謁見 Ⅱ
細く伸ばされた純金が蜜蝋の燈火を弾き煌めく。秀麗な美貌を縁どる毛髪は彼の父――この謁見の間でただ独り、玉座に坐す国王から譲られた色彩であるはずなのに、ドニにとっては同一ではなかった。
王太子エルゼイアルを混じりけのない黄金とすれば、彼の父たる国王グィドバールは黄鉄鉱だった。愚者の金。煌びやかなのは見てくれだけで、風雨に容易に削られる、軟弱な鉱石。鉱夫に泡沫の喜びの後の失望を齎すこの鉱物に、苛立ちの叫びを上げさせられた者は決して少なくはないだろう。だがそれとても、石であるだけまだましなのだ。グィドバールは、男はどんなに下等でも路傍の瓦礫に留まる。しかし女ときたら――焦がれる青年を生み落とし、彼に絶世の美貌を継がせた貴人を除けば、皆肥溜めで蠢く蛆虫だ。
己の醜貌に対する侮蔑や嫌悪や憐憫はもちろん、その反対に属する感情も――一切の情動を窺えぬ翠緑玉から、傍らの女に視線を移すのは拷問だった。
美味を堪能した後に残飯を舌に乗せれば、誰しも顔を顰め拒絶せずにはいられない。細く滑らかな絹の糸で織りなされた布地になれた素肌にごわついて質の悪い亜麻を擦りつければ傷ができ、花の香りに慣れた鼻腔には堆肥の悪臭は一層耐えがたかろう。流麗な琴の調べで楽しませた耳に女の金切り声が入れば、たちまち鼓膜が破れてしまいかねない。
快の後の不快に生じて然るべき、舌と肌と鼻と耳のそれぞれの反応。それらよりさらに、美を己が眼に映した後の醜は凄まい。
「陛下の許を離れてからというもの、陛下を想って涙を流さぬ夜は一日たりとてございませんでしたわ。六年の月日を経てこうして再び陛下に見えたこの感激を表す言葉は、無学なるわたくしには到底上奏できませぬ」
私の屋敷に移った途端、年甲斐もなく男を漁り男を咥えこんでいた身でよくもぬけぬけと。
脳裏に閃いた嘲りの文句を吐き出せば、似合いもしないのに楚々とした笑みを張り付けられた褐色の面は、悪鬼さながらに歪むのだろう。容易に虚実と判ぜられる程度の浅ましい嘘でも、ここまで堂々と恥じることなく紡げるのだから、タリーヒの厚顔さはいっそ尊敬に値する。無論王とてこの女の唾棄すべき本性を、どこの誰とも分からぬ男に躊躇いなく脚を開き快楽に興じる淫奔を承知の上で愛妾として迎えたのだろうが。
「陛下。どうか、わたくしの部屋にいらっしゃってくださいませ。一晩もあれば、わたくしたちが離れていた歳月が穿った隔たりを埋めることもできましょう。陛下に献上したく、侯の蒐集品の中から、侯とともに選び抜いた葡萄酒もございます。何でも山の向こうの国から運ばれた、世に稀なる美酒だとか……」
紅の力を借りて吐き気を催すまでに肉感的な唇は、身に毒を潜ませる芋虫だ。子を宿し育むという、唯一神が原初の罪への咎と贖いとして女に下した責務を果たすに必要以上の脂肪を蓄えた肢体はひたすらにおぞましい。
水死体でもあるまいに、どうしてあのように胸部と臀部が膨張しているのだろう。あの見るからにやわやわとした皮膚は押せばぐずぐずに崩れて、腐った体液と融けた脂肪が沁みだしてくるのではないか。
「そうだな。直に、そなたの部屋に訪れるとしよう」
口先では色よい返事を嘯いた国王の口元も、タリーヒのあまりの厚かましさに引き攣っている。彼は、気づいただろうか。
彼らの双子の片割れが喪われた六年前より更に以前。王妃ザーナリアンの故地である旧ティーラ帝国領に、視察を兼ねた御幸に赴いた十八年前は艶やかな大輪であった花は既に萎れ枯れ果ててしまっているのだと。花のない薔薇など、ただ鋭い棘でもって己を苛めるものでしかないのだと。
グィドバールが感づいたものが、タリーヒの衰えばかりならばよいが。
押し殺しきれなかった懸念と焦燥がぶよついた二匹の蛭の合間から漏れ出る。この世のどんな生物よりも下劣な売女の下に就かざるを得なかった日々は拷問そのものであった。が、王のもう一人の
病は快癒し、ぶり返す兆候もないというに一向に部屋から出ようとしない王の庶子。突如として屋敷に現れた同じ年頃の少年を外遊びに誘おうと、強引に
はやる少年に手を引かれ赴いた一室には、蹲りさめざめと涙を流す少女がいた。
「ご覧になってください! 女でしょう!? こいつは王子じゃありません!」
着替えの最中だったのか、胸に巻かれた幅広の布の他は一糸も纏わぬ上半身が描く曲線は女でしかありえなかった。たとえ乳房が隠されていても、女であると一目で判ぜられる肉体は年齢にそぐわぬ発達を遂げていて醜い。
――あにうえ以外のひとに、からだを見られた。
透き通ってはいるが汚らしい滴と共に零れ落ちる嘆きは、彼女が王宮から追われるに至った罪を明白に示していた。
この娘は、異母兄を、ドニが求める王子を誑かし堕落させたのだ。腐肉に集る蝿に過ぎぬ身で太陽を穢す罪を、赦してはならない。下腹で生じた義憤は食道を灼きながらせり上がり、口内をひりつかせた。
腰に佩いていた剣の切先を項に向けると、漆黒の眼は零れ落ちんばかりに瞠られて。
「……いや。……たすけて、あにうえ……あにうえ……」
上目遣いにドニを仰ぐ潤んだ瞳は、「女」そのものだった。
――陛下には、御子息の容体が急変し、ついに身罷られましたと伝えれば良かろう。
「待ちなさい! “それ”には殺すよりももっと有用な使い道があるのよ!」
大きく振りかぶった腕の勢いが剣呑な一声が轟くのが一瞬でも遅ければ、豊かな黒髪ごと細い首は斬り落とされてしまっていただろう。
「……どういうことだ?」
「少し、待って頂戴。まず最初にこいつと
剣を納めたドニやひたすらに黙したまま事の成り行きを見守るシュゼシスの眼前に進み出た女は、嫣然と微笑んでいる。
女を好む男にとっては妖艶であろう笑みは、程なくして崩壊した。
「……着替えをするときは周囲に気を払えと教えたでしょう! お前はどうしていつもわたくしの言いつけを守らないのかしら?」
娘の長い髪は鷲掴まれ、強引に持ち上げた顔面に女の掌が打ち付けられる。
「お前はそれだからお兄さまとの逢引も見つかるのよ! 何もかも、お前が愚図で鈍間だからこうなる。よく覚えておきなさい」
乾いた衝撃音も怒号も、合間に轟く嗚咽も何もかもが愚劣で、まだ幼いシュゼシスなどは直視に耐えぬと言わんばかりに目を逸らしていた。この程度の暴力など、貧民窟には掃いて捨てるほど溢れていただろうに。
対話と銘打たれた暴虐は止まらず、少女は切れた口の端からひび割れた喘ぎを漏らすばかり。
「あ……う……」
意味をなさぬ音の断片を吐き出す少女は、やがてがらくた同然に放られた。冷たい床に押し当てられる頬は無残に腫れあがっている。
「見てのとおり、こいつは女。ヴィードの双子の姉のダーシアよ」
呻く娘の後頭部を右の脚で踏みにじり、ぺたりと力なく投げ出された手の甲を左の跟で抉る女の双眸は、傲岸にぎらついていた。
「お前、わたくしと手を組まない?」
ドニが必ずや首を縦に振る、と確信した上で告げられたのは驚嘆すべき誘いだった。
「お前はあの王子さまをお前のとこまで引きずり降ろして、自分だけのものにしたくないの?」
なぜ、お前がそれを知っている。
返事の応えとして飛び出したのは途切れ途切れの、拾い上げることすら困難な問いかけであり、やはり女は答えなかった。とうとう意識を失った娘を見下す彼女の双眸は、淀み瘴気立ち昇る沼そのものだった。
ぴたりと身を寄せ合っていたはずの、色艶の悪い皮膚に張り付いた吸血動物が引き離されたのは感嘆の吐息であった。紫紺の礼服で飾られた彫像が、己に一瞥を投げかけてくれたのだ。垂れ下がる腹の肉を波打たせる感動はただの思い違いか、たわいのない気まぐれによるものなのかもしれないが、それは些細なことだ。いつか、ドニは己が夢を現実にするのだから。
この麗しい青年が至上の地位に就けば、彼はドニの手には届かぬ存在になろう。だからその前に、必ずや行動に移らねばならない。だが焦っては仕損じてしまう。鷹揚に、勝機がこちらに転がり込んでくる頃合いを待てば良い。どのみち王太子は建国祭が終われば、南方の異民族との小競り合い止まぬ山岳地帯に舞い戻る。
護る者のいなくなった宮殿は熟れた果実だ。己はただ籠を構え、間近に迫った落下に備えればよい。
ともすれば上によじ登る軟体を戒めんと突きたてた犬歯は、跪く男に思いがけぬ愉悦を齎した。
王太子が、想い人が、こちらを見た。ドニの異変に感づいてか、今度ははっきりと。違いようもなく、真っ直ぐに、己を。
怜悧な緑の眼差しに貫かれた肉体を支える脚の付け根で、欲望が渦巻く。全身の血と熱が集まったのかと錯覚し、恥じ入ってしまうまでに。
――この醜態で、殿下のお目を穢してはならない。
より低く低頭した男に潜む蛇は、牙を突きたて丸呑みする獲物を求めていた。国王の退屈を滲ませた一声によって謁見が切り上げられ、客人のための間の与えられた一室に戻っても。
「ドニ様。お疲れではございませんか?」
天使と見紛う笑顔を咲かせ、猫のごとく己にすり寄る小姓は愛くるしいが、焦がれる青年の天上の美貌には到底及ばない。天使は神になり替わることはできない。しかし、しばしの代わりは勤められよう。
己の滑稽なまでに短い脚とは似ても似つかぬ、しなやかな二本を包む衣の前を肌蹴ると、少年は悪戯っぽく吊り上がった口元をほころばせた。露わになった皮膚は内側から発光しているかのように白く肌理細やかだが、その柔肌に覆われた脚は細すぎるきらいがある。
甲冑を纏い、馬を操り将として戦地を駆ける青年のそれは固く引き締まっているだろうに。
――これではまるで女ではないか。
こみ上げる不満は、しかし鎌首を擡げた蛇を萎えさせはしない。猛る欲望で薄桃の慎ましい蕾を割ると、脈打つ昂りは軟なぬくもりに包まれた。侵入者に抵抗してか狭まる奥をこじ開けんと己を進めると、苦悶と絡み合った悦びの絶叫が漏れて。
少年にしては高く澄んだ響きは、欲する青年の威厳溢るる低音とはかけ離れていた。
「声を出すな」
不満とも憤懣ともつかない激情を、まろい曲線を描く臀部に叩きつける。乾いた衝撃と絶頂の咆哮の音色が轟くとともに、締め付けられた獣性は濁った満足を吐き出した。
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