第6話 使徒の呪詛
四人の化け物との戦いは、聖戦軍の予想に反して持久戦となっていた。三対五なので人数の上では邪教徒の方が不利なのだが、相手は異常な再生能力を持っており、さらには多少の手傷では怯みすらしない。しかも真の力を解放した神戦器を以てしても、付与魔術に護られた彼らの剣や槍は折れず、増幅した魔術も謎の黒い魔術によって相殺されてしまう。このままいつまでも根競べが続くかと思われた。
『ふうぅ。来たぞい。』
均衡を破ったのは、聖戦軍の最精鋭百人が抑えていたはずの蛇男の合流であった。彼らの一人一人が祖国では名のある騎士であり、二、三人で掛かればカイン達でも苦戦する実力者だったのだが、信じられないことに全滅したらしい。
「役立たず共が…。化け物一匹も抑えられんとはな。」
ザイードが憎々し気に死者に鞭打つような呟きを零す。彼らの不甲斐なさに対する苛立ちも理解できるが、実際は相手が悪過ぎたのである。
『儂は多数が相手の方が得意じゃからの。そっちの采配が悪かったのよ。ひょっひょっひょ。』
楽し気に笑う蛇男の様子は先ほどとは大きく異なる。戦闘中に首の本数が増えていたのは五人も知っていたが、今の彼の首には数百もの蛇の頭が蠢いている。よく見るとどの首も根元で二股に分かれていることから、彼の首は切断する度に二本に増えて再生しているらしい。
実は彼は蛇の牙から毒を水鉄砲のように射出したり、霧吹きのように散布することが出来る。ネズミ算式に増えていく蛇の口からまき散らされた猛毒によって百倍という人数差を簡単に覆したのだ。
『有象無象如きにこれだけ時間をかけてちゃ様ぁないね。自慢したけりゃ、もっと早く来なよ。三人でこの子らを相手するのは、ちょいと辛いからねぇ。』
「年寄りの冷や水って奴さ。そんなことよりその黒い魔術の使い方、教えてよ。」
狐女の心底疲れたようなため息と共に弱音を零す。五人と彼らの神戦器が発する力は凄まじく、彼女らの全力を以てしても防戦一方の戦況が続いていたのだ。
そんな狐女の文句など全く耳に入っていないマルコは、好奇心のままに眼を輝かせて問いかけ続けている。彼はどんな時でも魔術のことしか頭にないらしい。戦いが始まった時からずっと、高度な魔術戦を繰り広げながらしつこく頼んでいるのだ。このことも狐女の疲労の一因かもしれない。
『むうぅ。相変わらず厳しいのぅ。』
『当然じゃ、戯け。』
『遅かったおかげで儂らはズタボロにされとったのよ?文句の百の二百は受け入れんか。』
五人を前に老人たちは軽口を叩き合っているが、その声からは本当に疲労の色が聞いて取れる。いかに高い再生力があろうとも、体力に限界はあるのだろう。
「ジジイが一人増えたところで、やることは変わらん!『極炎槍』!」
彼らの会話に割り込んで、ザイードは魔術を放つ。彼らが暢気に会話しているのを黙って視ている義理などない。火属性の第十位階魔術である『極炎槍』、それも神戦器によって威力が最大限に増幅されているそれは、直撃すれば一つの街を丸ごと焼き払える熱量を有しているだろう。
『おお、怖い怖い。ほれ、『黒孔』じゃ。』
言葉とは裏腹に全く動じている様子ではない蛇男が、またもや謎の魔術を使う。すると彼の眼の前に黒く薄い円盤のような何かが現れた。その円盤に『極炎槍』が衝突すると、何と『極炎槍』がするりと円盤の内側に入っていくではないか。
「へぇ!それも空間を操ってるんじゃないの?」
『左様。我等が神の恩寵よ。』
そう言う蛇男はどこか自慢げであった。彼らの信じる神の偉大さと、そんな偉大な神に加護を賜っている事を誇りに思っているのだろう。
「ねぇねぇ!どうすればボクも空間を操れるようになると思う?」
ただ、彼らの誇りなどマルコにとってはどうでもいいらしい。そんな事よりも自分が同じ魔術を使えるようになる事の方が重要なのだ。しかし蛇男は少年のように眼を輝かせるマルコに申し訳なさそうに告げた。
『すまぬが、無理じゃ。【●陰●神】様の加護が必要なのでな。』
「何?」
頭の中に響いた単語に何故か聞き取れない箇所があったので、カインは訝し気な顔で思わず声を出してしまった。文脈からいって【陰神】の事なのだろうが、念話で聞き取れなかったということが腑に落ちない。そもそも念話とは異なる言語しか持たぬ者たち同士が意思疎通を図るための無属性魔術であり、聞き取れないのは同じ意味の単語や概念を受信側が持っていない場合に限る。ということは、彼らには独自の呼び方があるだけではなく、【陰神】に関してカイン達が知らない何かがあるということなのだろうか。
『はぁ~。【●陰●神】様という言葉すら受け入れられぬとはの。』
『ほんに世の真理が失伝しておるようじゃな。嘆かわしい。』
老人たちは頭を振って呆れているようだ。単なる揺さぶりのようにも思えるが、カインにはそれが重要な事に思えてならない。彼らの話を聞くべきなのではないか。彼はそう考え始めていたのだが、逆に全く気にしない者もいる。ザイードだ。
「ごちゃごちゃと訳の分からん事をいつまでも語るな、ジジイ共。さっさと死ね。」
彼は老人たちの嘆きなど意にも介さず、神戦器を振り回す。魔術によって強化された肉体と武器によって、彼が斧槍を振るうたびに熱風が巻き起こる。空気をも溶かさんばかりの高温は流石に危ないのか、聖戦軍の攻撃をわざと喰らっていた節のある蛇男も慌てて躱した。
「加護かぁ。なら【陰神】以外でくれる神様でも探すよ。ヒントを教えてくれてありがとね。じゃあそろそろ本気で殺しにかかるとするかな。『極真炎雷霆』!」
満足げなマルコが用いたのは、炎属性の第十位階魔術『極炎界』と風属性の第十位階魔術『真雷霆』を組み合わせた合成魔術だ。白い炎と青い雷が渦巻く巨大な竜巻が老人たちに襲い掛かる。
『させないよ!『陰・聖城壁』!』
マルコの魔術に対応して、狐女は漆黒の靄を生み出す。傭兵たちに使ったものよりもより深く、吸い込まれそうなほどに暗い黒色の靄が炎と雷を正面から受け止める。その防御力は非常に高く、マルコの魔術が完全に止められてしまった。だが、魔術を防がれたはずのマルコは、口の端を釣り上げて笑っていた。
『危なッ…ガハァ!!』
異変を察知した鷲男が狐女を突き飛ばす。次の瞬間、鷲男の腹部に溶けかけた金属の槍が突き刺さった。すると鷲男の傷口から炎が上がり、雷が弾けたではないか。
「『溶雷鋼槍』ってね。合成魔術ってのは、こういう使い方も出来るんだよ。」
マルコがやったことは単純で、『極真炎雷霆』越しに土属性の第八位階魔術である『鋼槍』を撃っただけである。狐女目掛けて発射した『鋼槍』は、『極真炎雷霆』を貫通する際にその魔力を吸収したのだ。炎の魔力によって溶解し、さらに魔術で生み出された雷を纏ったのである。それが突き刺さった鷲男は、体内から肉体を焼かれ、雷に撃たれたことになった。黒焦げになった彼が起き上がることは、無い。
『…やられたのぅ。』
残った三人が悔し気に呻く。どうやら治癒能力にも限界があるようだ。恐らくは即死級の攻撃を食らわせれば倒すことが出来るのだろう。
「これで前衛は一人だね。」
「さっさと死ね。」
残った三人の内、剣を取って戦うのは虎男のみだ。これでは残りの二人を庇いきることは不可能だろう。一度は老人たち側に触れた天秤の針が一気に逆方向へと振れたことを、この場にいた全員が嫌でも理解させられた。
「行くぞ!」
「食らえぃ!」
「『真雷矢』!」
『ガルアアアアアアアアア!!!』
鷲男の死亡は戦局に致命的な影響を及ぼした。それはエルヴィンとファナへの抑えが無くなったからである。圧倒的な速度で複雑な軌道を描く巧みな飛行によって攪乱していた彼が消えた今、カインとザイードの二人相手でも精一杯の虎男が前線を支え切れるはずがない。両手に握る剣と二本の副腕の鋭利な爪で何とか凌ぐが、徐々に全身に切り傷が増えていく。
『くっ!『黒・炎…!』
「させない!」
狐女や蛇男が援護の魔術を使おうとしても、それをファナとマルコが妨害する。二人が必要以上に大きく距離をとって躱すことから、本当に接近戦は得意ではないのがよくわかる。
そんな二人をファナは苛烈に攻め立てる。槍の達人である彼女の突きはまさしく流星の如き速さであり、蛇男と狐女はすぐに躱し切れなくなって身体の至る所に拳大の穴を開けられていった。
『ゲハッ!?』
『あぐっ!』
重傷を負った二人はくぐもった呻き声を上げる。その間にも彼らの傷は逆再生されるように塞がっていくが、それを待つほどファナは甘くはない。一つの傷口が塞がるころには二つの風穴を開ける勢いで彼女は槍を連続で突き続ける。
『小娘がッ…調子に乗るんじゃないよ!』
『シャアアアアアア!!』
だが二人もやられっぱなしではない。蛇男は無数の頭部を伸ばしてあらゆる方向から襲い掛かり、狐女はなんと自分の尻尾を切り離してそれを投げつけて来るではないか。彼女の尻尾は空中で狐に変化し、蛇の首を掻い潜るようにしてファナに向かって走って来た。九匹の狐はそれぞれが魔術を使えるらしく、蛇の首の隙間から彼女目掛けて魔術を放つ。眼前を埋め尽くす蛇の頭と魔術の飽和攻撃に流石のファナも思わず硬直してしまう。このままでは蛇の牙と魔術によって大怪我をしてしまうだろう。
「ぬぅん!」
ファナの悲惨な運命は、力強い掛け声と共に回避される。雄々しい気合の一声と共に振り抜かれたザイードの斧槍が、無数の蛇の首を纏めて切断したのだ。燃え盛る炎の刃は敵を切断するに留まらず、切り口から周囲の全てを焼き尽くさんばかりに太陽の如き熱量を振りまく。その超高温に巻き込まれた蛇男と狐女が召喚した小さな狐たちは一瞬で灰燼と帰した。
すると、彼らを捕らえていた黒い空間は虫食いのように穴が開いて行き、十秒ほどで元の広場に戻っていく。術者が死んでしまった影響に違いあるまい。
「あとは、貴女だけです。投降してください。」
そう言って狐女に剣を向けたのはカインであった。あくまでも彼が降伏勧告を行ったことに、残りの四人は呆れたり苦笑したりしている。ここに来て相手が投降する訳がないし、仮に投降したところで遅かれ早かれ処刑されるはずだ。それをわかっていながら投降を呼びかけるのが、彼の性格を表しているのだろう。
ザイードがファナの救援に間に合ったことからもわかるように、虎男は既に敗北している。狐女がそちらに目を向けると、四本の腕と首を落とされた血塗れの死体が転がっていた。
『はぁ。やっぱり勝てんかね。ひょっひょ。』
仲間を殺され、自分自身も絶体絶命の状況にありながらも、狐女はカラカラと笑っていた。確かに笑うしかない状況かもしれないが、彼女の笑い声にはどこか満足感のようなものが感じられる。そのことがカインには奇妙に映った。
「何を…笑っているのですか?」
『予想通り過ぎて笑ろうておるのさ。わかっておったよ。儂らではアンタらに勝てんことくらいねぇ。昨日戦った子達だってわかってたのさ。』
「なら何故戦ったのです?逃げるなりなんなり出来たはずでは?」
『ひょっひょっひょ!笑わせてくれるじゃないか。アンタらは我等一族がずっと奉じてきた【●陰●神】様を滅ぼそうってんだろう?敵わないと知ってても戦うさね。』
哄笑しながら語る狐女の言い分は、普通ならば狂信者のそれである。一族全体の命を懸けてまで人々に害をなす神を信奉する者達。彼らの狂った覚悟が彼らの眼には何よりも恐ろしく、悍ましいものに映っていた。
『まあ、いいさ。冒涜の武器をこれだけ使わせたんだ。後は上手く行くだろうよ。』
「おい、婆。まさか俺たちの神戦器が消耗品か何かだと思っているのか?ふん!残念だったな!これはそんなちゃちなモノじゃない!」
神戦器は使えば使う程摩耗するような脆いものではない。普通の武器と同じように作ったにもかかわらず、何故か神にしか加工できないはずの
『知ってるよ、そんなことはね。こっちの話さ。それよりも、だ。負けた身で聞くのも情けないけどね、アンタら、アタシらの命で引き下がってはくれんのかい?』
「それは出来ない。僕たちは世界の未来の為に【陰神】を討つ。」
『そうかい。じゃあ精々頑張んな。応援はしないけどね。』
狐女はザイードの宣言を何か含みのある言い方で否定する。そしてカイン達の信念が固いことを再確認した彼女は、ふらつきながらゆっくりと立ち上がった。
『さて、皆やられちまったのにアタシだけ生きてるってのは格好がつかないね。年寄りはこの辺で消えるとするさ。『黒・極炎界』。』
「よ、よせ!」
立ち上がった狐女が最後の足掻きを見せるかと思って身構えたカイン達だったが、彼女がとった行動は思いもよらないものであった。なんと自分の魔術によって彼女自身を燃やし始めたのだ。自決である。
『冒涜の武器を持つ愚か者共よ。約束を違えた貴様らの選択が如何に愚かしいものであったのか、直に解るであろう。ふふふふふ…はーっはっはっはっはっは!』
黒い火柱に包まれた狐女の呪詛が広場に響き渡る。彼女の不気味な笑い声は、その姿が炎の中で崩れるまで続くのだった。
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