藍降って君を乞う
篠岡遼佳
白薔薇と黒百合
――氷雨が降っている。
石畳の街路を車が走り抜け、ガスのにおいをまき散らしながら去って行った。
「――クソのような
そう呟いた声は少年の声。セーラ襟に短いズボン、どこから見ても少年だ。行儀悪く足元の水たまりを蹴り上げ、プッと咥えていたタバコを捨てる。
「――そうですね、あなたが出て行くほどでもなかった」
答える声は深い男性の声音。背の高い彼はトレンチコートのポケットへ寒そうに手を差し入れた。
「まったくな! とはいえ、君と仕事が出来たことは素直にうれしく思うよ、"ジョン"」
「その名前はやめて下さい……。本名だって言ってるでしょう」
「まったくもって変哲のない名前過ぎて、逆にそれ以外が思いつかん。なんなら今ここで付けてやってもいいんだが」
「犬じゃないんですから……」
「犬にはなってもらうさ、優秀な猟犬にな」
少年は眼鏡を押し上げ、口の端で笑いながら、
「――そうだな、”ホワイト”、ホワイトがいい」
「なんですって? 私がホワイト?」
帽子を直していた男は、ぎょっとしたように少年を見返した。
「正確には、ホワイトローズ、白薔薇だ。きっと気に入る」
「自分には全く合わないのでは……」
「香りがいいんだ。花言葉もいいぞ。『私はあなたにふさわしい』。一途で独善的じゃないか」
「……自分は、組織から抜けるつもりはありません」
「俺はまだ何も言ってないぜ。俺の元に来てくれ、なんてな」
ポケットからソフトケースを取り出し、しわになったタバコをまた咥える。火は、まだ付けない。
少年はセーラーのスカーフをピッと伸ばし、ポケットに手を突っ込んだまま男を見上げた。
「だから改めて言おう。君に、我が隊に来て欲しい。君の能力は本物だ。テレポート、テレキネシス、すべて入隊に申し分ない。そしてその鍛えられた身体も、軍で身につけた狙撃の腕もだ。そして、家族がいないところが、またいい」
「なぜです、普通は家族がいた方が言うことを聞かせやすいでしょうに」
「我が隊は自由を重んじる。やりたくないことはやらないでいいのさ。そういう権限を、私は君に保証してやれる。
――どうだろう、君の自由意志を、私は求めている」
少年は手を背中に回すと、一つ指を鳴らした。
そうして男に指しだした手には、五輪の白薔薇。
アイシテルではない。君が欲しい、のサインだ。少年はそうウインクする。
男は呆れて、
「なんなんです、プロポーズじゃないんですから。馬鹿は死んでも治らないというが、本当なんですね。いったい何度死んでます? あなた」
「それは数え忘れたが、君のいる組織よりは危険は少ないよ。当然俺がいるからな」
「――仮に私が白薔薇だというなら、あなたはなんですか?」
「俺は黒百合、悪臭ただようフリティラリアだ」
「花言葉は」
「『恋』だ」
「……」
「腐れたような匂いの中で、恋をする愚かな男だよ」
少年はそう嘯きながら、しかし、眼鏡の奥の藍色の瞳で、真剣に男を見た。
「私は、君が、欲しい」
――そう言って、壁に背中を付けた。タバコを咥えたまま、ふう、と息を吐く。
白い息が長く続き、氷雨がいつの間にか雪に変わっていることに気付かされた。
男は、帽子をかぶり直し、氷雨でしっとり濡れた少年の前髪をかき上げると、トレンチコートの前を開け、そっと少年をコートで包んだ。
ゆったり少年が男を見上げ、物問いたげな視線を送ると、
「風邪を引いてはいけませんから」
そう言って、コートのポケットからハードケースを取り出し、タバコを咥え、ジッポーで手慣れたように火を付けた。
そして、少年のまだ火の付いてないタバコまで、そっと身をかがめた。
互いに息を吸い、息を吐き、そして火はついた。
少年はまたタバコを咥えながら笑い、ふーっと煙を吐いて、咥えなおした。
「お前、いいよ、すごくいい。きっと俺のところまで来られる」
「政府から正式に追われる身にはなりたくないですね」
「そうか? 慣れるもんだぜ」
「ホワイト、では、追いかける方も気分が乗らないでしょうから」
「……追いかけられるつもりなのか?」
「もう忘れましたか? あなたが言ったのですよ。――『私はあなたにふさわしい』と」
――それが、答えだった。
藍降って君を乞う 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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