第5話 【陰神】の使徒

 神戦器を持つ五人と聖戦軍の精鋭は、大通りを真っ直ぐ堂々と進む。決死の覚悟が窺える彼らの瞳には、四人の老人だけが映っていた。彼らの言う鍵を何としても奪い取り、災厄を引き起こす【陰神】を葬るのだ。


『来たかよ、愚か者共。』


 彼我の距離が百メートル前後になった時、四人が立ち上がると同時に精鋭たちの頭に突如として老人の声が聞こえてきた。傭兵の生き残りが言っていた現象である。その声音からは何の感情も感じ取れなかったが、むしろそのことに空恐ろしさを感じる者の方が多かった。


『儂としてはさっさと帰って欲しかったのじゃがのぅ。』

『いやさ、儂としては来てくれてホッとしておるよ。』


 代わる代わる老人の声が頭の中に響き渡る。声が直接頭に入って来る感覚は、はっきり言って不快だ。それが皆の顔に出ていたのだろう、老人の一人、おそらく唯一の老婆が笑い出した。


『ひょっひょっひょ。そう怖い顔をしなさんな。ほれ。』


 そう言うと老婆は懐から何かを取り出す。それは一本の鍵であった。それは薄紫色という独特な光沢をもつ金属製で出来ており、少しでも目利きが出来る者ならばこれが神にしか加工できないとされる神銅オリハルコンだと気が付いただろう。

 老婆はそんな貴重なものを正面の聖戦軍に向かって無造作に放り投げる。山なりに飛んで行った鍵が地面に落ち、甲高い金属音を立てた。


『こいつを噴水の裏にある鍵穴に入れな。そうすりゃあ道が開ける。その後は好きにするんだね。』

「…あなた方は、我々と戦うつもりではないのか?」


 老婆が余りにも簡単に鍵を差し出した事に、カインは戸惑いを隠せずに問うた。すると四人は肩を震わせて笑い出したではないか。


『はははは!戦うに決まっておろうが、小僧。』

『儂ら長老衆、一人でも多く貴様らを黄泉路へと連れて行ってくれるわ!』

「ッ!総員、抜剣!」


 それまで静かな語り口であった老爺がどす黒い憎悪を滾らせた咆哮を上げる。今まで押さえつけていたらしい強烈な殺気が、聖戦軍に叩きつけられる。カインは反射的に戦闘態勢に移行する指示を下すが、相手の行使した術は想像を超えていた。


『行くぞ?『陰界』。』


 聞いたことのない魔術を唱えた老爺の空に掲げた掌から、黒い布のようなものが勢いよく噴き出す。それは老人たちと聖戦軍の全体を包み込むように広がっていく。反射的にマルコとエルヴィンが魔術によって防御を固めるが、黒い布は攻撃では無かったらしい。魔術の壁には何の衝撃も無かった。

 やがて黒い布は聖戦軍の後方まで伸び、収束していく。最終的に、聖戦軍は真っ暗な空間に閉じ込められてしまう。一寸先の闇も見えない状態である。


「『光』!」

「『灯火』!」


 聖戦軍で魔術を使える者は、即座に光源を作り出す。まだ薄暗いものの、その明かりによって最低限の視界は確保出来た。どうやらあの魔術は彼らを閉じ込める術であったようだ。


「ふん。袋の鼠、とでも言いたいのか?」

「こんな薄い膜が、アタシたちに破れないとでも?」


 閉じ込められたにもかかわらず、ザイードは不敵な態度を崩さない。ファナも槍の穂先を向けつつ老人たちを睨みつける。だが、老人たちは二人を嘲るように笑うばかりであった。


『ほっほっほ。ここは特殊な空間。広さは無限じゃよ。』

『存分に腕を振るうが良い。無駄じゃがな。』

「じゃあ試させてもらうわ。」


 ファナはあえて安い挑発に乗る。実際、誰かが何らかの方法で連中の言い分の真偽を確かめねばならないのだ。その役割をファナが努めようと言うのである。彼女は魔術によって大量の水を生み出して槍の穂先に纏わせる。その水は最初はゆっくりと、しかし徐々に加速しながら渦となっていくではないか。


「貫け!『螺旋大水槍』!」


 水属性の第四位階魔術である『大水槍』、それに回転を加えることで貫通力を上げたのがこの『螺旋大水槍』である。ファナは頭上に向かって槍を突き出す。すると、高速で渦を巻きながら流線形を成していた巨大な水の槍が、目にも留まらぬ速さで射出された。しかし、普通の壁や天井があれば易々と貫いたであろう水の槍であったが、射程距離を超えた辺りでただの水に戻ってしまった。これは少なくとも『螺旋大水槍』の射程距離内には天井が無かったということを意味している。


「…本当に天井がないのね。空間を操る魔術なんて、初めて見たわ。」

『偉大なる神の加護を受けし者だけが行使出来る術よ。』

『これはあくまでも閉じ込めるだけじゃがな。』

「空間を操れるだけで人間離れしてるわよ。アタシたちよりも、ね。」

「それに、加護持ちかぁ。初めて見たよ。」


 加護。それは神の寵愛を受ける者の証である。加護を受けた者はその神の地上代行者、即ち使徒として扱われる。つまり、彼らは【陰神】の使徒というわけだ。ちなみに、加護を賜る際には神の声を聴くことが出来るという伝承が残っており、神戦器を使う五人ですらそんな経験をしたことは無い。それどころか、人間の世界で加護を賜ったという記録が確認されたのは、数百年から数千年前である。それもインチキの可能性が高いとされている程だ。

 今では御伽噺の類であろうという説まで浮上していたのだが、そんなことは無かったらしい。平常ならば誰も信じなかっただろうが、実際に限定的とはいえ空間を操って見せた彼らを疑う者は誰もいなかった。


『さて、戦う場は整えたぞよ。』

『神を滅ぼしたくば、儂らの屍を越えて行くことだな。』

「言われずともそのつもりだ。『轟炎纏』!」


 誰よりも速く行動を起こしたのは、当然のようにザイードであった。彼はまたもや斧槍に白い炎を纏わせ、挑発した老人に斬りかかる。しかし、その一撃は予想通りに受け止められた。


「チッ!ジジイでも受け止めるのか!」

『儂は先代の戦士頭じゃぞ。当然であろう、が!』


 ザイードの斧槍を平然と受け止めた老爺は、身体をしならせて彼を押し返す。分厚い片手剣を持つ姿は、声色から窺える年齢など全く感じさせない山のような揺るぎなさがあった。


『こちらは端から皆殺しにするつもりじゃよ。』

『古き約束を違えし者どもよ。滅びるがよい。』

『『『『『魔獣化』!』』』』


 四人が未知の魔術を使うと、全身からコールタールのような黒いドロリとした液体が彼らを包み込む。同時にメキメキと音を立てながら、彼らの身体が大きくなっていく。変化が終わった時、彼らは人間と獣を掛け合わせた怪物と化していた。ザイードの斧槍を防いだ老爺は虎人間に、最も背が高い老爺は鷲人間に、謎の空間を作り出した老爺は蛇人間に、そしてリーダー格の老婆は狐人間になっていたのだ。


「何と禍々しい…!」

「化け物め!」

「神よ!」


 聖戦軍の面々は、大半は異形と成り果てた老人たちを口々に罵るが、数人は神に祈りを捧げている。罵る者達も内心は恐れているのは、その震える膝を見れば明白だ。人間が怪物化する様を見せられ、さらにその怪物たちから全身を突き刺すような殺気が放たれているのだから仕方がないことである。


『言いたいことはそれだけかね?』

『若返った気分じゃわい。』

『久々に血が滾るのぅ。』


 先ほどまでの好々爺然とした口調から打って変わって、彼らは非常に好戦的な戦士へと変貌したようだ。というよりも、単に隠していた本性をむき出しにしたと言うべきか。何にせよ、この姿が彼らの本気の現れなのだろう。


「獣がましくなったな、ジジイ共。何にせよ消し炭にしてやろう。昨日の邪教徒と同じようにな。」

『そうかい?なら精々、あんたらへの嫌がらせに励むとするかね。行くよ?』


 狐頭となった老婆の声が頭に響く。同時に、三人の老人もそれぞれローブの内側に隠していた武器を構える。それぞれの得物は虎男が剣、鷲男が槍、蛇男と狐女が杖であった。戦士と魔術師が二人ずつらしい。全員が武器を出し、これまでとは比較にならない威圧感を醸し出していることから終に敵が本気になったと判断したカインは素早く指示を飛ばす。


「僕たちが三人倒す!皆は右端の蛇人間を抑えてくれ!君たちなら可能だ!」

「「「りょ、了解!」」」


 精神的支柱の一人であるカインの激励を受け、聖戦軍の面々は恐怖を抑えつけて己を鼓舞する。聖戦軍の精鋭としての誇りにかけて何としても自分達であの蛇男を倒して見せるのだ、と。

 だが、相手は彼らを待ってはくれない。虎男と鷲男は、鋭く踏み込むとザイードとファナに斬り掛かった。


『ゴアアアアアア!!』

『シャァッ!』

「ぐぅっ!」

「っつ!何て力…!」


 虎男の剣は巨岩のように重く、鷲男の槍は流星が如く鋭い。二人は防ぐのがやっとだったらしく、体勢を崩してしまった。そして相手はその隙を見逃すほど甘くはない。当然のように急所を狙った刃が彼等に迫る。


「危ない!」

「ハッ!」


 そこで間に割って入ったのはカインとエルヴィンである。虎男の剣をカインが受け流し、鷲男の頭部目掛けてエルヴィンが矢を放つ。


『ちょいと痺れるよ、『闇・雷槍』!』

「させないよ?『真鋼壁』、『耐大雷』!」


 前衛の激突と同時に狐女の放った黒い雷の槍を、マルコが土属性魔術で生み出した壁に雷の耐性を付与して防ぐ。魔術同士が激突すると、雷の槍は霧散し、鋼で出来た壁は崩れ落ちた。これは防御魔術の方がギリギリで上回ったことを意味する。『真鋼壁』は土属性の第十位階魔術、『耐大雷』は風属性の第八位階魔術であり、それでも防ぐのでやっとなのだから狐女の魔術がいかに凶悪かが分かるだろう。


「出し惜しみしている場合じゃない!皆、全力で行くぞ!『覚醒』!」


 カインの掛け声と共に、彼の神戦器が輝き始める。すると魔鉄デミ・アダマンタイト魔銀デミ・ミスリルの合金である武器が形を崩し、武器の形状をとった不定形の光へと変貌する。これが神をも滅ぼし得る武器、神戦器がその力を解き放った姿である。


『それか…忌々しき冒涜の武器とは。許せん!』

『世の調和を乱し、理を狂わせる異物。ここで壊さねばのぉ。』

『ふむ。気張るかねぇ。』


 神戦器の真の姿を目の当たりにした三人は、その身体をさらに変化させる。虎男の背中からは新たな腕が二本生え、鷲男の背中からは巨大な翼が四枚伸び、狐女の腰からは金色の尻尾が九本出てくる。離れた場所で聖戦軍を相手取る蛇男も、首の根元から何本もの頭を増やしているようだ。


「ますます人間離れしていくわね…見た目が。」

「ぼくとしてはその方がやりやすいのだけれど。的が大きくなったしね。」

『ほう?ならば当てて見せよ、弓の小僧!』


 そう言って鷲男は背中の翼を力強く羽ばたき、飛び上がった。眼で追うのがやっとの速度で空中を翔け、エルヴィンの死角から勢いにを乗せた槍を突き出す。


「見えているよ!『真雷矢』!」


 エルヴィンは敵の軌道を読んでいたらしく、しっかりと反応して魔術で生み出した矢を射る。神戦器である彼の弓から放たれた魔術の矢は、音を置き去りにするスピードで空を奔る。その速度はまさに光速に限りなく近かった。


『ハッ!遅いわ!』

「ぐあっ!?」


 だが、その神の矢とも言うべき一撃を鷲男は躱して見せた。着弾する寸前に身体をほんの少しずらして避けたのである。彼もまた、エルヴィンの矢の軌道を読んでいたのだ。そして速度を殺すことなくすれ違いざまにエルヴィンを槍で突いたのである。幸いにもエルヴィンは身体を無理矢理捩じったので、心臓を狙った刺突は彼の肩を抉るにとどまった。


「…本当に化け物になったのね、アンタ達。エル、大丈夫?『大治癒』。」

「ぐ…うん。平気さ。治してくれてありがとう。」


 鷲男によって付けられた傷を、ファナは即座に魔術で癒す。かなり深い傷口だったが、彼女の魔術によって一瞬にして元通りになった。普通の『大治癒』では不可能な芸当なのだが、それが可能となったのは彼女の持つ神戦器によって魔術の効果が増幅されたからである。


『ふむ。それが力の一端か…。厄介じゃな。』

「そんなに余裕かましてる暇はあるのかしら?」

『む?』


 ファナは不敵に笑いながらカイン達の方に視線を向ける。そこでは虎男がカインとザイードを相手に防戦一方となっていた。狐女の魔術による援護もあるが、マルコの妨害によってうまく行かないようだ。


「はあっ!」

「ぬあっ!」

『ガアアアアア!!』


 カインとザイードが裂帛の息と共に繰り出した斬撃が、ついに虎男の身体に届く。その刃は彼の胴体を深々と引き裂き、鮮血が噴き出した。明らかに致命傷である。


「まずは一人。大したことないわね?」

『はて、果たしてそうかな?』


 ファナが挑発するも、鷲男は全く動じていなかった。その態度に不穏なものを感じた彼女は、虎男に再度注意を向ける。すると彼は倒れることなく踏みとどまると、腰から二本目の剣を左手に握っているではないか。


『ガァッ!中々やりおるわい!』


 虎男は口に残った血反吐を吐き出すと、好戦的な笑みを浮かべたまま二本の剣を構える。どうやらそうそう簡単にやられてはくれないらしい。魔獣の身体能力に超人的な魔力、そして圧倒的な不死性。冗談のような存在との死闘は、まだ始まったばかりであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る