第21話 新宿近郊に住むエルフの女性と扇情の呪印

「ああああああああああああっ!!」


 雄叫びの様な嬌声を上げて、アーシャは倒れた。

 その余りの声の大きさにサラは驚く。

 突き飛ばされて、よろめきながらも振り返った。

 サラの瞳に黒い球体とルストの腕が映り込む。


「アーシャっ、呪印を写されたの!?」


 アーシャは後ろ向きに倒れ身体を揺すっていた。


「……ふっ……ふうっ……ふーっ、ふうぅーっ!」


 何かを必死で堪える様に内腿を擦り合わせる。

 手は胸へ伸びようとしたが、震えながら抑えた。

 その様子を遠くからルストが見物している。


「あら、外れを引いちゃったわ。ざーんねん……」


 魔女は黒い球体から手を引きながら呟いた。

 隣にいた淫魔も別の球体から剣を引き抜く。

 二つの黒い球体は、ほぼ同時に消えた。

 血に濡れた剣を振って彼は指示を出した。


「ルストさん……覚醒の呪印を準備して下さい」

「ほいほーい」


 ルストは自分の掌にサラサラと模様を描いた。

 彼女の世界で醒にあたる文字だ。


「トリニテアさんにトドメを刺して貰いましょう」


 パペットメイカーは短く呪文を唱える。

 再び黒い球体がルストの前に現れた。

 同時に気絶したトリニテアの頭上にも現れる。

 魔女はトリニテアを見ながら手を球体に入れた。


「ママさん、おっきしてねー?」


 魔女は悪戯っ娘の様に微笑んだ。

 ルストの手がトリニテアの額に触れる。

 トリニテアの身体が、びくんと震えた。

 瞼を開けた彼女は、ゆっくりと立ち上がる。

 サラは起き上がる騎士を恐怖の目で見つめた。

 他の行方不明者達も少しずつ近付いて来る。


「……サラ……逃げろ……アーシャを連れて……」


 倒れていた勇二が腹から血を流しつつ指示する。

 サラは、のたうち回るアーシャを見た。

 次に勇二へと視線を戻す。

 サラは躊躇い迷っていた。

 そこへ容赦なくトリニテアが突進して来る。

 サラは呪文を唱えると彼女に向かい手を伸ばす。

 手から光るナイフの様な物が無数に飛び出す。

 それらがトリニテアを襲った。

 しかし彼女の両手の剣によって弾かれてしまう。

 届いた物もあったが鎧を貫くには至らなかった。

 トリニテアはサラには眼もくれなかった。

 真っ直ぐに倒れている勇二へと向かう。

 彼に近付きながら突き刺そうと剣を構えた。


「やめてっ!」


 サラが叫んだと同時にトリニテアは後方へ跳ぶ。

 勇二とトリニテアの間に炎の壁が現れる。


 ほぼ同時に勇一が勇二の側に立っていた。

 だが、その表情は険しかった。

 勇一は勇二を叱責する。


「渡した筈の予備の指輪はどうした?」


 勇二は一瞬だけ躊躇ってから訳を話す。


「保管庫から……持ち出す余裕が無くて……」


 勇二は苦しそうに呻いた。

 勇一は自分のコートのポケットから予備を出す。

 勇二の指に嵌っている壊れた指輪と交換した。


「説教は後だ。ヒーリングは使えるな?」

「……ああ、大丈夫だ……済まない……」

「次からは肌身離さずに持っておけ」


 勇二の出血が止まり傷口が塞がっていく。


「お義父さまっ、アーシャがっ!?」


 勇一はサラの声がする方向を見た。

 サラに抱き起こされているアーシャがいた。

 アーシャは湧き上がる情欲を抑え身悶えていた。


 彼女達の周囲に操られた行方不明者達もいる。

 勇一は掻き消えると外側の一人の側に現れた。

 後ろ首に魔力を込めた当身をして昏倒させる。

 彼は掻き消え現れを繰り返しアーシャに近付く。


 トリニテアを除く行方不明者達は全て倒れた。

 周囲の脅威を取り除きアーシャの元へと着く。


 勇一は跪くとコートのポケットから小瓶を出す。


「アーシャさん、これを、ゆっくり飲んで下さい」

「……こ……れは……?」

「説明は後で……今は私を信じて下さい」


 上気した顔のままアーシャは震える唇を開いた。

 勇一は中身の液体を静かにアーシャに飲ませる。

 柑橘系の甘い香りが彼女の鼻腔をくすぐった。


(いい香り……)

(まるでグレープフルーツジュースみたい)

(でも何だか……頭の中がスッキリする……)


 アーシャは少しずつ身体が楽になるのを感じる。

 まだ体温が高く火照ってはいた。

 だが心の内から押し開く様な情欲は消えていた。


 その様子を確認し安堵した勇一は炎の壁を見る。

 少しずつ鎮火していく壁の向こうを睨んだ。

 壁の向こうにはトリニテアが仁王立ちしていた。

 勇一は立ち上がり剣を振り下ろす動作をする。

 トリニテアの背後に現れた勇一の影が剣を振る。

 彼女は素早く右手の剣を後ろに回して防いだ。


「ほう?」


 勇一は感心した様に溜め息を漏らした。

 深く腰を落として構え直す。

 勇一は掻き消えた。

 同時にトリニテアは右手の剣を横に振るう。

 彼女の手前に現れた勇一は剣で受け止めた。

 トリニテアは左手の剣で突きを繰り出してくる。

 勇一は再び掻き消え彼女と距離を取った。

 彼の右耳が切れて出血をしていた。

 トリニテアの突きを躱し切れなかった様だ。


 勇一は微笑む。


(マズイな……)

(人質で女性とは言え……)


 背筋を伸ばしてトリニテアを見据えた。


(殺してしまいたくなってくるじゃないか……)


 傷を癒し終え立った勇二が、勇一に忠告をする。


「行動を短縮し速度を上げても彼女には通じない」

「その様だな」

「三つのルートから同時に攻撃して、やっとだ」

「……成る程」


 勇一は勇二をチラリと見る。


「それで指輪が壊れたか……」

「……どういう事だ?」

「複数行動は距離に比例して必須チート力を……」


 勇一は視線をトリニテアに戻した。


「……指数関数的に増やしてしまう」

「そのせいで指輪に負荷が掛かり過ぎて?」

「そうだ。指輪を壊さない程度にチート開放しろ」

「分かった。さっきので大体は把握できたよ」


 勇一は苦笑する。


(俺が全力を出しても壊れない指輪が壊れた……)

(チートのパワーは息子の方が上とはな……)

(喜ぶべきか……哀しむべきか……)


 勇一はトリニテアに向かって再び剣を構える。


「少ないチート力も使い方次第だ!」


(技と経験では、まだまだ負けんさ……)


「複数ルートも行動範囲が狭ければ負荷は少ない」

「どうするんだ!?」

「まあ……見ていろ!」


 そう言った瞬間に勇一は消えた。

 次の瞬間に彼はトリニテアの前にいた。

 トリニテアは先程と同様に剣を振るう。


 勇二の目に勇一が幾重にも折り重なって見える。


 勇一は単一ルートでトリニテアに接近した。

 その後は同じ位置で複数の行動を短縮する。

 トリニテアの右手の剣を受ける。

 更に別ルートで彼女の左手の剣を払う。

 そして他の複数の行動で斬撃を浴びせた。

 頭部以外の、あらゆる箇所に剣が叩き込まれる。

 トリニテアの着る頑強な鎧が変形していった。

 力でゴリ押しされトリニテアは後方へ吹き飛ぶ。

 そして、そのまま気絶して仰向けに倒れた。


 勇一は、その勢いのままスコアボードへ向かう。

 チートでは無い魔法の力で空へと跳んだ。

 近づいて来る勇一に向けて淫魔は手をかざす。

 勇一は剣を横向きに振るう。

 魔法障壁が炎の刃によって瞬時に薙ぎ払われた。

 勇一はチートを使って淫魔に斬り掛かる。

 炎の刀身が首に真横から食い込もうとした寸前。


 勇一は、その手を止めた。


「……既に、すり替わっていたか……」


 淫魔も隣の魔女も同じ服装の行方不明者だった。

 だがパペットメイカーの気配を勇一は感じる。

 偽物から少し離れた後ろに小さな黒球があった。

 中からパペットメイカーの声が聞こえてくる。


「残念ですねえ……もう少しで殺人犯だったのに」

「……卑怯者の貴様らしい、やり口だな?」

「……卑怯?」


 淫魔の声のトーンが低くなった。


「姫を誑かして……」


 パペットメイカーの声は怒りに満ちていた。


「陛下を騙し討ちした人が言えた義理ですか?」


 埼京勇一は溜め息を吐いた。


「……二十数年振りくらいだな……」

「随分と老けましたね」

「お前は変わらない様で羨ましいよ……」

「本来なら姫も、その筈だったんです」

「彼女は若く綺麗なままだった……」

「しかし身体の中はボロボロになってしまった」


 淫魔は歯軋りをする。


「貴方のせいで、本来の寿命を全う出来ずに……」

「否定はしないが、貴様に言い訳する気もない」


 黒い球体の中から呼吸を整える音がする。

 いつもの平静な口調に戻るパペットメイカー。


「今夜は、これで、お暇させていただきます……」

「……」

「また御会いできるかは分かりませんが……」

「……きっと、見つけ出してやる」

「……ごきげんよう」


 そう淫魔が言うと小さな黒い球体は消えた。


 パペットメイカーは新しいアジトにいた。

 勇一との話を終えた彼にルストが話し掛ける。


「どうして、殺さなかったの?」

「息子の方も回復しました。多勢に無勢ですよ」

「指輪を破壊するか奪えばいいじゃない」

「そんな隙を見せる相手ではありませんよ」


 パペットメイカーは苦笑いをした。


「予備が幾つ用意されているかも分かりませんし」

「……用意周到な奴……」

「指輪の線から彼を倒すのは難しいでしょう」

「じゃあ、どうするの?」


 パペットメイカーは真面目に考え込む。

 彼は新しいアジトの部屋を見回した。

 部屋の中には彼の可愛いパペット達がいる。

 今回の待ち伏せに使用しなかった行方不明者達。

 しかし……。


「大分、駒も少なくなってしまいました……」


 ルストも部屋を見回した。


「こいつら、異世界の魔力持ち達の事?」


 魔女の質問に淫魔は頷く。


「後少しで必要な魔力が蓄えられるのですが……」

「足りないなら追加で誘拐すればいいじゃない」

「今回の戦闘で間違い無く我々は指名手配ですよ」

「……」

「写真は無いですが似顔絵は貼られるでしょうね」

「そうそうバレる様な変装はしないわよ」

「私も姿形は魔術で、どうにでも変えられますが」


 パペットメイカーは溜め息を吐く。


「派手な行動は、やりづらくなりました」

「じゃあ一体どうするのよ?」

「……いっそ次の皆既月食まで待ちましょうか?」

「イヤ。延期を繰り返したら婆さんになっちゃう」

「ですね……」


 淫魔は黒い球体のあった場所を見つめた。


「私も彼が生きている内に復讐しておきたい……」


 淫魔は何も無い空間の向こうを睨んで呟いた。


 その先で勇一は、アーシャを両手で抱えていた。

 公園のベンチに彼女を座らせる。

 そして行方不明者達の武装を解除し始めた。

 勇二とサラも手伝い気絶した彼女達も座らせる。

 やがて勇二の増援と警察が到着した。

 勇一と勇二は彼らに説明をして指示をだす。

 公園の中への立ち入りは制限された。

 勇一はスマフォを取り出すと電話を掛ける。

 スピーカーで勇二とサラにも聞こえる様にした。


『もしもーし?』


 電話の相手は陣だった。

 勇一から連絡を受けマンションに直行していた。


「マンションの方は、どうだ?」

『今、警察の方々が現場検証をしてますよ』

「ルストに扇情を写された女性は?」

『薬が効いて大分落ち着かれました』


 サラが勇一に尋ねる。


「薬ですか?」

「アーシャさんにも飲ませたポーションです」

「もしかして?」

「ええ、扇情の効果を一時的に抑制してくれます」

「一時的にですか?」

「はい。被害女性に交際中の男性はいますか?」

「彼女は既婚者なので旦那さんがいます」

「それでは、その二人へ処置の説明は任せても?」

「はい、同じ会社の人間なので私の方から……」


 勇一は陣に指示を伝える。


「陣。そこは警察に任せて、こちらに来てくれ」

『いいですけど、被害女性は?』

「勇二達と入れ替わって後の事は彼らに任せる」

『りょーかーい、です』


 勇一は陣への通話を切った。

 勇二が勇一に話し掛ける。


「薬なんて物があったのか。俺は、てっきり……」

「俺が被害女性に対して処置を施すと思ったか?」


 勇二は頷いた。

 勇一は答える。


「必要があれば人命を優先して処置を施すさ」

「……そうか……そうだよな……」

「だが、そうならない為に打てる手は打っておく」


 三人はベンチに腰掛けるアーシャに近付いた。

 サラが、しゃがんで彼女の右手を両手で握る。


「アーシャ、大丈夫?」

「……まだ少し……身体がダルいかも……」


 アーシャは疲れた様にグッタリとしていた。

 彼女はサラに詫びる。


「ごめんなさい……」

「……何が?」

「サラにはユウジがいたから平気だったのに……」

「……呪印のこと?」

「私、焦って余計な事……しちゃった……」


 サラは瞼を閉じて首を横に振る。

 そして目を開くとアーシャを見詰めた。


「いいえ、あの時に勇二は大怪我をしていた」

「……」

「お義父様が来なければ、どうなっていたか……」

「……二人が無事で良かった」

「貴女の判断は決して間違ってなんかいないわ」

「……ありがとう、サラ……」


 サラはアーシャの右手から両手を離す。

 改めて額に片手を当て直すと短く呪文を唱えた。

 アーシャは自分の額を見て不思議そうに尋ねる。


「……今の魔法は?」

「良い夢を見られる様に……おまじないよ」


 サラは微笑みながら答えると立ち上がった。

 代わりにアーシャの正面に勇一が跪く。

 アーシャは彼に感謝の言葉を伝える。


「ありがとうございます。薬が、あったんですね」

「知り合いの冒険者パーティの女性が作りました」

「……魔導士?」

「ええ、この指輪もドワーフの細工師と共に……」


 勇一はアーシャに右手を寄せて指輪を見せる。


「彼女に開発……製造して貰っています……」


 公園の側にサイレンを鳴らさずに救急車が来た。

 数台の救急車に行方不明者達が運ばれて行く。


「その女性は国立魔法研究所の顧問でもあります」


 勇一は行方不明者を乗せた救急車を見た。


「彼女達は、そこにある医療施設に運ばれ……」


 彼は視線をアーシャに戻して微笑みかける。


「メンタルケアを含め治療を受ける事になります」

「……良かった……」

「ですが、マンションの女性と貴女は別です」

「……扇情の呪い……」

「薬では一時的に効果を抑える力しかありません」

「……」

「しっかりと解呪する為には処置が必要です」

「……処置……」


 勇一は真剣な表情でアーシャに向かって頷く。


「……アーシャさん、失礼ですが……」

「……」

「今、お付き合いしている男性はおられますか?」

「……いません」

「それなら……」


 勇一は考え込む。


「気になる異性とか、好きな方はいませんか?」


 アーシャは想い出したく無い事が頭に浮かんだ。

 サラに握られていた右手が汗ばんでくる。

 サラも勇二も、ばつが悪そうな顔をしていた。

 アーシャは勇一を見る。

 その頬は紅くなっていたが三人は気が付かない。


(……みんなの前でなんて……言えない……)


 まだ自分の気持ちがハッキリと固まっていない。

 アーシャは、そう思った。

 勇一から視線を逸らして静かに答える。


「……いません」

「そうですか……」


 勇一は困ってしまった。

 ポーションの効果が予定通りなのは良かった。

 だが継続しての使用に問題が無いとも言えない。

 早目に処置をするに越した事はないのだ。

 放置してアーシャに、どんな害が及ぶか……。


(まったく知らない人物よりは……)

(……マシかも知れないな)


 事情を知らない勇一は、そう考えてしまった。


「勇二、サラさん」


 勇一は立ち上がって二人に話し掛ける。


「……なんでしょう?」


 サラは嫌な予感がしつつも尋ねた。


「勇二を一晩だけ貸して貰えませんか?」


 その意味を理解できない三人では無かった。

 アーシャは両目を大きく開けて驚く。


「もちろんアーシャさんの都合を……」


 勇一の言葉は、そこで途切れた。

 強い力でコートの襟を引っ張られたからだ。

 鬼気迫る表情のアーシャと目が合う。


「……アーシャさん?」

「やめて下さい。二人は結婚しているんですよ?」

「しかし、貴女の命が掛かっているんですよ!?」

「二人の邪魔はしたくないんですっ!」

「そんな事を言っている場合では無いでしょう!」

「……お願いします……もう、二度と……」

「……」

「……」

「……二度と?」


 勇一の尋ね返す呟きにアーシャは、ハッとする。

 慌ててアーシャは、勇一から視線を逸らした。

 勇一は勇二を見た。

 勇二は唇を噛み締め俯いていた。

 さらに勇一はサラへと視線を移す。

 サラは勇一を真っ直ぐに見て静かに頷いた。


 アーシャの目から涙が溢れてくる。


(知られた……)

(今一番、知られたくない人に……)

(一番、知られたくない過去を……)


「なにも……なにも知らなかった……」


 整わない呼吸の中で無理矢理に声を絞り出す。


「無邪気だった……あの頃とは違うんです……」


 アーシャの涙が勇一のコートを僅かに濡らす。


「知ってしまった……もうユウジには……」


(抱いて……貰う訳には……いかない……)


 最後の台詞は声にならずに唇だけが動いた。

 アーシャの身体から力が抜けていく。

 彼女は気を失ってしまった。

 崩れ落ちそうなアーシャを勇一は慌てて支える。


「アーシャさん……」


(あの時……)

(三人に初めてルストの事を伝えた時に……)

(何か、あったとは思っていた)

(青ざめていた、この娘は……)

(もしかすると扇情の呪いを一度だけ……)

(受けたのでは無いか、とも……)

(しかし、まさか……)

(その初めて解呪の相手が勇二だったとは……)

(……しかし、それなら何故?)

(勇二はアーシャさんではなく、サラさんと?)

(……いや、詮索は、やめよう……)

(今は……)


 勇一は、そっとアーシャを抱きかかえる。

 そして勇二の方を向いた。


「勇二……」

「親父……俺は……」

「詮索はしない。お前を……三人を信じる」

「……ごめん」

「アーシャさんは取り敢えず、俺が自宅まで送る」

「……分かった」

「陣が来たら説明を頼む」

「ああ……一度は会った事があるから、大丈夫だ」

「そして代わりにマンションに向かってくれ」

「……ああ」


 次に勇一はサラに話し掛ける。


「サラさんも勇二と一緒にマンションへ……」

「はい、女性への説明は任せて下さい……」

「……サラさん……」

「……はい……」

「アーシャさんは、ああ言っていましたが……」

「……」

「もしもの時は……お願いします」


 サラは一度だけ勇一の視線から目を逸らした。

 しかし顔を上げ勇一を見据え、はっきりと頷く。

 その表情を見て勇一は複雑な気持ちで微笑んだ。


「親父……」

「なんだ?」

「アーシャを宜しく頼む」

「……任せろ」

「もしもの時は……助けてやってくれ……」


 勇一は驚いた表情をして勇二を見る。

 勇二は何かの覚悟を決めた顔をしていた。

 勇一は呟きかける。


「俺は……」


 アーシャを抱かない、勇一なりの理由はあった。


(だが……)


 勇一は気を失い眠る両腕の中のアーシャを見る。


「……分かった。彼女が、そう望むなら……」


 その台詞がアーシャに届く事は無かった。


 勇一は勇二とサラに背を向ける。

 アーシャを抱えながら公園を後にした。

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