第2話 先制攻撃

 明くる朝、夜明けと同時に聖戦軍は進軍を開始した。神戦器によってマルコが海辺の地形を変えて大船団が停泊出来る場所を確保し、エルヴィンが風の魔術によって人間の造った建造物を探し始める。彼らは全ての属性魔術に適性があるものの、それぞれに最も得意な属性があった。それがマルコならば土属性、エルヴィンならば風属性なのだ。

 エルヴィンの魔術によって敵の本拠地の位置はすぐに分かった。彼によると聖戦軍が船を係留した海岸からおよそ三日間の行軍で辿り着く距離にあるらしい。文献に記されていた通り、高く聳える山の方角である。彼が魔術によって拾った音声によると、連中は既に聖戦軍が来ていることを察知していた。忌々しい【陰神】が教えたのか、はたまた高い山の頂上から見たのかはわからない。しかし問題は彼奴らが迎撃の準備を行っていることだ。聖戦軍は全員が腕利きと言える者たちで構成されているが、それでも奇襲のアドバンテージが無くなったのは痛い。それでもここまで来て仕切りなおすというわけにもいかないので、聖戦軍は急いで準備を整えると早速進軍を開始した。



 聖戦軍が都市付近に到着し、本陣を敷くに至ったのは予定より少し早い二日後の朝のことだった。これは進軍を急いだ訳ではなく、大軍が移動するのに最適なルートを割り出した斥候兵の手柄である。

 聖戦軍は陣地を設置し、小休憩の後に攻め込むことを全軍に通達した。いよいよ太古から人々を苦しめて来た【陰神】とその信者共を葬り去る聖戦が始まるのだ。聖戦軍の士気は非常に高く、それと同時に緊張感も高まっている。そんな時、唐突に都市の見るからに頑丈な門は開いた。そして中から魔獣と思われる獣に乗った千人ほどの集団が吶喊してくるではないか。

 聖戦の戦端を開いたのは、邪教の信者の側であった。



 『異教徒が打って出て来た』という伝令を聞いた時、神戦器の使い手の一人であるザイード・フォン・ウェインは獰猛な笑みを浮かべた。


「ハァッハッハッハ!ゴミ共がわざわざ殺されに来たかよ!」


 そう言ってザイードは彼の神戦器である斧槍ハルバードを肩に担ぐと、天幕から出て自ら最前線に赴こうと腰を上げた。しかし、制止するように彼の前に槍が掲げられた。もちろん、その槍も神戦器である。


「おい、何のつもりだ?」

「それはこっちのセリフよ。」


 槍の持ち主は紅一点であるファナだった。彼女は戦闘狂であるザイードが出陣しようとすることを予測していたのである。


「アタシたちの使命はあくまで【陰神】。こんなところで無駄に消耗しないで。カイン、アンタもよ。」


 そして彼女はザイードと同じく神戦器である剣を抜いて立ち上がろうとしていたカインにも釘を刺すことを忘れない。彼らの消耗は【陰神】との決戦における勝率に直結する。彼らは【陰神】の信者という前座とは出来る限り戦わずにいることが優先されるのだ。


「だが、僕たちが出れば味方の被害を確実に減らせる。僕は仲間の危機を放っておけない。」


 ただ単に戦いたいだけのザイードと違って、カインが動こうとしたのは正義感からの行動であった。彼は己の持つ強大な力を皆を守るために使うべきだと本心から思っている。彼の言い分は間違っていないし、彼自身も間違い無く善人ではあるが、彼の意見に賛同する者はこの場にはいなかった。


「カインの言いたいことはわかるけど、ここは引き下がって欲しいな。ぼく達全員のために、ね。」


 そう言って諭すのは猟師の息子であるエルヴィンであった。苦笑しながら彼は弓の神戦器をさすっている。彼も自分達が戦えばすぐに終わる事を理解しているが、同時にそれが後々に自分達を苦しめる事になりかねない事も分かっている。神戦器の使い手で最も優しい男の諫言に、カインは渋々腰を下ろした。しかしながらザイードはそんな言葉を聞き入れる男ではなかった。


「ふん。あのようなゴミ相手に俺が苦戦するものか。むしろ肩慣らしに丁度良いくらいだ。」

「だーかーらぁ!無駄な事はしないでって言ってるでしょ!?この脳筋!」

「何だと!つけあがるなよ、海の民風情が!」

「はぁ?お貴族様にからって偉そうにしないで。りゅ…」

「うるさいなぁ~。大声を出さないでくれよ、寝てたんだから。」


 ザイードとファナの口論の最中、迷惑そうにそう言いながらムクリと起き上がったのは、この場にいる最後の一人であるマルコだった。


「露払いなんて軍人に任せればいいだろう?私たちの仕事じゃない。ザイードも雑魚相手に暴れてもどうせ物足りないだけさ。バカな軍人が何人死んだって構わないけどね~、君に当たり散らされるのはゴメンだよ。」

「ふん…癪に障る言い方だが、よかろう。」

「何たってこいつは聖戦だ。死んだって名誉なことさ。神の御許に~ってさ。バッカだよなぁ~。」


 信心の欠片も感じ取れないマルコの言い分に表情を不快げに歪めたのは、以外にもザイードとカインだけであった。


「マルコ!僕たちに力をお貸しくださる神々を軽んじる発言は慎め!」

の神は構わんが、次に主のことを悪し様に言えば頭から両断するぞ?」

「お~怖い怖い。スミマセンでした~。これでいいでしょ?」


 マルコのまるで誠意を感じさせない謝罪に、二人の眉間の皺は深くなる一方であった。一方でそれによってザイードも腰を下ろしたことにファナは安心したようにホッとため息をつく。彼らが最前線に飛び出す事態は回避できたらしい。しかし、エルヴィンは安心するどころか険しい表情で音のする方を睨んでいる。元々見習い狩人として優れた五感を持っていた彼は、その適性を伸ばすべく斥候や偵察の訓練を積んでいる。しかも風属性の魔術によって遠くの音や匂いを運ぶのは彼の十八番であった。そんな彼が自分にはわからない戦況を感じ取っていることを察したファナは、一転して強い不安を覚えた。


「どうなってるの?」

「不味い…敵が異常に強い!それに速い!こっちに来る!」


 強い焦燥を感じさせるエルヴィンの声に全員がぎょっとして彼の視線の先に意識を向ける。すると聖戦軍の司令部の次に奥であるここまで怒号と悲鳴が聞こえるではないか。しかもそれらはかなりの速度でこちらに近づいている。敵の騎兵は相当の手練れらしい。それを知ったザイードは戦意を滾らせて腰を降ろしたばかりの椅子から立ち上がった。


「ふはははは!精鋭揃いの聖戦軍がまるで雑兵扱いとは!」

「笑ってる場合じゃないでしょ?こっちに来てるし…どうする?」

「どうするって、ボクたちも出るしかないでしょうよ。ザイードはどうせもう止まりゃしないだろうし。あ~ヤダヤダ。」


 そんな緊張感のない会話をしている間にも、敵は決して足を止めることなく最奥を目指して突き進んでいた。その結果、彼らは既に五人の目と鼻の先まで近づいていたのだ。聖戦軍が急いで固めた防御陣形を正面から蹴散らしてひたすらに前へ進む邪教徒たちが、遂に五人の前に現れた。

 野蛮人と揶揄される邪教徒の出で立ちは以外にも軍隊のように統一されていた。木製の面頬を被り、魔獣の皮革を用いたと思われる兜と鎧を黒装束の上に纏う彼らは、騎士や傭兵というよりは魔獣ハンターに近い装備である。しかし何よりも強い印象を見る者に与えるのは、黒装束だけではなく全ての武装が黒一色に染め上げられていることだった。騎乗している魔獣も狼型や熊型など様々だが、その体毛が全て黒で統一されている。精鋭たる聖戦軍を圧倒していることからも、見た目の恐ろしさは虚仮脅しではないことがよくわかる。


「ふはははは!行くぞォ、野蛮人!」


 そんな怒号を上げながらザイードは飛び出した。向こうからやって来た強敵に、彼は闘争本能を抑えられなかったのだ。彼は神戦器である斧槍を先陣を切る騎兵相手に全力で振るう。彼の武威は相当なもので、彼と真っ向勝負が出来るのは、同じ神戦器を持つカインとファナを除けば聖戦軍には一人しかいない。


「何!?ガハッ!」

「ザイード!?」


 しかし、確かな実力に裏打ちされた必殺の一撃は騎兵の両刃の剣によってあっさりと受け流されてしまった。さらにそれだけではなく切り返した刃が彼の首筋に迫る。首と剣の間にどうにか斧槍を滑り込ませたものの、敵の刃は驚くほど重く、ザイードは後ろに吹き飛ばされてしまった。


「これだから脳筋は…。ほい、『鋼槍』っと。」


 ザイードが転がされたタイミングで天幕から出てきたマルコは、面倒くさそうに言いながら魔術を使う。すると一瞬で彼の眼前に鈍色に輝く鋼鉄の槍が十本ほど生み出され、邪教徒に向かって射出された。魔術に関しては右に出る者のいないマルコの、しかも最も得意な土属性魔術は、魔導金属の鎧であっても易々と貫通する威力を誇る。まして目の前の邪教徒の軽装は、彼の魔術の前には紙にも等しい。彼の魔術が放たれた瞬間、誰もがこの黒い男の死を確信した。


「『●●●』。」


 しかしながら、彼らの予想は裏切られる。すぐ後ろに控えていた邪教徒の女が放った黒い炎の槍がマルコの魔術と激突し、相殺したのだ。聖戦軍では最高の魔術師であるマルコと互角の、しかも見たこともない黒い炎に誰もが絶句してしまう。そんな中で、魔術を破られたマルコ唯一人が目を輝かせていた。


「おぉ!?やるねぇ!色々見せて貰いますかね!」

「魔術狂い…。」

「まあまあ。抑えてよ、ファナ。」


 自分の知らない魔術に知的好奇心を抑えられないマルコにそれを見て呆れるファナと窘めるエルヴィン。そして既に抜剣して邪教徒を睨みつけるカイン。神戦器を持つ全員が戦場となった本陣で敵と対峙した。


「●●●●●●●●●!●●●!」

「●●●●!」


 すると先ほどザイードを弾き飛ばした男が未知の言語によって何かを叫ぶと同時に騎獣から降りる。するとマルコの魔術を相殺した女も地上に降り、二人以外の全員は散開と同時に反転し、周囲の聖戦軍に突撃していった。


「クソが!油断した!」

「調子に乗り過ぎよ。それよりも、こいつらまさか二人でアタシたちと戦うつもりなの?」

「そう、みたいだね。」


 ザイードは忌々し気に男を睨み、ファナは自分たちを二人で相手にしようとする男女に強い不快感を覚えていた。意外なことに、それは普段は温厚なエルヴィンも同じである。二人の態度は神戦器の使い手として研鑽を積み、猛者だらけの聖戦軍でも頭一つ抜けた力の持ち主である彼らの矜持を傷つけるものであるからだ。


「●●●●、●●●●●●?●●●●●●●●●●?」


 屈辱に震えるザイードと魔術に興味津々なマルコ、そして相手の余裕に苛立つファナとエルヴィン。そんな中でカインだけは二人の邪教徒の態度が気になった。彼らからは騎乗している時の鋭い殺気が消えているからだ。そして男の邪教徒の言語は解らなかったものの、彼が何かを自分たちに尋ねるニュアンスを感じ取っていた。


「何を…?」


 もしここでカインが邪教徒とコミュニケーションを取っていれば、未来は大きく変わっていただろう。だが悲しいかな、カインはこの場にいる者たち全員を制御出来ていなかった。よって感情のままに飛び掛かったザイードを制止することは出来なかったのだ。


「邪魔だァァ!」

「●●…。●●●、●●●●!」

「ま、待っ!」


 カインが慌てて声を出した時にはもう遅かった。先ほどとは異なり、魔術によって超高温である白い炎を纏わせた斧槍でザイードが斬りかかったのである。するとそれに対応するように男は剣に魔力を注ぎ込む。するとザイードのような派手さはないものの、両刃の剣は根元から夜闇のような漆黒に染まっていく。そして常人では目で追うこともままならないザイードの一撃を受け止めた。

 その未知の魔術にもマルコは興味をそそられたようだが、彼以外の四人は驚愕に眼を見張る。ザイードの斧槍に付与された魔術は第九位階の炎魔術、『豪炎纏』だ。普通ならば武器と共に両断され、全身が灰になってしまう高位魔術だ。しかし黒く染まった剣は斬れず、その上鍔迫り合いになっている男には魔術による超高温が何の影響も与えていないらしい。このことが男が自分たちに匹敵する使い手であることを如実に表していた。


「カイン!ぼさっとしない!」

「行くよ!」

「あ、ああ…。」


 カインは二人との対話を望んだものの、ザイードの一撃によってそれは永遠に叶わないものとなってしまった。他の三人も戦闘に入った上に、相手からも背筋が凍り付きそうなほどの殺気を感じる。相手は余計なことを考えながら勝てる相手ではなく、生き延びるには全力を尽くさねばならないだろう。心の中に生まれた靄のようなものを振り切って、カインは神戦器と共に前に進んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る