姉の告白
そんな衝撃的な出会いを経て、私とゆうくんこと坂本侑二は初対面を終えたわけだが、でも実際このとき相手の顔を見たのは、おそらく私だけだったのだろう。
その証拠に、あの日から何度か同じ電車で顔を合わせても、反応するのは私だけだった。まああのときのゆうくんは気分が悪くてほとんど俯いていたから、仕方ないのかもしれないけど。
ちなみに、衝撃的な事実を知った私が家の中に逃げ込んだ後、やっぱり放置もできなくてもう一度様子を見に行ったときには、すでに彼の姿は跡形もなく消えていた。
私がバイトに遅刻したのは言うまでもない。
とにかく、私のそれからの日々は、劇的に変化した。
まさか自分と同じように人の心の聲が聞こえる人間がいるなんて思いもしていなかったから、必然的に私の視線は彼を捜すようになる。
駅のホーム。通学のための電車内。果てはもう一度家の前を通らないかと、頻繁に外をチラ見する日々。
ストーカーじゃない。これは断じて、ストーカーではない。
そもそもストーカーというのは相手を必要以上につけまわすことであり……と、そんなことはどうでもいい。
とにかくこのときの私は、初めて見つけたお仲間に、同族意識のような、言い知れぬ興奮と不安が混ざったような心地になったのだ。
そうして知ったのは、彼が「かみやゆうじ」という名前であること、私の家の前を通って通学すること、朝はいつも決まって6:27の電車に乗ることだ。
私は彼に触れないと心の内が読めないから、もしかすると触れなくても人の心が読めてしまう彼が近くにいるときは、細心の注意を払った。
そうして他に知ったのは、彼が意外にも繊細で、打たれ弱いということ。見かけるときはいつも無表情で、正直無愛想な子だなと思ったけど、よくよく観察するとそうじゃないということ。
初めて聲を聞いたときもそうだったが、女の子の"本音"を聞いて心折れそうになっていたり、道端にいた野良猫に無視されてうなだれたり、満員電車で偶然手が当たったときは、友達とケンカでもしたのか、「うるせぇんだよこのナルシスト」という友達の聲に本気で落ち込んでいた。
痴漢じゃない。これは断じて、痴漢ではない。
そんな日が続けば、私もだんだんと理解してくる。自分が、年下の彼に惹かれていることを。
でなければ、さすがにここまで視線で追いかけたりはしない。
いくら同じ力を持つ者として気になったとしても、それだけで彼を見て気分が舞い上がったり、彼のことで頭をいっぱいにしたりはしない。
かといって、自分から話しかける勇気もなくて。
むしろ想いを自覚してからは、極力彼からは離れるようになっていた。
だって、なんの拍子に心の内を暴かれるとも限らないのだ。自分も同じ能力を持っている以上、その辛さも分かるから、それ自体を嫌に思ったことはないけれど。
でも、やっぱり開き直ることもできなくて、彼が近くにいるときはひたすら英単語帳を開いて内心で音読している。
おかげで英語の小テストは毎回素晴らしい点だった。
そうして拗らせた私の恋に、転機が訪れたのは言うまでもない。
そう、父の再婚である。
「たいへんゆうくん」
「……」
「ねぇこっち見て」
「……」
「ゆうくんってば!」
ぐん、と無理やり彼の顔を自分に向けさせる。
私たちは今家のリビングにいて、ゆうくんは4人がけソファでくつろいでいた。
テレビはついているけれど、たぶんゆうくんは見ていない。どうやらスマホでネットサーフィンでもしていたらしい。
「ねぇ、これ去年の水着なんだけど、もしかして私太った? なんか小さくない?」
「その前に近ぇよ!」
「だってゆうくんがこっち見てくれないから」
「なんで姉貴の水着姿なんか見なきゃなんねぇの? つか今6月! 早ぇだろ!」
至極真っ当なその突っ込みを、私はもちろん無視を決め込む。
昔は話しかける勇気すらなかった私も、一緒に暮らすようになって何かのタガが外れたのか、昔では考えられないほど積極的になっていた。
だって、こうやって自分から絡みにいかないと、ゆうくんは全然かまってくれないのだ。
嫌がられても彼を「ゆうくん」と呼ぶのだって、私を「姉貴」としてしか呼ばない彼への当てつけである。
そして今、ゆうくんの言うとおり6月なのに水着を着てみせたのは、誘惑以外の何ものでもない。
男の子が好きそうな白のビキニ。本当は去年のじゃなくて新しく買ったものだけど。
(ちぇっ、失敗したなぁ)
たぶん、そう思っていることもゆうくんにはバレバレなんだろう。でもそれでもよかった。こんなにあからさまなのに、だって彼は私のこれがアプローチだとは全く気づいてくれないのだから。
まあさすがに、内心で告白することはないけれど。
そこはちゃんと言葉にして伝えたい。
だから、私はそれだけはゆうくんの前では思わないように特訓した。
今はまだ全然脈ナシだから、さすがに告白なんてできない。振られて
「ゆうくんてさぁ」
「触んな今すぐ着替えてこい」
(ほんとなんなのこいつ。人をおちょくってんの?)
「……ゆうくんのマヌケ。鈍感」
「おいちょっと待て」
「木偶の坊。鈍感」
「鈍感2回言う意味ある?」
「ある」
ムッと頬を膨らませて、私はゆうくんの顔から手を離した。これ以上触れていても、なんだか悲しくなりそうだ。
「はぁー……」
わざとらしくため息をつけば、俺のせいかよっ? とゆうくんが少し狼狽えた。あ、ちょっといじめすぎたかも。そういえば打たれ弱い子だった。
「よし分かった。問題です」
「うわ始まったよ……」
「私の好きな芸能人は誰でしょう」
「なんで急にそんなクイズが出てくんの?」
「残り5秒」
「……佐野恭也」
苦い顔でゆうくんが答える。
「正解! ではゆうくんの好きな女性芸能人は?」
「それクイズにする意味ある?」
「ある」
(まあたぶん、夏目美佳だろうけど)
以前テレビを見ていたとき、その女優が出ていたCMを見て、ゆうくんが「お」と反応していたのを私は知っている。
「……尾崎加奈子」
「えっ」
「もういいだろ。とにかく早く着替えろよ。風邪引いても知らねぇからな」
そう言ってゆうくんが自分の部屋へと消えていく。
予想外の名前を言われて、これはもしかすると私の心を読んで変えたな、と考える。不自然な間があったし、たぶん間違いないだろう。
私の意図を知りながらそう答えるのだから、それはゆうくんからの挑戦状に他ならない。
夏目美佳は蜂蜜色のゆるふわパーマがかわいらしい、癒し系。
対して尾崎加奈子はダークアッシュブラウンのセミロングが似合う、抱きたいグラビアアイドルナンバーワンだ。
どう考えてもケンカを売られている。
(でも、私を甘く見たねゆうくん。抱きたい女ナンバーワン? やってやろうじゃないの!)
こうして今日も私は闘うのだ。
* * *
私が自宅の一部で占いを始めたのは、もちろん自分の能力が関係している。
もともと高校のころはそれで友人の悩みを解決していたこともあり、これなら在宅で稼げると思ったのが一番の理由だ。
在宅なら、ゆうくんとも長く一緒にいられるから。一つ屋根の下で暮らしていても、案外高校生と大学生ではすれ違うことも多い。バイトなんかしていたらそれこそほとんど一緒にいられない。
それでは、一緒に暮らしている意味がないのだ。
まあ人の心が読めるのだから、占いという分野において"ずるさ"は否めないが、それがなんだと言うのだろう。
これも一つの才能。
デメリットだってあるのだから、そのメリットを生かして何が悪い。私は開き直ることにした。
そして私が選んだ占い方法は、言わずもがな、手相占いだ。
「これが感情線なんですが、あなたの場合指まで届いてませんので、わりと感情を表に出さない人ですね」
「へぇ」
「しかも左より右のほうが長いので、付き合っていく内にあまり感情表現をしなくなっていくタイプの方です」
「そうなんですかねぇ……」
(すごい、当たってる)
私は今日の依頼者の心の内を聞いて、ゆっくりと頷いた。そこは素直に感心しておいてほしい。どっちみち私にはバレてますよ。
「今、お付き合いしている方がいますよね?」
「……ええ」
(なんで分かったの!?)
「その方に『自分のこと本当に好き?』と訊かれたことはありませんか?」
「……あります」
(それはもう、しつこいくらい。ちゃんと好きなんだから、そんなこといちいち確認しなくてもいいのに。男のくせに女々しくない? 前もそれでケンカになったし)
「では、こう言ってみてはどうですか? 『ちゃんと好きだけど、普段は恥ずかしくてなかなか言えないの。許して?』と」
「でも先生、それ言うほうが恥ずかしいんですけど」
「たった一度の恥を我慢すれば、ケンカも少なくなるかもしれませんよ? あまり想いを表に出してくれないのは、恥ずかしがってるからなんだと受け取ってもらえるようになるでしょうし」
「ケンカが少なく……」
「はい。もしそれでダメなら、今度彼氏さんも連れてきてください。2人まとめて相性を占いますから」
むしろ2人まとめて来てくれたほうが、私としては楽だったりする。
「分かりました、試してみます。最近それでケンカばっかりしてて、実は悩んでたんです。ありがとうございました」
何かを決心したように丁寧にお辞儀してから帰る彼女を見て、私も同じように返した。
これで悩みを解決してもらえるのなら、私にとってはお安い御用だ。依頼者も嬉しい私も嬉しい。まさにwin-winというやつ。
(それにしても、いいなぁ。彼氏かぁ)
羨ましいことこの上ない。
占いに来る女性のほとんどが恋愛について相談に来るが、両想いを獲得している人の相談に乗るたびに「何やってんだろ自分」と、そんなもの悲しい気分になる。
(私だって、ゆうくんとそんな関係になりたいのにっ)
すると。
「姉貴、今日の客終わった?」
コンコンとノックが響いた後、許可をする間もなく部屋の扉を開けられて肩がびくりと震えた。
ゆうくんしかいないことは分かっているから、だから余計に心臓が早鐘を打つ。
今の、聞こえてなかったよね?
私は平然を装って、でも心の中では誤魔化すようにぱっと浮かんだ「tired」の単語をひたすら唱えてみる。
ちなみに、これにした意味は全くない。
「今終わったよー」
(tiredtiredtired……)
「そか。……つか姉貴、疲れてる?」
「え? なんで? 全然!」
(tiredtirードタイアー……)
「え、姉貴ほんとに大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫! それよりどうしたの?」
(タイアードタイアードタイアー……)
「いや、メシ行かねーかと思って。でも疲れてんなら」
「外食! そっか、今日は外食の日だもんね! 行こう行こう!」
(タイアードタイガードタイガーだめだ分かんなくなってきた……!)
「あ、ああ」
(だろうな。最後らへん「タイガー」になってるし)
ゆうくんの「こいつ本気でやばいんじゃ」という視線がかなり痛い。
でも、これはセーフ、なのかな? どうやらゆうくんにはギリギリ聞こえなかったらしい。よかった。
さすがに彼の力も、世界中の人の心の聲が聞こえるわけではなく、制限距離がある。今回はそれに救われた。
さて、とりあえず今日は外食のようだ。
まだ始めたばかりでお客さんが少ないとはいえ、1人1時間ほど視たので、2時間座りっぱなしだった体はあちこち固まっている。腕を伸ばしながらそれをほぐして、私は椅子から立ち上がった。
「それで、ゆうくんは何食べたい?」
「俺より姉貴は?」
「私は……」
そう訊かれて考える。
(お寿司……あ、でもお肉もいいなぁ)
素で考え始めた私は、ゆうくんがそれを聞いていることなんてすっかり頭から抜け落ちていて。
「じゃ、今日は焼肉行くか?」
「焼肉! 行く行く!」
優柔不断なところがある私を見越して代わりに即決してくれるゆうくんは、こういうときとても頼もしい。
あのままだったらたぶん私は30分ほど格闘していたことだろう。
ゆうくんのこんなところも私は――
「――っゆうくんとりあえず私着替えてくるから玄関で先待ってて!」
「え、うん」
なんだいきなり? みたいな顔をされる。
うん、そうだよね。いきなり叫んでごめんねゆうくん。
でも。でもそうしないと。
(危なかった……! ゆうくんの前で口走るところだった!)
正確には、心の中で告白してしまうところだった。
(やばい。今日は平常心無理! そうだ、英単持っていこう!)
それさえあれば、不審者扱いは免れられるかもしれない。
幸か不幸か、明日はちょうど英語の小テストの日である。
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