第8話 神に挑む者達

 【陰神】の使った空間魔術に捕らえられたカイン達は、四人の老人たちとの戦いと同じように真っ暗闇の中で戦う覚悟を決めていた。しかし、彼らの想定はまたもや裏切られることになる。周囲全てを黒い布のような魔力に包み込まれたと思った次の瞬間、何故か魔術が解除されたのである。


「ここは…何処だ?」


 黒い布が消えると、そこは先ほどまでいた聖堂とはかけ離れた光景がカイン達の眼前に広がっていた。彼らの眼に映ったのは澄み渡った青空と水平線まで見渡せる海。そう、海なのだ。彼らがいるのは邪教徒たちの都市の街並みやその周辺の山野などではなく、下草も何も生えていないむき出しの地面と水平線の彼方まで島の一つも見えない絶海の孤島であった。


『汝らとあの場で戦うわけには行かぬのでな。場所を移させてもらった。』


 そこで漸く、カイン達の頭上に【陰神】の憑代が浮かんでいることに気が付く。自分の信者が造り上げた都市を破壊するのは忍びなかったのだろう。確かに、ここならば全力を出す際に周囲の事を考える必要は無いのかもしれない。


「く、空間転移ってやつ!?すっげぇ!どうやれば使えるようになるんだ!?」


 相手が未知の魔術を使われたにもかかわらず、マルコは大興奮で【陰神】に問いかける。空間に干渉する魔術の存在はこれまで確認されたことがない。少なくともマルコは聞いたことが無かった。空間を操る魔術とは、全世界の魔術師にとって空想上の存在だ。故に根っからの研究者であるマルコが蛇男が使った異空間を作り出す魔術や【陰神】が使った空間転移の魔術への好奇心を抑えきれないのも無理はない。だが、問いに対する解答は期待を裏切るものであった。


『不可能だ。人の子は…否、肉の器を持つ者は空間へ干渉する因子を持たずに生まれ出でる。我が加護を受けた者は例外なのだ。』

「因子…それってもしかして、どう足掻いても人間じゃ無理ってこと?」

『うむ、その通りだ。』

「そ、そんなぁ…。」


 【陰神】の言葉を聞いて、マルコは崩れ落ちて膝を着く。彼の教えが正しいとするなら、【陰神】の加護を賜るどころか彼を滅ぼそうとしているマルコは絶対に空間に関する魔術を使えないということになる。彼が落胆するのも仕方がないだろう。


「おい、下らん事を敵と話すな。」

「下らないだって!?ザイード、キミは魔術の研究を何だと思ってるんだ!」

「大体、敵の言うことを信じるな。嘘に決まっている。一々喚くな。」

「そ、それもそうか…!」

『嘘ではないのだが…。』


 いつの間にか励ましに変わっているザイードの叱咤によってマルコはようやく立ち上がる。ボソッと呟いた【陰神】の一言などもう聞こえていない。これで人間側の聞きたいことは終わりかと思われたが、カインが一歩前に出て声を上げた。


「【陰神】よ!一つ聞きたい!」

『ふむ、申してみよ。』

「何故、災害を起こす!何故、魔獣を放つ!地に生きる者たちをどうして苦しめるんだ!?」


 カインの声音からは強い怒りが含まれている。一般的に神とは人を守護する存在と認識されている。腐っても神の一柱である【陰神】が何故人々に危害を加え続けるのか。彼はどうしても質問せずにはいられなかったのだ。


『愚問。我は【陰】を司る神である。世に満ちる【陰】の氣を程よく調整し、循環させることこそ我が権能である。故に汝や他の人の子が我を咎めようと、それを止めることは決して無い。それこそが、我の存在理由なのだ。』


 カインは己の詰問に対する【陰神】の返答に歯ぎしりするのを抑えられなかった。正義感が強い彼は、これまで戦った【陰神】に仕える戦士たちが狂人には見えず、この聖戦自体に意味があるのかと疑問を抱いていた。だからこそ、もし【陰神】が改心してくれると言うのならば、滅ぼす必要は無いのではないかと考えていたのである。

 しかし【陰神】は災害を引き起こしたり、魔獣を生み出したりすることを己の存在理由と言い切った。即ち、彼がこの世にいる限り、災害や魔獣の被害が無くなることはあり得ず、それを止めるつもりは全く無いと宣言したのである。交渉の余地など、初めから無かったようだ。

 そしてカインは一度大きく深呼吸すると、腰の剣を抜き放った。そしてすぐさまその力を解放する。彼の瞳には強い殺気が込められていた。


「貴方の信者は、高潔でした。僕の眼に、彼らは狂信者のようには映らなかった。だから、貴方とは会話が成り立つかもしれないと思いました。ですが、淡い期待だったようですね。」

『そのようだな。』

「なら貴方は…いや、お前は敵だ!滅ぼすべき悪だ!」


 カインの神戦器の揺らめく切っ先が【陰神】に向けられる。彼に合わせるように他の四人も神戦器の力を解放した。


『悪、か。我がそう見えるとは、誠に遺憾であるな。』


 一触即発の空気が流れる中、【陰神】は悲し気に首を振る。まるで出来の悪い子供に呆れるような仕草はカイン達を苛立たせ、さらなる憎悪を掻き立てた。


「行くぞ、【陰神】!邪悪な存在よ!」

『ならば我も力を奮おう。』


 言うが早いか【陰神】は杖を空に掲げる。すると先端に嵌まっていた水晶が黒い輝きを四方八方に放つ。先制攻撃かと思われたが、その光はカイン達を避けるように空や地面、そして海へと向かっていた。

 【陰神】が何をしたのかを疑問に思ったカイン達だったが、その答えは直ぐに示される事になる。晴れ渡っていた空にはどす黒い雨雲が生まれ、何の変哲も無かった地面からは異臭が立ち上ぼり、漣の音が心地よい穏やかな海は荒れ狂う魔の海へと変貌したのだ。


『来るが良い、人の子らよ。全身全霊を賭して我を滅ぼして見せよ。』

「災害を引き起こす力…許せない!覚悟しろ!」


 カインが叫ぶと共に真っ向から【陰神】に突撃する。白く輝く神戦器が尾を引き、カインは曇天を駆け上がる一条の光と化す。光速で迫る刃だが、【陰神】は杖で防いでみせた。カインの一撃に小動もしない。【陰神】の憑代は巨大な図体の通り、かなりの性能を誇っているようだ。


「ふぅん!」

「行くわよ!」


 カインの突撃に合わせてザイードとファナが左右から襲い掛かる。赤く燃え盛る斧頭と青い冷気を放つ穂先が【陰神】の憑代を切り裂くかと思われた。


『天よ。』

「何!?」


 【陰神】の近くにいた三人にしか聞こえない程に小さな呟き。それに応えるように天空を覆う黒雲から突如として大粒の雨が降り注ぎ、同時に三人目掛けて黒い雷が落ちたではないか。


「むぅ!」

「お、重い!」


 カインは慌てて【陰神】との鍔迫り合いを止めて飛び退き、ザイードとファナはそれぞれ神戦器で雷を払う。しかし【陰神】の黒い雷は非常に強力で、二人は衝撃を受け流しきれずに地面へと落ちてしまう。


「ファナ!くっ、『八連真雷矢』!」


 落ちていく二人をフォローすべく、エルヴィンは魔術で作った矢を放つ。第十位階魔術を変形して放った矢は、空中で八本に分裂すると複雑な軌道を描きながら【陰神】へと迫る。一つの魔術を八つに分裂させたせいで一本一本の威力は【陰神】の黒い雷よりも遥かに劣っているが、仲間が逃げる時間稼ぎには十分であるし直撃すれば少しはダメージを負わせられるはずだ。


『海よ。』


 だが、エルヴィンの矢は届かない。今度は海が盛り上がり、海水の壁を作ったのである。エルヴィンの『真雷矢』は海水の表面で拡散して無力化され、ザイードとファナを助けることは出来たものの、【陰神】に傷一つ付けることが出来なかった。


「これならどうだい?『真鋼…」

『地よ。』


 今度は自分の番だとばかりにマルコが魔術を使おうとした。だが彼が魔術を放つ直前、突如として彼の足元が激しく揺れる。局所的な地震を引き起こされたのである。突然のことに姿勢を保つことが出来ず、マルコは転げて尻もちをついてしまう。そのせいで彼の魔術は明後日の方角へと飛んで行ってしまった。

 そして地面に起こった異変はそれだけでは終わらない。何とマルコが座っている場所が唐突に地割れを起こしたのである。地面の割れ目からは底が全く見えず、地の底まで続いているかのようだ。マルコは重力に引かれ、その深淵へと続く大地の裂け目に落ちていく。


「う、うわぁ!?ひ、『飛行』!」


 マルコは慌てつつも風属性の第四位階魔術『飛行』によって空中で体勢を整え、空へと上昇する。しかし飛翔する彼を逃がさないとでも言うように、ぱっくりと開いていた地割れが勢いよく閉じようとする。マルコは速度を上げてどうにか大地のあぎとから逃げ切ったが、逃げ遅れていた時の事を考えて蒼白になっていた。


「Z級スプラッタ映画のジョックみたいになるところだったよ…。」


 意味不明な軽口を叩いてはいるが、はっきりと死を意識させられたからかその口調には言葉ほどの余裕は無い。それでもマルコが戦意を喪失していないのは、研究者タイプとはいえ一端の戦士ということか。


「これが災害を起こす神の力か…。面倒だな。」


 普段は傲岸不遜なザイードが珍しく弱音を吐く。マルコだけではなく他の四人も地面に立っているのは危険だと判断して『飛行』の魔術で空を飛んでいる。彼らは【陰神】の能力を知識としては持っていたものの、その恐ろしさをきちんと理解出来ていなかったらしい。天から雷が落ち、海が持ち上がり、大地が震えて割れる。どれも常人では抗えない災害であり、それが自分たちを殺すためだけに引き起こされているのだ。根源的な恐怖が沸き起こることを誰が否定出来ようか。


「やっばいねぇ。勝てるかな?」

「勝たないと殺されるだけよ。これからも沢山の人たちがね。」

「曲がりなりにも神と戦うんだ。死に物狂いでやらなきゃダメに決まってるよ。」

『曲がりなりにも…一応、我は格の高い神なのだが…。』


 カイン達が真剣な顔で励まし合っている一方、エルヴィンの言葉で【陰神】は少し凹んでいた。先ほども悪神呼ばわりされてショックを受けていたので、やっていることは兎も角、内面は意外と普通なのかもしれない。だが、そうやって感情を露わにしているのは余裕があるからに違いない。


「隙が無いな。どうするか…。」

「いや、攻略法はある。」


 他の四人が勝てるかどうかを疑い始めたにも拘わらず、カインは確信を持って告げた。実際、【陰神】と鍔迫り合いになった時、彼は奴の欠点を感じ取っていた。


「何だ、それは?」

「見ていればわかる。さっきと同じく、僕が正面から行く。ザイードとファナは左右から、エルヴィンとマルコは援護射撃を頼む。」


 四人に指示をした後、返事を聞かずにカインは【陰神】へと突撃する。その速度と軌道は最初の攻撃と大差ない。これでは同じように防がれるだけだろう。

 だが、カインは構わず剣を上段から真っ直ぐに振り下ろした。当然、【陰神】は防ごうと杖を構える。何か策があるのでは無かったのか、と誰もが呆れた時だった。


「はあっ!」

『むっ!?』


 カインは上段からの一撃が杖に触れた瞬間、剣を喉元目掛けて突き込んだのである。彼の動きを予想していなかったのか、【陰神】は咄嗟に躱したものの躱し切れずに剣が肩口に掠った。ギャリギャリという金属音が虚空に響き、【陰神】の憑代に明確な傷が付く。傷口からはどす黒い煙が吹き出しており、それは生物で言う出血を連想させた。軽傷だが、ようやく【陰神】に手傷を負わせられたようだった。


「え?あれに対処出来ないの?」


 カインの快挙とも言える一撃への感想は、意外にも困惑であった。口に出してしまったのはファナだけであったが、彼女の言葉が他の三人の心境を代弁している。

 彼らはカインが手傷を負わせた事に驚くよりも、彼の用いたフェイントに【陰神】が引っかかったことに困惑したのである。確かに、カインの斬撃は常人には目で追うことすら難しい速度を誇っている。しかし速いだけで強者を名乗るのは難しい。勝負事において駆け引きや騙し合いが重要なのは当然の事だ。ましてや命を懸けた戦いともなれば一瞬の油断や読み間違いが生死を分ける事がある。戦士ならば誰でもある程度の腹の探り合いは出来て然るべきなのだ。

 にもかかわらず【陰神】は斬撃を途中で突きへと変化させる、というかなり単純なフェイントに引っかかった。これが意味するのは、【陰神】が戦い慣れていないという事実である。


「最初に剣を防がれた時に違和感を感じたんだ。思った通りだったよ。」

「なるほど。奴は災害を引き起こし魔獣を嗾けるばかりで、技量自体は素人同然ということか。」

「そういうことだ。ただ、あの憑代はかなり硬い。神戦器が食い込まなかったなんて初めてだ。」


 これまで神戦器はあらゆるものを切り裂いてきた。全力で振れば海や山であっても一太刀で、それも余波だけで割断することが出来ていた。だが、【陰神】の憑代は傷こそ付いたが両断には程遠い状態である。剣が触れた時の音から察するに何らかの金属で出来ているのだろうが、一体どんな素材なのだろうか。しかしその答えは憑代の本体から聞くことが出来た。


『我が憑代は神にしか創れぬ金属が使われている。術の触媒となる神銅オリハルコン神銀ミスリルが大半だが、表面は神鉄アダマンタイトが張られておるな。』


 【陰神】の口から飛び出したのは神にのみ創造が可能とされる魔導金属たちであった。魔術の触媒となる魔導金属で、人間が作ることが出来るのは魔銅デミ・オリハルコン魔銀デミ・ミスリル魔鉄デミ・アダマンタイトの三種類である。これらはそれぞれ神銅オリハルコン神銀ミスリル神鉄アダマンタイトの模倣であり、性能は段違いに低い。実はカイン達の神戦器も人造の魔導金属で出来ているはずなのだが、何故か既存の魔銅金属製武具の範疇を遥かに超越した性能を誇っている。むしろこの世で最も硬いとされる神鉄アダマンタイトを斬ったことからも、神戦器は現代の技術や常識の埒外にある武具であるのが窺えるだろう。


『中々の強度だったはずだが…それらには通用せんようだな。ふむ…確かに我は直に戦うことはほとんどなかったか。汝らのような人の子の枠から飛び出した戦士と斬り結ぶのは得策ではないな。ならば、徹底して距離を取るのが正解であろう。』


 【陰神】は冷静に自分の状況を分析すると、杖を高く掲げる。先に埋まっている宝珠からまたもや黒い光が伸び、海と大地に何らかの力を送り込む。すると見る見るうちに海からは大量の海水を含んだ、大地からは細かい砂と刺激臭のするガスを巻き込んだ竜巻が複数生み出された。そしてそれらは【陰神】の周囲に集まり、不規則に周囲を動き回って分厚い竜巻の防壁を構築した。


『これならば生中なまなかには近付けまい?』

「確かにそうだな。だが、僕たちは諦めない!」


 何本もの竜巻を素早く生み出し自在に操る、という馬鹿げた力を前にしてもカイン達の戦意が衰える事は無い。それは蛮勇でも自棄になったわけでもなく、可能性自体は低くとも勝つことが出来るという確信を得たからだ。

 【陰神】を護る竜巻の壁は確かに分厚く、巻き込まれればカイン達であっても死んでしまうかもしれない。だが逆に言えば【陰神】は接近戦に持ち込まれては困るからこそあの防壁を築いたのである。剣の届く位置まで近付けば、十分に勝機はある。勝ち筋がある以上、人類の安寧を背負うカイン達は諦めない。諦める訳にはいかない。



 【陰神】と英雄達の戦い、その第二ラウンドにして最終ラウンドが始まろうとしていた。

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