第五章 (1) 感情の洪水
三善が一方的に語り始めて三日が経つ。
初めそれを黙って聞いていた帯刀だったが、面会開始時から終了時までの間ほぼ休みなく、三日に渡りひたすら語り続ける三善を見ていたらだんだん悲しくなってきた。その内容もなかなかにひどいもので、順序も法則もあったものではない実に支離滅裂な状態だった。
それでも初日に比べれば随分とマシになったものだ。初日と二日目の前半くらいまでは、楽しそうに話しているときもあれば突然泣き出したりと感情の起伏もまちまちで、非常に扱いに困る状況だった。しかし、三日目に突入したあたりから落ち着きを取り戻しはじめ、時々自ずから休憩を挟むようになってくれたのである。
先に帝都に事情を話しておいたのが良かったのかもしれない。ほぼ毎日のように顔を見せる箱館支部の聖職者たちにこんな醜態を見せる訳にもいかず、徹底して人払いをしておいたのだ。おかげで三善も変に気負うことなく喋りに徹することができたようだ。
それにしても、と今も淡々と話し続ける――今はどうしてか、『雅歌』のくだりについて妙に丁寧な解説をしている――三善をよそに帯刀は考える。
帯刀が三善と知り合ったばかりの頃はもっと天真爛漫で、それを周りがきちんと見届けているような雰囲気があったのだが、あの件があって以降の三善はとにかく人との接触を避けていた。それは勿論想定外の病気を患ったという理由もあるのだが、その頃からどうも彼は人との対話そのものを諦めていたようにも思う。
――今この時、『姫良三善』は必要ない。
少し前に札幌で会った時のことを、帯刀は今でもはっきりと覚えている。
だからこそ、今自分の前で言いたいことを全部ぶちまけている様は嬉しくもあった。
そしてこうも思う。
彼はすでに「一人きりでいること」に対して覚悟を決めているのだ。
さて、今日も既に二時間くらい口を動かしていた三善だったが、突然せき込み始めた。帯刀が慌ててボトル入りのミネラル・ウォーターを渡すと、そっと声をかけた。
「少し休もう。まずはこれを飲んで」
「うん、ありがと」
三善はキャップを開け、ボトルの半分くらいまで水を飲みほした。ふっと息をつくと、キャップを閉めながら帯刀の方を向く。
「それで、だ。話を続けるけど――」
「みよちゃん。ストップ」
とうとう帯刀が三善の言葉を遮った。「俺は休もうと言った。だから休んで。その代わり俺がしゃべるから、少しだけ聞いていてくれるか。そうしたら退屈しないだろ」
そう言うと、三善は納得してくれたらしい。彼は小さく頷き、ようやく口を閉ざしてくれた。
さて、と帯刀は息をつき、彼のやや後方のベッドで大人しく本を読んでいるヨハンへと目を向けた。彼の姿はほとんど見えていないが、その気配でなんとなくなにをしているかは読み取れる。
ここ数日の三善の長話を聞き続けているのは彼も同じだ。ある特定のワードに触れた時だけ微かに動揺し心拍数が上がるのは分かったが、それ以外は特に妙なこともない。
昨日、三善が検査のために病室を離れた際に帯刀とヨハンは二人きりで話をした。
そのとき、ヨハンは三善に話してやったのと同じことを帯刀に説明してくれたのである。
拠無い事情でケファの身体にトマスの意識を乗せ換えたこと。その際に本人が気を失い、今年になってからようやく目を覚ましたこと。
それでようやく帯刀は事の次第を理解し、それからひとつだけ彼に尋ねた。
――あなたが今このタイミングで姫良三善の前に現れた理由はアレだろう。本当にできるのか。
――できるかどうかでなく、やるんだよ。大丈夫、この体の持ち主はもう五年も前から『このこと』に気がついていて、五年後、つまり今の俺たちが最低限楽に動けるように手を回している。俺はそれに乗っかるだけ。本当に、この頭脳は恐ろしいよ。だから殺されかけたんだけど。
そう言ってヨハンは微かに笑みをこぼした。
彼は『このこと』について三善にまだ説明していないようだが、たぶん説明したところで言うことを聞かないと踏んでいるのだろう。ならば野暮なことはしないでおくに限る。
帯刀は暫し逡巡し、ゆっくりと口を開いた。
「そうだな、なにを話そうか……。ものすごくどうでもいいことを話そうかな」
「おれ、あの話が聞きたい。実家の猫の話」
「……、コナツのこと? それでいいの」
「それがいいの」
喜んで話しますけど、と前置きしたのち、帯刀は実家の飼い猫の話を始めた。ここ数年実家に帰っていないためしばらく会っていないが、とてつもなく可愛いのだ。そんな内容をぐだぐだとしてやると、三善が楽しそうな表情で「それで、それで?」と続きを促してくる。なんだか昔の三善を見ているような気がして、内心安堵しつつ、帯刀は頭の片隅で別のことを考え始めた。
先日、姉の秋子と春風に連絡を入れ、壬生の所在の予想を伝えている。それ以降彼女らからの連絡はないけれど、特に連絡がないということはうまくいっているということだろう。
三善が口を開いた最初のタイミングで言っていた「“
「という訳でコナツは慶馬の背に乗って寝るのが趣味なんだが――」
そこまで言ったところで、突然帯刀の携帯電話が鳴った。三善とヨハンがいる個室は携帯の使用を許されているため、念のため電源を入れっぱなしにしていたのだ。
ちらりと帯刀がディスプレィに目を向けると、そこには珍しい名が表示されていた。
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