未来を想像して、ヴァンは途方に暮れるのであった。

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