第20話 新宿近郊に住むエルフの女性の再戦

 アーシャが寿司を奢られてから数日が経った。


 行方不明事件は、あれから何も進展が無い。

 少なくともアーシャにとっては……。


 行方不明者が見つかる事もなく。

 新たな行方不明者が出る事も無かった。


 ルストが彼女達に復讐をしに来る事も無かった。


 魔界を開く儀式の準備が着々と進行中だからか?

 それとも思う様に魔力を蓄えられずに諦めたか?


 魔力の貯蔵場所や行方不明者達の居場所。

 アーシャも、それなりに考えてはみた。

 行ける場所なら空き時間に行ったりもした。

 しかし、手掛かりらしき物は見つかっていない。


 公開されている行方不明者の顔も覚えた。

 まさかと思うが接客中に来店するかも知れない。

 街角で偶然に見掛けるかも知れない。

 そう考えたが、そうそう出会える事もなかった。


(やっぱり転送の魔法を駆使しているんだわ)

(行方不明者達は外出を制限されている……)


 発見は困難だろうと、アーシャは思った。


 彼女は今、自宅でマフラーを編んでいる。

 帰宅して食事を終え休憩でテレビを見つつ……。

 落ち着いて考えるには最適な作業だなと思った。

 しかし、それも……たった今、終わった。


「出来た……」


 ワインレッドのシンプルなマフラーだった。

 彼女は両手を使って拡げたマフラーを眺める。

 満足気に微笑むとマフラーを胸に抱いた。


 仕上げにスチームアイロンをかけてから乾かす。


 フワフワのマフラーを、そっと綺麗に畳んだ。

 クリスマス用のラッピング袋に静かに入れる。

 綺麗な模様の描かれたテープで袋を閉じた。

 リボンで作られた小さな花を袋に取り付ける。

 大切にクローゼットの空いた場所に仕舞った。


「……喜んでくれるかな?」


 感慨に耽っているアーシャの耳に振動音が届く。

 彼女のスマフォが二、三度だけ震えていた。

 アーシャが目を向けた時には画面が点いていた。


 <ルストを追跡中>


 画面には、そう表示されていた。

 勇二からのメッセージだ。

 アーシャは急いで部屋着から外出着へ着替えた。

 レディース向けの、お洒落なジャージ。

 肌の露出の少ない運動し易い格好で自宅を出た。

 呪文を唱えて彼女は空へと舞い上がる。

 スマフォで勇二の現在位置を確認した。


「野球場?」


 大きな公園にある野球場の位置を示していた。

 アーシャは取り敢えず、そこに向かう。

 勇二に状況を尋ねるメッセージを送った。

 しかし、返信が来ない。


「交戦中なのかしら?」


 空を飛ぶ彼女に向かい後ろから近付く者がいた。


「アーシャさん!」

「勇一さん!?」


 埼京勇一は彼女の横に並ぶと尋ねる。


「……どうしても行きますか?」

「……はい」

「戻る気は?」

「……ありません」


 アーシャの真摯な瞳を見た勇一は手を差し出す。


「掴まって下さい。飛ばします」

「……はい!」


 彼女は彼の手を握り締めた。

 街の灯りが車のテールランプの様に流れてゆく。


「凄い……」


 アーシャは溜め息を漏らした。


(これがチート能力の世界……)

(ユウジと勇一さんが見てきた景色……)


 チート能力によって瞬時に目的地の側まで来た。


 まだ遠目だが勇二以外にもサラが見える。

 彼らはアーシャの予想した通り、戦闘中だった。


 相手は数人。


「そんな……」


 敵を確認したアーシャは、自分の目を疑う。


 勇二達と闘っていたのは、行方不明者達だった。

 数に押されて防戦一方の勇二とサラ。


「アーシャさん、援護を頼みます!」

「はい!」


 勇一はアーシャの手を離すと先行した。

 アーシャは自力で飛ぶ魔法に切り替える。

 そして呪文を唱え始めた。

 彼女の手に弓が現れる。

 続けて別の呪文を唱えるアーシャ。

 白く光る巨大な矢が姿を現した。


(そこっ!)


 アーシャは魔法の矢を放った。

 輝く白い矢は細く伸びグラウンドに着弾する。

 その寸前に行方不明者達は飛び退いた。

 彼女達と勇二やサラの間に爆煙が立ち込める。

 グラウンドに着地した勇一は、勇二に尋ねる。


「何があった!?」

「従業員の女性が一人攫われたんだ!」

「どうして分かった!?」

「GPSだ。携帯とは別に持って貰っている!」

「場所は!?」


 勇二は素早くスマフォを取り出し勇一に見せた。


「この先のマンションだ!」

「途中でルストを見つけて追跡していたら……」


 サラも説明に加わった。


「ここで待ち伏せを受けたんです!」

「彼女は扇情を写されたらしい!」

「らしい!?」


 勇二の説明に勇一は訊き返す。


「ルストが言った。だがブラフかも知れない!」


 勇二は爆煙の向こうを睨んだ。

 どうやら、その先にルストがいるらしい。


 勇一は勇二に向かって話す。


「分かった。女性の方は私が何とかする!」

「待ってくれ。何とかって!?」


 勇二に勇一が女性を解呪するイメージが浮かぶ。


「お前が考えている様な事はしない!」


 勇一は、その想像を否定した。


「説明は後だ。アーシャさん、勇二を頼みます!」


 遅れてアーシャが到着していた。


「わ、分かりました!」


 アーシャも勇二と同じイメージを持ってしまう。

 しかし勇一の言葉を信じ、そう返事した。


「直ぐに戻ります!」


 そう言って勇一は、急ぎマンションへと向かう。


 ほぼ同時に爆煙が晴れてきた。

 行方不明者達の攻撃が再開される。


 先陣を切って三人に向かって来る女性がいた。

 身長は高く筋肉質では無いが大柄の魔法騎士。

 オレンジ色の長い三つ編みが風になびいていた。

 アーシャは女性に見覚えがあった。


(トリニテアさんっ!?)

(魔王討伐成功者っ!)


 アーシャはトリニテアと直接の面識は無い。

 だが昔、魔王の財宝を鑑定する番組で見掛けた。

 数度の魔王討伐に成功した有名な冒険者だ。

 彼女は額にも目を持つ三つ目の亜人種である。

 アーシャやサラとは別の異世界に住んでいた。

 今は結婚して普通に主婦として暮らしている。

 かなり前から行方不明になっていた女性だ。


 鎧を着たフル装備の騎士の瞳は虚ろだった。

 両手に二本の剣を携え、こちらに突進してくる。


(操られているんだわ……)


 勇二が前に出てトリニテアを迎え討つ。

 アーシャは迫るトリニテアの向こう側を見た。


(……ルストっ!?)


 向かって来る行方不明者達の位置より更に後方。

 スコアボードの上に立つ二つの影。

 一人は女性でルストに間違いは無なさそうだ。


(魔女と……その隣にいる男は誰?)


 まるでギャルソンの様な格好をした細身の男。

 丸眼鏡の奥で狐の様な目が、こちらを見ていた。

 値踏みしている様に口の端を吊り上げている。


(あの男が……パペットメイカー?)


 そうアーシャは考え、それは正しかった。

 パペットメイカーの隣の魔女が彼に話し掛ける。


「父親の方はマンションに向かったようね……」


 淫魔はニヤつきを隠さずに答える。


「残念ですねえ……御挨拶が出来なくて……」

「余程の早漏でも無いと解呪には時間が掛かるわ」


 ルストは恍惚とした表情で薄気味悪く微笑む。

 攫った女性に夫がいる事は、確認済みだった。

 相方がいる女が意に反して他の男に抱かれる。

 孕む危険を感じつつ抗えない絶頂に至る。

 事が済んだ後の絶望した表情、その姿……。

 過去には自ら命を絶った者すらいた。

 魔女は、それらの事が、とても好きだった。


 だが勇者達というイレギュラーな邪魔が入った。

 攫った女から魔力を奪う事は出来ないだろう。

 しかし、その邪魔者が引き金になり女は傷付く。

 滑稽極まり無い話だと魔女は心の中で嘲笑う。


「暫くしたら警察や相手の増援が到着するかもね」

「それまでに男の方は殺すとして……」

「二人の女の内、どちらの魔力を手に入れたい?」

「……貴女に、お任せしますよ」

「そ……」


 ルストの視線はサラを捉えていた。


「やっぱり初物って魅力的よね……」


 エルフの方には一度だけ仕掛けた事がある。

 ルストは彼女を扇情で呪った後に逃走した。

 ……振りをして隠れて窓の外から眺めていた。

 彼女の痴態は知っている。

 とても痛快な想い出だった。


 まだ見ぬサラの痴態を想像して魔女は興奮した。


 しかし……。

 魔女はトリニテアと互角に闘う勇二を見て言う。


「何で、あの男はチートが使えているのかしら?」

「それが知りたくて待ち伏せしました」

「そうなの?」

「……貴女の失敗にも目を瞑ってね?」

「うっ……」

「おかげでアジトを、また一つ失いました」

「携帯以外にもGPSを持つと思わなかったのよ」

「……まあ、いいでしょう」


 淫魔は勇二と闘うトリニテアを見て呟く。


「アジトなんて幾らでも作れますから……」


 パペットメイカーはルストの方へ顔を向ける。


「それに彼は、まだチートは使っていませんね」

「あら、そうなの?」

「今までのはチートで得た魔力による魔法です」

「ふーん」

「貴女の魔王を倒した技を知らないのですか?」

「私は後方で主に暗殺や尋問を任されていたから」


 ルストは勇二を見る。


「勇者が、どんなチートを使うのか知らないわ」

「チートには勇者の数だけ種類があります」


 パペットメイカーも再び勇二の方を見た。


「しかし血縁関係だとチートも似る様です」

「それじゃあ……」

「彼は先程マンションに向かった男の息子です」


 淫魔は少しだけ憎しみを込めた瞳をした。


「我が主人を倒した埼京勇一の子供なんです」

「じゃあ、連中の使うチートを見た事があるの?」

「ええ……イヤと言う程にね……」


 勇二は氷の剣を携えトリニテアに斬り掛かる。

 しかし被害者である彼女を殺す事は出来ない。

 その為に攻めあぐねていた。


 だが他の行方不明者達も勇二に攻撃できない。

 彼女達はサラとアーシャが抑えてくれている。


 勇二は考える。


(見た限り最大級の強敵はトリニテア一人……)

(先ずは彼女を何とかして戦闘不能にしなければ)


 勇二はトリニテアと距離をとって構え直した。

 淫魔が、その様子を見て呟く。


「来ますよ……チートが……」


 ルストは勇二に注目すると彼は掻き消えた。

 次に彼が見えたのはトリニテアの直ぐ傍だった。

 トリニテアは突然に現れた勇二の斬撃を防ぐ。

 魔女は大きく目を見開きながら呟く。


「転送……敏捷力アップ……まさか、時間停止?」

「いいえ……あれは行動短縮のチートです」

「行動を短縮?」

「ええ、我々はアクトショーターと呼んでいます」

「どういう事なの?」

「敵との間合いを詰める為に必要な行為……」


 淫魔はトリニテアから距離を取る勇二を見た。


「走りながら近付くという行動を短縮したんです」

「それで、あっと言う間に近付けた?」


 パペットメイカーは頷いた。


「トリニテアさんには視えている様ですがね……」

「……それなら、問題は無さそうね」

「どうでしょうか……」

「どういう意味?」

「彼らが短縮できる行動は一通りでは無いのです」


 勇二は再びトリニテアに対峙して構える。


「しかも実体を伴う必要が無い」

「それって?」

「まあ、見ていて貰った方が早いかも知れません」


 勇二が再び消えると同時に大きな音が響いた。

 トリニテアの両側に二人の勇二が現れる。

 彼女は二本の剣を立てて彼の斬撃を防いでいた。


 ルストには一瞬だけ勇二が分かれた様に見える。

 次に瞳が瞬いた時、右側には誰もいなくなった。

 ルストは驚いて呟く。


「幻?」

「いえ別のルートを通った影です」

「どういう事?」

「同じ時間軸で二つの行動短縮を実行したのです」

「つまり?」

「別れ道で左へ行くか右へ行くかで悩んだ時……」


 パペットメイカーはルストに微笑みかける。


「彼は両方の道を同時に進む事が出来るのですよ」

「……分身?」

「……ま、そんな様なものです」


 また勇二はトリニテアと距離を取り直す。

 彼は少し焦っている様子だった。


(あれを防がれるか……)


 そう思いながら彼は、魔女と淫魔を一瞥した。


(膠着状態のまま増援を待ってもいいが……)

(奴らを逃がす事になるかも知れない……)


 勇二は構え直すと力を込める。

 自分の中に眠るチートの力を更に開放する。

 そして掻き消えた。


 トリニテアの両側から二人の勇二が斬り掛かる。

 トリニテアは先程と同じ様に防いだ。

 その背後から勇二は彼女の首を剣の柄で叩く。

 魔力も込めた、その一撃で彼女は気を失う。

 膝を屈し倒れ込もうとする彼女を勇二は支えた。

 そのまま、ゆっくりと地面に寝かせる。


(よし、これで……)


 同じく膝を地面に着けた勇二は、立とうとした。

 そして自分の身体が重くなっている事に気付く。

 勇二はチートの力を失っていた。

 慌てて右手の指輪を確認する。

 指輪はヒビが入って割れかけていた。


(なんて事だ……)


 勇二の手にする氷の剣が魔力を失って消える。

 ほぼ同時に背後から彼の脇腹を貫く剣があった。


「がはっ!」


 勇二の吐血する呻き声はアーシャにも聞こえた。


「ユウジっ!?」

「勇二っ!」


 サラとアーシャは同時に勇二の方を見る。

 彼の背後の黒い球体から細身の長剣が伸びていた。

 球体から淫魔の嘲笑が聞こえる。


「急に魔力が消え失せたから妙だと思ったら……」


 パペットメイカーの嬉しそうな声が響く。


「なるほど、その指輪のおかげだった訳ですね?」


 サラが勇二へと向かって駆け出した。

 アーシャは、その様子を後ろから見ている。

 彼女にはサラの動きがスローに見えていた。

 アーシャも勇二に向かって走り始める。


 時間が、ゆっくりと流れる様な感覚に陥る。

 そんな状況でアーシャに見える物があった。


 サラの背後にも黒い球体が現れる。

 球体からは細くて綺麗な女性の腕が伸びてくる。

 広げた手の平には淫の文字が書かれていた。

 アーシャは驚愕する。


(どうしてっ!?)

(扇情は一日に一つだけの筈っ!?)

(やっぱりマンションの方はブラフだったの!?)


 球体の向こう側でルストが、ほくそ笑んでいた。


(ふふふ……)

(二日かけて両手に描いたかいがあったわ……)


 サラの、肌が剥き出しの首筋に近付く呪印。

 アーシャは必死で手を伸ばしサラを突き飛ばす。

 獲物を逃した手の平が反対を向いた。

 避ける事も出来ずに、掌はアーシャに吸い付く。

 彼女の額に呪印は写され、溶け込む様に消えた。


(あ……)

(ああっ!?)


 激しい性の昂りがアーシャを襲い始めた。

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