第10話 神域にて地を想う(序章エピローグ)
「こ、ここは…?」
聖戦に参加していたはずの騎士は、気が付いたら真っ白な空間に立っていた。彼は略奪をしていた者の一人で、巨大な蛇からは逃げ出せたものの船へと向かう逃避行で魔獣に襲われて死んだはずだった。
「わ、私は死んだはず…では、ここは死後の世界、なのか…ッ!」
彼は自分が冷静に分析すると同時に己の最期の瞬間を思い出して叫び声を上げたくなった。あの時の恐怖と絶望、そして生への渇望と見捨てて逃げた仲間への憎悪を思い出したからだ。しかしそんな彼に話しかける者がいた。
「よう、お前も死んだんだな。」
「なっ!?」
後ろから話しかけてきた男の顔を見て、騎士はそれまで頭を占拠していた黒い感情が吹き飛んでしまうほどの衝撃を受けた。なぜなら、その男は初日にあった邪教徒の襲撃で死んだ同僚だったからだ。
「ああ、また死人が出たのか。」
「おい、彼奴は何処の兵士だ?」
「話してる奴と同じだろ?」
そして同僚の背後には無数の男たちがたむろしていた。中には騎士がよく知っている者の顔もチラホラ見受けられる。彼らも戦死したのだろう。
「ここにいるのは全員聖戦の殉死者なのか…?」
「ああ、そうさ。正確には聖戦の戦死者だがな。」
同僚の言い方が奇妙だったので気になった騎士だったが、殉死者と思われる者達とは距離をとっている一団がいる事に気づく。その中にどこかで見た記憶のある顔があり、その正体を思い出すと思わず叫んでしまった。
「あ、あれは邪教徒じゃないか!」
「言っただろ?殉死者じゃなくて、戦死者だってな。」
殉死者ではなく、戦死者。即ちここには聖戦で命を落とした聖戦軍と邪教徒の全員が集められているらしい。誰がどういう目的で彼らもここに集めたのか。疑問は尽きない。
隣の同僚からもっと話を聞こうと思った彼だったが、真っ白な空間が神々しい輝きに照らされ始めたことで思考を中断させられた。上を見上げるとそこにはゆったりとした衣装を纏う美しい女と、かなり古い型の皮鎧を身に着けた優男が浮かんでいるではないか。
「こ、今度は何だ!?」
「さ、さあ?」
輝く男女は上空から集められた者達を見渡す。一体何が起ころうとしているのか、と騎士たちは落ち着かずに浮足立つ。そんな彼らを後目に、男はおもむろに口を開いた。
『此度の戦で死した者は、全て揃ったようだな。』
男の声は取り立てて大きい訳ではなかったが、彼の声は何故かざわつく中でも耳に届いた。どういう原理で音を届けたのかは解らないし、もしここにマルコがいたならば目を輝かせて空気を読まずに質問したかもしれない。しかし、この場にはそんな余計な事を考える余裕がある者は一人もいなかった。何故なら男の声を聴いた瞬間、全員が立っていられない程の凄まじい重圧を感じていたからである。騎士たちの中でその重圧に耐えられる者はおらず、皆が膝を屈して地に跪いていた。
「お初にお目にかかります、【天冥神】様。」
そんな中で口を開いたのは、一人の邪教徒だった。彼女は狐のような姿になってカイン達と戦ったあの老婆である。深々と頭を下げてい平伏しているのは騎士たちと同じだが、根源的な恐怖に震える彼らと違って邪教徒の老婆の声音には隠し切れない喜悦を含んでいた。
『苦労を掛けましたね、我が子らよ。』
「使命を果たせなんだ我等にはもったいなきお言葉で御座います、【天魂神】様。」
続く女の声には虎の姿となっていた老爺が応える。彼の声にも老婆と同じく畏敬と喜悦が聞いてとれた。
『謝るよりも先にやることがあるであろう、妻よ。…聞け、人の子らよ。此度の戦、我等【天神】も注目しておった。』
「か、神様…?」
「この神々しさはやはり…。」
「おぉ…神よ…。」
大半の者達が予想していた通り、空(?)に浮かんでいるのは神であるらしい。聖王国の国教である白光教やその他の国々で広く信仰されている五神教では出てこない名前の神だったが、両方ともここ数百年で生まれた宗教だ。失伝した神々であるに違いない。
そんな神を邪教徒が知っていたことは些か不愉快だが、今はそれどころではない。【天冥神】なる神の一言は騎士たちに大きな衝撃を与えていたからだ。彼は自分たちの聖戦に神々が注目していたと言う。その上で理想に殉じた者達を集めたからには何らかの理由があるはずだ。
『我等は魂と冥府を司る神にして、この場は我等の座す神域。今、汝らの魂の行き場をこれから告げる。』
「「「おおお!!!」」」
騎士たちは興奮の絶頂にあった。彼らはこの世の為に戦い、正義の為に死した戦士だ。そんな自分たちがわざわざ神の住まう空間に招かれたのである。これは御伽噺に登場する英雄の如く、神に仕える戦士となれるに違いない。彼らの顔が期待と高揚感に輝いていた。この瞬間までは。
『冥府に落ちよ、愚か者共よ。』
「えっ?」
「な、なんだぁ!?」
【天冥神】が片手を振ると、聖戦軍として戦った者達の足元から灰色の腕が生えてくるではないか。無数に生えてきた腕は彼らの全身をガッチリと掴むと、下へ下へと飲み込んでいく。その力は凄まじく、ゆっくりと、しかし確実に彼らを引きずり込む。騎士たちは必死に踏ん張るが、それは無駄な足掻きでしかなかった。
「何故!?何故です、神よ!」
「わ、私たちは世界の為に戦ったのに!」
英雄として神々に称えられる未来を想像していた彼らは、自分たちに降りかかった理不尽に声を大して叫ばずにはいられなかった。何故自分たちが地獄へ落ちねばならないのか、自分たちの献身に応えてくれないのかと。
『我らが主に牙を剥いた痴れ者が何を申すか。冥府にて己が愚行を悔いるが良い。』
『貴方たちはこれから永い間【陰の氣】を造り出して貰います。それが、貴方たちへの罰。甘んじて受け入れなさい。』
騎士たちの悲痛な叫びも、【天冥神】と【天魂神】には全く届かなかったらしい。二柱の神々は感情が全く感じ取れない冷たい視線で彼らを見つめながら彼らの処遇について一方的に告げるだけであった。
そうして聖戦軍の者達が冥府送りになった後、神域には二柱の神々と聖戦で戦死した邪教徒が残っていた。
『さて、我が子孫たちよ。汝らは皆、我等の【神士】ないし【神官】となる。』
「おぉ…なんと…!」
「光栄の至りに御座います!」
邪教徒たちの多くは平伏したまま感極まった声を上げていた。中には感激して涙を流している者さえいる。
「【天冥神】様、そして【天魂神】様。一つだけ、今すぐにお教え願いたいことが御座います。」
そんな中ではっきりと質問をしたのはあの老婆であった。彼女だけは嬉しがることもなくずっと難しい顔をしていた。そのことが気になっていた【天冥神】は鷹揚に頷いて答えた。
『うむ。面を上げ、申してみよ。』
「はい、神よ。ではお伺い致します。我らが主…【天陰大神】様とあの者達との戦いはどうなったのでございましょうか?」
老婆の問いに邪教徒たちはハッとすると、無邪気に喜んでいた自分を恥じるように押し黙った。一方でその質問が来るのを予期していた神々は、揃って悲し気な顔になる。そして夫に代わって【天魂神】が老婆の眼を真っ直ぐに見ながら口を開いた。
『残念ですが、主は敗れました。』
「それでは…【天陰大神】様は消滅されたのですか?」
老婆の最悪な予想を聞いて、他の邪教徒たちも思わず頭を上げて【天魂神】に縋りつくような視線を向けてしまう。それに関して彼女は咎めるでもなく、首を横に振った。
『いいえ、主は滅びてはいません。他の【陽神】の方々が助けて下さいました。』
『しかし主は我らが思うておった以上に傷ついておられた。【天神】として在り続けることも難しい程に。【天光陽神】様曰く、主を治すには見合う肉の器に入っていただくことのみであった。だが、この世に主に見合った器は遺憾ながら無かった。』
【天魂神】の答えに、邪教徒たちは安堵のため息をつく。しかし続く【天冥神】の言葉に神が嘆き悲しんだ。だが、彼らが悲嘆に暮れるのは早計である。神々は意外と諦めが悪いのだ。
『故に【陽神】…特に【天空陽神】様のお力で探し出した外の世の器に入っていただいたのです。』
『我が主は異界へと行かれた。しかし案ずるな。あの御方は必ずご帰還なさる。どの神よりもこの世のためを想っておられるのだからな。』
二柱の神は力強く断言する。何の根拠もない予想でしかない言い分だが、老婆はそれで十分だとばかりに微笑んだ。
【天冥神】と【天魂神】が自分たちの神域に招いた者達と会話している頃、別の神域では力ある神々が集まっていた。
『とりあえず、地上の戦いは終わったようです。』
口火を切ったのは、四対八枚の純白の翼と、同じく純白の髪を持つ優し気で美しい女神であった。彼女の名は【天光陽神】。人々の間で【光神】ライラと呼ばれる女神である。
『クソ!あと少しでも時間がありゃあ、俺が降臨して皆殺しにしてやったってのによぉ!』
悔し気に顔を歪めるのは禿頭に六本の腕を持ち、それぞれに二本の剣、二本の槍、斧、槌を握る厳めしい顔の男神だった。彼こそ【炎神】ガイウスこと【天炎陽神】である。
『はぁ…散々話し合ったでしょう?これは兄上が降臨しなければならなかったの。蒸し返さないで。』
呆れたように額に手を当てているのは、流動し続ける水で出来た髪と衣服に身を包んだ知的な美貌を持つ女神だ。【水神】アーチこと【天水陽神】である。
『だが、我も悔しい。あの人間は、兄上を傷つけた。許せぬ。決して。』
ボソボソと聞き取り辛い小声で呻くように話すのは、巨躯だが背中が曲がっているせいで小柄に見える無精髭とボサボサの髪の男神である。彼は【天土陽神】にして【土神】バルグンの名を持つ神だ。
『それは皆一緒だよ。だから悲しそうな顔をしないで?』
そう言って励ますのは金色のショートヘアに二対四枚の透き通った翅を持つ、無垢な少女のような女神だ。彼女は【風神】ファーの名で親しまれる【天風陽神】である。
『兄上は』
『こうなることを』
『覚悟していた.。』
『私たちは』
『それを』
『見ていることしか』
『出来なかった。』
二人で交互に話しているにもかかわらず、違和感のない一文を成すのは両性具有の神、【天命陽神】と【天愛陽神】だ。【天命陽神】は獅子の頭に鳥類の翼、さらに爬虫類の尾を持つ生命を司る神であり、【天愛陽神】は桃色の髪に四つの乳房を持つ情愛を司る神である。
『時、戻す、不可能。仮、戻す、兄上、行動、同じ。』
まるで合成音のような無機質な声で補足したのは、様々な方向に回転し続ける紫色の球体であった。何の捻りも無いオブジェめいた姿だが、これでも【天時陽神】という歴とした時間を司る神である。
この場に集った八柱の神とこの場にいないもう一柱の神、そして【陰神】こと【天陰大神】を加えた十柱の神こそ、この【ゼクト】という世界を維持・管理している神であった。彼らは生じた時からずっと助け合いながら世界を維持し、世界を広げ、そして世界を護って来た。神には人間の定めた
『その通りです、時の兄弟よ。あの神戦器なる悍ましい武具の誕生、それを発端に増え過ぎた【陽の氣】を中和するためには夫がその血肉を世界にまき散らす必要があったのですから。』
【天光陽神】は悲し気にそう言った。人間の伝承、特に白光教では【光神】ライラは他の神々を率いて【陰神】と戦っていることになっているが、実際の二柱の関係は夫婦である。対立しているというのは彼らの妄想なのだ。
『ゼクト』という世界では、何につけてもバランスを保つことが重要視される。即ち基本的に何事も
『我、帰還セリ。』
そうしていると神域に黒い孔が空き、その奥から四角いシルエットが現れる。それは無数の小さな立方体が集まって出来た巨大な立方体だった。この立方体こそ『ゼクト』の十柱の最後の神である【天空陽神】である。
『おう、空間の。兄ィの器はちゃんとあったんだろうな?』
【天炎陽神】はただでさえ怖い顔をさらに厳めしくして【天空陽神】に問うた。対する【天空陽神】はカシャカシャと小さな立方体を動かしながら答える。
『良イ器ヲ見ツケタ。遅クトモ数千年、早ケレバ百年前後デ、兄上ハ
【天空陽神】はそう断言する。空間を司るこの神は決して適当な発言をしない。空間における長さや奥行きの定義がコロコロと変わっては世界は安定しないからだ。そんな神が言い切ったので、神々は安堵の息を吐く。皆、【天陰大神】のことを心底心配していたのである。
『それは良い知らせね。でも、どんな世界のどんな生物の器を選んだのかしら?』
尋ねたのは【天水陽神】だった。実は【天陰大神】を他の世界に逃がすことを提案したのは彼女である。【天陰大神】は己の消滅と引き換えにどれだけ神戦器を使われようが世界に満ちる『氣』のバランスがとれるようにするつもりであったのだ。それを他の神々は嫌がり、消滅寸前の所で【天空陽神】の力によって異世界へと逃がすことにしたのである。言い出しっぺであるからにはその詳細まで知りたいのだろう。それを予想していたのか、【天空陽神】は立方体の動きを緩めて安心させるように言った。
『兄者ガ入ッタ器ハ、魂ガ滅ビタ【王】ノ肉体。我ラガ『ゼクト』デ言エバ、魂ノ抜ケタ【地神】ノ身体ダ。』
その意味を知る神々は目を見張る。そんな肉体が放置されている世界があることが信じられなかったのだ。逆に言えば、それほどの肉体を手に入れるメリット以上のデメリットがその世界にはあるに違いない。彼らの予想は間違っていなかった。
『器ノアッタ世界ノ名ハ、『アルス』。世界ノ寿命ガ一万年ヲ切ッタ、小サクカ弱イ世界ダ。』
【天陰大神】の復活に必要な年月は長引けば数千年かかるのに、世界の寿命が一万年を切っている。それはその世界で何らかの大きなトラブルがあれば復活よりも先に世界が滅ぶかもしれないことを意味する。一難去ってまた一難というわけだ。集まった九柱の神々は、深いため息をつくのだった。
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