第12話 『首無し』の襲撃

 【天陰大神】が『黒血人ヴァズピオ族を救う』と言うこれからの活動方針を定めた頃、黒血人ヴァズピオ族の族長であるヴェル・ヴァズはようやく泣き止んだ。


「見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした、【王】よ。」

「構わぬ。それよりもヴェル・ヴァズよ、黒血人ヴァズピオ族の長である汝には話しておかねばならぬことがある。」

「な、何故私の名を!?それに族長であることまでも…いや、【王】ならば可能なのか…?」

「うむ。その辺りの事情についても話しておこうと思うてな。俄かには信じられぬであろうが、聞いて欲しい。」

「…わかりました、【王】よ。」


 それから【天陰大神】はヴェルに己の状況を余すところなく語った。自分が異世界の神であること、その世界で力の大半を失ったこと、気が付いたらこの身体に入っていたこと、そして神の権能によってこの世界で起こった出来事を把握したことなど彼の事情について余す所なく。ヴェルは彼の話を最後まで黙って聞き、徐に口を開いた。


「何と申しますか…私の理解の範疇を超越した来歴で御座いますね。」

「うむ、全てを解するのは難儀であろう。兎に角、我の真名と我が異界の神であること、そして我は汝らの一族に可能な限り力を貸す意志があることだけを頭に入れておけばそれでよい。」

「承知致しました、お…、いえ【天陰大神】様。」


 言い慣れた【王】と言い掛けたヴェルだったが、途中でちゃんと言い直す。それを見て満足げに頷いた【天陰大神】だったが、ふと外が騒がしい事に気が付いた。ヴェルが間近で祈りを捧げていた時には自分の状態を確認することで手一杯だったので活かせなかったが、彼の宿った肉体の五感は非常に鋭いようだ。


「む?外が騒がしいが、何事だ?」

「外で御座いますか?私には聞こえませぬが…。」


 そう言われてもヴェルは怪訝な顔で首を傾げる。【天陰大神】には聞こえる音も、ヴェルの聴力では聞き取れないらしい。これはヴェルの聴力の問題ではなく、【王】の肉体の性能が高いだけである。最初は怪訝な顔をしていたヴェルだったが、神殿の扉が激しく叩かれたことで彼女も非常事態であることを理解した。


「何事じゃ!」


 ヴェルは大声で扉に向かって一喝する。その声にはどうしようもない焦りが滲んでいた。


「オババ様、大変です!『首無し』の大群が侵入しました!」

「何じゃと!?何体じゃ!」

「そ、それが二十以上かと…。」


 扉の向こうからの返答に、ヴェルの顔色が真っ青になる。それを見た【天陰大神】は直ぐに彼女らの言う『首無し』についての検索をかける。するとすぐさまその答えに辿り着いた。


「なるほど、厄介な凶種に攻め込まれたという訳か。」


 【天陰大神】が世界から引き出して知識によると、『首無し』と呼ばれる凶種は二足歩行する人型の化け物だ。知能は低いが身体が大きく、平均身長は三メートル強。立った状態でも指先が地面に着くほど腕が長く、剛毛が全身を覆い、六本ずつある手足の先には鋭い爪が並んでいる。

 そして最大の特徴は、名前の通り首が無いことだ。正確には頭部に当たる部分が胸部に埋まっているのである。長く硬い体毛をかき分けると大きな胸板に眼球が、鳩尾に口があるようだ。

 【天陰大神】がこの化け物を厄介だと評価する理由は、奴らは兎に角タフであるからだ。硬くて長い剛毛の護りと分厚い皮膚が生半可な攻撃をはじき返し、上手く傷を負わせても痛覚が鈍いのか死ぬまで戦うことを止めない。ならば即死させるのがセオリーなのだが、首が無い上に他の急所もしっかりと剛毛で覆われているので不可能に近い。そうして敵が攻めあぐねている間に、その長い腕を振り回して敵を殺してしまうのである。

 黒血人ヴァズピオ族は青白い肌と紅い眼球、そして金色の瞳を持つ人間、という外見の種族だがその生来の戦闘能力は比較にならない程に高い。鋭い爪牙に加えて怪力を有し、さらに獣化、霧化、高速再生など様々な特殊能力まで使える。だが、防御に特化している『首無し』を即死させる力はないのが現実だ。しかも敵の数は二十以上。これは絶望的な数であった。

 実は黒血人ヴァズピオ族の集落はかなり昔、他の凶種によって同じ規模の襲撃を受けたことがある。その時はヴェルよりも歳が上の者達の全滅と引き換えに集落から同胞を逃がしたらしい。逆に言えば、逃がす事しかできなかったのだ。

 当時の戦える男は四十名ほどだったが、現在は集落全体でも男は十八人しかおらず、さらにその三分の一である六名は子供で戦えない。今はどうにか抑えているようだが、直に蹂躙されるだろう。


「【天陰大神】様!お助けください!」

「是非も無し。」


 そう答えると同時に、【天陰大神】の身体がまるで水に潜るように影の中に入ってしまった。


「…え?」


 真っ暗な神殿に、ヴェルの呆けた声が空しく響いた。








 黒血人ヴァズピオ族の集落は大きな地底湖の中央に浮かぶ小島の上にある。そこに外部から侵入するには外に繋がる長い迷路のような洞窟を抜け、湖を横断するしかない。故に『首無し』が湖面から岸に上がろうとしたところを付き落とすことで、黒血人ヴァズピオ族たちは塀どころか柵すら無い集落をどうにか護ることが出来ていた。

 しかしそれは裏を返せば一匹でも陸に上がってしまった時点で崩れてしまうことを意味する。黒血人ヴァズピオ族は水から這い上がろうとする『首無し』達を何かの骨に牙や爪を括りつけた粗悪な槍や同じく骨に石を括りつけただけの石斧などで殴りつけていたのだが、一人の持っていた槍が中ほどで圧し折れてしまったことでその者が抑えていた『首無し』に上陸を許してしまい、遂に戦線が崩壊した。


「くっ、若いのは女子供を護れ!男は年寄りから前に出るのじゃ!」


 激を飛ばすのは族長であるヴェルの弟、ヴァン・ヴァスであった。彼はこの集落では姉の次に年長であり、同時に戦士頭でもある。彼らの言う戦士とは、定期的に洞窟内の探索をしたり外に出たりして食料を調達する者の事を言う。戦士は全員が男であり、集落の外に行くという仕事上、死者が出ることも少なくない。この集落の男女比が偏っているのはそのせいである。

 そんな戦士となってからこれまで、ヴァンは全ての探索に参加し、生還して来た。それは幼き時分に『この集落を護る事に命を懸ける』と自分たちを護って死んだ両親や戦士たちに誓ったからだ。だが、自分が護るべき集落は危機に瀕している。その危機は自分の命を懸けてどうにかなる範疇を遥かに超え、絶望しか感じられない域に達していた。


「カカッ!ここが儂の死に場所か!」


 ここまで追いつめられると、もうヴァンは笑うしかなかった。そして思考を切り替える。一匹でも多くの『首無し』共の注意を自分に引き付け、一刻でも長く一族を延命し、そして一体でも多く道連れにしてやるのだ、と。


「シャアアア!」

「GUUU!?」


 牙を剥きだしにしたヴァンは、鋭い爪でもって『首無し』の一体に斬りかかる。硬い剛毛に防がれ、致命傷を与えることは不可能だ。しかし、彼の爪は体毛に隠れた彼奴の眼球を抉ったようで、鮮血が流れだす。


「GOOOOOOOO!」


 傷を負った『首無し』は怒り狂ったらしい。激情に身を任せてヴァンに向かって突撃して来た。そして体格に対して異様に長い腕を彼目掛けて振り下ろした。


「ふん!阿呆が!」

「Gu?」


 しかしその逞しい腕がヴァンを捉えることは無かった。彼は己の肉体を霧状に変化させて受け流し、霧と化した彼の身体をすり抜けた『首無し』の背後で実体化する。


「ぬぅん!」


 そして『首無し』の背中に思い切り貫手を突き込んだ。硬い体毛の隙間を縫うように放たれた貫手は、鋭い爪の切れ味のおかげもあって『首無し』の固い表皮を易々と斬り裂く。霧化によって背後を取る戦法は黒血人ヴァズピオの男たちの必勝戦法だ。だが、やはり相性が悪かった。


「うぉ!?何と硬い肉じゃ!」


 ヴァンの爪は一族でも最も鋭い。だが、彼の爪であっても『首無し』の皮膚を突き破ることしか出来ない。彼の爪では鋼鉄のワイヤーを編んだような筋肉に阻まれて内臓に達することは出来なかったのだ。むしろなまじ深く突き刺さったせいで爪が肉に食い込んで抜けなくなってしまった。


「まず、ぐはっ!?」


 さらに『首無し』に対して背後を取ることは決して良い手ではないことを、ヴァン達は知らなかった。彼らの長すぎる腕は見た目よりも柔軟で、しかも肩の関節の可動域も広い。故に彼らの腕は真後ろにも攻撃が出来るのである。ヴァンは怒り狂った『首無し』の全力の一撃を脇腹に喰らってしまった。


「く、くく。一匹すら、道連れに出来ぬかよ。情けなくて涙が出そうじゃわい…。」


 『首無し』の重たい一撃によって、ヴァンの身体は悲鳴を上げていた。黒血人ヴァズピオ族には高速再生という特殊能力があるが、流石に肋骨のほとんどが折れ、さらに内臓も傷ついている状態から一瞬で立ち直れるほど素早く治せる訳ではない。彼は血反吐を吐きながら、悔し気に顔を歪ませた。


「頭ぁ!」

「クソ!化け物がぁ!」


 ヴァンの部下たちは悲鳴のような怒号を上げている。しかし彼を助けすために自分の前にいる『首無し』を放置するわけにもいかない。故に、誰も助けることが出来なかった。


「Gyauuu!!」


 ヴァンに翻弄された『首無し』は、それまでのお返しだとばかりに瀕死の状態で地面に這いつくばる彼を見下ろしながら腕を振り上げた。『首無し』にも黒血人ヴァズピオ族と同じくらいに鋭く、彼らよりもより太い爪が備わっている。誰もが、そしてヴァン自身も自分が死ぬことを予期していた。


「ふむ。『影縛』。」


 だが、その未来は永久にやってこない。何故なら『首無し』は腕を振り上げたままの状態で動きが止まってしまったからだ。


「うむ。やはり、術の無い世界ではこの程度の術でも抵抗すら出来ぬようだな。」

「「「は?」」」

「「「G、Guo?」」」


 そして振り上げたまま動きを止めてしまった『首無し』の影の中から禍々しくも雄々しい角を生やした黒血人ヴァズピオ族っぽい男が。それを見た者達は、黒血人ヴァズピオ族や『首無し』という種族の枠を超えて目が点になってしまった。


「辛い姿勢を取らせてすまなんだな。許せ、『影纏』。」


 しかし現れた黒血人ヴァズピオ族っぽい男…【天陰大神】は周囲の反応を一顧だにせず腕を振るう。するとまるで粘土で出来ていたかのように、『首無し』は胴体の半ばから真っ二つになってしまったではないか。紫色の血液が飛び散り、何とも言えない匂いが立ち込める。


「ううむ、臭いな。」


 その血液を全身に浴びた【天陰大神】は、顔を顰めてそう呟いた。黒血人ヴァズピオ族でも屈指の戦士でも敵わなかった『首無し』を殺したにもかかわらず、彼は平然としていた。何故なら彼の主観では『首無し』は余りにも貧弱だったからだ。


「我と弟が造り出した魔獣よりも遥かに弱い。やはり、強さとは技と術が揃ってのものと言う訳であるな。」


 我は技を知らぬがな、と言って自嘲するニュアンスを含んだ独り言で締めくくる。はっきり言って、誰も彼の独り言など聞いてはいなかった。ただただ立て続けに起こった出来事に付いて行くことが出来なかったのである。


「さて、手早く終わらせるとしよう。『呪殺』。」


 陰術を唱えると共に【天陰大神】の金色の瞳が輝く。すると彼の瞳に睨まれた全ての『首無し』達に異変が起きた。ある者は『首無し』にとっての頭であろう部位を抱えて地面に転がりながらのたうち回り、またある者は腹の辺りを苦しそうに抱えて大量の血を吐きながら倒れる。全員がそれぞれ異なる苦しみ方を味わいながら、外傷も無いのに絶命した。


「うむ、終わったな。」


 【天陰大神】は一仕事終えたと言わんばかりに満足げであった。彼は無表情なままで顔に変化など無いのだが、何故か思っていることが周囲に伝わるようだ。その時、【天陰大神】は己の身体に雀の涙ほどだが力が回復している事に気が付いた。


「ふむ、畏れられておるようだな。」


 【天陰大神】たる彼の力の源は知的生命体が無意識に放つ『陰の氣』そのものだ。ここでそれが発生した源は二つある。一つ目は彼に殺される瞬間に『首無し』達が抱いた恐怖や絶望。そしてもう一つは黒血人ヴァズピオ族が抱いた超常の存在への畏怖の念であった。

 善意と義務感から彼らを助けたはずの【天陰大神】だが、黒血人ヴァズピオ族達の反応を見るにこちらから近づいても怯えられるだけに違いない。どうするべきかと悩んでいると、静まり返った集落の沿岸部にヴェルが遅れ馳せながら到着した。


「皆の者、無事か!?」


 走って来たのか彼女は肩で息をしていた。焦った様子で周囲を見回すと、彼女の弟であるヴァンが地面に横たわっているのを見て慌てて駆け寄った。


「ヴァン!大事無いか!?」

「あ、ああ。もう大体治っておるよ、姉上。それよりも、あの御仁は何者じゃ?」


 ヴェルがヴァンの目線の先を追うと、彼女は不覚にも思わず引き攣った笑いを浮かべてしまった。そこには所在無さげに立ち尽くす、紫色の体液に塗れた自分たちの救世主がいたのだから。


「あの御方は御味方じゃよ。何者なのかについては皆を集めてきちんと話すわい。兎に角、今はこの場の後始末をせよ。無礼であろうが。」

「…姉上の言う通りじゃな。ふぅ…お主ら!何を呆けておる!この御仁の助太刀の御蔭で生き残れたのじゃぞ!礼をせぬか!」


 それまで自分も【天陰大神】の雰囲気に呑まれていたヴァンは、自分の事を棚に上げて一族の者達を叱咤する。叱られた者達は未だ表情に怯えの色を残しながらも、素直に頭を下げて口々に礼の言葉を述べだした。

 こうして【天陰大神】と黒血人ヴァズピオ族との最初の接触は慌ただしく、そして血生臭いものとなったのだった。

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