第三章 (6) 自分勝手な大人たち
「これ、どうしたの」
帯刀の問いに、橘はおずおずと答える。
「昨日、気づいたらこのアプリがインストールされていたんです。誤って起動したら彼女が現れて、どうやらあなたに勝手にメールを送ったらしいんです。すみません……」
いい訳じみているが、事実である。これ以上突っ込まれてもろくな回答は出来ない。頼むから変な質問はしないでほしい。
橘が強く願うと、その願いが通じたのかは定かではないが、ふむふむと帯刀は首を縦に動かした。
「ああ、そういうことか……。ここ数年で二番目くらいに驚いた」
帯刀は力なく天井を仰ぐ。「いたずらかどっちか分からなかったから、アドレスから正体を辿ったら橘くんのアドレスだし……。ああ、なんだよもう。みよちゃんにどう説明すればいいんだ……」
みよちゃんと聞きなれない人物名が出たが、これはおそらく猊下のことだろう。橘は思う。この帯刀という人物はイヴのことも知っているようだし、おそらく猊下とも懇意にしていそうだ。いっそ彼にイヴを引き渡してしまえばいいのではないか。
あの、と口を開こうとしたところで、
『ねえクリストフォルス、猊下の行方はご存じない?』
空気を読まずイブが口を開いた。それに対し、帯刀は「ああ」と気だるげに肯定する。
「猊下はいまカリフォルニアにいるよ。日本にはとうぶん戻らない」
『無事なのね!』
「病みが加速したぶんまったく無事ではないけれど、生きてはいる」
『それでじゅうぶんよ』
ああ、よかった……。
彼女はそう言うと、瞳から大粒の涙を流した。たった昨日からの付き合いだが、橘はそんなイブの様子にどきりとする。そんな人間らしい表現も出来るのかと、新しい一面を垣間見た気がしたのだ。
「ええと、帯刀……さん? でいいですか。これってなんですか」
橘が尋ねると、帯刀はおやと表情を曇らせる。
「彼女から聞いていないのか」
「聞きましたが、よく分からないことばかり言われました」
なるほど、と帯刀は口を閉ざした。
そうしているうちに、注文していたコーヒーとミルクレープが届いた。店員が去ってから、食べていいと帯刀は橘へ促す。
「彼女はね、猊下の作った人工知能。大元になったデータは実在した人物のものだけれど、それをあたかも『それらしく』なるように仕立てたのは彼だ」
「そんなものが、どうして俺のスマホに」
ええと、と帯刀が微かに言葉を濁した。
それに気づかない訳がなかった。橘はさらに続ける。
「なにか理由があるんですか」
帯刀は答えなかった。その代わりに、ちらりとイヴのいる橘の携帯に目を向ける。画面上で、イヴが不安そうに帯刀を見ていた。
「……橘くん。ところで、今日の予定は?」
突然話題を変えられ、橘は微かに眉間に皺を寄せる。適当にはぐらかされたと感じ、内心不信感を募らせていた。
「実家に帰る途中ですが、新幹線が止まってしまったのでどうしようかと」
「じゃあ、俺と来ないか。自宅まで送ってあげる」
「結構です」
刹那、不信感が最高潮に達し、気づいたらぴしゃりとNOの返事をしていた。その言葉は想定内だったのだろう、帯刀は表情ひとつ変えることなく続ける。
「そう? でも、新幹線は少なくとも一週間くらいは動かないよ」
「……どういうことですか、それ」
ほら、と帯刀はラップトップから別の画面を開いて見せる。先ほどの運転見合わせの記事に追記がされていた。
なんでも、車両トラブルの直後に“七つの大罪”による線路断絶が発生したとのこと。そのため、上り下りどちらもこの本州第三区までは到達せず、しばらくは第二区までで折り返し運転となることが綴られている。そしてこうも書かれていた。
現状では復旧のめどはたっていない、と――。
つまり、本州第三区はこの日陸の孤島状態となったのである。
「り、寮まで戻りますから」
「寮は閉まっちゃうでしょ。夏休みだから」
「なんで夏休みだって知ってるんですか」
「君、聖フランチェスコ学院の生徒だろ。俺は、学院の運営にも少し関わっているからね」
帯刀はさらりと答えた。「それにね。今のご時世、高校生が保護者なしで宿に泊まれると思ったら大間違いだよ。たぶん補導されちゃうけど、それで大丈夫かい。その点、俺について来たら、しばらくは旅費交通費も賄ってあげられるけどなぁ。ところで、きみの今の所持金っていくら? 東十六夜市の平均宿泊代は約一五〇〇〇円だけれど」
ぐぬぬ、と橘は思う。
――三〇〇〇円。所持金はそれだけだ。
「し、知らない人についていってはいけないと親に言われているので」
「……ああ、なるほど。そういうこと」
帯刀はようやく橘の反応の真意を汲み取ったらしい。「ちょっと待っていて」
すると、帯刀はどこかに電話をかけはじめた。
数コールの後、
「ああ、土岐野さん。お久しぶりです、帯刀です……はい。実は息子さんが新幹線に乗れず立ち往生しているところを保護しまして。お宅まで送らせてほしいのですが、構いませんか」
この男、なにか変なことを言い始めた。
はい、はい……としばらく相槌を打ったのち、帯刀から携帯を渡された。
電話の相手は父だった。
『橘、送ってもらいなさい』
「えっ」
『その方は父さんの知り合いだから。お言葉に甘えなさい』
「えええ……」
『決して失礼のないようにするんだぞ』
どういうことだよ、と思っているうちに電話が切れた。
「ということなので、道中よろしく」
帯刀はけろっとした様子で、こう言い放った。「大丈夫、悪いようにはしないから」
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