第3話 進撃

 邪教徒の男女との戦いは、予想外の苦戦を強いられた。驚くべきことに女の方はマルコの魔術とエルヴィンの弓矢を魔術によって完全に防ぎ切り、男の方はなんとカイン、ザイード、ファナの三人を相手に剣一本で拮抗した戦いを繰り広げたのである。これにはカイン達五人と比べて、二人の連携が完璧であったことも原因だろう。


「終わり…だッ!」


 だが、拮抗したからと言って勝てるという訳ではない。圧倒的な地力を誇る邪教徒の男女であったが、それでも五対二という人数の差を覆すには至らなかった。女の方は身体中に矢と魔術を浴びて絶命し、男の方は左腕を失い、剣も半ばで折られたまま奮戦した。それでも神戦器の使い手に手傷を負わせても誰一人仕留めるには至らず、ついにカインの刃が彼の分厚い胸板を突き破り、背中から顔を覗かせたのだ。


「謝るつもりはありません。ですが、せめて安らかに」

「●●…!」


 確実に止めを刺したと思ってカインが油断を見せた一瞬、男は最後の力を振り絞った。彼は右手に握られていた剣を放り投げると、なんとカインの鎧の首元を掴んで強引に引き寄せると、彼の端正な顔に頭突きを喰らわせたのである。


「ぐあぁ!?」

「●●…●…。」


 しかし、彼に出来たのはここまでであった。カインが鼻血を出しながらもんどりうつのとは逆に、男は糸の切れた人形が如く仰向けになって斃れた。心臓を貫かれた状態での執念とも言うべき反撃に、カインはとめどなく流れる鼻血や自分が殴られたことも忘れて呆然と男の死体を見ることしか出来なかった。


「クソがっ!この!俺を!誰だと!思ってやがる!?野蛮人が!」


 そんなカインのことなど目に入っていないザイードは、怒りのままに斧槍を男の死体に何度も何度も振り下ろしていた。将軍の息子である彼は、己の武威に確固たる自信を持っている。その自分が三人掛かりでなければ勝てなかったことはこの上ない屈辱なのだ。そして些か以上に自尊心の強いザイードは、その怒りをもう二度と動かない男の死体にぶつけている。彼は戦った相手への敬意などは一切持っていない。戦士である以前に、彼は超一流の腕前を持つでしかないのは明白だ。

 そんなザイードの醜態に冷ややかな目を向けながら、ファナは周囲から既に戦闘音が聞こえないことに胸をなでおろす。とりあえずこの襲撃は終わったらしい。多少の被害は出てしまったが、聖戦軍の最大戦力である自分たちの消耗は許容範囲であるし、連中がさらに後方に行っていないのは戦いながらも確認している。首脳部が無事なら聖戦は続行するだろう。とはいってもこの突撃と被害は聖戦軍全体に混乱を齎した。これは進軍は明日以降になるかもしれない、と彼女は予想していた。


「はぁ~あ、疲れた。もっと色々見たかったのに…もうちょっと粘って欲しかったよね。それにしても、なんであの炎は黒かったのかなぁ?全然分かんないよ。」

「ははは。ぼくには想像もつかないけど、多分【陰神】関係なんじゃないかな?」

「そうだよねぇ。それにしても…結構死んだんじゃない?エルヴィン、分かる?」

「ええと…これは、非道いな。」

「おいおい、どうした?」


 とにかく戦いが終わって一安心、といったように気が緩んでいたエルヴィンだったが、彼の顔色は瞬く間に青くなっていく。流石にマルコもエルヴィンの異変に気が付いて声をかける。


「何よ、でも来たって言うの?」

「そうじゃないよ。そうじゃなくて…さっきの襲撃で、かなり殺された。」

「具体的には?」

「…およそ一万。」


 想像を絶する被害に、ファナだけではなくマルコも開いた口がふさがらなかった。どうやら敵兵どころかその騎乗していた魔獣までもが死ぬまで暴れ続けたらしい。しかも生きて捕まった者は全員口内に仕込んでいた毒を飲んで自決している。流石は狂信者と言うべきか。

 それでもたった千人の突撃によって十倍もの戦死者が出たことは信じがたいと同時に由々しき事態である。その事を三人は敏感に感じ取っていた。聖戦軍に参加している者の多くは何らかの神を熱心に信仰している訳ではない。今回の聖戦の目的が、【陰神】の討伐であることが原因だ。ほとんど国々が聖戦に協力したのは、【陰神】を排除することがこの世界から災害や魔獣が無くなることに繋がり、ひいては自国の国益になるからだ。故に信仰心よりも優秀さを優先して兵士を選抜していた。なのでこの一戦で多大な被害が出たことの意味は大きい。優秀な兵士であるほどに仲間が殺された怒りよりも、と戦わねばならないと嫌でも理解してしまうからだ。


「こりゃあ仕切り直しになるかもねぇ。」

「どうだろう?確かに亡くなった方々は多いけれど、首脳部が引き返すって決断するには少ないんじゃないかな。…何より彼らの多くは聖戦に志願した出世欲の強い人だし、そうじゃなければ敬虔な信者だよ?それぞれ武勲と出世ため、神のためにも敗戦を認めないだろうね。」

「人がバタバタ死んでも止めないってことね。どっちが狂ってるのかわからないわ。」


 ファナのため息交じりのつぶやきに、エルヴィンとマルコは同意するのであった。







 襲撃の混乱が収まった後、聖戦の首脳部ではエルヴィンの予想を裏切ってこのまま攻めるかどうかで揉めたらしい。というのも、アルワンス帝国の将官が慎重な意見を述べたからだ。様々な国の連合軍である聖戦軍では、建前上は国家間に上下関係はない。しかし、本国の国力や派遣した人数によってどうしても上下関係が生まれてしまう。となれば世界最大の強国とされる帝国の将の言い分は簡単に無視できる類のものではなかった。

 夜遅くまで議論は続いたが、結局は撤退しない方向で決まったようだ。その代わりに部隊の再編制と軍全体の休息をしっかりと行うために更なる攻撃は午後からということになった。無視できない損害を被ったはずなのだが、武功を望む将からすれば一刻も早く戦を開始したいらしい。こうして指揮官の出世の糧となるための聖戦は続行することとなった。







 邪教徒の襲撃を受けた翌日の正午。今度こそ聖戦軍の方から進軍を開始した。昨日の手痛い襲撃にもかかわらず、彼らの士気は未だに衰えていない。元々、兵士たちは確実に歴史に名を残す戦に参加していることに高揚していた。さらに昨日の襲撃には最初こそ敵の武力に恐怖を抱いたものの、最終的には全滅させたことと一日置いたことで恐怖心そのものが薄れたことによって、兵士たちは己の誇りを傷つけられたことと同胞や戦友を喪った怒りに燃えているらしい。彼らは友好国とは言い難い関係しか築いていない国も多いのだが、聖戦という特殊な状況が絶対的な大義を与えているために強い仲間意識を持っているようだ。


「それにしてもさ、昨日の襲撃って何の意味があったか皆考えてる?」


 馬車の中で揺られながら、マルコはふとそんなことを呟いた。邪教徒が圧倒的少数で突撃を敢行した理由。その質問の答えを彼と同じ馬車に乗っている四人は誰も知らない。それどころか誰もその答えを考察しようとすらしていなかった。ひょっとすると首脳部ですらそうかもしれない。


「どういう意味だい?」

「いや、だって変でしょ?あいつらって玉砕覚悟だったろ?それに全員オッサンかオバサンばっかりだったし。大体、千人ぽっちで特攻かますってのがまずおかしいじゃん。」


 たしかにその点はカインも疑問に思っていた。彼が止めを刺した邪教徒の剣士は四十から五十くらいの壮年の男であったし、魔術師の女も同じくらいの年頃であった。ひょっとすると夫婦だったのかもしれない。他の邪教徒について彼は聞いていなかったが、マルコの言い方では他も同じくらいの年齢層だったと思われる。そう言われると奇妙ではある。


「ふん!所詮は野蛮人ということだ。戦力の差を理解出来んのだろう。」


 端から邪教徒たちを見下しているザイードは、そんな棘のある事を口にした。むしろ彼のような者が大半であったからこそ、邪教徒の『決して勝てない奇襲』を行った理由を深く考えることもなかったのである。腕っ節は強いが考えなしの野蛮人が飛び込んで来ただけなのだ、と。しかし、その意見はマルコによって一蹴された。


「はっはっは。何を馬鹿なことを。連中はあんな高度な武術と魔術を使いこなす上にお揃いの武具を用意出来るんだよ?文化水準が低いわけないだろ。」

「では、君はどういう意図があったと思うんだ?」

「時間稼ぎだな。」


 カインの質問にマルコは即答した。


「あの突撃でボクたちは一日をふいにしたろ?多分、その間に女子供とか…若い戦士とかを逃がしたんじゃないか?抜け道とかあるだろうし。」

「ちょ、ちょっと待って!逃げたってどこに!?」

「いやいや、ボクが知るわけないだろ。けど、推測なら出来る。あの都市の裏手は原生林の広がる高い山だ。山の向こう側が森の奥深くだと思うよ。んで、逃げた奴らをボクたちが狩り出そうとすれば、森の中でゲリラ戦でも仕掛けてくるんじゃない?あ~ヤダヤダ。」


 相手の庭であり、鬱蒼とした森林におけるゲリラ戦。それが攻略する側にどれほどの損耗を与えるのかを彼らは『知っている』。しかも未知の森には未知の生物が潜んでいる可能性は高い。実際、邪教徒の騎乗していた魔獣は他の大陸には生息していない種であったらしい。もしもそんな場所に逃げ込んだ者たちを殲滅するまでが『聖戦』だと言うならば、それが終わるまでに何十年かかるのか見当もつかない。


「ま、ボクたちの役割は【陰神】を倒すことでしょ?それさえ終われば邪教徒なんて放置で良くなるって。連中が何したって意味がなくなるんだからさ。」

「それもそうね。」

「しかしそれでは…」

「あれ?皆殺しにしたかったのかい?」


 そう言って言葉を濁すカインに、マルコはニンマリと嗤った。


「キミは『同じ人間なんだから、無駄に殺すな』とか言うと思ってたんだけどね。確かに、信仰する神本体を倒しても信者が生きてれば復活するかもっていう懸念はわかるよ。ん?あれ?キミって結構信仰深かったよね?ははぁ~ん。何だかんだ言ってキミも側ってわけだ。」

「ち、違う!僕が言いたいのは…!」

「待て。」


 大声を出してマルコの推測を否定するカインだったが、それを遮ったのはザイードであった。


「聖戦が終わった後、この地は参加国の植民地になるのだ。ゴミ共には消えて貰わねば困る。」

「ああ、そっちね。なるほど、流石は王子様だ。」


 聖戦と銘を打って戦意を高揚しても、それだけでは民衆を熱狂させることは出来ても軍を動かすことは難しい。【陰神】という人類の敵を倒すためとはいえ、何らかのリターンが無ければ戦争をしようとは思えないだろう。聖戦を起こしたかった者たちは、災害や魔獣の絶滅と新たな暗黒列島という新たな土地の開拓という利益によって重い腰を上げたのである。


「そうじゃない!僕が言いたいのは…」

「はぁ…。どうでもいいけど、そろそろ戦支度をしなさい。もうすぐ予定の場所に着くわ。」


 そんな事を言い合っている間に、もう軍を展開する位置についていたらしい。ファナの指摘に従って、カイン以外の四人はさっさと戦支度を整え始める。まだ何か言いたげであったカインは、苦り切った顔のまま己の準備を始めるのであった。






 弓矢や投石機などの射程距離の外で陣形を整えた聖戦軍は、遂に攻城戦を始めた。昨日のような奇襲に備え、セイラス聖王国の重装歩兵のような防御に優れる歩兵が第一陣として先頭を歩き、その背後には魔術師が防御の魔術をいつでも張れるように控えている。さらにその後ろには破城槌やバリスタなどの攻城兵器が従う。そして両翼には騎兵がおり、背後からの奇襲への警戒も怠っていない。

 王道であり、盤石の布陣で臨んだ攻城戦であったが、何故か城壁からの攻撃は一切無かった。これも何らかの策かと思われたので、聖戦軍は警戒を解くことなく城壁を取り囲む堀に急いで橋を掛ける。その時も一切の抵抗が無く、なぜかあっさりと橋を架けることに成功。そして城壁に梯子を掛けると、歩兵が一気にそれを登っていく。城壁の上に辿り着いた彼らであったが、城壁の上には兵士が一人もおらず、閑散としているではないか。


「不気味だな。ここまで来ると誘っているのは確実だな。」


 軍の後方でスムーズ過ぎる攻城戦の様子を眺めていたザイードのつぶやきは、他の四人の意見を代弁していた。


「どうするのだ?明らかに罠だぞ?」

「私もそう申し上げたのですが…狂信者の連中は聞く耳を持ちませんで…。」


 明らかな罠に飛び込んでいく聖戦軍を見て、ザイードは眉間に皺を寄せている。そんか彼に恐縮しているのは帝国の武将だ。彼は平民から実力で成り上がった優秀な軍人であり、ザイードの父の直属の部下でもある。今回の聖戦における帝国兵の指揮を命じられているのが彼であった。この聖戦における帝国軍のトップなので一応はザイードの上司に当たるのだが、周囲には二人の関係を知っている他の四人しかいないので普段通りの態度になっている。


「ちっ、少々焚きつけ過ぎたか。」

「そうかもしれません。ですが、ご安心を。帝国の兵は第二波以後ですので。」

「なるほど。罠を踏むカナリアの役は他に任せる、と。傭兵共に略奪の優先権でも与えたか?」

「その通りです、若様。ですが、声に出すのは、その…。」


 ザイードが横目で他の四人を見ると、各々の反応は異なっていた。カインは眉を顰め、ファナは呆れたように天を仰ぎ、エルヴィンは苦笑いをし、マルコは楽し気に笑っている。自分の予想通りの反応に、彼は鼻を鳴らした。


「はっ。気にすることは無い。こいつ等は余計なことを言うほど愚かではない。」

「仲間に対する評価とは思えないわね…。」

「気にすることないんじゃない?彼らはリターンがリスクよりも大きいって思ったんだからさ。まぁ十中八九、罠があるだろうけど。」


 そんなことを話していると、都市の中央辺りから巨大な黒い火柱が立った。思った通り、罠だったのだろう。


 「さて、問題は俺たちが行かねば勝てぬほどの相手かどうかだな。」


 こうなることが解っていたザイードは、今も味方が戦っているという事実を踏まえた上でそんな冷徹な一言を放つのだった。

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