第7話 神との邂逅
【陰神】の加護を得た四人の男女との戦いは、思った以上にカイン達の体力と魔力を消耗させていた。彼等が敵に勝っていたのは武器の質と魔力の量の二点のみであり、剣の技量や巧みな連携、そして人外特有の無尽蔵な再生力に苦戦を強いられた形である。
「ふぅ~。やぁっと終わったねぇ。んで、どうする?このまま進むかい?」
狐女が燃え尽きた事を確認したマルコが背伸びをしながらカインに問い掛ける。他の四人に比べて彼はどこか余裕があった。というのも、彼には己の魔術によって状況が打開出来たという自負があり、同時に敵に唯一純粋な魔術戦で勝利を収めたという達成感と優越感があるからだ。それを理解している残りの四人は、個人差はあれど悔しそうにしている。心の内に沸き上がった黒い感情をため息と共に吐き出したカインは、マルコの言葉に首を横に振った。
「いや、一度戻ろう。僕たちには休息が必要だし、あの四人が言っていた事も報告しなければならない。それに…彼らの遺体も回収したいからね。」
カインが痛ましげな視線を向けたのは、彼らと共に戦って戦死した聖戦軍の面々である。蛇男と戦った彼らは、他の三人をカイン達が倒す前に全滅していた。結果的にはほとんど役に立たなかったことになる。しかし、彼らは肩を並べて戦った仲間だ。都市の内部には人の気配はないのだから、彼らの遺体を収容するのに時間を割いてもいいはずだ。
「おいおい、そんなに悠長なことをしている場合ではないだろう。逃げた邪教徒共の追撃をどうするつもりだ?この地域の魔獣は妙に強い。聖戦軍の連中だけに任せたら無駄死にするだけだぞ。」
カインの主張に難色を示したのはザイードであった。この聖戦の主な目的は【陰神】の討伐だが、同時に暗黙の了解として邪教徒の殲滅も含まれている。であるのに昨日と今日の戦闘で邪教徒の生き残りが逃げる時間をたっぷりと与えてしまった。追撃が必要だが、カイン達以外の聖戦軍に任せるには大きな問題がある。この地域の魔獣は驚くほど強いのだ。ここまでの進軍では数えるほどしか遭遇していないが、具体的には一頭の魔獣を退治するのに聖戦軍の騎士が十人以上で掛からねばならない程に強かった。故に斥候兵は遭遇戦を可能な限り回避するように努力していたのをカインはよく知っている。
邪教徒の都市は山の麓にあり、故に逃げた者たちは聖戦軍が来たのとは逆方向、即ち山側に逃げたはずだ。山は木々が生い茂る深い森を形成している。森を焼き払えば簡単なのだろうが、ここを植民地とする予定の国々は無駄に資源を無に帰することを良しとしないだろう。そうすると強敵だらけの森で一人一人が異常に強い邪教徒を追撃することになる。五人がいなければ聖戦軍に壊滅的な被害が出るに違いない。故にザイードは出来るだけ早く【陰神】を葬りに行くべきだと主張しているのだ。そして彼が言いたいことをカインは正確に理解していた。
「解っている。ただ、僕は彼らの死体の収容が最優先だと考える。皆の意見が聞きたい。」
「収容云々はともかく、相手の正確な数と居場所は探らなきゃお話にならないっしょ。遺体の収容とボクたちが休憩している間、とりあえず偵察が得意な兵たちに先行してもらえばいいんじゃない?んで、ボクたちが【陰神】を倒してから皆で残党狩りって感じでさ。」
「うん。ぼくはマルコの意見に賛成かな。」
「そうね。神さえ倒せば後はどうにでもなると思うし。」
「…仕方があるまい。それで構わん。迎えも来たようだしな。」
彼らが結論を出してすぐに、都市の城門からアルワンス帝国の将軍率いる部隊がこちらにやって来た。残った者たちは城壁の上から事の成り行きを固唾を飲んで見守っていたらしいが、突然現れた黒い球体が敵ごと彼らを飲み込んだのを確認し、慌てて部隊を編成して救援にやって来たそうだ。些か遅かった上に、彼らが来たところで何が出来た訳でもないのだが。
その後、事情を説明した五人は救援に来た部隊と共に城門付近に戻っていった。そこで五人は共に向かっていった者たちが全滅したこと、そしてこれまでの戦闘が邪教徒の時間稼ぎであったことを報告した。精鋭百名を喪った事に首脳部は動揺と悲嘆を隠せなかったものの、このままでは邪教徒の残党に逃げられてしまう可能性があると知ってからの行動は早かった。早急に偵察部隊を編成し、逃走ルートを割り出すべく追手を放ったのである。彼らはエルヴィンに匹敵する鋭い感覚の持ち主ばかりなので、確実に良い報告を齎してくれるだろう。
そして残った者たちは戦友の遺体を収容した後、都市の制圧を開始した。まだ残党が潜んでいる可能性は否定できなかったからだ。この機に略奪を行う兵士は多いだろうが、そんなことは想定済みである。むしろ奪い合いになってもめ事を起こすな、と各国の指揮官が遠回しに忠告したぐらいなのだ。
その時間にカイン達は十分な休息をとっていた。彼らの莫大な魔力は半分を割っていたが、今では完全に回復している。傷は魔術によって全て完治し、防具の綻びなども綺麗に直っている。正しく万全の状態だ。
「ええと…あった。ここだね。」
回復したカイン達は、早速狐女から渡された
「「「おおっ!」」」
すると池の近くの舗装路が二つに割れたかと思えば、地下へ続く階段の隠し通路が露わになったではないか。そこに階段があることを完璧に隠蔽していたこと、そして魔術を使用していないと言う点でこの仕掛けは中々お目にかかれない大掛かりで珍しいものだ。その様子を見ていた聖戦軍の騎士たちの大勢が思わず声を出してしまったのも無理はないだろう。
「ほっほぅ~。秘密基地っぽいねぇ。帰ったら似たような施設を作ろっかな。」
「…馬鹿な事を言ってないで、行くわよ。」
軽口を叩きながら彼らは階段を下りていく。これから悪しき【陰神】を退治すべく英雄達の背中に、騎士や兵士たちは熱っぽい視線を向けながら激励の声を上げるのだった。
地下へ続く階段は真っ暗で、明かりの一つも用意されていなかった。邪悪な【陰神】の神殿らしいと言えばらしいのだが、歩く側からすれば面倒なことこの上ない。カイン達は魔術で作った光の玉を頼りに階段を降り続けた。
一時間ほど降りた頃、階段の終わりがようやく見えてきた。階段の終点の踊り場には、高さが十メートルはあろうかという巨大な重厚な金属製の門が鎮座している。装飾の類は一切無い門を前に、カイン達は生唾を飲み込んだ。
「ここで間違いないみたいだな。」
「ああ。とんでもない魔力を感じる。彼女たちは嘘を付いてなかったようだね。」
カイン達は巨大な門の奥から微かに漏れ出す強大な魔力を感じ取っていた。常人の数千倍の魔力を有する彼らですら寒気を覚えるほど濃密な気配に、彼らは【陰神】がここで待ち構えていると確信したのである。
「開けるぞ…ふんっ!」
五人の中で最も腕力のあるザイードが門を押し開ける。門は金属製の上にかなり分厚いようだったが、蝶番などの金具にきちんと油を差してあるようで思ったよりもすんなりと開いていく。人が入り込めるだけの隙間が出来たと同時に、ザイード以外の四人が突入した。
門の奥に何があってもいいように武器を構えていた彼らだったが、拍子抜けすることになる。そこには彼らの想像とは異なる光景が広がっていたからだ。
「こ、これは…?」
「聖堂…か?だが…」
「キレイ…」
門の奥は礼拝堂であった。ただし、彼らに衝撃を与えたのは、ここがこれまで彼らが見たことのある中で群を抜いて荘厳で神秘的な空間であったからだ。一万人は収容出来るであろう広さ、漆黒の石材を鏡として使える程に磨き上げられた床、高い天井には夜空の星に見立てられた大粒の宝石がキラキラと輝いている。
そして何よりも彼らが驚いたのが、出入口の対面の壁に大量の神像が鎮座していたことだった。その数は百ではきかず、ひょっとすると千に届くかもしれない。神像のデザインも様々で、人間型もあれば鳥獣型もあり、数は少ないが植物型もある。一般的に信仰される神にマイナーな神、さらに【陰神】を加えてもこんな数になる訳がない。彼らはどうしてこんなにも多くの神像を祀っているのだろうか。
「あれ?あのデカいのって、【光神】ライラの像じゃないか!?」
無数の神像が立ち並ぶ中で、マルコは特に大きな一体を指さして叫んだ。神像に向かって指をさすなど不敬の極みだが、他の四人も動揺していたのかそれを咎める者はいなかった。
「ああ…四対八枚の翼…ライラ様、だと思う。」
カインが絞り出すように言葉を紡ぐ。彼が狼狽えるもの無理はない。何故なら、【光神】ライラは彼の祖国であるセイラス聖王国の国教、白光教の主神だからだ。邪悪な【陰神】を崇める者たちの聖堂に白光教の主神が祀られている。どう考えても異常事態であろう。
「おい、見ろ!あれは【炎神】ガイウスだぞ!」
「こっちには【風神】ファーの像があるよ。」
「…【水神】アーチ様の像もあるわね。」
ザイードとエルヴィン、そしてファナの視線の先にはそれぞれの属する社会で最も篤く信仰されている神の像があった。禿頭に六本の腕、それぞれに二本の剣、二本の槍、斧、槌を握る炎を纏った厳めしい顔の神、【炎神】ガイウス。ショートヘアに二対四枚の透き通った翅を持つ、無垢な少女のような女神、【風神】ファー。流動し続ける水で出来た髪と衣服に身を包んだ知的な美貌を持つ女神、【水神】アーチ。所々意匠が異なる部分があるものの、神像の大まかな造形とそれぞれの胸に刻まれた聖印は同じなので、カイン達の予想は合っているはずだ。炎や水の質感を見事に表現した神像は、神々の偉大さを極限まで再現しているようだった。
他の像よりも大きい【光神】や【炎神】などの神像であるが、名前が挙がらなかった他の像に比べて遥かに大きい。恐らくは神としての格によって大きさが決まっているのだろう。そう考えると、【光神】などと同じ大きさだが見覚えのない像がいくつかある。邪教徒たちはこれらの神を【光神】や【炎神】と同等の存在として祀っていたのだろうか。
『…来たか、人の子よ。』
呆けていたカイン達の頭に、唐突に男の声が直接響いた。あの四人が使っていた術に相違あるまい。そしてこのタイミングで語りかけてくる相手は一人、いや、一柱しかいないだろう。
「【陰神】か!」
『如何にも我は汝らが【陰神】と呼ぶ神である。』
彼らの頭に届いた【陰神】の声は、地の底から聞こえるかのように低く、しかし何故か何時までも聞いていたいと思ってしまう魔性の美声であった。カインは周囲を見回して声の主を探す。すると、先ほどまでは陰になっていて気付かなかったが、【光神】などの大きめな神像の後ろにさらに大きな神像が鎮座しており、その瞳が黒く輝いているではないか。
細く引き締まった肉体と中性的で端正な顔立ち、垂らした黒い長髪に捻じれた杖を持ち、左右の側頭部から先端が三ツ又になった山羊のような角を生やした男神。それが【陰神】の姿のようだ。そして今、この神像は単なる偶像ではなく、【陰神】の
『汝らがここに来た理由は知っておる。我を葬りに来たのだろう?』
「わかっているなら話が早い。さっさとその首を差し出せ。」
しかし、ザイードは相手が神であろうと不遜な態度を崩さない。その様子を見たからだろうか、【陰神】の念話からどこか苦笑するような感覚がカイン達に伝わって来た。
『言われずとも、逃げはせぬ。無駄であるからな。それに、汝らの持つその悍ましい武具は確かに我の命に届く。安心するがいい。』
聖戦において最大の懸念は、『本当に神戦器は神の命に届くのか』という証明不可能な問題であった。証明できないにもかかわらず聖戦を開始したのは、神戦器の威力を参加する国々に見せつけたからだ。実際、力を解放した神戦器の威力は一振りで山を穿ち、海を割ることが出来るほどに凄まじい。これほどの威力があるのなら神を屠ることも出来るかもしれない、と各国の政治の中枢を担う者たちに思わせたものの、皆がどこかで不安に思っていたのも事実だった。
だからこそ、【陰神】の言葉に流石のザイードですら驚きを隠せない。命を狙われている張本人が有効であると保障したのだから。相手が嘘を付いている可能性もあるが、今更そんな嘘を言う意味がわからない。カイン達はひたすら困惑していた。
『嘘ではない。我らを滅ぼし得るからこそ、我がそれらを悍ましいと言ったのだ。』
「ふ~ん。ならちゃっちゃと終わらせますか。逃げないんでしょ?」
『うむ、逃げはせぬ。だが…』
【陰神】の念話が途切れると同時に、彼の巨大な神像から漆黒の魔力が迸る。そしてその魔力は神像全体を包み込むと、なんと銅像が動き出したではないか。
『座して死を待つ事もせぬ。』
そう言うと【陰神】は右手をカイン達に向かってかざす。すると、右手の掌から黒い布のようなものが広がっていく。蛇男が使った空間魔術と同系統の術を使ったらしい。銅像が動き出すという予想だにしない事態に対応が遅れた彼らは、避けることも出来ずに闇へと飲み込まれたのだった。
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