第16話 新宿近郊に住むエルフの女性と喫茶店

 埼京勇一は新宿駅に着いた。

 ホームから階段を昇ると南口の改札が見える。

 改札の向こう側には既にアーシャが待っていた。


(また、待たせてしまったかな?)


 近付きながら彼女を見るとニコニコしていた。


(何か良い事でもあったのだろうか?)


 どこか嬉しそうなアーシャ。

 それを見て勇一も楽しくなってきた。


 勇一が間近に来ても、彼女は気が付かなかった。

 彼は彼女を驚かさない様に静かに声を掛ける。


「こんにちは、アーシャさん」


 しかしアーシャは少しだけビクンと肩を揺らす。

 彼女は、ぎこちない動作で振り向き勇一を見た。

 驚いたままの表情から微妙な笑顔に変わる。


「こ、こんにちは、勇一さん……」


 瞬きもせずにアーシャは勇一に挨拶をした。

 勇一は少しだけ罪悪感から苦笑いをする。

 それでも彼女に質問をするのを忘れなかった。


「それでは案内して貰えますか?」

「……案内?」

「アーシャさんがスマフォを契約している店です」

「えっ……あの、それは……」

「大丈夫です。費用は会社の方で持ってくれます」

「そうなんですか?」

「はい、端末の購入費用のみにはなりますが……」

「……そういう事でしたら……」


(正直いって助かるし、お言葉に甘えよう……)


 アーシャは勇一をスマフォの購入店へ案内する。

 量販店にある大手キャリアのコーナーに向かう。

 破壊されたスマフォを店員に見せる。

 店員は暫く口を、あんぐりとしていた。

 スマフォの保険は適用可能だった。

 新しいスマフォを割引価格で購入出来る。

 アーシャは元の機種の後継機を選んだ。

 自宅のノートパソコンに記録したバックアップ。

 そこからのデータの復元が楽だったからだ。

 勇一がスマフォの代金を支払う。

 そして店員から領収書を受け取った。

 アーシャは新しいスマフォ入り手提げ袋を持つ。

 彼女は再び嬉しそうに微笑んだ。


「本当に助かりました。ありがとうございます」


 勇一に、お辞儀をして感謝の言葉を伝えた。


「とんでもない。アーシャさんは被害者ですから」


 勇一はアーシャの前に両掌を向けて言った。


「本来は民事で加害者に賠償請求できる立場です」

「やっぱり、異世界からの不法入国犯罪者だと?」

「そうですね。訴訟自体は可能でも……」


 勇一は苦笑いをする。


「実際に支払われる事は無いでしょう」


 彼女は魔女が自分に、お金を払う姿を想像する。

 現実には有り得ない事だが少しだけ面白かった。


 勇一はアーシャに尋ねる。


「その件に関して少し話を聞いてもいいですか?」

「……はい」


 二人は近くの地下街にある喫茶店に入った。

 奥の方にあるテーブルの座席に移動する。

 周囲に他の客はいなかった。


「……喫茶店の中で話しても大丈夫なんですか?」


 アーシャは疑問に思った事を、そのまま尋ねた。


「はい、特に問題は無いです」


 アーシャが座ったのを確認してから勇一も座る。


「まあ……人がいないに越した事は無いのですが」


 ウェイトレスが二人の席へと注文を取りに来る。


「奢りますから好きな物を頼んでいいですよ?」


 勇一は、そう言うと微笑んだ。

 メニューを見ながらアーシャは目を輝かせる。


(コンビニ以外のケーキなんて久し振り……)


 アーシャはチョコレートケーキとミルクティー。

 勇一はブレンドコーヒーを注文した。

 ウェイトレスが去ると、勇一は話を切り出す。


「倉庫での被害女性の爪に残っていた皮膚と……」

「……半魔のオークのDNAが?」

「はい、一致しました」


 予想できていた事だがアーシャは哀しくなった。


「あの男は扇情の呪いで本当に人が死ぬのか……」


 少しだけ言葉を詰まらせるアーシャ。


「……確認の為に観察したかったって……」

「……むごい話です」


 勇一は溜め息を吐く様に言った。


「被害女性の遺体が倉庫で発見されて直ぐ……」


 勇一は少しだけ俯いていた顔を上げた。


「倉庫の所有者の線から調べていたのですが……」

「何か分かったんですか?」

「ええ、つい先程の事ですが……」


 勇一はアーシャに向かって頷いた。


「彼女は警察の任意同行に応じてくれていました」

「所有者も女性だったんですね……それで?」

「しかし取調べの最中に昏倒してしまったのです」

「えっ!?」

「未だに意識を戻されてはいないのですが……」

「……が?」

「家族の承諾を得て今朝方CTの検査をしました」

「……何か見つかったんですか?」

「ある魔族が彼女を操った痕跡が見つかりました」

「……魔族に操られていた?」

「はい」

「ルストの背後にいたのは魔族だったんですか?」

「決定的とは言えませんが、恐らくは……」


 アーシャは勇一の話を聞いて驚いていた。

 しかし同時に納得もする。

 ルストが逃げる時に使用した転送魔法。

 アーシャが魔王討伐時に見た事が無い魔法だ。

 魔女が使えない筈なら他に魔導士がいる。

 高度な魔術スキルを要求される転送魔法。

 魔術に長けた魔族なら使用できるのも道理だ。

 しかも、その魔族は人間を操れるらしい。


「人を操る魔族なんて聞いた事がありません」


 心ある生き物の自我を魔法で奪い取る。

 そして、その生き物を自由に操作する。

 転送の魔法よりも遥かに高度な魔術の筈だった。

 情欲を掻き立てる扇情の呪いと次元の違う魔法。


「そうでしょうね。彼は貴女の世界にいなかった」

「彼?」

「彼は私が最初に討伐に赴いた異世界の魔族です」

「……魔王の娘である奥様のおられた?」

「彼の本当の名前は、私も知りません」


 勇一は頷きながらアーシャに、そう伝えた。


「私達は魔王の配下であった彼を……」


 勇一は瞼を閉じた。

 まるで古い友人を紹介する様にアーシャに言う。


「……パペットメイカーと呼んでいました」

「パペットメイカー……」

「多くの人々を自分の操り人形に作り変える……」


 勇一は目を開けるとアーシャを見詰める。


「……彼の魔術の効果から付いた仇名です」

「多くの人々を……ですか?」

「最近テレビで行方不明のニュースが増えました」

「はい、よく見掛けます」

「行方不明者の多くは、都内在住の異世界人です」

「その事件がルスト達の仕業だと言うのですか?」

「確証は無いです。しかし主犯の魔族の狙い……」


 注文した飲み物とケーキが運ばれて来た。

 勇一はブレンドを一口だけ飲む。

 アーシャもミルクティーに口を付けた。


「それは移民者の多くが持つ魔力だと思われます」

「パペットメイカーの目的は魔力を集める事?」

「そして彼は私の妻のいた異世界の出身です」

「それって、もしかして……?」

「そうですね……」


 勇一は何故かアーシャに向かって微笑んだ。


「パペットメイカーは神話の魔神になる気です」


 勇一の笑顔はアーシャには嘲笑に見えない。

 パペットメイカーが魔神になれる訳がない……。

 そう思って笑っている訳では無さそうだった。


(勇一さん、逆に敵が強くなる事を喜んでいる?)

(……ううん、流石に気のせいよね?)


 アーシャは途中で気になった事を尋ねる。


「魔族は、どんな魔術を使い人を操るんですか?」


 その質問に意外な事に勇一は狼狽えてしまった。


「ある種の魔力を持ったウィルスの様な物を……」

「ウィルスの様な物を?」

「相手の脳内に送り込んで操ります」

「どうやって?」


 アーシャの疑問は最もだった。

 勇一は益々困った表情になる。


(弱ったな……)

(ルストとも関係する重要な話なのだが……)

(奴の手段を女性に事細かく説明したものか?)

(彼女に余計なショックを与えたくないし……)


 アーシャは質問を重ねてくる。


「パペットメイカーは強いんですか?」

「はい、彼の魔術や魔法は並大抵の抵抗力……」

「いえ、そうではなく、戦闘力の方です」

「と、言うと?」

「行方不明者の中に知っている実力者がいました」


(そこに気が付かれたか……)


 勇一は退路を断たれた気分になる。


「私と違う世界の魔王討伐に成功した人もいます」

「……はい」

「そうそう魔族に遅れを取るとは思えません」

「……そうですね」

「パペットメイカーの力は魔王並みなのですか?」

「彼は決して弱くはありませんが……」

「が?」

「そこまで強くもありません」

「なぜ彼女達は易々と魔族に囚われたのですか?」

「……恐らくルストの呪印のせいだと思われます」

「魔女の?」

「はい、ルストは人間です」

「魔族なら警戒しても人間なら油断をする、と?」


(なるほど……)

(大きな力を秘めた魔族……)

(幾ら隠しても近付けば実力者には勘づかれる)

(でもルストは、ただの人間の魔術師だわ)

(知らない異世界人なら同じ移民者と思うかも?)

(きっと、肌に触れる機会なんて幾らでもある)


 アーシャは納得しつつも新たな疑問が生まれる。


「ルストは何の呪印を使ったのでしょう?」

「それは……その……」

「眠りは私には有効だと思います。でも……」

「でも?」

「行方不明者にはレジストできそうな方もいます」

「……ルストが使用したのは、恐らく扇情です」

「……えっ!?」


 彼女は行方不明者達が女性のみな事に気付く。


(そうだ……)

(女性なら魔女は扇情を写してさえしまえば無敵)


「でも……それじゃ、もう……皆さん、死……」

「いいえ、殺してしまっては魔力も失います」

「……あ、そうです……ね」


 アーシャは自分の早合点を恥じて紅くなる。


「それにパペットメイカーの出番が無くなります」


 アーシャが落ち着いたのを勇一は確認する。

 そして安心させる様に冗談っぽく、そう言った。


 アーシャは更に勇一に質問をする。


「ルストの扇情で無抵抗になった彼女達を?」

「パペットメイカーが操り人形にしたのです」


 勇一の答えからアーシャには更に疑問が増えた。


(でも解呪された後で正気に戻れる筈……)

(私は、あの時に疲れて眠っちゃったけど……)


「その過程で抵抗されて逃げられる可能性は?」

「恐らく無いでしょう……なぜなら……」


 勇一はアーシャに魔族の術を伝える事を決めた。


「扇情の解呪こそ彼がウィルスを入れる手段です」


 アーシャは勇一が何を言ったのか理解できない。

 彼の言葉の意味を頭の中で、ゆっくり反芻した。

 そして意味を理解すると耳まで真っ赤になった。


「そそ、それって……つまり……性行為が……?」

「パペットメイカーはインキュヴァスなんです」

「淫魔……!?」


 アーシャは半魔オークの男の言葉を想い出す。

 男はサキュヴァスとのハーフだと言っていた。

 なんとなく、その辺に繋がりがある様に感じる。


「解呪と同時に胎内に注入されたウィルスは……」


 勇一の説明は続いた。


「血管を通って脳内に到達し、そこに留まります」


 アーシャは首の後ろが寒くなってきた。


「そして淫魔の思い通りに動く人形になるのです」

「ち、治療方法は……?」

「ウィルスの潜む箇所は腫瘍の様な塊になります」

「……腫瘍みたいな塊ですか?」

「やや小さく表層に位置するので摘出は容易です」

「それじゃあ……?」

「この世界の医術なら脳外科手術で治療可能です」


 アーシャは、ホッと胸を撫で下ろした。


「倉庫会社の女性も近い内に手術を行う予定です」


 勇一はアーシャを安心させる様に微笑む。


「私が知る限り治療すれば意識を取り戻す筈です」

「良かった……」


 アーシャは心の底から安堵して微笑む。


「しかし心に残った傷は癒せる物ではありません」

「そう……そうですよね……」


 彼女は、その事に気が付くと険しい表情になる。


(……許せない……パペットメイカー……)

(そして、ルスト……!)


 自身も癒えぬ傷を抱えたアーシャは憤った。

 勇一はアーシャを冷静な眼差しで見詰める。


「アーシャさん……」

「はい?」

「一時的に故郷に戻られる事は出来ませんか?」

「えっ……!?」


 アーシャは勇一の提案に一瞬、耳を疑った。


「どうして、そんな事を言うんですか?」

「貴女が危険だからです」

「帰省すればルストの脅威から逃げられる、と?」

「彼らが東京を拠点にしている間はですが……」

「淫魔が魔神になってしまっては手遅れです!」

「私が……弊社が必ず防いでみせます」

「でも……」


 勇一の表情は真剣だった。

 だからこそアーシャは悔しかった。


(昨日の一件で助けられたのは事実……)

(油断してルストの呪印も写されそうになった)

(勇一さんがいなければ淫魔の操り人形に……)


 突然、彼女の心に恐怖が覆い被さってくる。

 見知らぬ魔族に抱かれた上に自分を失う。

 とても恐ろしい事だった。

 逃げ帰ったとしても誰からも責められはしない。


(でも……)


「勇一さんは普段の生活を犠牲にするなと……」

「……」

「私と貴方で被害者の仇を討とうと……」

「それは……証言による協力でという意味です」


 嘘だった。


 あの時の勇一は、アーシャと同じ気持ちでいた。

 だから、うっかり口が滑ってしまった。

 後ろめたさから彼は、彼女から視線を逸らす。


「言い……ました……」


 勇一が再び視線を戻すとアーシャは泣いていた。

 彼は驚きつつもハンカチを取り出し彼女に渡す。

 アーシャは受け取るとハンカチで涙を拭いた。


「確かに私は足手纏いかも知れません」

「いえ……決して、そんな風には……」

「囚われれば淫魔に魔力を提供して……」

「……」

「魔神の復活に手を貸す事になるかも知れません」

「アーシャさん……」

「でも私はルストの事を良く知っています!」「……そうですね」

「魔女を足掛かりにして淫魔に辿り着けます!」

「……はい」

「私が逃げた後に被害者が増えるかも知れない」

「……」

「その事の方が耐えられそうも無いんです……」


 勇一は瞼を閉じると答える。


「サラさんにも似た様な事を言われました……」

「サラに?」

「ええ、貴女と共に避難する様に頼みました」

「私とサラが?」

「勇二は賛成してくれたんですがね……」

「ユウジが……?」

「息子の会社とは業務提携の形で手を組みました」

「ええっ!?」

「取締役の一人である私が逃げる訳にはいかない」

「……」

「サラさんは、そう仰っていましたよ」


 勇一は楽しそうに想い出し笑いをする。


(ズルい……)

(なんだか格好いい……)


 彼女は元親友との差を見せ付けられた気がした。


「分かりました」


 勇一は真面目な顔に戻って答えた。


「アーシャさん、改めて事件解決への協力を……」

「勇一さん……」

「よろしく、お願いしますね?」

「はい!」

「決して、この前の様な無茶はしないで下さい」

「……はい……」

「何かあれば直ぐに私に連絡して下さいね?」

「はい」


 勇一は、ひと息つく為にコーヒーカップを持つ。

 アーシャにも召し上がれと手で示した。

 彼女は頼んでいたケーキを嬉しそうに頬張った。


 あの様な話を聞いても食欲を失わないアーシャ。

 勇一はコーヒーを飲みながら、その様子を見る。

 彼は何故か彼女を、とても頼もしく感じていた。

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