第10話 新宿近郊に住むエルフの女性の飲み会
新宿駅周辺の、とある居酒屋の広い個室。
埼京勇一は、そこにいた。
時刻は午後七時頃。
十人位が二手に分かれて座れる長いテーブル。
そのテーブルの出口から一番遠い席に座る。
彼のいる側には会社の部下の男性達がいる。
そしてテーブルの反対側には見知らぬ女性達。
勇一は隣の少し垂れた細目の部下に話し掛ける。
「……今日は飲み会だと聞いていたんだが?」
「やだなあ、課長。ここは居酒屋ですよ?」
「……知っている」
「飲む食う以外に何をする所なんですか?」
「いや、そうじゃない」
「なんです?」
「……合コンなら合コンだと予め一言をだな……」
「言ったら課長、来ないじゃないですかあ」
「……そりゃ、どう考えても場違いだからな」
向こうに座っているのは二十代位の女性達。
こちらも自分以外は三十代前半まで。
敷居の高い居心地の悪さを勇一は、感じていた。
(仕事であれば抵抗は無いが……)
(プライベートで、これは落ち着かないな……)
そんな上司の気持ちも知らない細目の部下。
彼は、いつもの調子で勇一に笑い掛ける。
「いやー、これでも心配してるんですよ?」
「……なにがだ?」
「課長、寂しくないのかなあ、って?」
「気持ちだけは嬉しいが、飲みさえ出来れば……」
「……充分とは言えませんよ」
「そうか?」
「つまみの会話が無いと、つまらないでしょ?」
「君達がいるじゃないか?」
「僕は女の子とも話し合いたいんです」
「それなら私抜きで……」
「女性を一人だけ余らせる訳にはイカンでしょ?」
「……つまり?」
「人数が足らなかったので代打です」
(それならそうと最初から正直に言え)
勇一は細目を細目で少しだけ睨んだ。
「君は上司というものを何だと思っているんだ?」
「素晴らしき人生の先輩だと尊敬しています」
「違う、そうじゃなくて……」
そこまで言い掛けた時に入り口が騒がしくなる。
「ここまで来て、帰りたいは無いよー?」
「あの、まさか知っている人がいるなんて……」
「知人なら緊張しなくて済むから、いいじゃん!」
「いえ、その……とにかくマズいんです!」
「えー、会いたく無い人なの?」
「べ、別に、そんな事は無いんですが……」
「……つべこべ言わずに、こっちゃ来いっ!」
そんな会話が扉の無い入り口の向こうから響く。
そして個室の中に獣人族の女性が入って来た。
その大きくて目立つ猫耳に勇一は目を奪われる。
(東京で見掛けるのも珍しく無くなったが……)
(……ん?)
その後ろから手を引かれる様に入って来た人物。
その人物は頭が鞄になっていた。
正確に言えば鞄で顔を隠しながら入って来た。
しかし鞄の向こうから長い耳が飛び出している。
(頭隠して、耳隠さず……)
勇一は何となく、そんな言葉を思い付いた。
彼には、その長い耳に見覚えがあった。
「……アーシャさん?」
そう問われて鞄がピクリと揺れる。
鞄人間の歩みが止まる。
スーッと、ゆっくり鞄が下げられる。
すると顔を紅くしたエルフの女性が現れた。
間違いなくアーシャ、その人だ。
「こ、こんばんはあ〜」
何故か済まなそうな表情で挨拶をする彼女。
勇一は普通に驚いて彼女を見詰める。
するとアーシャは益々済まなそうな顔になった。
「やあ、今晩は」
何となく彼女を不安な気持ちにさせたと感じる。
取り敢えず勇一は、笑顔でアーシャに挨拶した。
すると彼女も、ようやく微笑んでくれる。
「あれえ、お知り合いなんですか?」
細目の部下が勇一に尋ねてきた。
「課長も隅に置けないなあ」
「いや、そんなんじゃない。彼女は……」
言い掛けて勇一はアーシャを確認の意図で見る。
アーシャは静かに頷いた。
「息子の……友人なんだ」
「へえ」
細目の部下はアーシャへと近付いた。
「初めまして、今日の幹事をさせて貰っています」
そう言って、彼は名刺を取り出す。
アーシャに向かって差し出すと名刺を渡した。
彼女は慌てて自分も名刺を出そうとする。
「ストーップだよ。アーシャちゃん?」
ラルナが、その行為を止めた。
「今日は女の子側の連絡先を渡さなくていいの」
「え、そうなんですか?」
「お喋りして楽しかったら相手の連絡先を聞く」
「それで?」
「また会いたかったら相手と連絡を取ればいいの」
「……なるほど」
細目の男も笑顔で言う。
「そういうルールです。良ければ連絡下さいね?」
「あ、はい」
アーシャは素直に頷いてしまう。
(脈アリだと思われちゃうよ、アーシャちゃん?)
ラルナは同僚を心配そうに見つめた。
アーシャは貰った名刺に目を通した。
勇一と同じ会社に部署名なのは、ともかく……。
(何て読むんだろう?)
名前の欄には表梨陣と書かれていた。
アーシャは少し固まりつつ名前を凝視した。
それに気が付いた細目の男が答える。
「ああ、僕の名前は、おもてなし、じん、です」
「おもてなし、さん?」
「陣クンで、いいですよ?」
「じ、陣さん?」
「はい。携帯番号は名刺の裏に手書きであります」
そう言うと陣は、アーシャに向かって微笑む。
「あ、はい……ありがとうございます」
「じゃあアーシャちゃんは、こっちね?」
ラルナが座席を引いて手招きしている。
その席はラルナの隣で勇一の向かいにあった。
(えっ……ええっ!?)
アーシャは露骨に困って躊躇してしまう。
しかし勇一の向かいの席を断るのも失礼だった。
覚悟を決めて近づくと着席する。
「今晩は、アーシャさん」
「こ、ここ、こんばんは……」
改めて挨拶を交わす二人。
「アーシャさんは合コンへ良く来るんですか?」
「いえ、初めてで、その……」
「……どうか、されました?」
「あの、その、すみません……」
アーシャに突然、謝られた勇一。
彼は今ひとつ理由が分からなかった。
「私、何か謝られる様な事をされましたか?」
「ルストに命が狙われているかも知れないのに」
「……ああ」
「こんな場所に、のこのこ出て来てしまって……」
勇一は彼女の態度に、ようやく合点がいった。
「普段の生活を犠牲にして思い悩まないで下さい」
「……」
「その白い手袋、貴女は充分に気を付けています」
勇一は微笑みながら彼女の手を見る。
アーシャは恥ずかしそうに両手を擦り合わせる。
「金曜日の夜くらい楽しみましょう?」
「……はい……」
アーシャは頬を赤くして微笑むと頷いた。
ようやく彼女の緊張は、ほぐれ様としていた。
全員が席に着くと瓶ビールが運ばれてくる。
彼らは互いのコップにビールを注ぎあった。
アーシャは勇一に、勇一はアーシャに注ぐ。
「じゃ、お酒は回りましたか?」
陣の掛け声に全員が返事をした。
「それじゃ、今日の出会いを祝して……乾杯!」
皆の乾杯の掛け声とグラスの音が個室内に響く。
そして、宴が始まった。
丸い大きな皿に刺身が盛られて運ばれてくる。
本マグロの赤身が円を描いて立てられている。
周りを中トロや大トロが花弁の様に囲っていた。
まるで巨大な薔薇の様な美しい盛り付け方だ。
「わあ、綺麗〜、美味しそう〜!」
アーシャは、とても喜んでいる様子だった。
「これ、ラルナさんの頼んだ料理ですか?」
「そうそ。陣クンの手伝いをした、ご褒美だよ?」
「お魚、好きですもんね?」
「東京に来て一番良かったのは刺身が食える事ね」
「私達も食べていいんですか?」
「もちろんだよぉ。食べて、食べて?」
テーブルの周りから歓声が起こる。
「じゃあ、取り分けますね?」
アーシャは小皿を取ると先ず勇一の分を渡す。
次に彼の隣の席にいる幹事の陣の分。
そしてラルナの分を渡すと自分の分も取った。
陣の隣から向こう側は別の男性が取り分ける。
アーシャは割り箸を持ったまま手を合わせた。
「いただきま〜す」
一緒に取り分けたワサビを刺身に乗せる。
そして更に小さな皿の中にある醤油をつけた。
彼女は片手で髪をかきあげながら刺身を頬張る。
その仕草に勇一は少し色気の様なものを感じた。
「とっても美味しいです〜!」
「でしょでしょ?」
色気を感じたのも束の間。
ラルナと顔を見合わせて、はしゃぐアーシャ。
その表情は未だ少女の様な、あどけなさだった。
アーシャは勇一に見られている事に気が付く。
「……あの、驚かれてます?」
「……ああ、そんな表情をしていましたか?」
実際、勇一はアーシャの仕草に魅せられていた。
そして、そんな自分に対して少し驚いていた。
「ええ、さっきの入り口の時みたいに……」
そう言って彼女は、また済まなそうな顔をした。
(……いけない。また誤解させてしまう)
勇一は、そう考えて慌ててフォローに入る。
「貴女が合コンに来るとは思っていなかったので」
「……私自身も意外でした」
勇一が笑顔で言うとアーシャも笑顔で返す。
「飲み会だったら幾つもあるんですけど……」
彼女は大学にいた頃やバイト時の事を想い出す。
「合同でのコンパって、初めてで楽しいです」
両手でビールのグラスを支えて静かに微笑んだ。
「飲み食いタダだって言ったら、一発ッスよ?」
「ちょっ、ラルナさん!?」
「ははっ……本当ですか?」
ラルナの余計な一言に顔を赤くするアーシャ。
勇一は楽しそうに尋ねた。
「うう……みんな貧乏が悪いんです……」
アーシャは、お刺身を食べながら、いじけた。
「なんだあ。連絡をくれれば何でも奢りますよ?」
陣が景気良く、そうアーシャに伝えた。
「な、何でもですか?」
「何でもです」
アーシャは危うく口の端から涎が出そうになる。
ラルナはテーブルの下で靴下ごと靴を脱いだ。
脱いだ方の爪を立てると陣の脚を引っ掻く。
「ぐっ……!」
渋面になりつつ声が出そうになるのを耐える陣。
「どうなされました?」
「い、いや、別に……」
怪訝そうなアーシャの質問を痛みに耐え答えた。
「陣クン、お酒も他の事も程々にしとこうね?」
(彼女いない仲間の為って言うから手伝ったのに)
(幹事が一番連絡先と愛想を振りまくんじゃない)
ラルナは陣をジト目で見て微笑むと頬杖をつく。
(まだ、飲み始めたばかりじゃ?)
アーシャは、そんなラルナを不思議そうに見た。
そして勇一に向かい直すと質問をする。
「それじゃ今のは、なぜ驚かれたんですか?」
「……今と言うと?」
「私が刺身を食べていた時の話です」
「ああ……」
(色っぽいから見蕩れたとは、まさか言えないな)
「美味しそうに食べるなあ……と」
「や……やだ、恥ずかしいです」
アーシャは勇一から視線を逸らして照れた。
「アーシャちゃんの食べっぷりは、可愛いよねぇ」
「ラルナさん、からかわないで下さい」
「ラルナさんとアーシャさんは、同僚なの?」
陣からの質問が飛んで来た。
アーシャはラルナを見る。
「陣クンは私の勤め先を知ってるから、いいよ?」
アーシャは安心して陣に話す。
「はい。ラルナさんには、お世話になってます」
そう言えば……と、アーシャは周りを見渡す。
女性陣に勤め先が同じ人はラルナしかいない。
しかしラルナの顔見知りに違いない様子だった。
(ラルナさん、交友範囲が広いんだなあ……)
(見習わないと……)
周りを見渡したアーシャは気付いた。
勇一はチートが使える様になる指輪をしている。
他の男性にも指輪を嵌めている者がいた。
嵌めていない者は人間族で無い姿をしている。
しかし人に見える陣だけ指輪をしていなかった。
アーシャは陣に尋ねてみる。
「皆さん、同じ会社の同じ課の方なんですか?」
「ええ、そうッスよ?」
「陣さんは異世界出身なんですか?」
「……どうして、そう思ったんです?」
アーシャは陣の指に視線を送る。
「ああ……。その通りで、僕は異世界出身ですよ」
「人間族なんですか?」
「いいえ、違います」
「えーっと、それじゃあ……」
「当てられるかなー?」
陣は悪戯っ子の様な顔をした。
「……ごほん」
勇一が、わざとらしく咳き込む。
陣は慌ててアーシャに答える。
「アーシャさん、今日は詮索を抜きにしましょう」
「……はあ……」
「僕の正体は暫く内緒という事で……」
「分かりました」
アーシャは陣の正体が気にはなった。
しかし、それ以上は尋ねるのを止めた。
「アーシャさんとラルナさんが知り合ったのは」
今度は勇一が質問をする。
「……今の勤め先からですか?」
「いえ……それが……」
「あー、面白い写真がありますよ?」
ラルナは答えようとするアーシャを制した。
彼女は素早く自分のスマフォを取り出す。
少し何かの操作をしてから勇一の前に出した。
「ラルナさん、それダメッ!?」
アーシャが慌てて止めようとしたが時既に遅く。
スマフォ画面に映る写真が勇一の前に晒される。
「実は最初、このアルバイトで知り合ったんです」
「ほほう、これは……」
「見ないで下さいっ!」
写真には露出度高めな接客衣装姿の彼女がいた。
ラルナは袖無しスカート短めのメイド服。
アーシャはバニーガールの格好をしている。
ラルナが腕を伸ばしているので自撮りらしい。
ラルナは顔の目の前で手を横にしてVサイン。
後向きのアーシャは、驚いた様子で振り返る。
「アキバにある深夜営業のコスプレ喫茶なんです」
「なるほど……これ、私のメアドです」
勇一は自分のスマフォをラルナに見せた。
「了解。ちゃっちゃっちゃっの……送信!」
ラルナはメアドを素早く入力して画像を送る。
「いやあああああぁっ!」
アーシャは軽く絶叫した。
「それ僕にもクレ」
「あんたはダメ」
陣の願いを無下に断るラルナ。
アーシャは勇一に懇願する。
「消して下さい、それ、消して下さい!」
「謹んで、お断りさせて頂きます」
「せ、せめてユウジには見せないで下さい!」
「勿論です。私だけの宝物にしますよ」
「宝物とか言わないで下さい!」
アーシャは必死だったが勇一は楽しそうだった。
ラルナは説明を付け加える。
「私も少し臨時収入が欲しくて夜に勤めたんです」
「なるほど、高額バイトなのですね?」
「ううっ……みんな、お金が無いせいです……」
アーシャは涙目だった。
勇一は質問をする。
「もう、勤められていないんですか?」
「いませんっ!」
「えぇーっ、残念だなぁ、行きたかったなぁ……」
陣が悔しそうに言った。
ラルナが写真を指して勇一に話す。
「私のは自前の猫耳メイドですが……」
「そうですね」
「アーシャちゃんのバニーガール姿は面白いです」
「なるほど、確かに……」
「上にウサミミ、横にエルフ耳が伸びています」
「この絶妙なアンバランスさが却って可愛らしい」
「もう、勘弁して下さい……」
アーシャはビールを呷った。
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