第四章 (7) 果たすべき目的は同じ

「駄目そうね」


 数十分後、壬生らがいた建物を仰ぎ小さく息をつく女がいた。


 彼女は流れるようなブロンドの髪をかき上げ、独特の赤銅の瞳を木製の扉へと向ける。そして、ためらいなく真鍮のドアノブを回したのだった。


 中は無人である。しんと静まり返った室内には、今の今まで人が生活していた痕跡が残っている。簡素な机の上には焼いたパンが転がっている。指先で軽くつつくと、微かに温もりを感じた。


 この場所には誰もいない。そう判断し、彼女は階段へと目を向ける。


「上かしら……?」


 その時、突如彼女の視界が陰った。開け放ったままの戸口に背の高い男が立ったのだ。


「外はどうだったの? “強欲Avaritia”」


 彼女はのろのろと振り返り、微笑みながら『彼』へと言葉を投げかける。

 ドアに凭れかかるようにして立っていた男――“強欲Avaritia”は、そんな彼女に肩を竦めて見せた。


「駄目だ、また気付かれたらしい」

「本当に『あのひと』は勘が鋭いみたいね」


 彼女――“色欲Luxuria”もこれには相当参ってしまっているようで、溜息を洩らしながら床の木目へと目を向けた。彼女の端正な顔が伏せられたことで、重力に従い金髪がさらりと流れ落ちる。


 これで何度目だろう。いい加減けりをつけたいところだが、何故か上手くいかない。まるで見えない何かに阻止されているようだ。


 彼女は困り果てた表情のまま胸の前で腕を組み、


「どうやら、そこで『あの方』は釈義を使ったみたいよ」


 そして顎で食卓の横を指す。確かにその場所からは釈義の残滓が感じられる。“強欲”もそれを確認し、恐ろしく長い息をついた。


「あーあ、釈義を使えば使うほど自分の首を絞めるだけだっつうのに……あの親父は一体なにを考えているんだか」


 事の始まりは五年前に遡る。

 五年前の冬――帯刀雪と会い現在の状況を共有した時、彼女らは一番大切なことを帯刀に伝えていなかった。否、敢えて伝えなかった、の方が正解か。


 実は、“強欲”“色欲”の二名だけが大司教ヨハネスの所在を知っていたのである。

 そもそも大司教ヨハネスが「逝去した」と公表されて以降、どうして「その身を隠すことができたのか」。答えは至極簡単で、“七つの大罪”の中でその命を担わされた特定メンバーが常に自分の“封印シール”の範囲に彼を置いていたからなのだ。


 そしてその役目を負ったのが、彼ら二名。莫大な釈義を行使するあまりひとりでは移動することすらままならないヨハネスを内密に補助することで、彼の『時間遡行』を支えていた。


 ところが、件の“憤怒Ira”戦以降事態が大きく変わったのである。


 五年前のあの日、“憤怒”が帯刀相手に戦闘を仕掛けたために場が混乱し、“色欲”も“強欲”も一度その場を離れざるを得なかった。その後の後処理は大司教のであるトマス・レイモンが対応したのだが、そのトマスは現在行方不明になっている。落ち着いてから彼女らは元の廃工場に戻ったが、既にその場所に大司教の姿はなかった。


 この状況だけ見ればトマスが一枚噛んでいると考えるのが自然だが、そうなると五年もの間行方知れずになる理由が分からない。それに、あの男は出掛けに「古巣に行く」という言伝だけは残していた。その状況で、彼が大司教を連れ逃走するなど考えられるだろうか。


 結果、彼女は手掛かりになりそうな情報全てを用いて探し回ることとなる。さらに頭が痛いことに、そうしているうちに行動不能となっていた“憤怒”が復活し、大司教の息子である姫良三善のもとに向かってしまったと聞く。さすがにそれを見過ごすわけにもいかなかったため、“怠惰Acedia”を派遣し監視させることにしたが――大司教捜索に注力している間に、どうやら“憤怒”は浄化されたらしかった。


 五年の年月をかけ、あと一歩というところまで追いつけるようにはなったのだが、肝心なところでヨハネスに逃げられてしまう。今回も例外でなく、本人の近くまで迫ったところでまたしても彼女らの到着を察知されていたようだ。全世界を股に掛ける追いかけっこに、さすがの“色欲”も疲労を隠せないでいる。


「それにしても、どうやって逃げ回っているのかしらね。短期間の『時間遡行』を繰り返していることは分かるのだけれど、それにしては流出する情報が曖昧ね」

「ああ、それは俺も不思議に思う。まるで、五年前の『契約の箱』みたいだよな」


 ええ、と“色欲”は頷く。

 確かに、大司教にまつわる情報はなぜか肝心なところで曖昧になる。かつての『契約の箱』がそうだったように、真実に近づこうとするたびにうやむやにされてしまう。まるで、誰かが意図的にその因果関係を崩して回っているようだ。


「まあ、悩んでも始まらないだろ。次だ、次。とりあえず“憤怒”が姿を消したというだけで少しは肩の荷が下りた。“怠惰”はそのまま姫良三善を監視すると言っているから、少しは猶予ができたと考えていいだろう」

「ええ、まあ、そうね」


 彼女の中で、何か漠然としたものが引っかかっていた。


「俺は先に行く。今日はこのまま少しだけ休んで、明日作戦を考えよう」


 そう言い残し、“強欲”は部屋を出て行ってしまった。


 ひとり残された部屋の中、しんと静まり返る冷たい空気。

 彼女は一度瞳を閉じ、じっとなにかを考えていた。


 ――本当は気がついているはずだ。


 彼女も、今部屋を出て行った彼も例外でなく、その違和感に気がついている。それを敢えて口にしないのは、各々の今までの生き方を否定することになるからだ。


変わることは、誰だって怖い。


 人間は変わり続ける生き物だ。一時も止まっていることなど、ない。だからひとつの魂を変えることなく使い続けなければならない『彼ら』にとってはそれが心底羨ましい。


 我々はどこから来たのか?

 我々は何者か?

 そして、我々はどこへ行くのか?


「――果たすべき目的は同じなのに、ね」


 私たち“七つの大罪DeadlySins”は、それしか生き方を知らないから。自分の存在意義は、己の持つ欲にしか見いだせないから。


 だからこそ、彼女は思うのだ。


「どうせなら、真夜が近くにいてくれたらいいのに……」

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