第12話 新宿近郊に住むエルフの女性の闘い

 合コンを終えて勇一と別れたアーシャ。

 彼女は自宅のあるアパートへと帰ってきた。


 近付くとアパートの外廊下に人が見える。

 女性がしゃがんで何かを探している様子だった。


 一瞬、アーシャに緊張が走る。

 しかし、それは直ぐに解かれた。

 彼女はルストの罠である事を警戒した。

 だがショートボブの女性の服に見覚えがあった。

 それは黒のレディーススーツ。

 女性は同じアパートに住んでいるOLだ。


「どうしました?」

「コンタクトを落としてしまったみたいで……」


 女性は俯いたまま外廊下を手で探りつつ答えた。

 外廊下の照明だけを頼りに落し物を探している。


「お手伝いしますね?」

「ありがとうございます。助かります……」


 アーシャも一緒になって、しゃがんだ。

 スカートの裾とニーハイの間との隙間が出来る。

 そこから少しだけ肌が露出してしまった。


 アーシャは気にせず、女性に質問をする。


「どの辺りで落としましたか?」

「多分ここから、この辺りなんじゃないかと……」


 女性はアーシャの真下を指で示そうとした。

 左手が、ゆっくりとアーシャの太腿へ近付く。


「あっ……」


 女性が声をあげた。

 無理な姿勢で片腕を伸ばした為だろうか?

 バランスを崩してアーシャの方へ、よろめいた。


 アーシャは彼女を、しゃがんだまま受け止める。


「大丈夫ですか?」

「すみません。ありがとうございます」


 女性はアーシャに礼を言うと離れようとする。

 その時に彼女はアーシャの太腿に左手を当てた。

 アーシャの体を押して、ゆっくりと立ち上がる。

 そして女性は静かに後ろへと下がった。


 アーシャもコンタクトを探すのを中断して立つ。

 途中で立ち上がった女性を訝しそうに睨んだ。


 女性は楽しそうに笑う。


「うふふ……また、似た様な手に引っ掛かった」


 そして急に不機嫌な表情に変わった。


「……と、言いたかった所だったんだけど……」


 女性はアーシャを睨む。


「あんたのソレ、なんなんだい?」

「……ただの肌色をしたストッキングよ」


 アーシャは肌色のパンストを穿いていた。

 その上からハイソックスとスカートを着ている。

 ルスト対策の為のカモフラージュだった。


「せっかく髪まで切って変装したのに……」


 魔女は、つまらそうに自分の髪の毛先を弄った。


「その服の持ち主は何処?」

「部屋で寝ているわよ。喘がれたら煩いからね」


 アーシャは少しだけホッとした。


 ルストは呟く。


「扇情の呪印は一日に一つしか描けない……」


 ルストはアーシャに向かって両手の掌を見せる。


 右手は彼女達の世界の文字で眠と書かれていた。

 眠りの呪印だ。

 扇情と違って一度の使用で消失していない。

 必要な魔力が少なく効果も弱いからだ。

 ルストは、この呪印で女性を部屋で眠らせた。

 そして服を奪っていたのだ。


 さらに左手には淫と書かれてある。

 一日一回しか描けない扇情の呪印だ。


「あんたの為に、とっておいたのに……」

「余計な、お世話よ」

「見破るなんて成長したのね。お嬢ちゃん……」


 ルストは口の端を吊り上げる。


「やっぱり処女膜ぶち破られると大人になるのね」

「……黙れっ!」

「あらやだ。こわーい」


 魔女はクスクスと嗤う。


「せっかく、お姉さんが想い人の筆下ろしと……」

「黙れと言っている!」

「貴女のロストバージンをセットで面倒見たのに」


 アーシャはルストを睨んで短く呪文を唱えた。

 彼女の手に細身の剣がスッと現れる。


 ルストは、その刀身を見ても余裕の笑みで煽る。


「もっと感謝してくれても、いいんじゃなあい?」


 アーシャはルストに斬りかかった。

 魔女は後ろに跳んで逃げる。

 向かいの家の屋根に着地するとアーシャを見た。


「人形みたいに白くて可愛い顔が台無しよ?」

「うるさい!」


 アーシャの顔は真っ赤になり怒りで歪んでいた。

 彼女はルストの言動が挑発だと理解していた。

 冷静であろうとした。

 だが魔女が発する台詞は我慢の限界を超えた。


「おまえは殺してやる、ルスト!」

「次会ったら昔の様に気持ち良くさせてあげるわ」


 魔女は彼女に左手の文字を見せつける様に回る。

 そのまま後ろへ振り向くと撤退する為に跳んだ。


「逃がさないっ!」


 アーシャが別の呪文を唱えると足元に風が舞う。

 渦を巻く風に押し上げられる様に彼女も飛ぶ。


 屋根伝いに蹴って飛ぶルストの移動は速かった。

 しかしアーシャを引き離すことは出来ていない。


 彼女は視線を魔女に向けつつスマフォを出す。

 ホームボタンを長押しするとチャイムが鳴った。

 女性の様な合成音によるガイドが聞こえてくる。


『ご用件は何でしょう?』


 アーシャはスマフォに指示を出す。


「メッセージアプリ起動」

「グループは異世界勇者」

「メッセージ内容はルストが現れました」

「送信」


 スマフォから返事が戻ってくる。


『メッセージアプリ起動』

『グループは異世界勇者』

『メッセージ内容はルストに嗤われました』

『送信』

『埼京勇二、サラ、埼京勇一様に送信しました』


 ……ガクッ!


 アーシャはコケてルストを見失いそうになった。


(うえ〜ん)

(自分のスマフォにまで馬鹿にされたあ〜)

(……あれ?)

(でも何だか冷静になれた……)


 少しだけ頭を冷やせたアーシャは考える。


(私の自宅に来た目的が復讐なのは間違いない)

(そして作戦が失敗したから撤退するのも分かる)

(……でも、あれは本当に逃げているの?)

(それとも誘っているの?)


 アーシャはルストの挑発行為を想い出す。


(誘っているんだわ……)

(この先に待っているのは、罠……)

(仲間がいるのか、一人で張った罠なのか?)


 上着の内ポケットに仕舞ったスマフォに触れる。


(みんなには連絡した)

(互いに相手のスマフォを探すアプリも導入済み)

(私の位置はスマフォのGPSで把握できる)

(応援が来るなら恐れる必要は無いけど……)

(魔女が目的地に到着するのを待つ必要も無い!)


 アーシャは更に上空へと舞った。

 ルストを見下ろす形で追跡を続ける。


(この姿勢なら飛行中でも安定して放てる!)


 そして呪文を唱えると剣が弓と入れ替わった。

 彼女が弓を引くと光の矢が現れる。


(攫われた女性達の居場所を聞き出さないと……)

(殺しはしないけど動きは止めさせて貰うわ……)


 アーシャはルストに狙いを定めた。


 ほぼ同時に自分へ向けられた殺気を感じる。

 風の流れが一部分だけ切り裂かれる気がした。


(何か来る!?)


 彼女は反射的に身体を捻った。

 すぐ側を大きな石が通過する。


(こんな高い所へ投石!?)

(何処から!?)


 石が飛んで来た方向を見る。

 すると大きな公園が見えた。

 ルストも、そこへ向かっている様だ。


 尚もアーシャに向かって石が飛んで来る。

 アーシャは弓でルストを狙うのを、やめた。

 投石を避ける為に高度を下げる。


 ルストは公園の中に入る。

 密集して立ち並ぶ樹木の中へと消えた。

 アーシャも続いて公園に入る。

 公園を囲む樹木を抜けると広い芝生に出た。


 芝生にはルストと見知らぬ男が立っていた。

 アーシャは着地して二人に対峙する。


「やはり、仲間がいたのね?」

「そうね……下僕と言ったところかしら?」

「おいおい、あねさん、ひでぇな」


 魔女に言われつつも男はニヤニヤと笑っていた。


 アーシャは男の姿を確認する。

 筋肉質の大柄な男性……。

 人間に見えるが緑色の肌をしていた。


「貴方……オークの血が混じっているの?」

「正解だ……つっても肌の色を見りゃ分かるか」


(ハーフオーク……)

(この世界でオークの類を見掛けた事は無いわ)

(いたら肌の色で分かるもの……)

(それとも普段は魔法アイテムで色を変えてる?)


「俺は、この世界に連れて来られたばかりでね」


 そう言いつつ男が前に出て魔女は後ろに下がる。


「あねさんに付いてると女に不自由しなくてな」


 男は舌舐めずりしながらアーシャの肢体を見る。

 アーシャの全身が総毛立ち強い嫌悪感が襲った。


 男はアーシャに向かって突進してきた。

 そして彼女に向かって拳を振り下ろす。

 アーシャは横へ跳んで躱した。

 男の拳が地面に当たって轟音が鳴り響く。

 芝生が抉れて吹き飛び、大きな穴が穿たれた。


(馬鹿力っ!?)

(石を投げて来たのも、こいつねっ!?)


 アーシャは呪文を唱えると宙へ舞った。

 そして更に別の呪文を唱える。


「逃すかよっ!」


 男は抉れた地面から石を取って握る。

 そしてアーシャに向かって投げた。

 高速で彼女に向かって飛来する凶器。

 しかし、それは不自然なカーブを描いて逸れた。

 男は舌打ちをする。


「ちっ、防御魔法か……」


 アーシャの周囲を強い風の渦が舞っていた。

 アーシャは再び弓を呼び出すと構える。

 青白く光る矢が現れた。


「今度は貴方が逃げる番よ」


 アーシャは魔法の矢を男に向かって放つ。

 男は後ろに跳び退いた。

 しかし青白く輝く矢は、地面に突き刺さらない。

 直前で方向を変えて男に向かって飛んで来る。


「追尾して来やがるっ!?」


 魔法の矢は男の片足を貫いた。


「ぐあっ!」


 男は膝を芝生に着いて呻いた。

 アーシャを睨むと痛みに耐えてジャンプをする。

 彼女は男を見下ろしながら、更に上へと飛んだ。

 男は放物線の頂点に辿り着くが彼女に届かない。


「くそっ、卑怯者が、降りて来いっ!」

「石を投げてくる奴に言われたくないわねっ!」


 アーシャは、ほくそ笑むと呪文を唱え始める。


(あいつの攻撃が私に届く事は、もう無いわ)

(詠唱に時間は掛かるけど……)

(死なない程度に強力な奴を御見舞いしてやる!)


 彼女の弓に次の矢が現れ様としていた。


「これで終わりにしてあげるわ……」


 先程よりも長い詠唱。

 白銀に輝く大きな尖った矢尻が男を狙う。

 男は両腕を交差させて防御姿勢を取った。


「待ってくれ、助けてくれ!」


 男は命乞いらしき行動を取るが……。


「……なーんてな」


 落下しながら男は笑って呟いた。

 その瞬間に男の服が破れて背中から翼が現れる。

 蝙蝠が持つかの様な形の大きな翼が……。


「えっ!?」


 男は詠唱中で隙だらけの彼女に向かって飛んだ。

 防御魔法を物ともせずに腹へと拳を叩き込む。


「けふっ!」


 アーシャは、くの字に折られて呻き声をあげた。

 詠唱途中の魔法の矢は掻き消えてしまう。


「人間とのハーフだと言った覚えは無いぜ?」


 男は両手の拳を握り合わせて振りかぶった。

 そのままアーシャの背に叩き付ける。


「かはぁっ!」


 彼女は高い位置から芝生へと勢い良く墜ちた。

 全身の痛みで、そのまま動けなくなる。


 男は翼を羽ばたかせて悠然と芝生に降り立った。

 アーシャへと歩いて近付く。

 彼女の元に着くと両足で両腕を踏みにじった。


「いぃあああぁっ!」


 痛みで堪らずに叫び声をあげるアーシャ。

 男はアーシャの腰に馬乗りになる。

 片手で両手首を掴むと万歳のポーズを取らせた。

 もう一方の手で彼女の顎を掴んで顔を寄せた。


「俺の母親はサキュヴァスでね」

「……半魔族っ!?」

「おかげで翼で空を飛ぶなんて芸当もできるのさ」


 アーシャが睨むのも、お構い無しにニヤつく男。


「魔法の類いは使えないがな」


 男はアーシャのスカートのベルトに手を掛けた。

 後ろからルストが男に声を掛ける。


「ちんたらしてないで、さっさと肌を出させな!」

「なんだ、もう呪印を写すのか?」

「なにか文句でもあるの?」

「ここで一回くらい楽しませろよ」

「そいつの居場所は、仲間に知られているんだよ」

「……なんだと?」

「スマフォって奴に、そういう魔法があるのさ」

「……ふーん」


 男はアーシャの上着の上から彼女の胸を触る。


「な、何をっ!?」


 アーシャは恥ずかしくなって顔を赤らめた。

 痛む身をよじって男の手から逃れようとする。

 男は彼女の上着の硬い部分を見つけた。

 上着の内ポケットからスマフォを取り出す。


「これか?」

「そうよ」


 男が尋ねると、ルストは肯定した。

 男はアーシャのスマフォを握り潰す。


「なっ、何をするのよっ、高かったのにっ!」


 アーシャは激昂して叫んだ。

 男は呆れた様に呟く。


「自分の心配をしろよ……」


 男は彼女の上着のボタンを外して左右に開いた。

 ブラウスの上から彼女の乳房を揉む。


「や、やめ……やめて……」

「あら、いきなり声が可愛くなったわね?」


 涙目のアーシャをルストが楽しそうに見つめる。

 ルストは真面目な顔をして男に伝える。


「スマフォを壊しても、ここの位置はバレてるわ」

「じゃあ、移動して犯るか……」


 男は揉んでいた手を止めるとルストに尋ねる。


「あねさんの呪印を押した後は犯っていいのか?」

「中に出さなきゃね」

「なんでだよ?」

「この娘の魔力は利用価値が高いからだよ」

「ちっ!」


 男は、つまらなそうに口を尖らす。


「派手にヨガっているのを犯してばかりなのもな」

「何が言いたいの?」

「たまには強く抵抗してくる奴を嬲りたいのさ」

「……しょうがない奴だね」


 ルストはアーシャに近付いてくる。


「それじゃ眠らせてから移動するよ」

「いいねえ……眠っている間に一発」


 男はニヤつく。


「起きて泣き叫んでいるのを更に一発か」

「扇情を掛ける前なら好きにナマでやりゃいいさ」


 ルストは眠りの呪印を確認する為に右手を見た。

 男はルストに再び尋ねる。


「運ぶのは例の倉庫でいいのか?」

「……馬鹿なの、あんたは?」

「なんでだよ?」

「あんたが遊んで死体が見つかってる倉庫なのよ」

「……そういや、そうだったな」

「二度と使える訳ないでしょ?」


 二人の会話を聞いたアーシャが驚く。


「あなた達……今、なんて……?」


 魔女と会話していた男の顔がアーシャへと向く。

 男の表情は楽しそうに笑っていた。


「……本当に扇情の呪印で死ぬのか知りたくてな」

「呪ったけど要らないオモチャを預けたのよ」

「倉庫の中で観察してたんだ……」


 アーシャの額から汗が流れる。

 目は大きく見開かれ二人を見つめた。


「面白かったぜ、あちこち暴れ回ってよ?」


 男はアーシャのブラウス上で四本の指を立てた。

 そして彼女の胸をカリカリと生地の上から掻いた

 被害者の行動を再現するかの様に……。

 アーシャは自分が呪われた時の事を想い出す。


「終いには俺の腰に縋り付いてきやがった……」


 男は残忍な笑みをアーシャに見せつける。


「涎垂らして股を俺の脚に擦り付けてくるんだ」


 男は目を閉じて顎を摩る。


「ぶち込みたくなる衝動を抑えるのは……」


 そして目を開くとアーシャに顔を寄せた。


「……大変だったぜえ?」


 ルストが大きな溜め息を吐いて言う。


「大変だったのは、こっちだよ……」


 男を睨んで魔女は話を続けた。


「お前が目立ち過ぎるからテレビでまで流されて」


 魔女は、やれやれといった感じで肩を竦めた。


「あんたにオモチャを与えるんじゃなかったよ」


 アーシャの心を恐怖と怒りが支配し始めた。


(なんて連中なの?)

(私が甘かった……油断していた……)

(直ぐに全力で殺すべきだった……)


「貴方達は殺す……殺してやるっ!」

「おーこわ……あねさん、早く眠らせてくれよ?」

「なら、さっさと脱がして肌を露出させな」

「おでことか、頬とかあるじゃないの?」

「噛み付かれそうだからイヤなのよ」

「……ああ、そう……そんじゃっ!」


 男は胸を触っていた手でアーシャの頭を掴む。

 そのまま後頭部を地面に押し付けた。

 アーシャの首が後ろに曲げられて露わになる。


「そら、首が空いたぞ、さっさと触れや」

「……しっかり抑えてなよ?」


 アーシャは手に覆われて目の前が真っ暗になる。

 何も見えなくなると恐怖心が増していった。


「うあっ、うわあぁっ、あああああぁっ!」


 アーシャは半狂乱になって叫んで暴れ出した。


「なんだ、こいつ……急に暴れ出しやがって……」

「いいから、さっさと抑えなっ!」


 男はアーシャのこめかみを万力の様に押した。


「うあっ、痛いっ、やめてっ、離してっ!」

「こいつっ……大人しくしねえかっ!」

「早くしないと仲間が来ちまうよ!?」


 男はルストに向かって怒鳴る。


「うるせえ、来たら迎え撃てばいいだろうがっ!」

「相手が多人数だったら、どうするのさっ!?」

「分からんぞ、女が一人で来るかもしれん」

「……能天気な馬鹿だね……まったく……」


(女が一人!?)

(サラ……)

(もし何かの理由でサラ一人だけで……)

(ここに現れてしまったら、マズいわっ!?)

(……ここから離れないと……)


「おっ、なんだコイツ、急に大人しくなったぞ?」

「やれやれ……それじゃ……」


 アーシャの首筋へルストの右手が近付いていく。


「ゆっくりと、お休みなさい。お嬢ちゃん……」


(私は、このまま眠らさらてしまうの?)

(今度はユウジで無くオークに抱かれるの?)

(こいつらのオモチャにされなきゃいけないの?)

(あの被害者の女性の様に……)


 アーシャの目から涙が零れて頬を濡らした。


(いやっ!)

(そんなのイヤだっ!)

(犯されたくないっ!)

(淫らになりたくないっ!)

(殺されたくない……)

(死にたく……無い……よぉ……)


「……誰か……助けて……」


 呟くアーシャに男が答える。


「誰も来ねーよ。ま、女なら大歓迎だけどな」


 そう言って嗤った。


「済まなかったね。男で」


 男とルストの背後から別の男性の声がした。

 アーシャは、その声に聞き覚えがあった。

 男とルストは後ろを振り返る。


 埼京勇一が立っていた。


 だが次の瞬間に消えてしまう。


 男が幻かと思った時に彼は違和感に気付く。

 自分が馬乗りしていた筈の娘が、いない。


 少し離れた場所から青白い光が照らしてくる。

 男は光の方向を見た。


 アーシャを抱えながらヒーリングを掛ける勇一。


「勇一……さん?」

「すみません。遅くなりました」


 アーシャは勇一のコートの襟を掴んだ。


「うっ……ううっ……」


 彼女は彼の胸に顔を埋めて泣く。


 男は石を掴むと勇一に向けて軽く投げた。

 それだけでバズーカの砲弾の様に飛ぶ大きな石。

 勇一の手前で赤く輝き黒くなって崩壊した。

 勇一は左手でアーシャを抱えて立った。

 そして右手の中指で軽く眼鏡を持ち上げる。


「そんなに直ぐに燃やされたいのか……ゴミめ」

「何様だ、てめえは?」


 勇一はアーシャに優しく尋ねる。


「アーシャさん、もう大丈夫ですか?」

「は、はい」


 アーシャは嘘の様に自分の体が軽くなっていた。


「残りのケガは自分で治せますか?」

「は、はい……私もヒーリングは使えます」

「結構、では少し離れていて下さい」


 勇一はニッコリとアーシャに微笑む。

 アーシャは三人から距離を取った。

 彼女は、ある事を思い出して勇一に警告する。


「勇一さん、その男はオークですっ!」

「肌の色を見れば分かりますよ」

「半魔族なんです。ただのオークじゃありません」

「いいえ……彼は、ただのオークです」


 勇一は腕を上げて降ろした。

 離れている筈の男の背中から翼が落ちる。

 斬り取られた場所から鮮血が噴き出した。


「があああああっ!」


 男は痛みに耐えかねて悲鳴をあげた。

 ルストは茫然としながらも男の傷を魔法で塞ぐ。

 男は勇一を睨みながらルストに尋ねる。


「あ、あねさんっ、奴は一体何者なんだ!?」

「し、知らないっ、なんなのっ、あいつはっ!?」

『貴女の魔王を倒した勇二さんの、父親ですよ』


 その時ルストにだけ更に別の男の声が聞こえた。

 その声を聞いてルストは、少しだけ安心する。

 彼女は他の者に聞こえない様に声の主と話す。


「勇者の父親?」

『ええ、本人も相当な手練れの勇者です』


 ルストは信じられない顔で勇一を見た。


 勇一は二人の方へ向くと話し掛ける。


「お前らを燃やすのは容易いが……」


 彼は自分のスマフォを取り出した。


「最近は色々と面倒でな」


 画像アプリを立ち上げる。


「ルスト、これが君のいた世界から送られた……」


 勇一はスマフォの画面をルストに見せる。


「処刑許可状兼処分委任状だ。日本政府承認済の」


 ルストには遠過ぎて良く見えなかった。


「確認の必要は無い。俺に告知義務があるだけだ」


 勇一はハーフオークの方を見る。


「お前にも同様の文書が発行されている」


 勇一は二人を睨む。


「お前達の帰れる場所は、もう何処にも無い」


 一歩ずつ彼らに近付く。


「この東京も、故郷の異世界も、他の場所も……」


 勇一は両手を合わせた。


「俺が焼いてやるから火葬場へ行く必要も無い」


 両手を離していくと炎で出来た刀身が現れた。


「お前達が行っていいのは骨壷の中だけだ」


 勇一は剣を振るう。


「この国は優しい。墓くらいには入れてやる」


 そして嗤った。

 凶々しい笑顔で……。


「お仲間が沢山待つ、合葬墓で良けりゃな……」


 勇一に威圧されて怯む二人。

 ルストの耳に再び声が響いた。


『ルストさん、貴女だけでも撤退して下さい』

「……あいつは、どうするの?」

『埼京勇一さんには恐らく勝てないでしょう』

「そんなに強いの?」

『見物する暇も無いでしょうけどね』

「……いいの、見捨てちゃって?」

『知り合いからの預かり者ですが……』

「が?」

『勝手をされて目立たれたので計画が台無しです』

「……そうだね」

『その知り合いも既に、この世にいません』

「そうなの?」

『貴女は必要ですが、彼は用無しです』

「……」

『貴女が復讐したいと言うから供を命じたのです』

「……ありがと」

『これ以上、私の願いを邪魔する事は御免ですね』

「そうね……済まなかったわ」

『ルストさん、愛していますよ?』

「私も……愛しているわ」


 ルストは、ゆっくりと後退する。

 アーシャは、その動きを見逃さなかった。


「逃がさないっ!」


 回復し終えた彼女は、弓を呼び出した。

 素早く呪文を唱えると矢を放つ。

 しかし、その矢は魔女の目前で何かに弾かれた。


「魔法障壁っ!?」

「グッバイ、お嬢ちゃん、またね……」


 ルストの後方に黒い球体が現れる。

 魔女は、その中に入って消えようとしていた。

 勇一が剣を振るう。

 業火が魔法障壁を斬り裂いて球体を捉える。

 しかし炎の刃が届く直前に球体は消えた。


「転送魔法……ルストの資料に無かった呪文だ」


 勇一は黒い球体が消えた空間を睨む。

 オークの男は慌てて振り返った。


「おい、待て、俺を置いて行くなっ!」


 何も無くなった空間に向かって虚しく叫んだ。


「くそっ!」


 男は今度は勇一の方へ向こうとした。

 いつの間にか近付いていた勇一に顔を掴まれる。

 勇一は片手で顔を押して右足で相手を払った。

 男は、あっさりと後ろ向きに倒れる。

 勇一は男の顔を足で横に向けると踏みにじった。


「何をしやがるっ!」


 男は起き上がろうとしたがビクともしなかった。

 勇一は男に質問をする。


「ルスト以外の仲間の名前を言え」

「……何の話だ?」


 勇一は男の頬に剣を突き刺した。

 貫通した剣が押しピンの様に男の顔を固定する。


「がはっ……はっ……はおぁっ!」


 男は叫び声の様なものを出すが上手く喋れない。


「話したくなる様に口を裂いてやろうか?」

「まふぇ、まっふぇっふれ、ひう、ひうからっ!」


 男は慌てて勇一に懇願する。

 彼は剣を抜くと男の首筋に切っ先を向けた。


「言え、首謀者は誰だ?」

「お、俺も、名前までは知らない……」


 勇一は男の肌に少しだけ剣を埋めた。


「だ、だが、あねさんは、こう呼んでいた」

「なんと呼んでいた?」


 男の口が呼び名を伝えようとした瞬間。

 彼の口から緑色に輝く炎が噴き出た。

 勇一は男から跳び退く。


 男は炎に包まれ叫び声をあげて転がり始めた。

 肉の焦げる嫌な匂いが辺りに立ち込める。


「ゆ、勇一さん……これは?」

「私の炎では無いですね……」


 アーシャの質問に勇一は答えた。


「何か情報を漏らそうとしただけで発動する呪い」

「そんな……仲間なのに?」


 アーシャは燃え盛る男を為す術なく見つめる。

 男は動かなくなると、消し炭の固まりになる。


「こんな呪術魔法をルストが使えるなんて……」

「いえ、これもルストの資料には無い魔法です」

「……それじゃあ?」

「はい、恐らく黒幕が仕掛けた魔法でしょう」

「……何者なんですか?」

「……今の段階では、まだ何も断定できません」


 そう言いつつ何かを知っている様な態度の勇一。

 アーシャは彼の渋面に言い知れぬ不安を感じた。

 しかし暫くした後に彼は、彼女に笑顔を向ける。


「無事とは言い難いですが助けられて良かった」

「……あ、はい、ありがとうございます」


 アーシャは勇一に、お辞儀をした。

 不意に何処からか音楽が鳴り響く。

 それは勇一のコートの胸ポケットから聞こえた。

 彼はスマフォを取り出すと応答をスワイプする。


「ああ、私だ……アーシャさんなら無事だが?」


(電話の相手は誰だろう?)


「……彼女の携帯に繋がらない?」


 勇一は少し驚いた顔でアーシャを見る。

 彼女は潰されたスマフォを拾って彼に見せた。

 なんとなく苦笑いをしてしまうアーシャ。


「どうやら壊されてしまったらしい。代わろう」


 勇一は微笑むと彼のスマフォをアーシャに渡す。


「勇二からです」

「……ユウジから?」


 アーシャはスマフォのスピーカーをオンにする。

 勇一にも聞こえる様に配慮した。


「もしもし?」

『アーシャ、無事かっ!?』

「うん、危なかったけど勇一さんに助けられた」

『危なかったのかっ!?』

「あ……うん、ゴメン……少し油断して……」


 電話の向こうで大きな溜め息を吐かれる。


『自分一人で突っ込まないでくれ……』

「メッセージを送ったし誰か来てくれると思って」

『……こちらの位置情報を確認したか?』

「……あっ!」

『今はサラと一緒に直ぐ側まで来ているけど……』

「……遠くにいたの?」

『……社用で茨城だよ』

「うわあ……」

『チート能力を使って全速力で来たが……』

「ゴメンね。こんな深夜に……」

『いや、こちらも事前に予定を伝えるべきだった』

「ううん、とんでもない。ありがとう」

『本当に大丈夫なのか?』

「うん……今日は、もう平気だと思う……」

『分かった……詳しい話は今度にしよう』

「ありがとう……サラにも宜しく伝えて?」

『ああ……』


 アーシャはスピーカーオフにして勇一に返した。


「……ああ、報告書のコピーは、そちらにも回す」


 勇一は勇二と会話を始める。


「茨城に戻る必要は無いのか?」

「それなら今日は、もう遅いから帰宅して休め」

「サラさんにも宜しくな」

「ああ、彼女には何処か別の場所に宿泊して貰う」


(えっ!?)


 続け様に勇一の台詞を聞いたアーシャは驚く。

 勇一の勇二との会話は続く。


「スマフォも弁償するつもりだ」

「お金は取り敢えず私が出しておく」

「大丈夫だ。今回は、こちらの経費で何とかする」

「ではな。おやすみ……」


 勇一は終了をタップして通話を切った。


「あ、あの勇一さん?」

「念の為に今日は、別の場所に泊まった方がいい」

「いえ、そんな、お金も無いですから……」

「大丈夫。費用は私が持つ。希望のホテルは?」

「ほ、本当に大丈夫です……」

「あの、私が一緒に泊まる訳ではありませんよ?」

「わ、分かっています!」

「なら、どうして?」


 勇一はホテルの予約サイトを開く手を止める。


「あの、その、まだ上手く言えないんですが……」


 アーシャの目が泳いでいた。


「助けて貰った上に、そこまでして頂く理由が」

「無い……と?」


 勇一は、とても寂しそうな表情になった。


(ああ……)

(そんなユウジと、そっくりの顔で……)

(捨てられかけた子犬みたいな目で見ないで……)


 アーシャは一旦、顔を横に向けてしまう。

 しかし意を決して勇一に正面から向き合った。


「本当に大丈夫です」

「アーシャさん……」

「自宅に魔法による結界を張る事にします」

「結界ですか?」

「はい……今まで逆に目立つからしませんでした」

「確かに……」

「でもバレていると分かったからには徹底します」

「それで、ある程度は防げると?」

「魔力を持つ者が近付いて来れば分かりますから」

「なるほど。しかし……」

「私の結界は凄いんですよ?」

「……」

「魔王討伐時は敵の勢力圏で睡眠を取れるくらい」


 にっこりと笑うアーシャ。

 勇一は諦めた様に微笑むと尋ねる。


「分かりましたが、スマフォはどうしますか?」

「保険を掛けているので、安価で買い換えします」

「なら、その費用だけでも出させて下さい」

「……やっぱり、お気持ちだけで充分です」

「そうですか……気が変わったら連絡を下さい」

「連絡?」

「ええ、付き合いますので一緒に出かけましょう」


(付き合う……一緒に出掛ける……)

(まるで……デートの台詞みたい……)


 アーシャの頬が、ほんのりと紅くなった。


「私を簡単に呼び出せると思わないで下さいね?」

「いや、そんなつもりでは……」

「ふふっ……冗談です」


 アーシャの笑顔に勇一も釣られて笑う。


「アーシャさん、手を貸して下さい」

「えっ?」


 疑問に思いつつも勇一に手を差し出すアーシャ。

 彼は彼女の手を引き、身体を持ち上げた。


「ゆ、勇一さんっ!?」


 アーシャは、お姫様抱っこをされていた。


「このまま送らせて下さい」

「で、でも……」

「結界を張る為の魔力しか残っていないですね?」

「……はい」


 言い当てられて恥ずかしそうに俯くアーシャ。


「どうやって自宅に帰るつもりだったんですか?」

「……タクシーで……」

「嘘おっしゃい」

「……ゆっくり歩いて帰ろうと思っていました」


 勇一は大きな溜め息を吐いた。


「是が非でも、お送り致します」

「で、でも流石に、この格好は人目が……」


 勇一は自信ありげにアーシャに向かって微笑む。


「しっかり掴まっていて下さいね?」

「えっ……きゃあぁーっ!?」


 勇一はアーシャが飛ぶよりも高く跳躍した。


 遠ざかる公園。

 小さく輝く住宅街の灯り。

 うっすらと瞬いている夜空の星々。

 深夜の東京上空は、天地全てが星空の様だった。


「わあぁっ!」


 アーシャの口から感嘆の声があがる。

 自分で飛んだ時は景色を楽しむ余裕も無かった。


 勇一は視線でアーシャに、ある方向を示す。

 彼女は、そちらへと顔を向けた。


 新宿の摩天楼の上に満月が差し掛かっていた。


「綺麗……」

「……気に入りましたか?」

「はいっ!」


 やがてアーシャは身体が持ち上がる感覚を得る。

 二人は少しずつ落下していった。


 着地点らしき場所にアーシャの自宅が見える。

 勇一は彼女を抱えつつアパートの敷地に降りた。

 そして彼女を、ゆっくりと地面に降ろす。

 アーシャは少しだけ、ぼんやりしていた。


「着きましたよ?」

「えっ……あ、はい!」


 アーシャは、お辞儀をする。


「ありがとうございました」

「また、お会いしましょう。お休みなさい」


 勇一は片手を振りながら去って行った。


「お休みなさい……」


 アーシャは頬を赤らめ夢見心地に片手を振った。

 彼が見えなくなっても、ぼんやりと振っていた。

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