第8話 新宿近郊には他にもエルフの女性が住んでいるらしい
アーシャが仲間と会った翌週金曜日の昼下がり。
埼京勇一は秋葉原駅ビルの喫茶店にいた。
電車が見える窓の席に座って人を待っている。
「お待たせしちゃいました?」
後ろから、待ち人の女性が声を掛けてくる。
「いや、時間通りだよ。シンクレア君」
女性の名はシンクレア。
アーシャとは違う異世界から日本に来ている。
サラと同じ人間の魔導士だった。
「忙しい時期なのに今日は済まないね」
「いいえ、これも仕事ですから……」
二人は奥の向かい席へ飲み物を持って移動する。
席に着くと彼女はテーブルの上に箱を置いた。
「頼まれていたポーションのサンプルです」
「ありがとう。助かるよ」
「臨床試験が中途半端ですが完成はしています」
「短期間だったのに済まないね」
勇一は箱を手に取って開ける。
中には何か液体の入ったガラス瓶が数本あった。
「効果の持続時間は一本で一日くらいですかね」
「……個人差は?」
「それは何とも……あるかも知れないし……」
「無いかも知れない?」
「臨床試験の結果は横並びでしたけど……」
「こちらで用意した呪術シミュレートだしね」
「本物に、どれくらい効果があるかは未知数です」
「実際に被害者に飲んで貰うしかないか……」
勇一は箱を閉めると自分の鞄へ仕舞った。
「ルストの扇情の呪いは確かに強力ですが……」
シンクレアは勇一の鞄を見ながら話した。
「被害者を発見して性交すれば解呪できます」
彼女は視線を勇一の顔に戻して続ける。
「発見が間に合わないと数時間で死に至ります」
「解呪か死しか無いなら薬の必要性は無いかね?」
「配偶者か恋人がいるのなら尚更です」
シンクレアはコーヒー用のミルクを見つめた。
「薬で呪いの効果は抑えても解呪は無理ですから」
「時間稼ぎが必要な場合もあるさ。例えば……」
「例えば?」
「配偶者や恋人が遠くにいて直ぐに処置できない」
「他には?」
「その時点で被害者に配偶者か恋人がいない時に」
「まあ独り身の場合も、あり得ますからね」
「他の男性と性交する決心がつくまでとか……」
「……なるほど」
シンクレアはブレンドにミルクと砂糖を入れた。
彼女はコーヒーを飲みながら頷く。
勇一も何も入れていないブレンドに口を付ける。
「それに閉じ込められて殺された被害者も出た」
「……そうですね」
「何が目的かは分からないが……」
「意味なんて無く殺人を愉しんでいたのかも……」
「……だとすると、困った事になるな」
「何かあったんですか?」
勇一は一度、眼鏡を外すとハンカチで拭いた。
そして再び掛け直すと小声でシンクレアに話す。
「ここ数日で数人の女性が行方不明になっている」
「うわ……そう言えばニュースでやっていました」
「ニュースでは流れないだろうが……」
「まだ何か?」
「全員、異世界から来ている女性達だった」
「……いやですよ。遺体が集団で見つかるとか」
「しかも魔法の使い手が多い……」
「……なんの意味が?」
「分からんが君もレイミーア君も気を付けてくれ」
「まあ、レイミーアには旦那がいますし……」
「
レイミーアとカムリは、シンクレアの仲間だ。
レイミーアはアーシャとは別の世界のエルフ。
カムリは、この世界の人間で勇者をしている。
二人は結婚をしていた。
「私も避妊薬飲んで適当な美少年に跨りますから」
「……未成年との淫行は、禁じられているぞ?」
シンクレアは苦笑いをする。
勇一は冗談に冗談で返したつもりだった。
しかし彼女は本気で言っていた。
彼の返事も真面目っぽく冗談返しに聞こえない。
「まあレイミーアも今は子供を考えていませんね」
「そうなのか?」
「はい」
「しかし以前に早く子供が欲しいと聞いた気が?」
「先立つものが無いんですよ」
シンクレアは親指と人差し指で輪を作る。
勇一は少しだけ驚いた顔をした。
「テレビで見たが評価額一千万だったじゃないか」
「あー、あの本……ちょっと色々ありまして……」
シンクレアは勇一の視線から目を逸らす。
「オークションにかけたら三百万円にしか……」
「そうだったのか」
「今後の生活を考えると、って言っていました」
「世知辛いな」
「(まあ一晩だけ生でヤっちゃったんだけど)」
「ん……なんだって?」
「ああ……いえ、こちらの話です」
シンクレアは苦笑いしながら手を振った。
そしてバッグに手を入れると別の箱を取り出す。
「これも頼まれていた指輪の追加です」
「もう出来たのか、本当に助かる」
「余り無闇に配って欲しくは無いのですが……」
「分かっている……。息子に頼まれてしまってね」
「信頼なされているんですね」
「ルストの標的の一人になるかも知れないからな」
「そうだったんですか」
「ゲート通過経験のある社員に着けて貰うそうだ」
「息子さんは会社を経営なされているんですか?」
「異世界人やゲート通過経験者の人材派遣業だな」
「繰り返しますけど、やたらと配るのは……」
「分かっている。事が済んだら回収するよ」
「日本でチート犯罪者を生む結果にならないよう」
「ああ、充分に気を付ける」
「指輪が壊れても返還して下さいね?」
シンクレアに言われた勇一は疑問に感じた。
「この指輪が壊れる様な事が本当にあるのかね?」
シンクレアは勇一に向かって静かに頷いた。
「私が使っている分には全く問題無いがなあ……」
勇一は自分の嵌めている指輪を確認した。
「一応、息子の分も併せて予備を貰ってはいるが」
シンクレアは勇一の前に割れた指輪を出した。
一つではなく、三つ程テーブルに置かれる。
「カムリのチート開放に耐え切れず自壊しました」
「凄まじいな……彼の力は……」
「ウチの大将のチートは、えげつないですしね」
「アウトカンスト……」
アウトサイダー、オブ、カウンターストップ。
ステータス値の上限を無視するチートになる。
自分自身の筋力、知力、敏捷性、魔法耐性……。
異世界でカムリは、それらを自由に変更できた。
俗にカンストと言われる限界を無視して……。
「カムリに指輪を嵌めただけで三分で壊れます」
「まるで遠くの星から来た巨大ヒーローだな」
勇一の冗談を交えた感想に押し黙るシンクレア。
彼は彼女に尋ねる。
「どうかしたのか?」
「いえ、レイミーアの……」
「レイミーア君の?」
「私にハメた時は人型決戦兵器並みに保つのにね」
「……」
「とかいう下ネタが頭に、こびりついてしまって」
シンクレアと勇一は苦笑いをしてしまった。
彼は疑問を纏める様に彼女に話し掛ける。
「ルストは異世界の女性達を誘拐して……」
「何をするつもりなんでしょうか?」
「異世界の魔法使いが全員大人しく捕まったまま」
「実力者がいるなら、それもおかしな話ですね」
「もう被害者は死んだか。魔女と誘拐は無関係か」
「それとも……」
「別の拘束方法を使っているか。他の事情か……」
「扇情の呪いによって被害者が出ていますから」
「別の方法を使っているとは考えづらいか……」
「何か扇情と併用している呪いがあるのかも」
「なるほど。だがルストの資料にそれらしい……」
言い掛けて勇一は口をつぐむ。
何かに驚いている様な表情になった。
シンクレアが尋ねる。
「何か思い当たる節でも?」
「……いや、考え過ぎだろう……」
(もう、二十数年は経っている……今更……)
だが、険しい表情を崩さない勇一。
見上げる様にシンクレアは下から顔を寄せた。
「今日は、これからどうなされるんですか?」
「済まない。部下と飲みに行く約束をしていてね」
「あら、残念。今度は私達とお願いしますね?」
シンクレアは軽くウィンクをして顔を離す。
「この件が片付いたら皆んなで忘年会でもしよう」
勇一は、そう言って微笑んだ。
「お詫びに好きなデザートを買って来ていいよ?」
「嬉しい……だから埼京さんのこと好きよ?」
シンクレアは勇一から千円札を二枚受け取る。
階下の注文レジへと楽しそうに降りていった。
勇一は、その様子を見て嬉しそうにしていた。
少し遠くなった窓へ視線を移すと青い空を見る。
表情が自然と、また険しくなった。
(思い過ごしだと良いのだが……)
だが彼は、付き纏う嫌な予感を拭えないでいた。
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