第13話 新宿近郊に住むエルフの女性は、ちょろいん

「埼京……勇一……さん」


 アーシャは、ぼーっとしていた。

 勇一と別れた後に玄関の前で暫く放心していた。


 放心状態でも結界魔法を張るのは忘れなかった。

 玄関の中に入った直後に呪文を唱え始める。

 自宅周囲に見えない、触れない壁が発生した。

 結界が魔力を感知すれば彼女に知らせてくれる。

 深い眠りの内であっても起こしてくれるだろう。

 アパート居住者に彼女以外の異世界人はいない。

 魔力を持って近付いてくる者は、仲間以外が敵。

 大抵は、そういう事になるだろう。


 アーシャは呪文を唱え終わると鞄を廊下に置く。

 彼女自身も靴を履いたままで腰を落とした。

 廊下に置いてある小さな絨毯の上に座る。

 そのまま数十分くらい何も考えずに……。

 頬を紅く染めたままで動かずにいた。


 やがて、ゆっくりと立って靴を脱ぎ始める。

 まだ心ここにあらずな感じで廊下へと上がった。


 部屋に入る前にアーシャは上着を脱いだ。

 芝生に押し付けられたせいで上着は汚れていた。


「洗濯しないと……」


(きっと、スカートも汚れている)


 彼女は、そう考えて気が付いた。

 こんな姿の自分を勇一は抱えて飛んだのだ、と。

 恥ずかしさと嬉しさが心の中で混ざり合う。

 コートに汚れが移っていないのか心配になった。

 電話しかけてスマフォが壊された事を思い出す。


(公衆電話でも使おうかな?)


 アパートの側に電話ボックスがある。

 感知結界の範囲内だ。

 勇一の携帯の番号は憶えている。

 小銭もある。


(でも、もう休んでいるかも知れないし……)

(かえって迷惑かも?)


 勇一と別れて、それなりに時間が経っていた。

 電車はもう、とっくに動いていない筈だ。

 しかし彼の力なら一瞬で自宅に戻れるだろう。

 でも目立つのを嫌ってタクシーを使うだろうか?

 車内で眠っていたとしたら電話は迷惑だ。


(明日スマフォを買い換えたら御礼の連絡しよう)

(私も今日はクタクタだし……)


 彼女は汚れた服と靴下を洗濯かごに放り込む。

 下着姿のままで部屋の中へと入った。

 クローゼットを開けて部屋着へと着替える。

 ふと下の方に手提げの紙袋がある事に気付いた。


(いっけない……捨てるの、忘れてた……)


 彼女は袋を手にして開くと中身を確認する。

 中には切られた状態のスカートが入っていた。

 アーシャが痴漢をされた時の物だった。

 埼京勇一に助けられた時に穿いていた。

 出逢いの切っ掛けとなったスカート。


(思い出深い品になっちゃったけど……)

(流石に、もう穿けないしなあ……)


 彼女はゴミ袋に移す為にスカートを取り出す。

 一緒に何か長い布切れが引っ掛かってきた。


(なんだろう?)

(随分と渋い色の……)


 マフラーだった。


 アーシャは両手で、それを広げる。

 彼女はマフラーの持ち主が誰かを思い出した。

 途端に顔が真っ青になり額に汗が滲んだ。


 彼女はマフラーの取り扱い絵表示を確かめる。

 自宅の洗濯機で洗濯可能な種類の生地だった。

 素早くマフラーを綺麗に畳んでネットに入れる。

 洗濯機に入れて手洗いコースで回し始める。

 小銭の入った財布を掴むと玄関へ向かう。

 サンダルを履いて扉を開けて外に出る。

 外から扉を閉めて鍵をする。

 パタパタとダッシュで電話ボックスへ向かった。

 中に入って受話器を取る。

 小銭を入れて番号を高速でプッシュする。

 受話器から呼び出し音が鳴り響いた。

 彼女は電話ボックスの中で足踏みをする。

 顔色は、真っ赤に変わっていた。


 ガチャ……。


『もしもし、埼京ですが?』

「ハァハァ……ゆ、勇一さん?」

『……アーシャさん!?』

「はい……あの、その……んくっ……」

『わざわざ公衆電話で……どうかしましたか?』

「いえ……はぁ……その……はぁ……」

『少し息が荒い様ですが、何かあったんですか?』

「実は、その……うっ……」

『大丈夫ですかっ!?』

「……はい……その……ま……」

『ま?』

「ええ……ま……が……」

『まさか、魔女がっ!?』

「ああ……いえ、その……マフラーが……」

『……』

「……」

『……マフラー?』

「……はい」

『ああっ!』

「すみません」

『アーシャさんの家にありましたか!?』

「はい、あのスカートと一緒に紙袋の中に……」

『道理で詰所に訊いても見つからなかった訳だ』

「本当にすみません……」

『いえ、気にしないで下さい。こちらこそです』

「洗って、お返しします」

『あー……いや、お心遣いは嬉しいのですが……』

「何か?」

『今シーズン限りで捨てようかとも思ってたので』

「えっ、何故ですか?」

『実は端っこに小さい穴が開いてしまって……』

「……なるほど」

『でも貴女に捨てて頂くのも申し訳ないですね』

「一応、お渡しします」

『そうですね。いつ、お伺いしたら良いですか?』


(……いつ?)

(流石に今これからというのは……)

(日曜日は私が出勤日だし……)


 アーシャの脳裏に、ある光景が想い出される。

 スマフォを買い換えてくれると言った勇一。

 彼女は、それを断った。

 勇一は気が変わったら連絡して欲しいと伝えた。


"ええ、付き合いますので一緒に出かけましょう"


 アーシャは想い出しながら頬を紅く染める。


(でも、私は……その後で何て答えたっけ?)


"私を簡単に呼び出せると思わないで下さいね?"


 彼女は恥ずかしくなって電話機に突っ伏すした。


(あの時、まだ、お酒が残っていたのかな……?)

(何を口走ってしまったんだろう……私は……)


 少しだけ後悔する。


『どうかされましたか?』

「……いえ……なんでもありません……」

『それで……どうしましょうか?』


 あんな事を言った手前、彼女は少しだけ躊躇う。

 しかし心に決めると自然と口から紡ぎ出される。


「明日……外で会えますか?」

『……大丈夫です』

「それじゃ……午後一時くらいに新宿駅の……」

『分かりました。南口の改札で待っています』

「……はい」


 アーシャは胸を片手で押さえてホッと息を吐く。

 しかし、ある事に気が付いて勇一に質問をする。


「あの……もう御自宅に戻られたのですか?」

『あ、いや……実は、まだ現場検証の途中で……』


(……現場?)

(検証……?)


「そ、それって私帰って大丈夫だったんですか?」

『……ああ、大丈夫です』

「ほ、本当に?」

『はい。後日、話を尋ねる機会もあるかもですが』

「勇一さんが?」

『ええ、弊社が本件を業務請負しますので……』

「……その時は宜しく、お願いします」

『はい。……今は警察や公安の方々と一緒に……』

「一緒に?」

『例の半魔オークの遺体を確認しています』


 彼女は、その男に関して思い出す事があった。


「その男から聞いた話なんですけど……」

『何か?』

「倉庫の被害者が死ぬ様を観察していたと……」

『……』


 アーシャは受話器を持っていない手で肩を抱く。

 被害者を弄んだ事に対する怒り。

 自分も、そうなるかも知れなかった恐怖。

 それらを感じると自然に声が震えてきた。

 彼女の目に涙が滲む。


『被害女性の爪に他人の細胞が付着していました』

「……そうだったんですね」

『男の遺体とDNAが一致するか調べる予定です』

「お願いします」

『貴女の証言への裏付けになるでしょう』

「……」

『御協力、ありがとうございます』

「いいえ……」


 二人の間を僅かばかりの沈黙が支配した。


『アーシャさん』

「はい」

『この男が死んで全てが終わった訳では無いです』

「……はい」

『ルスト……そして首謀者がいる筈です』

「そうですね……」

『彼らを倒して私達で被害者の仇を討ちましょう』

「……はい!」

『しかし貴女自身も充分に気を付けて下さいね?』

「……すみません」

『何かあったら必ず私に連絡を下さい』

「はい、よろしく御願いします」

『……じゃあ、また明日』

「はい、また明日に。それじゃ、おやすみなさい」

『おやすみなさい』


 アーシャは受話器を置いた。


(……どうしよう?)


 彼女の鼓動が高鳴る。


(真面目な話をしていた筈なのに……嬉しい)


 アーシャは片手で胸を抑える。


(私は、この気分を……この気持ちを知っている)


 哀しみの涙で滲ませた瞳が別の理由で潤み出す。


(ユウジを好きになってしまった時と同じ……)

(ユウイチ……さん……)


 彼女は自覚する。

 自分が彼の事を好きになりかけていると……。

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